崩天地壊郷   作:山明鏡 紫水

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誰も書かないんだもん


潮騒狂想
“白の蹉跌”


 ──この世はロマンに溢れてる。お前も見つけろよ。

 

 鉄輪(てつりん)のアイラヒは、祖父の口癖を思い出していた。遠い記憶だ。手の甲にあった飛沫(しぶき)のような火傷の痕と、きらきらとした片眼鏡だけが強調されている。どんな顔をして自分をあやしていたかすら覚えていない。

 

(きっとこれはロマンなんて綺麗なものじゃない)

 

 裏路地のひんやりとした煉瓦の壁に背中を預け、瓦斯灯に霞む夜の星を見上げる。少しばかりの学と商才があるだけの平凡な人間(ミニア)は、ぼんやりとした感傷以外に何も考えていなかった。

 この世界には時折、“彼方”より逸脱の技術を伝承すべく“客人(まろうど)”と呼ばれる者が訪れる。

 アイラヒの祖父、鯨波(げいは)のテルキも“彼方”から流れ着いた学者の“客人”だった。武勇も鬼謀も持ち合わせていない、だが憧憬に値するだけの叡知と非常識を備えた立派な異人であった。

 

 彼が持ち込んだ異物異伝は数知れず。瀕死の老婆でも大鬼を投げ飛ばせるようになる奇天烈な強化外骨格(パワードスーツ)であったり、片手に収まるサイズでありながら詞術を介さずに岩塊を粉砕する爆弾であったり。しかし彼に纏わる奇話は数あれど、その最たる物はどういう因果か大商会の令嬢に見初められ、燃え上がるロマンの火に財がくべられた結果、最終的には魔王自称者に認定されるまでに至ってしまった彼の人生そのものだろう。

 

「そろそろかな」

 

 明るい夜空から視線を下げて、祖母から遺された首飾りを開く。華美な装飾は無いが、魔王自称者に付き従っていた工術士の一品だ。祖母が他界して以来、肌身離さず持ち歩いている。中には胸を張って気取った片眼鏡(モノクル)の祖父と、澄まし顔のうら若い祖母の銀板写真(ダゲレオタイプ)。それを見て、ようやく空漠の記憶を補完できる。

 テルキの開発した物の中には兵器もあったが、当然市井の役に立つ物も多かった。だがどれだけの利器に埋もれようと、兵器はくっきりと人目を惹くらしい。

 延々と続く追及に嫌気が射したのか、テルキは少ない同胞のみを連れて、妻子や商会とも離れて生きる事にした。その消息を辿れる最後の地がこの町だった。けして栄えているとは言い難い静かな土地だ。きっとここで邪魔されずにロマンを謳歌したかったのだろうが、その願いは叶わなかった。

 

 瞳の曇った権力者からは逆に、「商会から離れても造れる安価な兵器が出来たのではないか」と勘繰られてしまった。追及の手は一向に引かず、より苛烈に。疎ましがられた市からは追い出され、さらに選りすぐった幾人かの理解者を連れての隠遁へ。それから長らく経った今、彼の居場所は孫であるアイラヒも知らない。

 

「アイラヒ様」

「……ああ、ナジコス。うまくやれた?」

「はい」

 

 上からの呼び声に写真から目を離して応えたアイラヒ、その隣に給仕服の女性が塀から飛び降りる。整った眉目の線の細い女性。丁寧な仕立の給仕服の裾もふわりと際どく舞い上がるが、本性を知るアイラヒがその色香に惑わされることはない。

 

「【ナジコスよりヒリエの装いへ(nazkus io hyiress)捲る蕾(njefil)泡沫の舞踏(cemlet vuina)銅貨を戻す(brnurs kifoq)映れ(negfeyp)】」

 

 女が袖から空になった硝子の小瓶を取り出し踏み砕くと、中にわずかに残留していた透明な液体が跳ねて土を黒くする。無味無臭でありながら少量で酩酊作用を持つ、強い酒のような薬剤だ。主に化学実験に使われるが、別の職種では尋問に使われることもある。

 ざりざりと土と硝子の欠片を混ぜながら、女性の薄い紅を塗った唇は詞術を口ずさむ。一言一句を進めるごとに若い艶のあった茶髪は萎れた白髪へ、仄かな香水の匂いは熟成した加齢臭に消えていく。

 やがて深々と、突如現れた老夫はアイラヒに頭を下げた。

 

「この度は、私の我儘を聞いていただきありがとうございました」

「いやいや」

 

 二重螺旋の摂理を否定する刹那を経ても、半笑いで首を振るアイラヒに戸惑った様子は見えないが、はたしてコレは何者なのか?

 擬態能力を持つ者として筆頭に上がるのは擬魔(ミミック)だが、あれが模倣可能なのは生物だけ。であれば給仕服から年季の入った男性服ヘ、本来生物にとって不自然な衣類などの外面の変遷は擬魔では為し得ない。

 二つ目の名は“(しろ)蹉跌(さてつ)”、正体は機魔(ゴーレム)である。ただしその身に内蔵されているのは町を焼く仰々しい兵器の数々ではなく、精密な観測機器(センサー)群。それより取得した情報と生術工術を駆使することで骨格や皮膚、仕草までを模倣し、誰にでも擬態できる。

 祖父が設計し、工術士と協力して造り上げた変種の機魔である。

 

「僕はそんな有り難がられる事なんてしていないよ。手筈は整えたけど、それだけだ。それに、きっと僕が手を貸さずともナジコスはやっていただろう?」

「けれど助けを受けた以上は感謝を」

「……君の中の人間(ミニア)は美化され過ぎだよ」

「美化などしていません。私は人間の中には恩を仇で返すような外道がいる事も知っているので」

 

 ナジコスと呼ばれた機魔が飛び降りた塀の向こう側にあるのは、市の有力者の邸宅。もっと言えば鯨波のテルキに付き添っていたが、最後は彼を捨てた者──いわば外道の住み処だ。

 当時のナジコスはテルキの指示だと言われて彼と引き剥がされ、アイラヒの祖母に送り届けられた。だが“噂”を調べるために薬の力を借りて真相を聞き出した所、テルキの指示など無く、仲違いを原因とする妨害工作だったらしい。許せるわけがない。

 

「わかってるじゃないか」

 

 へらへらとしながら、首飾りを懐にしまう。もうここは立ち去る時間だ。ナジコスの擬態能力は凡百の官憲には見抜けない。逸脱の魔眼でもなければただの老夫としか認識できないだろう。しかし犯人と特定されることはあり得ずとも、これ以上の長居は無用だった。

 

「なら、みんながそうだと一度は考えたほうがいい。大概の人間は君なんかよりずっと馬鹿で、下劣で、救えない」

 

 僕も含めてね。

 アイラヒの最後の一言はかろうじて惨めな尊厳のおかげで呑み込めたが、実際のところナジコスが言い出さなければ復讐の虚しさや器の大きさだとか薄っぺらい言い訳を並べて永遠に動かなかっただろう。その鈍く(こぼ)れた自覚が胸をえぐる。

 そして人の観察に秀でたナジコスがその心情に微塵も気づかぬはずもなく、申し訳なさげに視線を逸らした。

 

「ああ、そういえば遺産の話はどうしたの。何か収穫はあった?」

「皆無です。遺産の噂が真実なら……テルキはもう死んだことになる。私には、信じられません。彼には叶えたい夢がまだ……詳しくは話せませんが」

「いいよいいよ」

 

 テルキ失踪が十四年前。ナジコスがアイラヒの祖母の家に送られたのが四年前。そして今さらになって、テルキの兵器がとある街に遺されているのだという噂が流れている。十四年前に世間から消えた人間の遺産なら、事実はどうあれ十四年前に話題になるはず。おかしな話だが嘘とは言いきれない。確かめる方法は一つだけだ。

 

「噂の場所に行けば、爺さんについて何かわかるかもしれない。行くでしょ?」

(どうすれば僕は彼女や爺さんみたいになれるだろうか。彼女を造った爺さんなら、それを教えてくれるだろうか)

 

 どれだけ“客人”の祖父が偉大であっても、その才能はアイラヒに遺伝しない。

 今もかつても、アイラヒは他人と状況に流されているだけだ。凝り固まって、惰性で転がるだけ。鉄輪のアイラヒは、機魔の背を見て何度も痛感している。ナジコスはぎこちない発条(ぜんまい)仕掛けなどではなく、自分で考え感じたものに従って行動している。これではまるで生きているはずの自分の方が機械のようではないか。目的が与えられなければ動くこともない。

 じくじくとした幻痛が、手中の皺を深くする。

 

(きっとこれはロマンなんて綺麗なものじゃない)

 

 もっと冷めた、寂しいものだ。

 だから心ある機魔の後塵を拝して一歩また前に進む。今の彼にはロマンの欠片もない。

 

 

 

 それは銀板写真の一枚より、骨格までを推測する観察眼を保有する。

 それは武装ではなく、微かな体臭をも捕捉する機器群を搭載している。

 それは自らの外装を変成・加工する事であらゆる生物に擬態できる。

 流れる血潮さえ自己生成する、真に人らしい創造物である。

 

 詐欺師(スウィンドラー)機魔(ゴーレム)

 

 (しろ)蹉跌(さてつ)、ナジコス

 




次回更新予定は明日です
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