イリヤ・オーンスタインと名乗った女性は、美しい黒髪を伸ばしており、透き通るような白い肌をしていた。瞳の色は血のように赤く、身に纏う雰囲気には、ただならぬものがある。全身に力が入ってしまう。これが、伝説の吸血鬼。彼女は、こちらを見つめたまま言葉を紡いだ。
「我が眷属を通して全て見ておったわ。そこな男の持つ力……わらわの完全なる復活に役立つやも知れぬ」
そう言うと、イリヤは目を閉じ、口元に笑みを浮かべた。
水晶が光輝き、そこからイリヤの身体がゆっくりと浮かび上がる。やがて完全に水晶の中から出ると、ふわりと地面に降り立つ。
「あいつ、封印されてたんじゃないのか……?」
小声で、ヨリに話しかける。ヨリは特に表情を変えることなく、その様を見ていた。
イリヤはおれの前まで歩いてくると、その紅い目でおれを見下ろす。
「フン……頭が高い! わらわを誰と心得る。伝説の吸血鬼――」
名乗りを上げたイリヤを、突如として白煙が包む。
「――イリヤ・オーンスタインの前じゃぞ!」
煙が晴れると、そこには先ほどまで居たはずのイリヤの姿はなく、代わりに同じような恰好をした小さな女の子が立っていた。思考が止まる。状況から鑑みれば、この女の子と“伝説の吸血鬼”は同一人物であるはず。しかし、全く意味が分からない。一体、何が起こったというのだ?
「えっと……あの水晶……『封印の棺』から出ると、すぐに子供の姿になっちゃうのよね」
「小っちゃくて可愛いでしょ?」
言葉を忘れたおれを横目に、ヨリとアカリがそれぞれ言う。
「小っちゃい言うな! 全く、無礼な奴等め」
腰に手を当てて頬を膨らませる姿は、とても可愛らしい。だが、そんなことを口にすればどうなるか分かったものではないので、黙っておくことにした。
「……本当に、“伝説の吸血鬼”なのか?」
「いかにも。わらわを目の前にして、まだ疑っておるのか?」
イリヤは胸を張って答える。その姿は、やはり幼女にしか見えない。
「ヨリから軽く聞いた程度じゃが、お主の力は“魔力”に頼らないものだそうではないか。わらわがこんな姿になってしまったのも、長きの封印によって魔力を奪われてしまったからだと思っておる。お主の魔力が無くとも行使できる力。それが何かは分からんが、わらわの力を取り戻す鍵になるやも知れん」
魔力に頼らない力。先ほどイリヤから「この世の理から外れし光」とも言われていたが、おれがレジェンドオブアストルムをするにあたり“自分のスキル”として設定した力は、一般的なものとは異なっていたらしい。そもそも魔法を使う自分の姿が想像できなかったのだ。それならば、幾度も妄想し、架空の存在に投影し続けた
光を操る能力。昔から世界的に有名なゲームから引用するなら、『ソーラービーム』だろうか。光増幅器と言ってもいいかもしれない。世界にありふれた「光」が、おれの武器になる。昼間の屋外であれば十全に揮えるものの、悪天候や夜間、室内では、魔力を使ったスキルには劣る。今のアストルムでは変わっているところもあるだろうが、概ねそのような感じだ。以前――本当に、ずっと昔のことに感じる――よりと『永遠の蜃気楼』なるダンジョンに向かったときには、屋内ということもあって、バフアイテムの“星空の水晶”をいくつも使い、ユニオンバーストの残滓からも「光」を少々拝借して、ようやくあれだけの一撃を放つことができた。
「……おれの力は、“光”。だから、吸血鬼の役に立つかどうか」
「光とは、陽の光のことか? 太陽の下で動けないなどということはないぞ。世界征服を目指すならば、昼だ夜だと言ってはおれぬ」
世界征服だって? とんでもないワードが出てきた気がする。おれが言葉を失っていると、イリヤはおれの顔を覗き込むようにして、じっと見つめてきた。
「して、ハルトよ。少しの間、動かないでいてくれぬか」
「……血を吸われるのか」
「別に取って食うわけではないぞ。お主の身体は傷付けないと、ヨリと約束したからの」
イリヤが小さな手をおれの胸に当ててきた。ひんやりとした感覚が伝わってくる。彼女は目を瞑り、集中しているようだ。
皆が口を噤み、おれとイリヤを見守る。
しばらくして。
「……何も起きないのう」
イリヤが静かに呟いた。
「確か、前に元の姿に戻った時は……そうじゃ!」
手を叩き、何か思い出したように目を大きく開く。次は何をされるのかと身構えていると――突然、イリヤはおれに抱き着いてきた。
「うおっ!?」
「い、イリヤさん!?」
おれとヨリの驚きが重なる。しかしイリヤは気にもせず、おれの腰に手を回して目を瞑っている。さすがは伝説の吸血鬼。力が見た目よりも強い。
引き剝がそうにも戸惑いがあり、動けずにされるがままにしていると、30秒ほどして、彼女は自ら離れた。
「ダメじゃな。もっと密着すれば、何かしら起こると思うたのじゃが」
不満そうに言うイリヤは本当に残念そうだった。
「すまぬ、驚かせてしまったの。今のは忘れて――なんじゃ、お主ら。その目は。そんな目で見るでない!」
ヨリ達の視線に気付いたイリヤは、慌てて取り繕おうとする。
おれには、イリヤの行動が理解できずにいた。おれの力がどうのと言っているのに、抱き着く必要があるのだろうか。
呆然としていると、シノブがおれに向けて頭を下げた。
「申し訳ありません、ハルトさん。急にあのようなことをしてしまって」
「あ、あぁ。気にしてな――くはないけど、何で、あんな……」
「『ディアボロス』を結成したときに、ユウキさんという男性の方がいらっしゃいまして」
「ユウキ?」
「はい。色々あって、実は私たち全員とお知り合いだったのですが。もしかして、ハルトさんもご存知でしょうか」
ユウキ。それを聞いて思い付く人物は、1人しかいない。もっとも、その名前自体はどこにでも居そうなものだが、レジェンドオブアストルムに於ける「ユウキ」という名は、少々意味合いが異なる。ソルの塔を登頂した者。プリンセスナイトなる、パーティの仲間を強化する不思議な力。そして、おれの知る限り、おれ以外に唯一ユニオンバーストを使えた存在。ヨリやアカリとだけしかユニオンバーストを発現できなかったおれと違い、彼は多くの少女たちのそれを解き放っていたのを覚えている。
シノブの言っている「ユウキ」が、おれの思い浮かべた者と同一人物ならば、アストルム内で交友関係が広いのも納得できる。ヨリとアカリとも知り合いだというのは気に食わないが。
ユウキもあの日、あのイベントに参戦したのだろう。恐らく、彼とギルドを組んでいた3人の少女も。
「……1人、心当たりがある。たぶん同じ人だと思うよ」
「そうですか。……それで、ユウキさんのことなのですが。イリヤさんがその方と一緒に居ると、元の姿に戻れたのです。特に……直接触れ合うと」
「なるほど。おれが呼ばれた理由も、何となく分かったよ。要するに、そいつの代わりを探してたんだろう? “伝説の吸血鬼”が、いつでも元の姿に戻れるように」
「はい、その通りです。……申し訳ありません、このような場所までお呼び立てしてしまって」
「いや、いいよ。元々、おれがヨリとアカリに黙って、どっか行っちゃったのが原因だし」
「……そういえば、あなたはどうして、ヨリさんに行き先を告げずに居なくなってしまったのですか?」
「あー……それは……言えないかな」
「すいません、過ぎた質問でした」
おれの歯切れの悪さを察してくれたのか、シノブがそれ以上追及してくることはなかった。気まずい沈黙が流れる。
向こうで、イリヤがヨリやアカリと話しているのが見える。おれには、それがとても遠くに感じた。おれがこの世界に居ない間に、ヨリはギルドを組んだ。「ディアボロス」とは、きっとその名前。この城を拠点としているのなら、主導権は“伝説の吸血鬼”ことイリヤが握っているのだろう。イリヤは、己の力を取り戻す手掛かりになるとして、おれを招き入れた。そしてその目論見は外れた。それなら、おれはここに居られる道理がない。
行く当てもないが、この城を去るべきだろう。そう思った時だった。
イリヤが、ヨリとアカリを連れておれの所に歩いてきた。
イリヤがおれの前に立つ。背の違いから、こちらが見下ろす格好になっているが、彼女は気にする様子もなく口を開いた。その言葉は、おれの予想とは全く異なるものだった。
「ハルトよ。お主、我が眷属となるがよい」
唐突な発言に、一瞬思考が止まる。つまり彼女は、おれに仲間になれと言っているのだ。しかし何故。おれの返答を待たず――こちらの意向を聞く気があるかも分からない――に、イリヤは続けて言った。
「わらわは夜を統べる者。吸血鬼としての宿命か、昼間はどうしても力が弱まってしまうのじゃ。そう考えると、お主を他の者に渡すのは惜しいと思っての」
「い、いや、でもおれは――」
「大方、わらわの復活に寄与できぬことを気にしておったのだろう。案ずるな。わらわが力を取り戻す方法を探るのも、我らのギルドの目的のひとつじゃからな」
イリヤはそこで一旦言葉を区切り、おれの目を見つめる。吸い込まれそうな紅い瞳。
「ヨリとアカリとは、親しい間柄なのじゃろう? 同志となるのは悪い話ではないと思うぞ。こやつらもそれを望んでおる」
そう言って、イリヤは微笑む。
孤独に戦うよりはどこかに属した方がよいし、それがヨリとアカリの傍なら、それは願ってもないことだった。イリヤには、おれのペンダントのことも聞いておきたい。その上で、迷っていた。
覇瞳皇帝は、このペンダントの力を狙っている。いつ使えるようになるかも分からないし、もしそれが発現したとき、きっと彼女らを巻き込んでしまうことになる。それに、おれの目的は――端的に言うなら、この世界そのものの「終わり」に直結する。彼女らがここを現実として認識しているなら、不用意にそんな話をできるはずもない。
「どうしたハルトよ。何か他に気がかりでもあるのかの?」
おれの様子を見てか、イリヤが声を掛けてくる。どうやら顔に出ていたらしい。
「……おれには、誰にも話せない秘密がある。それを隠したまま、仲間になっていいのかなって」
「ふぅん。別に気にせぬがのう」
「えっ?」
思わず聞き返してしまう。
「誰しも秘密があって当然じゃろう。そうじゃな……ヨリにも、お主に話せないことのひとつやふたつあるはずじゃぞ? のうヨリよ」
「ええと、まぁ、それは……」
急に話を振られて、ヨリが困ったような顔をする。
「もしかして、今日の下着の色のことかなぁ? あとでこっそり教えてあげますね、お兄ちゃん♪ ちなみにアカリは、つ――」
「えっ!? ア、アカリ、ストップ! あと私のそれ絶対言わないでよ!?」
とんでもないことを暴露しそうになったアカリの口を塞ぐように、ヨリが慌てた様子で割り込む。ヨリの下着……気にならないと言えば嘘になる。が、それを零してはただの変態だと思い至り、邪な考えを放り投げた。
「こやつらの下着はともかく……まぁ、そういうことじゃ。隠しごとをしているくらいが丁度良いぞ」
ふふんと笑いながら、イリヤが言う。
「シノブはいいのか? その……おれが、君たちのギルドに入るのは」
おれの横に立ち、ずっと黙っていたシノブに声を掛ける。
「私が気にしているのは、ヒューマン族のあなたが魔族である私たちと関わることで、不利益が起きないかどうかだけです。もし、そのためにハルトさんが何かを背負うことになったとしたら……それは本意ではありません」
「おれはヨリとアカリとずっと仲良くやってきたんだ。そんなの、今更じゃないか? 魔族だからどうとか、そんなのは思ったことないよ」
今のおれの姿は、レジェンドオブアストルムで使っていたアバターデータがそのまま反映されている。それはここが「レジェンドオブアストルム」だから。この見た目が好き、という理由で種族を選び、自分の分身を形作った。ここに居る全員が、きっとそうだ。ならばどうして、それを貶せようか。
もちろん世界がおかしくなったことで、そのような差別的な実情が起きていたのだとしても。少なくとも、これはおれの本心だった。
「ハルトさんがそう仰るならば……私から言うことはありません」
そう笑ってくれるシノブに、おれも笑い返すことで応えた。
改めて、イリヤの方へ向き直る。
「イリヤさん」
「心は決まったかの」
「はい。……おれを、あなたのギルドに入れてください」
「うむ。ようこそ我が【