いつか、おはようのキスを君に   作:アトリエおにぎり

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Captivated Princess

 午前8時。風宮家のインターフォンを鳴らすと、学校の制服に身を包んだよりが玄関から出てくる。今日もおはようの挨拶を交わし、手を繋ぐ。未だに慣れない指を絡めて、大げさなくらい、身体を寄せ合って。ゲームのことや、勉強のことなんかを話しながら歩いていく。

 

 あの日、夕焼けの中で、想いを打ち明けて、そして通じ合って。それから、おれの平日の日課には、よりを家に迎えに行って、一緒に登校することが追加された。もっとも、通っているのは、彼女は徒歩圏内の中学校で、おれは電車で数駅先の高校。こうして居られるのも、途中までだ。白星中学校までついて行こうか、などと言ってはみたが、よりから絶対にやめてほしいと断られてしまった。曰く、「オタクで人見知りな私に“付き合っている人がいる”なんてことがバレたら、何を言われるか分かったもんじゃないわ……」とのこと。今更そんなことでどうこう言う人間も少ないとは思いつつも、確かにその通りかもしれないし、何より彼女の気持ちを尊重したかったので、大人しく引き下がった。まあ、とにかくそんな感じで、朝はこうして、大好きな人と道程を共にする。学校が終わって帰宅してからは、大好きな人とアストルムで遊ぶ。それが、最近のおれの日常だった。

 そんな幸せな時間ほど、短く感じてしまうもので。気付けば、白星中学校に続く道と、椿ヶ丘駅へ向かう道との分岐路に着いていた。繋いだ手を離して、「行ってらっしゃい」の言葉を交わす。そうすると、少し寂しいような気持ちになるけれど。それでも、またすぐに会えると思うと、自然と笑顔になれる。

 

「それじゃあ……また後でね!」

 

 最後にぎゅっと強く抱きあってから、彼女は中学校の方へ、いつも通りの通学路を駆けていった。その後ろ姿をしばらく見守ってから、おれもまた、駅へと歩き出す。今まで抑え込んでいた反動か、幼馴染みという一線を越え、ひとりの女性として、彼女のことをもっと知りたくなって。よりと一緒に居る時間が、これまで以上に増えて。日を追うごとに、よりの虜になっていくような自覚があった。

 何年か先には、よりと結ばれるのかな、なんて尚早すぎる妄想をしたり。2人でどんな生活を送ろうかな、なんて馬鹿みたいな夢を見たり。まだ高校生なのに、ずっと未来のことを考えたりしている自分がいて。きっと、これが幸せってことなのだと。こんな日々が、ずっと続くのだろうと。そう、思っていた。

 

 

 午前の授業が終わり、昼休み。mimiを着けてネットサーフィンに興じていると、CNCT@LKでよりから連絡が入った。

 

---

>より

22時からアストルムで大規模なイベントだって!

詳しいことはまだ分からないけど

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 アストルムの画面を呼び出す。ログインしてしまうと、遊びすぎて授業に間に合わなくなる可能性があるので、運営側からの通知が格納されているページを参照した。なるほど、確かに、特別イベントのお知らせと書かれている。肝心の内容――例えば、出現するエネミーや報酬など――は隠されているようで、ただ、指定の時間からクエストが行われることだけが示されていた。

 22時スタートというのは、MMORPGのイベントとしてはどことなく中途半端に思えた。とはいえこのジャンルのゲームに精通しているわけでもなく、開発に国際的な組織が関わっていることもあって、そんなものなのだろうと、勝手に結論付けた。

 最初から参加したいのは山々だが、今日の夜はどうしても外せない用事があり、クエスト開始の時刻には帰宅できないことが分かっていた。なので、その旨を返信する。

 

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>Hal

今日は用事があるから、開始時間には間に合わないかな

家に着くのは22時半くらいかも

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>より

わかった

私は22時前にログインして準備するから

帰ったらすぐ来てね

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>より

レイドボスとかなら、リアルで30分もあれば終わってるかもね

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>Hal

さすがにそれはないと思いたいけど

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>より

用事済ませながらアストルムやればいいんじゃない?

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>Hal

無茶言うなよ……

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 そんな中身があって無いようなやり取りの後、他愛もないメッセージをいくつか送りあう。それから、少し間が空いて。

 

---

>より

だいすき

---

 

 彼女から送られてきたその4文字に、思わず頬が緩む。

 

(おれも大好きだよ、と)

 

 そう返してから、mimiを外して、椅子に深く腰掛ける。目を瞑ると、脳裏に浮かぶのはよりの笑顔で。こうして彼女のことを想うだけで、心拍数が上がっていくような気がした。現実でも、アストルムでも、早く会いたい。そんなことを、ぼんやりと考えながら。

 午後の授業も、放課後に別用をこなしている間も。その時間は、いつにも増して長く感じられた。

 

 

 さて、用事を極力早く終わらせようと試みたものの、結局、帰宅できたのはやはり22時半頃。帰り際に風宮家を見ると、よりとあかりが寝室にしている部屋の灯りは消えている。告知のあったアストルムのイベントは22時開始だから、ある程度長い時間プレイすれば日付も変わってしまう。明日も学校はあるから、イベントを遊んでそのまま寝てしまおう、という感じなのだろう。

 そうすると、おれも急がなければ。おれのために、彼女たちを待たせるわけにはいかない。

 

「ただいま」

 

 玄関を開けて一声。誰も居ないと分かりつつ、つい習慣で口にしてしまう。帰宅してすぐに、自分の部屋へと向かう。鞄を置いて、制服を脱いで。寝間着に着替えた後、mimiを装着して布団に寝転がる。そして目を閉じ、アストルムの世界へと旅立つ言の葉を唱える。

 

「ダイブ、アストルム!」

 

 そうやって、もはや慣れ親しんだ浮遊感に身を委ねた、はずだった。

 瞼を開くと、自宅の天井。レジェンドオブアストルムに、ログインできていなかった。音声認識システムの不具合だろうか。あるいは、疲れすぎて変な声になっていたとか。白湯を一口含み、のどを潤す。深呼吸をして、もう一度。

 

「……ダイブ、アストルム」

 

 幾度やっても、結果は変わらなかった。30分ほど前からイベントが行われているのだから、メンテナンスではないはずだ。プレイヤーが殺到して、サーバがダウンしたのだろうか。いや、そもそも全世界規模で動いている「アストルム」のサーバが、そんなに貧弱なものであるとは考えられない。

 ログインできないことをよりに知らせたが、音沙汰はなく。おそらく一緒にアストルムに居るであろうあかりもまた、同様だった。

 

 あれこれと試すうちに、0時を超えていた。もう、諦めようか。ゲームが好きなよりのことだから、楽しみにしていたイベントを前にログインできず、不貞寝でもしたのかもしれない。どうせ、また朝になれば会える。そう思いながらも、未練がましくmimiを操作して、アストルムへの接続を試みる。だが、いくら待っても、何の反応もなかった。

 

 

 けたたましいアラーム音で、目が覚める。時計の短針は、7を少し過ぎた辺りを指している。どうやらあのまま、寝落ちしてしまったようだ。枕元に転がるmimiに手を伸ばし、耳に掛ける。CNCT@LKを確認したが、よりも、あかりも、おれからのメッセージを読んだ形跡はなかった。胸騒ぎがする。悪い予感が、脳裏をかすめる。あまりにも悪すぎて、到底有り得ないと感じるほどのものが。

 落ち着かないまま制服に着替え、風宮家のインターフォンを鳴らす。普段なら、ぱたぱたとよりが走ってくるのだが――今日は、彼女の母親が、おれを迎えた。

 

「晴人くん……無事だったのね」

「は、はい。……えっと、無事っていうのは?」

「時間がないところ悪いけど、ちょっと家に来てくれないかしら」

 

 神妙な面持ちの母親にそう促され、風宮家にお邪魔する。向かうのは、2階にある、よりとあかりの寝室。彼女たちは、安らかに眠っていた。耳に付けられたmimiは、正常な通信を行っていることを示すランプが点灯している。

 

「昨日の夜に、あなたとアストルムのクエストをやるんだ、って言って。朝になっても降りてこないから起こしに行こうとしたら、ちょうどテレビで『アストルムにログインしたプレイヤーが目覚めない』なんてニュースがやってて……まさか、と思って見に行ったら、2人とも……」

 

 よりの母親に許可をもらい、テレビを点ける。ニュース番組では、アストルムをプレイしていた人が目覚めない事象が多発していること、昨夜にプレイヤーを集めようとする大規模なイベントが予定されていたこと、もしmimiを付けて眠っている人を見かけたら、絶対にmimiを取り外さないことなどが繰り返し叫ばれていた。

 思わず、卒倒しそうになる。最悪だ。最悪すぎて、驚きすら彼方へ消し飛んだ。

 

「でも、晴人くんはどうして? あなたも、アストルムを遊んでいるわよね」

「昨日は用事があって、特別なクエスト……テレビでやってる、大規模なイベントってやつです。それの開始時刻が22時で、間に合わなかったんです。家に帰ってからログインしようとしたら、出来なくて……」

 

 自分を落ち着かせるように、事実だけを、ゆっくりと話した。よりとあかりの手を握る。確かな体温を感じても、彼女たちは()()()()()()()

 

「と、とりあえず、おれは学校に行きます。昨日アストルムをやってた人がどれだけいるか分からないですけど、学校は、あると思うので」

「そうね、それが、いいかも……。ああ、ごめんなさい、ちょっと下にいるわね」

 

 そう言って、母親は顔を覆いながら寝室を出ていく。その声は、震えていた。

 

 

 静寂に包まれた空間に、よりとあかりの寝息だけが聞こえる。胸中を、後悔が支配していた。アストルムなんて始めなければ――いや、それは違う。そう、昨日、用事なんて無視してアストルムへダイブしていれば。おれも現実で目覚めないかもしれないが、よりと離れ離れになることはなかった。きっとアストルムで、彼女の隣に居られたのに。

 よりの身体にすがって、泣き叫びたかった。けれど、涙のひとつも出やしなかった。目の前の現実がおれのキャパシティを超え、ただ、受け入れられずにいた。

 優しく、よりの頭を撫でる。ずっと傍で見ていたいくらい、独占したくなる可愛い寝顔。

 

「キスしたら、起きてくれないかな。それで、いつもみたいに、おはよう、って」

 

 お伽話にも似た、滑稽な願い。誰も居ない部屋で、そんな儚い願いを込めて、よりの頬に口づけをする。眠れる姫君にかけられた呪いは、もちろん解けなかった。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

 もう誰も聞いていない挨拶をして、風宮家を後にする。

 

 通学の電車は、普段より乗客が少ないように思えた。学校までの道のりは、心なしか、人が疎らに感じた。そして通い慣れた教室は、そこに着座しているべき者が居ない机が目立っていた。

 臨時の全校集会が開かれ、朝のニュースで流れていたのと同じような内容の連絡と、この高校でも、昨夜にアストルムをプレイしていて、目覚めない生徒が複数いるとの報告があった。

 かつて起きたらしい、「アストルムにログインしていたプレイヤー全てが、ログアウトできなくなるという事件」、その再演。伝聞でしか知らずにいた事象が、実態をもって、おれの目前に横たわる。

 

 多くの人が、一夜のうちに、大切な存在を奪われた事変。――いつしかそれは、レジェンドオブアストルムを管理・運営する人工知能の名を冠し、『ミネルヴァの懲役』と呼ばれるようになっていた。

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