月の瞳は何を覗くか 作:泣沢女神
2年。それは、少年がバニングスに雇われてきた時間であった。高い経済力によるものか表も裏も突っかかってくる集団はいたが、どれも秘密裏に処理できるレベルであった。少年がいたため早く気づけた件もあったが、どれもお抱えのSPで何とかなるものであった。逆に言えばそれだけ平和であるという事でもあるが。
そうであったためか、少年──『血泪』彗星は久しぶりに感じるそれに困惑してしまったのだ。
少年は違和感を感じた。それは宙から突如現れ、流星の如く落ちて行っていた。とはいっても通常の物理法則に反するよう一定の速度で落下していったのを少年は観測した。
「全く……。平和すぎるのも考え物だな」
少年はそう呟き空を翔ける。屋根などを踏み台にして進む様はパルクールのようにも見えるが、速度はその比では無かった。少年は自身が観測できた物体の落下地点である木々の中へと着くと、そこにクレーターが無い状態で落ちていたのは菱形の青い宝石のような何かであった。と同時に、少年はその正体の一端を感じ取り、冷や汗を流す。
「何なんだ、このチャクラの量は……」
チャクラ──それは少年が『忍』の者として活動するためのエネルギー。ある程度の事象を起こせるこのエネルギーは、使い方を誤ると酷い目にあうことを彗星はよく知っていた。
その宝石のような何かは、チャクラの塊と表現できるものであった。自然には形成するはずがなく、したとしても化石のように多大な圧縮を必要とするこれは、近くになければ違和感がないほどに静かであった。しかし、それはあくまでこの状態が維持された時のみ。チャクラを流し込むのはもちろん、壊すような外力を加えることでも甚大な被害を起こすだろうことを、少年は経験則から知っていた。
少年はすぐさま懐から巻物を取り出す。開かれたそれは円と複数の漢字・記号から成る陣が一定間隔で描かれたものだった。少年は円の中に何も書かれていない陣の中心に宝石を置くと、印をいくつか組み、唱える。
「封印術──封四法印」
青白い光と共に宝石は紙に吸い込まれ、円には「封」の字が刻まれる。最低限はこれで大丈夫だろうと少年は考えた。
少年は溜息を1つつき、立ち上がる。少年が観測したのはこれだけではない。最低でも4つは確認している。少年は跳躍し、他の落下地点へと急いだ。
住宅街の屋根の上。月明りすらない中、少年は道場が入っているそこそこ大きな家を一瞥していた。できれば関わりたくはない人が住む家であった。苦手や嫌悪などではなく、憧憬故のものであった。だからこそ、伝えなければならないのだが。
『もう二度と、私たちの前に現れないでください……!』
少年の脳裏に浮かび上がる、8年ほど前の記憶。幼子を抱えた女性は少年にそう言った。女性も少年自身も悪いわけではない。理解もしている。それでもなお、女性は少年に感情を向けるしかなかったのだ。
女性は彼を裏の世界に関わらせたくはなかった。だからこそ、裏の世界の少年に強く当たった。
少年は彼を裏の世界に関わらせたくはなかった。だからこそ、裏の世界の少年は受け止めた。
少年は懐から輸血パックを出し、握って破る。血は重力に従うことなく、少年の左目の輝きと共に姿を変える。紅色の液体が変わった姿は弓であった。
弓はいい。少年はそう思っていた。銃という高速の道具は弓矢の意義を奪ったといわれる。確かに威力・射程・携帯性など優れている部分は多くある。しかし、弓矢は音が小さいという利点がある。チャクラによって強化した腕を用いれば、十分な威力も出すことができる。
少年は矢をつがえる。先が尖っているだけの矢じりが無い矢で、紙が括り付けられているものだ。それは矢文と呼ばれるものであった。右目を使うまでもない。放った矢は誰もいない庭に着弾する。青年が矢を回収したのを見て、少年は闇夜に消えた。
青年──高町恭也は警戒していた。世間一般の家であっても庭に矢が立ったら警戒はするだろうが、それ以外にも理由はあった。
高町恭也。彼の旧姓は「不破」。かつて裏の世界で名を馳せた一族の者であり、生き残りである。青年が幼い時は命の殺り取りが当たり前であり、足を洗った最近は見ないものであった。
青年は手紙を斜め読みすると、矢を母に見せないように片付ける。丁度母は夕食後の皿を妹たちと洗っていたため、隠すのは簡単だった。
「父さん、少しいいかい?」
父──高町士郎は青年の表情から何かを読み取ったのか、経理帳から目を上げる。手紙を受け取った彼は中身を読む。
『海鳴市にて危険物展開
当方が回収するため手出し無用
以下の物に注意』
菱形の宝石の絵とともに簡潔に書かれた文字は癖と呼ばれるものが少なく、手紙の主を推測するのは難しいだろう。
それでも青年は、手紙を読む父の表情が懐かしい何かを映しているように感じた。
チャクラ
裏社会の少年、「血泪」彗星の仕事道具。正確には彼の力の源。
不破家は単純な力と技術で名を馳せたが、陰陽術から派生した『忍』は超常の力を用いた。チャクラとはそのための汎用エネルギーであり、西洋では「魔力」と呼ばれるものでもある。
体力と精神から成るそれは多くの裏世界の住人が扱い、消えていった。『日向』や『うちは』、『血乃池』の者達もそういった一族なのだ。
封印術『封四法印』
裏社会の少年、「血泪」彗星の仕事道具。正確には巻物に記されている術である。この術は彼が行える封印術の中でも汎用性と安全性を誇る術として重宝されている。
四辺を囲む形のこれは内部からあふれ出すエネルギーを完全には封じ込めないが、その分壊れにくい。また、内部から外部へは出せても外部から内部へは術の解除が必要となるため、封印術としての役割を万全に果たすことができる。
かつてこの術は人に刻むものであったとされ、二重に行うことで封印対象の一方的な利用が可能になるという外道な術から派生したという。