八幡「恋人のフリ?」 作:ハッサン
口を滑らせただけなのに
「あれ、お兄ちゃん今日は早いんだね」
「え?」
片手で食パンを掴みながら、我が妹比企谷小町は聞いてきた。小町に起こされてからやっとのことで二度寝を始めるのが俺の常なので、小町が疑問に思うのも当然と言えるだろう。しかし、俺の後に小町が起きてから今声を掛けてくるのに至るに時間があったので、驚きのあまりついつい握っていた財布を落としてしまう。
「…もしかして入学式だから?」
「なんだよその顔…。別に?遂に友達出来るかもとか思ってないし?」
随分馬鹿にした顔で言ってきたので、思わず少し目尻が上がる。今の言い方だと『何期待してんの?』みたいなニュアンスに取れるんですけど…
「まあ、お兄ちゃんが元気ならいいんだけど。
あ、今の小町的にポイント高い!」
「…最後ので台無しだわ。まあ、行ってくる」
「はーい、いってらっしゃ~い」
小町の間延びした返事を背に、俺は入学先の総武高校へと向かう。
玄関の戸を閉めて道路へと出ると、中学の頃の登校とはまた違った心持ちになる。そう、これから行く場所には今まで俺を馬鹿にしてきた奴らはいないのだ。だから俺が何時もよりテンションが高いのも当然なのである。
足取りも軽やかに、中学とは逆方向にある総武高校へと向かっていく。
でもやはり、いつまでも気楽なままでは居られないのだ。
(なんだあの犬?リード引きずりながら走って…)
交差点へと差しかかった時、向こう側から走ってくる犬が見えた。しかしそれだけではなく、右端からは黒塗りの高級車も見えていた。
今横断歩道の信号は赤である。にもかかわらず走ってくる犬は勢いを止めようとしていなかった。
勿論それは車も同じことだった。
「…っ」
気がつけば走り出していた。高校入学で高まっていた心のせいだろうか、今の俺なら漫画やアニメのように華麗に犬を助けられる…そんな気がしていた。
「あ、危ないッ__!」
最後に地面をを蹴った後、誰かが叫ぶのが聞こえてからは…
俺は何も覚えていない。
◇ ◇
夢を見た。
苦い中学時代の思い出である。
俺はある女子に告白して、そして振られた。それだけなら…まあよくある失恋の思い出だ。
しかし、それはそんなほろ苦い物では無かったのだ。次の日にはクラス中に俺の告白が知れ渡っており、元々コミュニケーション下手と腐った目つきのせいで周りから快く思われていなかった俺は、更に周囲からの心象を悪化させた。
別にそれだけなら、今までもあったし傷つきはしたが別にそこまで気にはしなかったと思う。
しかし告白が知れ渡っていたということは、相手の女子が周りに触れ回ったということだ。
俺がその子を好きだったのは、俺みたいなやつにも優しくしてくれるような人格だった。いつしかそれを好意を向けられていると勘違いして告白に至った訳だが。
俺はその女子に幻想を押し付けていたのだ。彼女なら、こんな俺の告白にも誠意を込めて対応してくれるのではないかと。
しかしその幻想は打ち砕かれた。結局はその女子も他の奴らと一緒に俺を嘲っていたのだった。
そうだったのだ。幻想なんて抱いてはならなかったのだった。
高校に入れば友達ができるだなんて言うのも幻想なのだ。どうしてそれを忘れて、あんなに心が踊っていたのだろうか?また、同じ過ちを繰り返すのか?
俺はもう、惨めな思いはしたくなかった。
「…お兄ちゃん」
「ん…?こ、こま…ち?」
気がつくと、俺の視界の横には小町がいた。その目にはいっぱいの涙を浮かべていた。
あれ?俺、何をしてたんだっけ…
「えっ!!お、お兄ちゃんが!お兄ちゃんが起きたよお母さん!!」
「は?え…ちょっ…」
慌てる小町を引き留めようとしたが、そんなのには目もくれずに小町は部屋の外へと飛び出していった。
寝ていた体を起こすと、周りは白い壁に囲まれていて、俺のいるベッドの横には小町の物らしき鞄が置いてあった。
目の前を見ると、俺の足に包帯が巻かれているのが見えた。
ははーん?俺、さては入院しちゃったな?
ようやく俺が犬を助けようとして事故に遭ったのだということを自覚した。
やっぱり調子に乗るもんじゃないな!俺は俺らしくコソコソ生きていればよかったのだ。引きこもり最高!
「じゃあ八幡、私は仕事あるから行くわよ」
「お兄ちゃん、安静にするんだよ?」
「へいへい、わかってるよ」
あの後俺の背にあったボタンでナースコールをして、
容態についてを聞いた。小町…先にやっといてくれよ…と思わずにはいられなかったが、看護師達が来た後すぐに母親を引き連れて戻ってきたのだった。
結論から言えば、俺は足を骨折したようだ。全治約2ヶ月。命に別条なし。
つまるところ、ただの怪我だった。…なんか悔しい。
2ヶ月は学校に行けないことになるが、別に行けていた所でなんだと言う話なのでどうでもいい。それよりもこのニート生活を享受しなければ勿体無いのだ。
家族も帰ったし、早速ゲームでもしよう。
しかし、そんな自堕落な生活が始まってから、3日ほどが経ったある日、俺の日常は崩れ去ることとなる。
「…ヒマだな」
俺以外には誰もいない病室で、そう呟く。流石にずっと同じゲームをするのも飽きるし、漫画もラノベも小説も膨大な時間があれば読み切ってしまうのだ。それに、家から大量に持ってこさせるのも気が引けるし。小町に迷惑かけるぐらいなら少しの暇ぐらい甘んじて受け入れる他ないよな。
そんな訳で暇を持て余していた時、ふと廊下から足音が聞こえてくるのに気づいた。
看護師の人かと身構えて姿勢を正して待ったが、俺の病室へと入ってきたのは看護師ではなかった。
「はじめまして。君が比企谷八幡君かな?」
「え…は、はい。そうですが」
看護師とは真逆と言ってもいい、ナイスDandyな男が入ってきたのだった。しっかりとスーツを着こなしていて、髪の毛は白髪が見えない程黒く染まっていた。
何なんだこの人…と目を細めていると、突然その男の人は頭を下げてこう言った。
「まず君には謝らないといけない。ウチの車が君に怪我をさせてしまい、申し訳ない」
「…」
「君のことは家族の方からも聞いている。入学式の日にこんな目にあわせてしまって…」
そう言って謝罪の言葉を連ねてくる。…まさか関係者だったとは。しかし、今ここの場に居るということは事故を起こした本人では無いということだろう。警察の取り調べとかあるだろうし。
本人じゃないのだったら謝られても変な気分になる。
なんか告白して振られたときのこと思い出しちゃうんですけど…
「顔を上げてくださいよ。まあ、確かに事故には遭いましたけど…いい機会だったなと」
「機会…」
神妙な顔で男性はつぶやく。変な事言っちゃったぞ…
なんとかして取り繕おうと、矢継ぎ早に言葉が出てくる。
「いや、まあなんと言いますか、社会勉強というか…こうして病室で暇するのも悪くないというか…というか包帯巻かれてるのもかっこいいというか…」
途中から何言ってんのか分からなくなった。俺がコミュ障である一端が垣間見えただろう。知らない人とかマジで苦手。というか家族以外俺にとっては知らない人に該当しちゃうんだけどね!
「…そうか。そう言ってもらえると助かるよ」
「へ、あ、まあそうですね…」
ニコリと笑う顔にダンディーさを感じてしまう。俺が笑うと小町にさえキモいって言われるのに、何でこんなにかっこいいのん?こんな大人になれるだろうか、いやなれない。
しかし、少しばかりその笑顔には陰が見えた。何かを取り繕っているような、そんな暗さがあった。
分かったぞ…俺が轢かれた車って高級車っぽかったし、この人は金持ちなんだろう。金持ち、ということはそれなりの社交の場というのを乗り越える必要がある。
ということはこの人は取り繕うのに慣れているんじゃないか。それも笑顔を仮面みたいに貼り付けれる程に…」
「…仮面、か。」
「へ?」
そう言われて初めて、俺が思考の中を口に出していたことに気がついた。咄嗟に口元を手で覆ってしまう。相変わらず男性は神妙な顔をしている。いや、なんかもうちょっと反応してくれませんかね?中二病みたいな迷推理晒しちゃって恥ずかしいんですけど…
そう思って心のなかで転がりながら悶ていると、その男の人は今度は打って変わって砕けた感じで話してきた。
「君、面白いな!まさか私の仮面を一撃で見破るとはね…」
「はぁ…」
俺の迷推理は当たっていたようだが、この変わりようは一体何なのだろうか。こっちが素、ということだろうか。つーか何が面白いんですかね…。こっちはさっきからヒヤヒヤしっぱなしなんですけども。
…どうでもいいけどピヤピヤって書くとある芸人の顔が思い浮かぶよね!
「うん、君になら任せられる気がするよ。」
「…?」
そう言って何かを納得しているようだが、相変わらず状況が読み込めない。何を任せるっていうんだ?というかそもそもこの人の名前も知らないんだけど…
「あ、申し遅れたね。私は雪ノ下と言ってね。こう見えて県議会議員をさせてもらっているんだ」
「えっ!?ぎ、議員?」
今日一の衝撃が俺の頭を襲う。俺を轢いた車の主がまさか県議会議員だとは…。世の中狭いものである。…俺の交友関係はもっと狭いけど。
それにしても、そんな人の車が人身事故起こしたとかなったら問題になるのでは?いや、まあこの人が起こしたわけじゃないんだろうけど…
そんな俺の疑問はよそに、雪ノ下さんは話を続けてきた。
「ちなみに賠償の方は君の親御さんと話はついている。入院費等は気にする必要はないよ」
「あ…それはどうも」
もしかして俺の保険金だけじゃなくて、賠償金の方も貰えちゃうの?何それ美味しい。でも行き先は親の懐なんだろうけどね。ちゃんと俺に還元されるの?
そんな風に金の行き先を案じていると、雪ノ下さんは咳払いをした。
どうしたものかと思い、そちらの方を向く。
そして雪ノ下さんは意を決したように、口を開いた。
「加害者の側でこんなお願いをするのは失礼だとは思うのだが…」
「…はぁ」
「君、私の娘と恋人のフリをしてくれないか?」
「…はい?」
どうやら事故のせいで俺の耳まで駄目なのかもしれない。
因みに相手は妹の方です。