辺りに居た人は、いつしか疎らになっていて。他校の華やかな音楽が聞こえる中で、よりとふたり、取り残される。
「ごめんね。あかり、いつもあんなで」
「もう慣れたよ。急に来られるのは、びっくりするけどね」
「あんたが嫌なら、注意しておくわ」
「ううん、いいよ。……でも、人前でああいうのは、止めてほしくはあるかな。さすがに、ちょっと恥ずかしいし」
「……」
よりは黙っていた。少し俯き気味に、地面を見ながら。
「より?」
「え? あぁ、うん、確かに、そうよね。それより、これからどうする?」
「どう、って言われても。……あかりのマーチングは終わったし、昼ごはん食って帰るか――」
アトラクションに乗るにしても、よりは入園券だけ買ったはずだから、都度課金は割高だな、と。そう思って、彼女から受け取ってポケットへしまい込んだチケットを取り出す。そこに書いてあったのは、ワンデーパスの文字。
「これワンデーパスじゃん。え、待って、マジ?」
よりの顔と、チケットを交互に見て。ついでに、財布の中身を思い出そうとして。入園料を調べずに来ていたので、不安になる。
「あ、それね。実は、お母さんがワンデーパスの引換券をくれたの。……だめ、だった?」
「そういうことか……。ダメじゃないよ。それじゃあ、せっかくだし夜まで居ようか」
時間は正午前。巨大なテーマパークではないから、昼食をとってからでも、一通り回るには余裕があるだろう。
ベンチに腰掛け、パンフレットを広げて地図を見る。よりが隣に座って、覗き込んでくる。
「ねぇねぇ、これ面白そうじゃない?」
「VRのシューティングライド……
「負けたらジュースおごりね!」
「お化け屋敷とかもあるんだな」
「私が怖いやつ苦手なの、知ってて言ってるでしょ? まぁ、あんたとなら、いいけど……」
そんなやり取りが、どうしようもなく楽しくて。ふと顔を上げると、よりと視線が合った。そしてそのまま、外せなくなる。
「どうしたの?」
「何か、デートみたいだなって。……あっ」
声に出してから、しまった、と思った。そもそもおれたちは、“そんな関係”ですらない。状況はよりと2人とはいえ、ドリームパークへ来たのは、あかりの演奏を観るためだ。偶然ワンデーパスを持っているだけで、元々そんなつもりではなかった。デートという体で、よりとこの時間を楽しめたら、どんなに良いだろう。けれど、今まで自分の気持ちを抑えつけて、本心を伝えずにいながら、突然にデートなどと宣うのは、あまりにも思い上がりが過ぎる。
そうして想像していた罵詈の代わりに差し出されたのは、小さな右手。
「だったら……手、つないで」
顔を背けながら、おれの耳だけに届くような声で。よりは確かに、そう言った。
ʚ ɞ
いつしか、空は美しい夕焼けに包まれていた。
「やっぱり最後は観覧車よね!」
「あぁ……そだね……」
「何よ。あんた、もう疲れたの?」
「そりゃもうずっっっっっっと歩いてるし。……よりは元気だな」
「当然よ。たくさんゲームをするにも、体力が要るんだから」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなの!」
そんな言い合いをしながら、人混みの中を、2人で歩く。絶対に離さないように、彼女の手を、しっかりと握って。
観覧車を待つ人々は、それなりに多くいた。あっちを見てもカップル、こっちを見てもカップル。おれたちもそういう風に見られているとしたら、よりはどう思うだろうか。
先ほどは「デートみたいだ」などと言ってしまったが、これはもう、デートそのものではないか。女の子を家まで迎えに行って、ドリームパークに来て。一緒にランチをして、アトラクションを楽しんで。最後にこうして、手を繋ぎながら観覧車に乗ろうとしている。王道中の王道もいいところだ。
ここしばらくの間、おれは少し、よりと距離を取ろうとしていた。恋心を、少しでも、自分から離そうとしていた。学校の課題が忙しいことを理由にして、一緒にアストルムで遊ぶ頻度も減っていたし、直接顔を合わせても、話すことは少なかった。CNCT@LKで、今挑戦しているダンジョン情報の共有をするくらいだった。だからきっと、よりはもう、おれに愛想を尽かしたと思っていた。それならそれで、良いとさえ思っていた。
そんな折、不思議なダンジョンを一緒に冒険しようとの誘いを受けた。それが、あの『永遠の蜃気楼』だった。そうして妙な出来事があって、今に至る。お蔭でこちらは決心がついたのだが、むしろ、取り返しがつかなくなったのかもしれない。
「晴人」
不意に、よりに名前を呼ばれた。
「ん?」
「列、進んだよ」
「あぁ、悪い。ありがと」
列を進んで、いよいよおれたちの番が近くなる。
よりがおれの手を握る力が、少し、強くなった。そして、改めて気付く。彼女が、おれの名前を呼んだことを。
ゴンドラに乗り込んで、よりの向かい側に座る。デート(仮)の締めというよりも、やっと座れた、という思いがあった。
「晴人。目、つぶって」
一息つく間もなく、よりはそんなことを言った。
「え?」
「早く」
「わ、分かった」
彼女の言う通り、目を瞑る。それから、かすかに布が擦れるような音がして。
「もう、いいわよ」
そう言われて、瞼を開く。目に飛び込んできたその姿を見て、思わず、息を呑んだ。
パーカーを脱いだよりが身に着けていたのは、ピンク色の花柄のワンピース。いつだったか、よりとあかりと3人で買い物に出かけたとき、商店街の洋服屋で衣装モデルをやってほしいと頼まれたことがあった。その際によりが着せられた服が、このワンピースだった。撮影が終わった後、あかりが着たものをあわせて、2着を購入し、贈ったのだ。
「あ、あかりがね、あんたと行くなら着ていけ、って。私は嫌って言ったのよ? でも――」
「似合ってる。可愛いよ」
「…………ありがと」
よりは照れくさそうに笑うと、そのまま窓の外へと視線を移した。沈黙が流れる。しかしそれは、決して居心地の悪いものではなかった。
ふと、こちらに向けられている視線に気づく。そちらへ顔を向けると、よりと目が合った。彼女はすぐに視線を逸らすと、頬杖を突きながら外の風景に顔を向けたまま、ぽつりと言った。
「今日は……楽しかったわ」
「うん。おれも、楽しかった」
「……あんたがよければ、また、来たいな」
「あぁ。今度はあかりも一緒に、かな」
「うーん……」
「ダメなのか?」
「いや、そうじゃなくて……その」
「……2人で?」
「……」
返事はない。ただ、僅かに首肯する動作だけが見て取れた。
観覧車のゴンドラは、少しずつ高度を上げていく。夕焼けに染まる街は、まるで宝石箱のように輝いていた。
「そうだ。よりに、渡したいものがあるんだ」
鞄から、箱を取り出して、よりに手渡す。中に入っているのは、昨日の学校帰りに不思議な店で手に入れた、ペリドットのペンダント。
箱を開けてペンダントを手に取ったよりは、驚いた表情を見せた。
「これ……」
「前にさ、アストルムで、よりがアクセサリー作ってくれただろ? だから、お返しに」
「……なんか、あんたにあげたものと、似てるわね。mimiでスキャンしたら、アストルムでお揃いになっちゃうかも」
そう言って、ペンダントを持ったよりは座席を立ち、そのままおれの隣に腰を下ろした。
「……着けて」
そう小声で言った彼女からペンダントを受け取って、その首にチェーンを掛ける。細い首筋に指先が触れる度、くすぐったそうな声が漏れる。
「できたよ」
「うん」
言葉少なに立ち上がったよりは、手すりに掴まりながら、くるりと回って見せた。胸元に揺れるペリドットが、夕陽に輝く。その姿に、見惚れていて。
「綺麗だよ」
ただ、それだけしか言えないおれに、よりは、何も言わずに微笑み返してくれた。
観覧車の頂上に差し掛かろうとしていた頃。向かいの席に座るよりは、眼下に広がる景色に目を向けたまま、口を開いた。
「ねぇ、晴人。あんたは、私のこと……少しは、女の子扱いしてくれてる、のかな。その、幼馴染み、ってだけじゃなくて。……ごめん、やっぱり今のなし」
その言葉に、胸が跳ねた。真意こそ分かりかねたが、そんなことはどうでもよかった。おれは、心の底から溢れ出る想いを、もう留めていられなかった。
「より」
呼びかけに応えてこちらを向いたよりを、真っ直ぐに見つめる。
「おれは……よりが好き。大好きです。おれと、付き合ってください」
永遠にも、須臾にも感じる時が、流れる。
「好き、って……えっ……?」
夕焼けに照らされて、よりの頬は、赤く染まっていた。
「気付いたら、好きになってた。いつも、よりのことを考えるようになっちゃってたんだ。……幼馴染み、なのにな。昔から一緒にいたはずなのに。ちょっと意識したらさ、もう、これだよ。何でかな、とか、どこが、とかは分からないけど……どうしようもなく、大好きなんだ。……変、だよな」
「そんなこと! ない……わよ」
少し俯いて、それからまた、おれを見て。よりは、少しずつ言葉を紡ぐ。
「わ、私も……晴人が、好き。……大好き。でも、ずっと一緒にいたし……私、ゲームばっかりしてるし……今更、女の子として見てもらえないんじゃないかな、って、思ってた。最近、避けられてるような感じがしてたし。それでも、あんたのこと、考えちゃって。今日……こ、告白……して、断られたら諦めよう、って。それなのに……」
よりの目に、涙が浮かぶ。
「こんなの、ずるいわよっ……!」
一筋の涙が、頬を伝う。それを皮切りに、いくつもの雫が、彼女の膝を濡らした。
席を立って、よりの隣に座る。
「より、おいで」
声をかけると、よりはその体をおれに預けてきた。ハンカチを取り出して、涙を拭う。それから、優しく彼女を抱きしめた。胸の鼓動が、ひとりでに早く、強くなる。
「どきどきしてる……」
腕の中で、よりが呟く。
「大好きな人と、くっついてるんだから。……あったかいな、よりは」
「晴人」
「どうした?」
「……あかりにぎゅってされても、どきどきしない?」
「あかりに?」
突然にそんなことを問われて、少し戸惑う。否が応でも想起してしまう、よりと同い年とは――しかも、双子とは――思えない、豊かな身体つき。あかりは、昔からスキンシップが多かった。恋慕とかそういう感情を一切抜きにしても、特にここ1、2年か、あまりに魅力的に映るそれは、訴えかけるものがないわけではなかった。
「しないようにしたい、けど……少しは…………いや、しない」
「むー……」
断言できずにいるおれに、よりは不満げに唇を尖らせる。
「まぁ、あかり、可愛いからね。それに、その……大きい、し。でも――」
不意に、よりが体重を掛けてきた。それに対応できず、座席に寝転がるようになってしまう。そうなったおれの上に、身体をくっつけるようにしてよりが乗っている。
「何があっても……私のどきどきで、全部上書きしちゃうんだから」
彼女は、おれの耳元で、そう囁いた。心臓の拍動で、身体が揺さぶられるような錯覚さえ感じる。これは果たして、おれだけのものだろうか。
「な、な~んてね……えへへ……きゃっ」
思わず、強く、抱きしめていた。どうしようもなく、愛おしかった。もう離さないと、この場で誓ってもよかった。よりを、すぐ近くで感じていたかった。――少しでも長く、こうしていたかった。
「ちょ、ちょっと、晴人、苦しい……」
「……あ、ご、ごめん」
おれが腕の力を緩めると、よりは身体を起こして、それから、窓の方を向いた。おれに、顔を見られたくないのかもしれない。
いつまでも寝転がっているわけにはいかないので、起きて外の景色を見る。ゴンドラは下降を始めて、もうしばらくで時間切れ、といったところだった。
「より」
声をかけても、反応はない。
「キスしても、いいかな」
「聞かないでよ……ばか」
そうしてようやく彼女はこちらを向いてくれたが、視線はどうしても合わなかった。
よりの肩に手を置くと、少し、身体を震わせる。
「そ、そんなに見ないで。私、今、絶対変な顔してるから」
「嫌だ。よりの顔、ずっと見ていたい」
「……すけべ。ろりこん、へんたい」
ふたりだけの息遣いを感じる。おれたち以外、誰もいない空間。誰よりも、何よりも、大切な「恋人」を、また抱きしめて。
そっと、初めての唇を重ねた。