いつか、おはようのキスを君に   作:アトリエおにぎり

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Dive to the Astorum -3

 視界が白く染まる。それが薄れると、おれは、聖堂にも似た、広すぎる部屋にいた。場所を確認するべくマップを開こうとしたが、二、三度試しても、それは表示されなかった。

 壁や床には色鮮やかな光が揺らめき、奥の方には、何かが安置された祭壇らしき場所もある。その近くには、見覚えのある人影が佇んでいた。

 

「ヨリっ!」

「あ、ハルト!」

 

 おれの声に反応して、駆け寄ってきたヨリの手を取る。無事を確かめるように、強く握ってから、はっとして、その力を緩めた。

 

「ね、あれ見て」

 

 そう言いながら、彼女は祭壇を指差す。そこには、透明のねじれた多面体が、明るい緑色の光を放ち浮かんでいた。光は多面体そのものに反射して、室内を複雑に照らしている。中心部には小さな宝石のようなものがあり、それが光源となっているようだ。

 

「あの石が、クリア報酬……なのか?」

「たぶん、そうだと思うわ。ユニオンバーストが使えることが条件なんて、きっとすごいアイテムよ!」

 

 ヨリに促されるまま多面体に近付き、優しく触れると、ひとつひとつの面が、剥がれるように消えていく。露わになる、透き通った緑色の石。それは輝きを放ちながら、空中で緩やかに回転している。

 若干の不安を抱えながら、指先ですごいアイテム(仮)を軽く叩いてみる。触れても、弾かれたりはしないようだ。情報を見ようとしたが、何も表示されない。そもそもアイテムでは無いのではないか。そんな懸念はあったが、目をきらきらさせる(そんなエフェクトが浮かんでいた)ヨリを見て、ダンジョン踏破の証を得るために、掴み取った。

 

 刹那、視界に、世界に、いくつものノイズが走った。すべてが奇妙な色彩になり、木か、煉瓦か、何物かのパーツか、ぐちゃぐちゃのテクスチャに次々と置き換わる。そして、あらゆるものが、欠落していく。

 本能が、けたたましい警鐘を鳴らしていた。単純に、恐怖を覚えていた。手中に収めた、収めてしまった、輝く小さな石ころ。きっとおれは、とんでもない何かに、手を付けてしまったのかもしれない。とにかく、一刻も早く、ここから逃げ出したかった。

 ポケットに石をねじ込み、ヨリのもとへ走り出した直後。彼女の足下を含むいくつもの部分が、消失した。

 助けなければ。その一心で、駆けた。虚空へ飛び込みながら、ヨリの名を叫び、必死で手を伸ばして、落ちゆく彼女の腕を掴む。空いたもう片方の手は、偶然そこにあった、何らかのオブジェクトが置換された鉄柵を握り、辛うじて落下を免れた。

 

「離すなよ!」

 

 そうは言ったものの、現状をより良い方向へ向かわせる術はなかった。彼女を引き戻すことすらままならず、命綱とも云えた鉄柵は、やがてノイズの塵と化す。

 我々は、いよいよ無慈悲な浮遊感に包まれた。全てが暗闇に包まれているはずなのに、どういうわけか、ヨリの姿だけは視認できる。気を失ってしまった彼女の体を引き寄せ、抱きしめる。何があっても、絶対に、離さないように。

 

 果たして、どのくらいの高さがあっただろうか。それすらも、もう分からない。いつ地面に叩きつけられても、不思議ではない。むしろ、落下死をしてリスポーンした方が、安心できるのではないかとさえ思う。

 おれが破壊した天井から降ってきた、ワープポイント。その行き先が、あの塔の内部である根拠はひとつもない。テクスチャが乱れた様は、明らかに異常だった。ゲーム内に正しく定義されていない空間。バグ空間、とでも言うべきか。喩えるなら「アストルムの外側」を、落ち続けている可能性もある。

 そもそも、ワープする前から、おかしな点はいくつもあった。通常のダンジョンでは使えないはずのユニオンバーストが使えたり、コンボ数が通常では取り得ない数値を表示したり、感じるはずのない「痛み」を感じたり。

 

 おれたちは始めから、取り返しのつかないことを、していたのかもしれない。もし「現実」へ戻ることが叶わないのならば、よりは、おれは、どうなる?

 オフラインのゲームなら、ゲーム機を再起動すれば、直近のセーブした場所からやり直せるだろう。だがアストルムは、プレイヤーの拠点となるいくつかの街など、特定の場所でしかログアウトを行えない仕様になっている。ダメで元々、ログアウトができるか確認を試みたが、案の定、そのウィンドウは表れなかった。

 

 遥か先に小さな光点が見える。それは次第に大きくなり、終幕が近いことを示唆していた。全てが、淡い緑色の光になる。そして。

 

 

 気付けば、地上に居た。高楼は影も形もなく、鬱陶しい暗雲すらもなく。ただ、おれの腕の中で目を閉じる少女だけがあった。

 

「あれ……私、生きてる……?」

 

 意識が戻ったのか、ヨリが不思議そうに呟く。

 未だ微睡の中にいる彼女と、目が合った。やがて、現状を理解した少女の頬に、紅が差す。

 

「って、アンタ近っ! なんでこんな近っ! ま、まさかよからぬことを……!?」

「よからぬことって何だよ……」

 

 空いている右手を振り、ウィンドウを呼び出す。当然のように開いたそれは、位置情報が「あの塔があった場所」であることを示していた。

 

「ははっ」

 

 思わず、笑いが零れる。

 

「ダンジョンクリア、かな」

「……やったのね、私たち!」

 

 不意に抱きついてきたヨリを受け止めきれず、地面に倒れ込む。突然どうした、と退かそうとして、彼女の体が少し震えていることに気付いた。

 

「ヨリ?」

「ごめん、安心したら、涙、出てきちゃった」

 

 胸の辺りに、じわりと熱が滲みる。

 

「ゲームなのに、本当に死ぬかと思った。……もうダメだ、って思った」

 

 今まで聞いたことがないような、ヨリの、か弱い声。

 

「ありがと、助けてくれて。……ちょっと、カッコよかったわ」

「……そか」

「ちょっとだけ。ちょっとだけ、だから……!」

 

 すすり泣くヨリの背中に、腕を回す。その温もりは、彼女が、確かにここに在ることを示していた。ヨリが生きていてよかった、と、心から思った。アストルムの中で“生きている”というのがどういうことかはともかく、ただ、よかった、と。

 よりのことを、大切に想っているから。そんなことはついに言えず、ただ、彼女の頭を優しく撫でるに留まった。

 

 しばらく、このままでいた。よりを、すぐ近くで感じていたかった。やがて、柔らかな吐息が耳をくすぐる。疲れたのか、彼女は眠ってしまったらしい。

 ふと、冷静になる。このダンジョン、『永遠の蜃気楼』は、そんな異名が付く程度には有名らしい。そして、それは今、跡形もなく消失していた。アストルムの夜間に活動するモンスターだけでなく、異変に気付いた他のプレイヤーがここへ来るのも、きっと時間の問題だった。

 ジャケットの内ポケットをまさぐり、ワープクリスタルを取り出す。移動先は、自分の家……いや、ギルドハウスへ。周囲の景色が白み、次の瞬間には、ギルドハウスの2階に設けたベッドの上に、背中から落下した。

 このまま温もりに包まれていてもよかったが、転がすようにヨリをベッドに寝かせ、布団を掛けてやる。靴は履いたままだが、この際、気にしなくてよいだろう。

 

 ハーブティーでも淹れようか。そんなことを考えながらドアを引くと、そこには、同じタイミングでドアに手を掛けたアカリがいた。彼女はいつもアストルムをプレイする際の小悪魔チックな衣装ではなく、ゆったりとしたワンピースのパジャマに身を包んでいる。

 

「お兄ちゃん! 帰ってたんですね」

「あぁ、今戻ってきた。ヨリは寝ちゃったよ。学校から帰ってきて、それからダンジョンに行って。さすがに疲れたんだろうな」

 

 かく言うおれも、同じようなスケジュールをこなしている。身体だけでなく、頭の疲れも、とうにピークを迎えていた。

 

「寝てるお姉ちゃんを独りにしようとしたんですか? お兄ちゃん、サイテーです」

 

 ベッドに寝かされたヨリを見て、アカリが不満そうに言う。

 

「アカリがいるだろ。あ、着替えさせてないから、寝間着に変えるのはアカリにお願いするよ」

「えー、お兄ちゃんがしてあげればいいのに」

「い、いや、それは……VRとはいえ、なぁ」

「ふふっ、冗談だよ。顔が赤くなってる」

 

 いつも思うが、アカリはおれをからかうのが好きなのだろうか。意識してやっているなら大概だが、無意識なら、それはそれで問題かもしれない。

 

「……じゃあ、俺はログアウトするから。ヨリが起きたら、そう伝えておいて」

「待って」

 

 システム画面を開こうとした腕を、ぐい、とアカリに掴まれる。

 

「アカリ、久しぶりにお兄ちゃんと寝たいなぁ」

「What?」

 

 思わず、疑問詞が口を突いた。彼女は突然何を言い出すんだ。疲れ果てた脳が、聞き間違いを起こしたのだろうか?

 

「そうだ。せっかくだから、3人で寝よう? ねっ」

 

 幾度かログを見直しても、アカリは間違いなく、そんなことを言っていた。

 

「あのベッドに3人は狭いよ。そもそも、おれと一緒はまずいだろ。その、色々と、な?」

「お兄ちゃんは……お姉ちゃんと、アカリと寝るの、嫌なんですか?」

「嫌ってわけじゃないけど。なんて言うかな…………あー、分かったよ」

 

 蠱惑的な上目遣いに絆されてしまったか、どうにも逃れることができなさそうで、折れることにした。理由をこじつけるなら、ダンジョン探索で疲れた頭と身体を、体感時間の長いアストルムで休めるのがよい、とも言える。

 

 寝室に戻ることを約束して、下階へ降りる。湯を沸かしている間、ついさっきまでの冒険が、瞼の裏に蘇る。永遠の蜃気楼。いつからそこにあったのか定かでない、ということが矮小に思えるほど、考えれば考えるだけ、謎が深まるダンジョンだった。

 ティーポットに白湯とカモミールの茶葉を入れてから、緑色の石を取り出す。宝石のようなカッティングが施されたその石は、光を受けずとも、未だ輝きを放っているようだった。

 特別な力を持っているようには見えないが、不思議な石だ。入手の経緯からして、少なくとも、普通のアイテムでないことは確か。それでは、一体、誰が、何のために作り、七面倒くさいダンジョンの、その深奥に配置したのだろうか? おれの仮定となるが、どうしてユニオンバーストという、「そもそも使える条件が完全解明されていないもの」が求められたのだろうか? 『永遠の蜃気楼』が消滅してしまった以上、新たに情報を得ることは難しい。インターネットで聞いてみてもよいが、あのダンジョンをクリアしてしまったことが明るみに出るのは、きっとおれの想像を超えた危険が伴うに違いない。

 

 温かいカモミールティーを1杯。甘い香りと優しい苦味が、心を落ち着かせてくれる。

 

 あれを突破し(てしまっ)たのはおれたちだけれど、考察やら、検証やらは、他の、もっと“やる気のある”プレイヤーがしてくれるはずだ。ダンジョンそのものはなくなってしまったが、おれの知らない、蓄積された何らかのデータが、どこかにあるだろう。ユニオンバーストだって、おれとより以外にも、使えるプレイヤーは居たはずだ。

 ギルドハウス内の共有収納ボックスに、考えれば考えるほど不可思議なアイテムをしまう。室内用の服に着替えるコマンドを打ち込んでから、2階へと向かった。

 

 寝室に戻ると、掛け布団が捲られていて、傍らにアカリが腰掛けている。状況を察し逡巡しているおれを、彼女はただ、楽しそうに見ていた。

 

「えっと、おれ真ん中?」

「もちろん。疲れたでしょ? ぎゅーってしてあげるね」

「……そういうのは他の所ではやるなよ」

「もちろん。お兄ちゃんにだけ、特別だからね」

 

 そう言って、アカリは悪戯っぽく笑う。そんな言葉、どこで知ったのだろうか。

 疲れも限界に達しており、言い合いをする元気もなく、促されるままベッドに潜り込む。

 

「お姉ちゃん、起きたらびっくりするだろうなぁ」

「びっくりで済めばいいけど。普通に怒るだろ」

「その時は……セキニン、取ってくださいね」

「えぇ……」

「おやすみ、お兄ちゃん」

 

 照明が落ちる。窓から差し込む月明かりが、静かに眠るヨリの顔を照らしていた。

 

 しばらくして。ヨリとアカリの体温に挟まれ、彼女たちの寝息が聞こえる中。おれは当然、眠れずにいた。ゲームの中だというのに、自らの動悸が分かるくらいだ。幸いなのは、ここが仮想空間であること。おれの両隣で眠っているのは、ただのアバターデータに過ぎない。――そう考えたところで、状況は、何ひとつ変化しなかった。

 明日にでも、せめてもう二回りほど、大きいベッドを買うことにしよう。そもそも、一つ、いや二つ、ベッドを新調すれば良いのかもしれないが、彼女たちの寝顔が、きっとそうはさせてくれない。

 身体を動かそうとすれば、いつの間にか左の腕を抱いていたヨリが、その力を、僅かに強くする。触れたくなる気持ちを抑え、天井の模様に目を見遣る。

 幸い、現実の明日は休みだ。両親は仕事で家を留守にしており、アストルムに居続けることを咎めるものはない。時間感覚のズレは気掛かりだが、たまにはこうして、何日か続けてアストルムでの“生活”を送るのも悪くないだろう。

 

 眠れぬ夜は、あまりにも長く感じた。

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