どこに行っていた、とはどういうことなのか。そう問い掛けるよりも早く、ヨリは駆け寄ってきて――
とん、と軽い衝撃を感じる。握られた彼女の手が、おれの胸を叩いた。
「急にいなくなって、連絡もくれないで……心配、してたんだからっ……!」
少し震えた声。その声色だけで、彼女がどれほど辛い思いをしているのかが分かった。そして、彼女たちとの関係が、少なくとも親しいものであることも。
再構築によって植え付けられた、「おれが不在であることのもっともらしい理由」。それがきっと、おれが何処かへ行ってしまったというものなのだろう。与えられた偽りの記憶の中でさえ、おれのことを心配していてくれた。都合の良すぎる解釈かもしれないが、世界が断絶されたとしても、よりとの絆は失われていなかった。それだけでも、嬉しかった。しかし同時に、罪悪感のようなものも感じていた。これだけ心配をされていたというのに、その経緯を何も知らないのだから。記憶喪失、とすることも脳裏を掠めたのだが、もう彼女に余計な負担を掛けたくはない。
「……ごめん」
考えた末に、上辺を繕うだけの謝罪を口にするしかなかった。それを聞いた彼女は、顔を上げてこちらを見つめる。その表情には不安の色が見えて、申し訳なさが募った。
すると突然、ヨリは再びおれの胸に手を当ててきた。先程よりも強く、まるで何かを訴えるように。……ああ、そういうことなのか。優しく抱き締めると、彼女の手が背中へと回される。それを感じて、彼女を抱く腕に少しだけ力が入った。この温もりを、離さないために。
「もう、いなくなったりしないよね?」
「…………」
ヨリの問いかけに対してすぐに答えられなかったのは、この幸せは長く続かないだろうという、確証にも近い予感があったから。おれには、
それでも。
「……うん」
それでも、ここにヨリが在るのなら、おれは傍に居たかった。
ヨリと目が合う。澄んだ瞳の中に、逆さまに映ったおれの姿が見える。そのまましばらく見つめ合っていると、彼女の頬がぽん、と真っ赤になる。
「あ、その、えっと――わああ!」
恥ずかしくなったのか、急に大声を上げるヨリ。それと同時に、背中にあった腕が解かれ、突き飛ばされる。不意ではあったが、力は強くなく、2、3歩よろめくだけで済んだ。
俯いた彼女は、くるりと踵を返してしまう。
「は、早く帰るわよ! アンタを捕まえるために、わざわざここまで来たんだからっ」
照れ隠しのように、ヨリはそう言って歩き出す。
その後ろ姿を見ながら考える。帰る? どこに? 世界が繰り返された果てに、かつて組んでいたギルドも、ギルドハウスさえも、痕跡すらないというのに。
戸惑っていると、後ろからアカリがおれの腕に抱き着いてきた。どれだけ世界がやり直されても、あかりの“そういうところ”は変わらない。
「ほらほら、行きましょうお兄ちゃん! アカリたちのお城に♪」
「城?」
思わず聞き返すと、アカリは頷く。
「お兄ちゃんが行方不明になってから、アカリ達、ギルドを組んだんです。ちゃんとした申請はしてないですけど……おとぎ話にもなってる、この世界のどこかに封印された魔族の王、“伝説の吸血鬼”に、願いを叶えてもらうために」
「えっ」
「お姉ちゃんの願い事は、叶っちゃったんですけどね。アカリは何をお願いしようかなぁ」
「ヨリの願い事……それって――というか、その願いと城ってのに、何の関係が?」
「あっ、ごめんねお兄ちゃん。えっと、“伝説の吸血鬼”は本当にいて……イリヤさん、っていってね。色々あって、イリヤさんが封印されていたお城を拠点にしていいって言ってくれたんです」
その話を聞いて、なるほど、とはならなかった。当惑していると、すぐ近くからヨリの声。
「それで、アンタを見つけたから報告に戻るの。シノブさんに占ってもらったから、そのお礼もしないといけないし。ほら、アカリも行くわよ!」
「あっ、待ってよぉお姉ちゃん!」
アカリに引っ張られるようにして、ヨリの後を追う。経緯は不明だが、ヨリが“伝説の吸血鬼”とやらに託した願い。それはきっと、行方不明となっていたこの世界のおれ――ややこしいが、つまりはおれ自身だ――と再会すること。そのために、彼女はずっと走り続けていた。おとぎ話のような、現実離れしたものにも縋って。度重なる世界のリセットが同じ演目の繰り返しならば、『ミネルヴァの懲役』が起きた時から、ずっと。ふたりの背中を眺めていると、自然と涙が零れた。視界が滲んでいく。彼女たちに気付かれないように、袖で拭った。
首元のペンダントが揺れる。たとえこの世界がまやかしでも――全てが終わるその時まで、ふたりと共に時を刻みたい。そんな想いを抱きながら、おれはゆっくり歩を進めた。
「ヨリ」
「なに?」
「おれのこと、探してくれてありがとう。……それから、ごめん」
「別に、謝ってほしいわけじゃないんだけど」
「分かってる。でも、どうしても言いたかったんだ。……こんなおれのことを、心配してくれたことも含めてさ」
「……そんなこと言われたら、怒れないじゃない。ばか」
「……」
「ひとつだけ約束して。私も、アカリのことも、置いていかないって」
「……分かった」
「約束だからね。嘘ついたら……ライトニングジャベリン1000本なんだから」
そう、約束。君たちを、絶対にこのアストルムから必ず救い出す。みんなで、「現実」に帰るんだ。
ʚ ɞ
ヨリとアカリに連れられ、歩き続けて数刻ほど。ランドソルから離れた、鬱蒼とした森の中に、それはあった。遥か昔(という設定)に造られたのであろう、洋風の巨大な城。汚れた壁や崩れた尖塔が、不気味さを際立たせている。人が好んで立ち入りそうな立地ではなく、「伝説の吸血鬼が根城としている」なんて話も信じられそうだ。
中に入ると、埃っぽく薄暗い空間が広がっていた。長い間使われていないらしく、床には絨毯が敷かれているがところどころ破れており、壁には蜘蛛の巣が窺える。それだけではない。暗闇に紛れてこそいるが、高い天井の隙間に、小さな魔物が犇めいていた。襲ってこない限り手出しするつもりはなくとも、この空間も相俟って気味が悪い。
「な、なあ、ヨリ。ほんとにこんなとこに住んでるのか? ギルドの拠点って言ってけど」
「え? いつもは家にいるわよ。ここに来るのは、イリヤさんに呼ばれたときくらいなの」
「あ、そうなんだ」
「普段使ってるところ以外は、どこに何があるか覚えてないし。でも、私たちがいつ泊まってもいいようにって、ベッドは置いてくれていたわ」
確かに、これだけ広い城なのだ。普段使いするよりも、たまに集まるくらいの方がちょうど良いのかもしれない。正直、ここに住みたくはないと思う。吸血鬼にとっては、居心地がいいのかもしれないけれど。
城の廊下を進み、突き当りの扉を開く。そこには、これまた大きな広間があった。室内は明かりが灯されており、中央にあるテーブルを囲むようにして、いくつか椅子が置かれている。その1つに腰かけている少女がひとり。彼女はおれたちの姿を認めると、ゆっくり口を開いた。
「おかえりなさい。ヨリさん、アカリさん」
「ただいま戻りました、シノブさん」
シノブと呼ばれたその少女は、紫苑のようなショートヘアに、茜色の瞳。ゴシックドレスと呼べばよいのか、そのような服装に身を包んでいる。手元には、怪しげに光を放つ髑髏。年齢はおれと同じくらいだろうか。部屋が暗いこともあり、ヨリやアカリと比べると、大人びた雰囲気を感じる。
ヨリとアカリは、シノブに軽く会釈すると、おれの方へ向き直った。
シノブが、微笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「会えたのですね。ずっと探していた方に」
その一言に、思わず息を飲む。ヨリは、シノブの言葉にこくりと小さくうなずいた。
シノブは目を細めると、再び視線をこちらに向ける。
「あなたがハルトさんですね。初めまして。私は占い師のシノブと申します。以後、お見知りおきを」
「ど、どうも」
「そんなに畏まらないでください。私のことは、気軽に『シノブ』とお呼びいただいて構いませんから」
「分かりまし――いや、分かった。よろしく、シノブ」
「はい。よろしくお願いしますね」
シノブとそんなやり取りをしていると、不意に彼女の持つ髑髏から焔が噴き出す。それはふわりと浮き上がり、おれの周りをくるくると飛んで――
「おうおう、黙って聞いてりゃあ随分と馴れ馴れしいじゃねえか、小僧!」
いきなり、いい声で怒鳴りつけられた。
「コイツが本当にあのネーチャンを復活させる力を持ってんのか? オレにはとてもそうは思えねえが」
「お父さん」
「だいたい何でオレが男の居場所なんて占わなきゃいけねえんだよ! これで何もなかったら――」
「お父さん、少し静かにして」
突如、すぐ近くで、何かを砕いたような轟音がして、土煙が上がる。見れば、いつの間にかシノブは巨大な鎌のような得物を持ち、それを飛び回る髑髏の近くに叩きつけていた。「ひっ」という小さな声を上げた髑髏は、ふよふよと彼女の元へ帰っていく。
「ど、髑髏が飛んで喋った!?」
「お騒がせして申し訳ありません。この髑髏には、私の父の魂が宿っておりまして」
「お、おう……?」
「ちょっと気難しい性格ですが、悪い人ではありませんので、どうかご安心ください」
床にめりこんだ鎌を手に、微笑むシノブ。父と呼ばれた髑髏は、ぶつくさ文句を言いながらも、大人しくしている。その様子に呆気に取られていると、彼女は再び口を開いた。
「ハルトさん。順番が前後してしまいましたが、あなたにお願いがあるのです」
「お願い」
「はい。私たち闇の眷属の王、“伝説の吸血鬼”の完全なる復活に、手を貸していただきたく」
そして、彼女から飛び出した発言に言葉を失った。そんなおれの様子を見て、シノブは再び言葉を紡ぐ。
「私たち『
「野望って……でも、なんでおれが」
「あなたを探すにあたり、見つけた場合の交換条件としていたのです。――もしかして、聞いていないのですか?」
ヨリ達の方を見ると、お兄ちゃんに会えたのが嬉しくて頭から抜けちゃってた、とアカリが小さく言う。
吸血鬼の復活。古くより様々な創作で語られるものであるが、ゲームの中とはいえ、動揺してしまう。そもそもこういった存在の復活には、いわゆる代償が付き物だ。手を貸してほしい、なんてシノブは言っていたが、要するに殺されるのと同義ではないか。
おれの思考を読んだかのように、シノブは頭を下げる。
「言い方がよくありませんでしたね。あなたの命を奪うつもりはありません。あなたの力について、ヨリさんから簡単にですが伺っています。『魔法』とは性質の異なる、不思議な“光”。その特別とも呼べる力が、復活の鍵となるのではないかと考えているのです」
「……」
「私たちとしても、ヒューマン族であるあなたに協力を仰ぐことに抵抗があるのは事実です。それでも、可能性が少しでもあるのなら。私たちはそれに賭けたいと思っています」
シノブの言葉を聞きながら、考える。
断ることができない上で、迷っていた。伝説の吸血鬼なるものを復活させることが、果たして正しいことなのか。仮にそれが復活し、彼女たちの目的が達成されるのだとして、その後の世界はどうなるのか。おれの力が光に関するものであることを知って、それを求めているというのも謎だった。吸血鬼という存在は、往々にして光を嫌うものではなかっただろうか。
それはそれとして、少しの高揚を感じていた。自分の命に危険がないならば、おとぎ話として、わざわざ設定を盛り込めるほどの強大な存在が、どんなものか見てみたい気持ちもあった。もしかしたら、おれの持つペンダントについて、何かしら情報を持っているかもしれない。
小さく息を吐き、シノブに向き直る。
「おれでよければ、力を貸すよ。何ができるかは分からないけど」
その言葉を聞いて、シノブはほっとしたように微笑んだ。
直後、何処からともなく、この部屋に居る誰のものでもない女性の声が響く。
――よくぞ言った、この世の理から外れし光を持つ者よ。特別に、わらわに謁見することを許そう。
「今のは……?」
「行きましょうか。イリヤさんがお呼びです」
シノブはそう言って、おれ達を先導するように歩き出した。
シノブを先頭に、ヨリとアカリを伴い、薄暗い部屋を出る。シノブが連れていた髑髏は、いつの間にかどこかに消えていた。長い階段を下り、廊下をしばらく進むと、大きな扉の前に辿り着く。シノブがその扉を押し開けると、広大な空間が広がっていた。おそらく、この城の最深部。天井は高く、何かの儀式でもしたのだろうか、祭壇のような構造物が一角を埋める。そこに安置された巨大な水晶の中に、女性が眠っていた。
これが、何度も聞いていた“伝説の吸血鬼”だろうか。肌を刺すような威圧感を覚える。ヨリが言っていたように、この世界のおとぎ話にもなるような存在だ。何故封印をされたのかという経緯は分からないが、それだけ強大なものであるなら、きっと大掛かりな儀式がこの場所で行われたのだろう。
本当に、こんなものを復活させてよいのだろうか? それを目の前にして、改めて疑問を抱いてしまう。そんなことを考えていると、不意に、水晶に閉じ込められた女性の目が見開かれた。
「よく来た、ヒューマンの子よ。わらわこそ、夜を統べる者。イリヤ・オーンスタインじゃ」
全てに響くような声で、“伝説の吸血鬼”はそう言った。