時はロモス武術大会が終わった直後に遡る…
ドラはデルムリン島にて、ブラス老と二人で暮らしていた住居から少し離れた場所に建てられた別棟にある人物を招いた。
煉瓦で造られている別棟はドラが魔法の研究をしたり、集めた資料や写真を保管するために造った建物でありいわばドラの『研究所』とも言える離れであった。
「母家は私とおじいちゃん用に作られてるから狭くて住みにくいと思うんだ。
それに今はロモス王国の騎士さん達が常駐してるし…
この離れ、今は使ってないからここ使っていいよ」
「おい」
「あ、設備の説明するね。
これが明かりのスイッチで、飲料用のお水はここに魔力流すと出てくるから。
空調は壁にかけられてるパネルで操作して。シャワールームはこっちね、これも壁のパネルで温度と水量の調節して?」
ドラが説明を交えながら案内を続ける。建物の造りはかなりしっかりとしており、扉を入ってすぐの場所は簡易的なキッチンとなっていた。
四畳半ほどしかないその部屋を抜けると、その先の空間は14畳ほどのゆったりとした広さの書斎で、天井までぎっしりと書物が詰められた棚に四方を囲まれている。
台が無ければ上まで届かないほど天井が高く造られた書斎には此処南海の孤島、
入り口から入ってすぐの部屋からは書斎とは別に扉ではなく布で仕切られた先に通路が続いている。
その通路を行くとシャワールームやランドリールーム他…水回りを集中して造ったらしい場所に繋がっていた。
書斎は書物を守るためだろう。窓こそ無かったが風通しは良く、それ以外の部屋は窓が大きく造られ風と日差しがほどよく入ってくる。
広さこそ劣るが、父と二人で研究に勤しんでいた北海の孤島にあるアジトとは比べ物にならないくらい快適な住居であった。
「おい、小娘」
「う~ん、あとは何かあるかなぁ…
あっ、そうだ! 食事はおじいちゃんにお願いしておくけど、もしいらないなら事前にちゃんと伝えて…」
「おいッ! 小娘、貴様…何を企んでいる!!?」
「企むって…何を?」
言われた言葉の意味がわからずドラはきょとんとした顔でザムザを見つめた。
見つめられたザムザは腕を組み、したり顔で「キィ~ヒッヒッヒッ!」と笑い声を上げる。
「フンッ…! この俺がそのような稚拙な手に引っかかるとでも思ったか!? バカめッ!!
大方、捕虜である俺を懐柔して魔王軍の本拠地や戦力を吐かせようという魂胆であろう…!?
待遇を良くして油断を誘う…その程度の浅はかな策でこの俺を籠絡しようなどと…片腹痛いわッ!!」
その言葉を受けてドラは手を口に当てハッと息を飲み「しまった…!」という表情を浮かべた。
それを見たザムザは「やはりな…」と内心嘲笑う。
(所詮はガキの浅知恵よ…
妙な術をかけられたせいで逆らう事は出来ないが、かと言ってただ大人しく従うような雑魚とは違うのだ…俺は!)
まるで毛を逆立てて威嚇する野良猫のような態度のザムザ。
そのザムザの首にドラがあらかじめ用意していた鮮やかな彩りの花で出来た首飾りをわさっと掛け、ゴメちゃんが口に咥えていた花冠を頭にぽんと乗せた。
「ピィ!」
「ごめんごめん、先にこれ渡せば良かったね。
はい、歓迎の証のお花の首飾り!
あとで歓迎会も開いてあげるから拗ねないでよ~。
そんなに警戒しなくても何も企んでないってば!
企みとか策とか講じなくても、魔王軍なんか余裕で倒せるし…
…実際、余裕で倒されたよね〜?」
最後のドラの台詞にカッとなったザムザが首に掛けられた花飾りを床に叩きつける。
「俺をバカにするなぁぁっ!!!」
「ピィィ!?」
本当ならすぐさま目の前の少女を縊り殺したいくらいであるが、
掛けられた花を叩きつけ踏みつけるのがせいぜいである。
それを見たドラは怒るでも気を悪くするでもなく手を叩いてコロコロと笑った。
「あっははは! ザムザ反応良い~!
リアクション芸でポップと肩並べられるんじゃない!?」
「くっ…この小娘がっ…!!」
コロコロとなおも笑い続けるドラを睨みつけ、ぶるぶると拳を握り締めて激昂するザムザ…
こうして、彼の受難の日々が幕を開けたのであった。
「ザムザ〜! 魔族の文字と言語教えて〜!」
「ハッ!! なぜ俺が貴様にそのような事をせねばならんのだ…!!」
「 お し え て 」
「ぐっ…うぅ…!
な…ならば、基礎の文字を教えてやる…
その文字を全て100回書き取りしてこいッ!!」
「わかった!」
数日後…
「はい、各文字100回、書き取りしたよ。
次、単語と基礎の文法教えて」
「なっ…⁉︎」
まさか本当に全て100回書き取りしてくるとは…
どうせ途中でやる気も失せるであろうと思っていたザムザは、目の前で爛々と目を輝かせ「早く早く! 次の課題!」と迫る少女をまじまじと見つめた。
「はい、これで合ってる?」
「…ん? 間違えているぞ、馬鹿者め。
この形容詞はここではなくこっちに付く。それとここ。
この場合の言い回しの時はこの単語では不自然だ。
使うならこちらの単語が適切だと教えただろうが」
「あっ、そっか! ごめんなさい…
もう一回復習しておきます」
「フンッ…、魔族の言語など覚えたところで人間どもには必要の無い知識であろうに…
まさしく無駄な努力だな、理解に苦しむ」
「そう? でもいつか役に立つかもしれないし…
それに、ザムザ教え方上手だから勉強楽しいよ?」
「ハッ…見え透いた世辞だな」
「お世辞じゃないってば…」
「おい、娘。
この魔道具の術式回路がなぜこうなっているのか教えろ」
「どれ? 洗濯機?
これはね、大元の基本術式は
で、それに
本当は
まあ、デルムリン島の気候なら普通に干したほうが早いし。
逆に
「ふむ…なるほどな。空調も同じ術式か」
「そうそう!
「…ん? 待て、なら温度の感知はどの回路だ?」
「温度はねぇ…」
「ザムザ〜! 助けて!! みんなが苦しそうにしてるの!
「ピィ〜!」
「なぜ俺が下等生物の手当てなどをせねばならんのだッ!!!」
「ザムザいろんな
体調診るくらい朝飯前でしょ!?
いいから診てよ!!!」
「ぐっ…クソッ…!!
厄介な術をかけよって…!!
チィッ! どれ、診せてみろ…
………。
…ただの食い過ぎだッ!!!」
「あっ、そういえば今日みんなで限界
なあんだ、変な病気じゃなくて良かった〜」
「ピイ!」
「………はぁ〜」
「どうしたの? 深い溜息吐いて。
悩み事か何か?」
「ピ?」
キィキィ! ギャギャッ! クオォン!
「おい、なんだお前らは…
なぜ寄ってたかって花や果物を持ってくる。
いらん、持って帰れ…というか魚をそのまま置いていくな!
虫やよくわからんゲテモノまで…! 何の嫌がらせだ!!」
「この前診てもらったお礼だって。
私からも、はいこれ」
「ピッ、ピィ〜」
ドラが特製のサンドイッチやスコーンなどを盛り合わせたバスケットを差し出した。
ゴメちゃんも、小さい花束と果物が入った籠を差し出す。
「フン、施しは受けんぞ」
「施しじゃなくて正当な報酬。
いいじゃない、受け取ってよ。受け取ってくれたらあとは食べるなり捨てるなり好きにしていいから。
あの時は本当にありがとう、ザムザがいてくれて良かった」
「フン…」
「ねぇねぇ、ザムザって毒物に詳しい?
0.1mgでだいおうイカでも動けなくなるレベルの毒って何か無い?」
「なんだその阿呆な質問は…
そんな猛毒、よほどの準備と設備が無ければ精製した瞬間に作成者が死ぬわ。
「いや、それがアンデッド属性でも付いてるのか耐性高くて
というか呪文がほぼ全て効かないし体力が1以下にならないし攻撃力と防御力が魔王級でどうやったら殺せるのかわからなくて…」
「なんだその化け物は…
遺伝子のサンプル入手は可能か?」
「髪の毛でいい?
けど、研究以外の用途で使用するのは全力でオススメしないよ?
幸運値が低すぎてどんな副作用があるかわからないから…」
「ねえ、例えばの話…
ザムザが研究していた超魔生物の体に魔力がめいっぱい詰め込まれた爆弾みたいな物体が組み込まれたら、誤作動か何か…起こす可能性はある?」
「質問の意図が見えん」
「あくまで可能性の話。
超魔生物の中に、魔力に反応して暴走するとか、逆に抑制されるとか、何かしらの影響が出る要素ってあるのかなって…」
「可能性はゼロでは無い、としか言えんな。
超魔生物に組み込まれた遺伝子の中には吸血系の生物も含まれている。吸収するのは血液だけとは限らんが、外部から得たエネルギーを自身の力に変換しようとする可能性は大いにあるな…
それが体内にあったらなおさら体の一部として認識しようとするかもしれん。
…なぜそんな質問をした」
「別に、なんとなく」
「フン、推測のみで結果がわかれば苦労はせん。
実物と確かな数値も無しに予測など出来るものか」
「そっか、そうだよね…
ありがとうザムザ、参考になった。
今度またサンドイッチ作ってくるね、ベーコンと卵のやつ」
「…野菜のやつにしろ」
ドラが立ち去った後、日が沈みかけた時刻にブラスが食事を持って離れにやってきた。
「ザムザ殿、夕食をお持ちしましたぞ」
「鬼面道士か…そこに置いておけ」
「はいですじゃ。
…ザムザ殿、ドラは何かご迷惑をかけてはおりませんか?」
「フン! 貴様の娘からは迷惑をかけられた記憶しかないわ!!」
「これはこれは…! いや、申し訳ありませぬ。
あの子にはきちんと言って聞かせますので…
…ですが、ザムザ殿には本当に感謝しております。
ザムザ殿がこの島に来てからというもの、あの子は本当に楽しそうでしてな…」
「フン! 親子揃って見え透いた世辞を言わずにはおれんようだな」
「いえいえ! 断じてお世辞などでは…!
あの子は…ドラは昔から本当に頭の良い子でしてな。
お恥ずかしながら、ワシはあの子に簡単な読み書きは教えましたがあの子が成長するにつれてサッパリ話に付いていけなくなりましての…
ご覧の通り、この島にはあの子の知性に見合う話し相手などはおりませんで。
あの子はこの離れで一人、一生懸命調べものや魔法の研究をしておったのです」
ザムザが暇つぶしにと今開いていた書物はドラが過去にまとめた魔法についてのレポートだった。
新しい呪文についてのアイデア、効果や範囲、発動にかかるまでの時間、魔力消費量などが細かく記されており、失敗した場合も何が原因だったのかが詳細に記されている。
ろくな設備も情報も得られないこの島でたった一人、いつ結果が出るとも知れない研究を続ける事がどれほど孤独な作業であるか…ザムザは身をもって知っていた。
書斎にある書物の三分の一は、ドラがそうして一人で積み上げてきたレポートや資料の類であった。
ブラスがさらに話をつづける。
「それが最近では自分よりもはるかに見識の高い相手と会話出来るのがよほど嬉しかったのでしょうな。
ザムザ殿は凄い、話すのが楽しい、ザムザ殿の教え方が上手だ、としきりに申しておりましてのう…
今日も嬉しそうに術式回路の効率化で魔力の消費がより抑えられると可愛らしくはしゃいでおったのですじゃ。
本当に頭の良いよく出来た娘で…」
「おい、その話はまだ続くのか」
「こっ、これは失礼しました!
いやはや、ついお喋りが過ぎてしまいましたわい…
では、御用があったら遠慮なく呼んでくだされ」
それでは、と言いブラスは帰っていった。
ザムザは去っていくブラスの後ろ姿を見ながら、この島に来てから言われた言葉の数々を反芻する。
あの時は本当にありがとう、ザムザがいてくれて良かった
ザムザ殿には本当に感謝しております
「ありがとう」「凄い」「楽しい」「いてくれて良かった」…
どれも父に言われた覚えの無い言葉ばかりで、ザムザはどう反応して良いのかわからなかった。
100年以上、父に認められるためだけに生きてきたと言っても過言ではないザムザは渇望すると同時に心のどこかでわかってもいたのだ。
父親がザムザを褒めることなど…ましてや感謝を伝えることなど有り得ないという事実を。
愛してほしいなどという青臭い願望はとっくの昔に捨て去った。
ただ、たった一言「おまえがいてくれて良かった」と…
存在を認めてもらえていたら、ザムザの心は今こんなにも波立つ事など無かっただろうに。
(厄介な術をかけられたものだ…
日に日に頭の中でドラの存在が強くなり思考を邪魔する。
どうにかこの術を早く解いて父上のもとへ戻らねば…!)
父ザボエラのもとへ戻ろうと何度も試みていたザムザだったが、なぜかそれが出来なかった。
連れてこられた当初こそ
穏やかな波と風、伝えられる感謝、同等の知性を持つ相手との有意義な議論、何か行動をするたびに返ってくるのは怒鳴り声ではなく笑い声…
日々与えられる愛情がザムザの固く冷えた心をゆっくりと溶かしていっている事に彼自身まだ気付いてはいなかった。
そしてドラもまた、彼がデルムリン島から逃げ出さない本当の理由に気付かずにいる。
「…あれ? ザムザくらい頭が良かったら
まだ
逃げ出してザボエラのもとに帰ってもそう影響ないかと思って特に行動に制限はかけなかったんだけど…
ま、いいか」
ザムザに差し入れる野菜サンドの具材をどうするかのほうが重要か、とドラは思考を切り替える。
そうして『