いつか、おはようのキスを君に   作:アトリエおにぎり

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第2章 ビタースイートな白昼夢
Re:Dive to the "Elysium"


 脳髄に染みる冷たい痛みで、意識を取り戻す。見覚えのない天井。都会のそれとは異なる、落ち着く空気の香り。ついさっきまでおれを囲んでいた無機質な壁面は、温かみを感じる木の壁になっている。上体を起こして窓の外を見ると、上手く言語化できないが、“そういう雰囲気”の街並みが広がる。ああ、久しぶりの感覚だ。これが、レジェンドオブアストルムだ。幾度もおれを異世界へと運んだ言の葉は、確かにその道を開いていた。

 寝ていたベッドから抜け出す。服装は、前にログインした時のものから、何も変わっていない。首に提げている、緑色の石のペンダントを手に取る。かつて、よりとおれを、もっと深い関係に進めてくれたきっかけ。これを持っていれば、よりがすぐ近くに居てくれるように感じた。彼女と一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。そんな気がしていた。

 

 「アストルム」へ、再び行くことができる。それだけで頭がいっぱいで、ここへ来てしまった。ダイブする瞬間に握っていたよりの手の感触はもうどこにもなく、虚しさが胸に残る。彼女のすぐ傍に行けるのでは、なんて淡い期待を抱いていたが、当然のように、叶わなかった。おれは今、現実のあらゆる物事を放り投げて、仮想空間に身を投じている。「よりと一緒に、必ず現実に帰ってくる」と大見得を切ったものの、その方策のひとつも、おれは知らない。頼りになるのは、このゲームがサービスを開始したその日の、『ミネルヴァの覚醒』。ミネルヴァなるAIは、「ソルの塔の頂上へ到達した者の願いを、全て叶える」と言っていた。そして、少し前に行われた、『願いを受けての大規模なアップデート』。結局、頂上に辿り着いたらしい“プリンセスナイト”たちが何を願ったのかは知らないが、とにかく、その事実は手掛かりとして使えそうだった。

 外に出てて、背伸びをひとつ。それから、開いた掌に意識を集中させる。光の粒が渦を巻き、やがていくつもの球となって、自身の周りを漂う。勢いよく腕を振り上げると、光球の群れは上空へ飛び上がり、音もなく爆ぜた。降り注ぐ光の欠片を浴びながら、考える。さて、ここは何処だろう? 分かってはいたが、この建物は、おれの仮想世界での住処でも、ランドソルに設けたギルドハウスでもなかった。ランドソルは、ソルの塔へ挑むプレイヤーの集まる場所としてだけでなく、このゲームでの中心として栄えていた記憶があるが、おれが今居る場所は、どうもそうではない。人通りも多くなく、日々を過ごしやすい田舎、といった印象だ。よりを助ける方法を突き止めるためにも、まずはランドソルへ向かうことにしよう。大きな都市だから、情報も集約されているはずだ。もしかしたら、そこでよりに会えるかもしれない。

 

 そうして、少し長めの思案から抜けて目を開けると、ぽかん、と口を開けてこちらを見ている子供たちがいた。

 

「すげー……今の、どうやったの!?」

 

 目を輝かせて駆け寄ってくる少年に対し、何と答えたものか迷う。キャラメイクの時に「だいたいこんなイメージ」で設定したもので、おれ自身も、この力の原理を理解しているわけではない。というか、ゲーム内の能力なのだから、ただ便利なものとして使っているだけで、理解しているプレイヤーはきっとひとりも居ない。

 

「えっと、どう、って言われてもな……ここに光を集めるイメージで……」

 

 想定外の事態にしどろもどろになりながらも、なんとか説明をしながら、再び光球を浮かべる。それを見て、少年たちは、口々にはしゃぎ始めた。脳裏に、違和感が走る。こんな幼い子供がレジェンドオブアストルムをやっていることに? 違う。彼らの反応に、だ。自分の想像、あるいは妄想を、粗方その通りに実現できるゲームをプレイするなら、誰だって特別な力を持ちたいもの。魔法というのは最たる例だ。子供向けに創られた作品にだって、魔法で戦うものや、特殊能力を扱える姿に変身するものが、昔からシリーズとして続いている。まして「アストルム」を遊んでいるならば、このくらいの力は見慣れているはず。仮に初プレイから間もなく『ミネルヴァの懲役』に巻き込まれたとしても、1ヶ月――体感時間では、その8倍――は経っているのだ。見たところ、この子は好奇心旺盛だ。ダンジョンにとまでは言わないが、少しの冒険はしていてもおかしくない。なのに、この光に驚いていた。振るわれる力を、初めて目にしたかのように。

 ともあれ、彼らもこのゲームのプレイヤーなら、おれが求める情報を、少しでも持っている可能性はある。

 

「そうだ、君たちに聞きたいことがあるんだけど――」

 

 そんな問いを投げかけた、その瞬間。

 

「魔物だ! 魔物がこっちに向かってくるぞ!!」

 

 悲鳴にも似た叫び声が、それを遮った。直後、何かが、もの凄い速さで、おれの背後を通り過ぎる。続けて、激しい土煙が、轟音と共に辺りを包む。

 子供たちをかばうようにして立ち上がる。やがて煙が晴れると、崩れかけた建物に、獣人(ビースト)族のアバターの少女が倒れていた。猫耳を付けた、魔法少女のような容姿をしていた。傍らには、彼女のものと思われる、本が付いた杖が転がっている。周囲を警戒しつつ、彼女へ駆け寄る。

 

「お、おい、大丈夫か?」

「……」

 

 呼びかけてみるが、返事はない。生きてはいるが、意識を失っているようだ。

 

「お兄さん、その子、ケガしてるよ!」

 

 おれに付いてきた子供のひとりが声を上げた。少女の身体からは血が流れ出ていて、痛々しい傷跡が見て取れる。

 

「参ったな、回復魔法は使えないんだ。というか、この子、どこから……?」

 

 少女が飛んできたと思われる方向に目をやると、いくつかの黒い何かが、こちらへ飛んできている。そのひとつひとつが巨大な岩だと判るまで、時間はかからなかった。

 

「おいおいマジかよ!?」

 

 両手を空へ掲げて、無数の光弾を放つ。狙いなど付けている余裕はなかった。こちらへ真っ直ぐ飛来した巨岩こそ撃ち砕けたが、残りは破壊するには至らず、街のどこかに着弾する音が何度も響く。すぐ近くにも、破片が降り注いだ。子供たちは、恐怖のせいか、うずくまって動けなくなってしまっていた。彼らと、猫耳の少女が、これ以上傷付いていないことを確認して、来たるべき次の一撃に備え、再び光を呼び寄せる。しかし、予想していた追撃は来ず。代わりに、土煙の向こうから、帯剣した軽装の男がこちらへ走ってきた。

 

「無事か!? 君たちも、早く逃げた方がいい。巨大な魔物が、こっちに向かってきてる!」

 

 男はそう言って、おれの手を取ろうとする。

 

「逃げるって言われても、怪我人はいるし、子供たちは動けないし。……というか、魔物、だよな。戦わないんですか?」

「戦う? 馬鹿を言わないでくれ! 俺があんな魔物の相手をするなんて、死にに行くようなものだよ!」

 

 あまりに予想外の返答に、頭がふらついた。おれの知っているアストルムのプレイヤーは、魔物が出たとなれば、我先にと駆けつけて、自分に出来る方法でそれを倒そうとしていた。そうすれば、経験値やドロップしたアイテムなどで、他者より強くなれるのだから。“もう一つの現実”と呼んでもいいような、あまりに自由度が高すぎるゲームゆえ、商業に特化したギルドを組み、財を成したプレイヤーも居たようだが。それでも、魔物を前にして、ただ逃げ出すような者はなかったと、記憶している。

 こんな状況で、誰かが武器などを持って馳せ参じてくれる気もしない。……ならば、おれがやるしかない。幸い、力は問題なく機能しているし、魔物ひとつを倒すくらいなら、きっと容易い。

 

「回復魔法は使える?」

「あぁ、簡単なものだけど」

「それじゃあ、そこで倒れてる女の子の手当てを。傷は多いけど、深くはないみたいだから。あと、この子たちを頼みます」

「わ、分かった。でも、どこに行くんだ?」

「どこって……魔物退治だよ。眩しくなるから、目を瞑るか、できれば何かの陰に」

 

 彼にここで動けない者たちを託し、まだ見ぬ敵の元へ向かう。ゆっくりと歩いてくる一つ目の巨体。大樹のような四つ腕。その手には、小屋ほどはあろうかという岩塊が握られている。男が言っていた情報に、岩などを投げつける攻撃方法。その魔物とは、予想はしていたが、やはりサイクロプスであった。何かの拍子に街を襲うような、その辺にスポーンするモンスターではないが、どうしてこんなところに現れたのだろう。とにかく、サイクロプスのステータスを見ようと、ウインドウを開くために左手を振る。

 

「……あれ?」

 

 二度、三度と試すものの、おれが求めたものは表示されない。それから、今まで気付かずにいたが、体力や魔力の残量など、常に見られて当然のステータスが、ひとつも表示できなかった。いちプレイヤーがこう言うのも変な気はするが、きっと「アストルム」そのものが、おかしくなっていた。そうでなければ、『ミネルヴァの懲役』なんて事象は、起きていない。

 『ミネルヴァの懲役』。ただ「アストルム」にプレイヤーが閉じ込められてしまっただけ――それでも、とんでもない大事件だ――だと思っていた。しかし、もしかしたら、おれの考えうる全てを超越するような「何か」が、起きているのかもしれない。思えば、この短い間に、おかしいと感じる点はいくつもあった。子供たちの反応も、あの男の反応も。ステータスが確認できないこともあるが、もっと根本的な部分に、強烈な違和感が拭えない。――ソルの塔。そう、ソルの塔だ。登りきれたなら願いを叶えられるという、最終目標となるダンジョン。そんなことは、このゲームに触れた者なら誰もが知っている。そして、頂上へ辿り着いた者がいることだって知っている。確か、過去に起きた似たような事件は、1日か2日で解決されたらしいではないか。まさか、全プレイヤーの何もかもが、ロールバックされたわけでもあるまい。あの日、「アストルム」に囚われた者たちの一握りだけでも、ここから出ようという願いを持っていたとして。それなのに何故、この世界の時間でおよそ8ヶ月も経っているにも関わらず、『ミネルヴァの懲役』は続いているのだろうか?

 

「とにかく、まずはコイツをどうにかしないとな」

 

 思考を切り替え、久方ぶりの戦闘へ集中する。雲一つない晴天の、日中。光を集めるには、申し分ない条件だ。右手を掲げて、自らの周りに幾つかの光球を生み出す。それらはくるくると回りながら、次第にその大きさを増してゆく。次第に強くなる見慣れた輝きに、心地よい眩しさを感じる。

 サイクロプスが、岩塊を掴む腕を振りかぶる。そして、凄まじい力をもって、それをおれに向けて投げつけた。先ほどは不覚を取ったが、今度はそうはいかない。左手を銃のような形にして、即座に狙いを定める。ある程度引き付けてから指先に力を込めると、飛び出した一条の光が岩塊に突き刺さり、爆散した。

 顔をじりじりと照らす熱を感じる。天気が良いからか、思っていたよりも早く、光はおれの元へ集まっていた。……そろそろ、頃合いだ。

 

「全力、全開――撃てぇッ!!」

 

 掲げた右手を、勢いよく差し伸ばす。閃光が、弾ける。張り裂けんばかりの光球から放たれる、全てを呑みこむ光の奔流。視界が、真っ白に塗り潰される。

 

 やがて世界に色が戻ると、光が駆け抜けた先は、もう何もなくなっていた。ふーっ、と長めのひと息をついて、後方の子供たちの所へ戻る。

 

「この街に来ていた魔物は、あれだけ?」

 

 猫耳少女の回復を頼んでいた男に聞くと、彼は、恐らくそうだろうと答えた。マップ上の敵シンボルを見る術はないが、もしあの閃光の延長線上に居たなら、まとめて消し飛んでいるはずだ。実際、少しの間は警戒を続けていたが、サイクロプスも、それ以外の魔物も、現れることはなかった。

 

「ありがとう……助かったよ」

 

 男はそう言って、おれの手を握った。彼の手は震えていたが、それは恐怖によるものではなく、感謝の念によるもののように感じられた。

 

「いえ。こちらこそ、ありがとうございます。あの子の手当てをしてくれて。……おれ、回復魔法は使えないので」

「この子は、君の知り合い?」

「え? いや、多分、違うけど……まぁいいじゃないすか。傷付いたプレイヤーは放っておけないですよ」

「プレイヤー……? えっと、とりあえず止血はしたよ。でも、まだ意識が戻らないんだ」

「そのうち目を覚ますでしょう。彼女はおれが預かります。聞きたいこともあるし」

「あ、あぁ……。本当に、ありがとう。何かあったら、いつでも呼んでくれ!」

 

 男は、何度も礼を言いながら、子供たちを連れて去っていった。どうやらこの街の住人のようで、子供たちを家に送り届けつつ、岩が落ちた場所の復旧に行くのだとか。

 

 

「さて、と」

 

 眠っている少女の傍にしゃがみ込み、その身体を抱き上げる。だいたい、よりと同じくらいの重さだった。長い黒髪がさらりと流れて、整った目鼻立ちが露わになる。表情はまだ幼く、よりと変わらないほどの歳に思える。そういえば、おれが寝ていた場所は、この街の宿屋だったようだ。そもそも宿に泊まった記憶はないのだが、いつの間にかチェックインしていたらしい。寝かせるなら、おれが使っていた部屋でいいだろう。中途半端に開いていた宿屋の扉を蹴り開けて、ベッドの上に彼女を横たえてから、瓦礫の山に残された杖を取りに走った。そうしてようやく、近くの椅子に自分も腰掛ける。

 改めて、少女を観察する。猫耳の魔法少女。属性を盛っている。それはともかく。彼女が目覚めたなら、いくつか聞きたいことがある。『ミネルヴァの懲役』、その原因。さっきの男には聞きそびれてしまったが、「アストルム」に幽閉され続けているプレイヤーなら、何か手掛かりを掴んでいるかもしれない。


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