月の瞳は何を覗くか 作:泣沢女神
序 月の瞳
裏の世界、それは表に出ないことで利益を得る者たちの界隈。日本における裏とは忍であることが多く
かつて傭兵として名を馳せた二つの家もそうであった。
一つは不破家。卓越した剣術と暗器の組み合わせを得意とし、一瞬で姿を眩ませる体術を持つ一族であった。
一つは日向家。日本で最強を自称し、超常の瞳と柔拳を用いる陰陽道から派生した忍の一族であった。
どちらも強かった。大きかった。秩序があった。故に
二つの家は裏の世界から姿を消した。
少年は赤い左目を髪の間から覗かせて街を一瞥する。海と山に囲まれた自然豊かなこの街を少年はよく覚えていた。あまりいい記憶ではない。顔なじみの仕事仲間をここに送迎しただけではあるが、色々とタイミングが悪かった。少年はそう思っているし、彼も生きていればそう思うだろう。地獄への道は善意で舗装されているように、嫌われる理由は悪意のみではないのだから。
海鳴市。それがこの街の名前だった。この街は日本でも珍しい、妖や魔の者が一般人として過ごせる場所であった。故に、裏の世界が必要になる。少年がここに来たのは、ある種イリーガルな依頼をこなすためでもあった。
少年がしばらく高台のベンチからそう街を見ていると、後ろから気配があった。悪意は無い。どちらかと言えば、困惑だろうか。
40代ほどの男性──といっても、若く見えるが──は彼の隣に座る。金に近い茶髪は、彼が欧米系の人間であることを考えると納得のいくものであった。
「彗星とは、君で間違えないかね?」
「はい。お待ちしておりました、Mr.デビット」
少年はそう言って少し黙り、口を開く。
「右後ろの青いTシャツの男性に左後ろの赤いジャージの女性。違いますか?」
男性は少し驚き、流石だと呟く。少年が示した彼らは今回の件を知っている護衛であり、男性が用意した者であった。
「分かりませんね。貴方なら護衛を出せる。なのになぜ私を呼んだのでしょうか」
少年は裏の者であった。生きるために情報を抜き、生きるために人を殺した。物理的にだけではない。社会的・精神的にも彼は人を殺せた。
「なんてことは無い。この街は
気付くには遅すぎたがねと男性は続ける。幾つかある丘の上に立つ彼の家は、この街を表向き支配する家のようにも感じる。しかし、似たような立地の家がもう一つある。裏からこの街を統制している月村家だ。
「確認ですが、この街についてどれほど知っていますか」
「ファンタジーな世界がある、程度だ。アメリカで過ごしていた頃は信じなかっただろうが、今ならわかる。世界には、今の科学で測れないナニかがある」
少年の問いに男性はそう答える。少年はそこまでわかるなら大丈夫ですと言い、本題へ切り出した。
「それではお聞きします。貴方の目的は?」
「護衛だ。私の娘、アリサ・バニングスのね」
男性の言葉に少年は一瞬驚き、すぐにポーカーフェイスになる。
「月村への対応はどうしましょうか。可能なら、顔合わせぐらいはしますが」
「それほどに月村家は強いのか?」
「貴方の経済力と同等です。貴方が表向きの統制者であるように、月村が裏側の統制者なのですから」
少年は続ける。
「海鳴は特殊な地です。人を受け入れ、魔を受け入れ、呪いを受け入れる。ある種、この星の厄介事の特異点と言い換えてもいい。
でも、それに見合う対価を、貴方はすでに得ている。だから離れられない。そうでしょ?」
男性は少しばつの悪そうな顔をし、言いにくそうに答える。
「あー、それもそうなんだが……。娘に、聡明な友達ができてね」
男性は微笑む。少年と話し始めて、初めての微笑だった。
「なるほど、それは大事ですね」
少年はそう言い、立ち上がる。もう少しすれば着れなくなりそうな黒いロングコートを揺れ、風と共に靡く。
「貴方が良い依頼人であることを祈りますよ」
その言葉を最後に、少年の姿は消えた。
少年は一人、廃ビルにて花を持つ。彼が背負う満月は何も語らない。
満月のロングコート
裏社会の少年、「血泪」彗星の仕事着。彼の丈に合うこの黒いロングコートは背中に満月を背負うようなデザインである。満月は青白く、それに反するように赤い左目を闇夜に輝かせる彼の姿を視界に収めるのは難しい。
青白い満月では想像できないほどの血を吸った一品であり、彼が確かに裏社会で生きている証でもある。とはいっても、これからこのコートが血を吸うのは難しいだろう。なにせ、今の雇い主は裏社会で極稀に見る優良主なのだから。
廃ビル
裏社会の少年、「血泪」彗星の現拠点。かつて少女が殺されたここは、呪われた土地として誰にも触れられない場所となった。
少年は昔とある理由からこの街に流れ、短い時間をここで過ごした。花を手向けるのはその名残だろうか。それを知るのは、今では色あせた若い狼の紋章のみである。
死んだ少女の名前を、デビット・バニングスは知らない。