Missing link
目を覚ます。当然のように独りのベッド。微かな温もりと残り香が、大切な人たちがそこに居たことを示していた。
夢のようだった。ゲームの中とはいえ、よりやあかりと再び会うことができ、しかも一つ屋根の下で暮らすなど。いつかは醒めなければならない夢だけど、この温もりだけは、どうか現であってほしいと願ってしまった。
【
ギルド管理協会の建物へ入ってすぐの所にある巨大な掲示板には、薬になる植物の採取や、危険度の低いらしい魔物討伐の依頼、『ギルドメンバー募集中!』と書かれたチラシがいくつも貼られている。おれの目的は、ここにはない。中に入り、向かうのは3階だ。階段を上った先の、人目に付きにくい奥まった一角。そこには、先ほど見たものより小さなコルクボードが、壁にひっそりと掛けられている。受付嬢のカリンという女性が言っていた。ここにある依頼は、いずれも危険性が高く、またそのために、命に関わるような傷を負った場合の補償もほとんどないのだと。
現在貼られている依頼書は、魔物討伐のものが2つ。そして、先日オラル高山にて発生したという、山がいくつも消えるほどの大爆発――どういうわけか、おれはその事象を知らなかった――の調査。思えば、少なくなったものだ。以前はもう何枚かあったのだが、おれが方を付けてしまった。悪いことではないだろう。きっと、おれ以外に遂げられる者がいないからこそ、この場所にずっと貼られていたのだから。目に付いた、左端の真新しい依頼書を剥ぎ取る。隅に書かれた報酬額は、下の掲示板にあるものに比べ、0がいくつか多かった。
依頼書を手に、1階へ降りる。受付には、もはや見慣れた緑髪の女性が立っていた。
「カリンさん」
声をかけると、彼女はこちらを見て微笑む。
「あっ、ハルトさん。お疲れさまです」
ぺこりと頭を下げてから、カリンはおれの差し出した依頼書を受け取る。普段ならば「どうかお気をつけて」と言って送り出してくれたのだが、今日は違った。
カリンの口にした言葉は、おれの予想の範疇をあまりにも逸脱していた。
「申し訳ありません。こちらの依頼ですが、あなたにお願いすることはできません」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。理解するまでに数秒を要し、ようやく脳がその言葉を咀噛し終えると、今度は困惑が生まれた。何故? おれ以外に任せられないというならまだ分かる。しかし彼女が言ったのはその真逆だ。
唖然とするおれに、カリンは少し言い辛そうにして続ける。
「実は、上の方から『あなたから3階にある特別依頼を請けたいと言われた場合は断るように』と通達があったのです。私は反対しました。ランドソルの外から来たとはいえ、危険な魔物をいくつも討伐していただいています。ランドソルだけでなく、地域一帯の安全を守っているとも言っていいでしょう。そのような方を蔑ろにするなんて。……でも、結局聞き入れられませんでした」
そんな馬鹿な話があるだろうか。確かにおれはこの国に来て日が浅い。正式なギルドに属しておらず、ランドソルの住民として認められていない部分もあるだろう。だが、それはあくまで表向きの話だ。これまでの依頼を振り返っても、解決されなければ多くの
憤りを覚えたが、言い争っても意味がないだろうということは分かっていた。きっとカリンだって進んで言っているわけではないのだ。それに、ここで拗ねてみっともない姿を晒すのは嫌だった。
どうしてもダメだったら声を掛けてください、とだけ告げ、踵を返す。帰り際に大量の依頼が貼られた掲示板を見てみるが、有り体に言えば、おれが請けるべきものは何もなかった。
不意に、「もしもしお兄ちゃん、聞こえますか?」というアカリの声が、脳に直接響いた。通信魔法。こんな感じだよ、と話は軽く伺っていたが、実際にそれを食らってみると、電話とは異なる、とても不思議な感じがする。どうした、と答えると、アカリはほっとした様子で続けた。
《お兄ちゃん、今どこにいますか?》
「ギルド管理協会。こっちの用事は終わったよ。そっちは?」
《今日会う人とは合流できたよ。その人たちと一緒に、シノブさんとカフェで会うつもりだったんだけど……通信魔法で聞いたら、みんなで「お城」に来て、って。それで、どうせならお兄ちゃんと一緒に行きたいな~って》
「アカリはどこにいるんだ?」
《えっと、繁華街の、花屋さんの近くの広場だよ》
アカリの言葉を聞きながら、壁面にあるランドソル内の地図を見る。アカリから告げられた広場は、ここからそれほど遠くない場所だった。
「分かった。すぐ行く」
《あ、そうだお兄ちゃん!》
「どうした?」
《お姉ちゃんに上着を貸してほしいの。魔物と戦ったら、お姉ちゃんの服、ちょっと大変なことになっちゃって》
「魔物!? どうして街中で――いや、それよりも怪我はしてないか?」
《大丈夫だよ、弱い魔物だったから。ただ……ううん、何でもない》
「まぁ、無事ならよかった。急いで向かうよ」
電話を切るようなイメージで通信を切り、アカリが伝えた場所へ走る。ヨリの身に、一体何があったのだろう。アカリが言いかけた言葉を思い出して不安になる。
到着した広場で、すぐにアカリを見つけることができた。その横には、ヨリがうずくまっている。そして、アカリと話している見慣れない人物の姿も。
「アカリ! 何があったんだ?」
「あっ、お兄ちゃん!」
こちらを向いたアカリが、おれの姿を認めてぱっと顔を輝かせる。ヨリもこちらに気付き、立ち上がろうとして。何かに気付いて、慌てたようにまた身体を縮めた。
「ヨリ、大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないわよ……上着、貸して」
「それはいいけど――あっ」
ヨリにジャケットを手渡そうとしたその時、彼女の服が大きく損傷しているのが見えた。破れているというよりは、“溶けている”。中学理科だったか、布きれに硫酸をかける実験を憶えているだろうか。それを酷くしたような印象だった。
「その服――」
「見ないで」
ヨリは小さな声でおれの言葉を遮る。おれを見上げるその顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。潤んだ瞳。いつか観覧車で見た、おれの心に刻まれた「彼女」が重なり、目が離せなくなる。
「――見ないでって言ってるでしょ! ていうか、早く貸しなさいよっ」
ヨリがおれの手にあったジャケットを奪い取り、また身体を丸める。彼女に何があったのか――想像が付かないこともないが、この場では黙っておくことにした。
少し離れて、アカリと仲良さげに談笑している少女の方へ歩み寄る。
「アカリ。この方は?」
「あ、ごめんお兄ちゃん。この人はペコリーヌさん! シノブさんに会いたい、って私に連絡をくれたの」
「ぺこ?」
ペコリーヌと紹介された金髪の少女。変わったプレイヤーネームだと思った。本名を使わなければならないという縛りはないし、どんな名前でプレイしようと自由なのだが、「ペコリーヌ」という響きは、あまりに聞き慣れないものだった。
「はじめまして☆ ペコリーヌです! あなたがハルトさんですか?」
ペコリーヌと名乗る少女は、ぺこりとお辞儀をした。アカリよりも豊かな胸が、少し大袈裟に揺れる。彼女をどこかで見たような、そんな気がしたが、すぐには思い出せなかった。
「はい。すいません、待たせてしまったようで」
「いえいえ。実は、先日の“大量破壊魔法”について予知していたという占い師さんを探してまして。【悪魔偽王国軍】のシノブさんという方がそうらしい、ということで、ユウキくんから取り次ぎをお願いしたんです」
「大量破壊魔法?」
“大量破壊魔法”。その物騒な響きに、思わず聞き返してしまった。
「知りませんか? この前、【
それを聞いて、ギルド管理協会の依頼書で見た「謎の大爆発」のことだと直感した。おれがその調査をしようした時、ギルド管理協会に止められてしまったが、おれに知られたくないことがあったのだろうかと邪推してしまう。しかしすぐにその考えを振り払い、彼女に返答する。
「爆発……ああ、おれも調べようと思っていたところです。シノブが予知をしていたというのは知らなかったけど、それが本当なら、会えば手掛かりがあるかもしれませんね。ペコリーヌさんは、独りで調査を?」
「いえ、わたしの仲間が……あれ?」
ペコリーヌがきょろきょろと辺りを見回す。そして誰かを認めたようで、「コッコロちゃ~ん!」と呼び掛けた。声を投げた方を見ると、小学生くらいの外見の少女と、彼女に手を引かれる、おれと同年代くらいの少年の姿。
「申し訳ございません、ペコリーヌさま。主さまが突然走っていってしまいまして」
コッコロと呼ばれた少女は、ペコリーヌに一礼してからこちらにも向き直り、頭を下げた。つられてこちらも礼を返す。
「初めまして、わたくしはコッコロと申します。こちらはわたくしの主さま。ユウキさまでございます」
「おれはハルト。――って、ユウキ? あ、お前……!」
コッコロの横に立つ少年の顔には、強く憶えがあった。顔だけではない。身に纏う装備にも、名前にも、何もかも。顔つきこそ、おれの知っているそれよりも目力がなくなったように思えるが、そこにいたのは、確かにレジェンドオブアストルムで名を馳せた“プリンセスナイト”だった。
「お前もここに……いや、そうだよな。プリンセスナイトなら、何かあれば真っ先に――」
「だれ?」
見慣れた顔に逢い、独り言が漏れていたおれに投げつけられた、気の抜けた声。
言葉を失った。ゲームの中とはいえ、鎬を削った間柄ではなかったかと。幾度もぶつかり、力を認め合った仲ではなかったかと。
伸ばしかけた手を力なく下げると、コッコロがおれに近付いて言った。
「ハルトさま。主さまを、ご存知なのですか?」
「え? まぁ……そうだな」
「……主さまは今、記憶を失っておられます。いつになるかは分かりかねますが、いずれはハルトさまのことを思い出されるかと。ですから、どうかお気になさらず」
コッコロの言葉に、安心などできなかった。ソルの塔を踏破した“プリンセスナイト”がいるにも関わらず、『ミネルヴァの懲役』が解決しない理由。それが、彼の記憶喪失にあるとするなら。ゲーム内での記憶喪失というものがどういう状態なのかはともかく、彼の記憶が戻るまで、解決の手立てがなかったとしたら。
意せずして、大きな溜息を吐いた。ラビリスタは、このアストルムを楽しんでほしい、なんて言っていた。ペンダントの力が使えるその時まで――全てが解決しようとするその時まで、ただ時間が流れるのを待つことしかできないとしたら。それなら、言われた通り楽しもうじゃないか。ある種の開き直りかもれない。まだ、今のおれは世界を救うヒーローではない。大切な人を取り戻すという目的こそあれ、レジェンドオブアストルムに心を奪われた、1人のプレイヤーなのだから。