崩天地壊郷 作:山明鏡 紫水
(多い。加えて奇妙だ)
一体の
(歩調は人族ではない。
人とは異なる感覚器を持つ彼は、地を這う振動によって周囲一帯の動体を把握していた。この地を守護する根獣は樹海に擬態するため視覚での発見が非常に困難だが、地に足を付けて生きる生物である以上、フィクメロウの探索網からは逃げられない。
(ああ、根獣だ。根獣の群れが侵入者を片端から排除している)
方々を流浪しているフィクメロウは、以前根獣に会っていた。基本性能もその時に調査してある。
探知からまた一人外れる。根獣が接近し、その直後に足音が消えた。おそらく根獣の毒で溶かされたのだろう。遺産の争奪戦に参加する者なら喜ぶべき事かもしれないが、フィクメロウの目的は遺産に群がる悪人だ。彼らを捕縛する前に跡形もなく消されてしまうのは都合が悪い。
(仕掛けもほぼ完成した。狩り尽くされる前に急いで)
「【キララよりヒティーアの風へ。手招く翡翠。跳ねろ】」
ヒュゴッ、と突風が吹く。八つの瞳に映る景色が蜃気楼のように歪み、全身の関節が軋む。呼吸が苦しい、おそらく圧搾されている。しかし直前までフィクメロウの探索網には接近者はおろか、こちらに気がついた様子の者さえいなかった。
捕まれた手を振り払うような咄嗟の判断で、獣族の中でも上位の身体能力と力術を併用した突進。圧力から逃げ出す。
「……何の用だ」
「生き物? 魔族かと思った」
「蜘獣だ。知っておけ」
(
木の幹に張り付き、襲撃者を直視する。枝に座る隻翼の空人を、地知らぬキララという。
フィクメロウは地の振動を探知している。故に地に触れず、空を自在に飛び回る空人の接近に気がつかなかった。上空の見通しが悪い、樹海の立地も影響している。
初めて見る生物に興味深そうなキララが空中に身を乗り出し、口早に
「私はキララ、地知らぬキララ。名前は? なんでここに来たの?」
「……悪人を捕らえに」
(三十五番の真上。打てば当たる)
固有の名は教えない。善行を為しているのは蜘獣という種でなくてはならない。そして人族に善行と見なされるならば、彼はどんな事でもやる。人族に危害を加え兼ねない存在──目の前の空人の排除など。
「悪人……人殺しとか?」
「そうだな」
「魔王自称者とか?」
「ああ」
「……ふぅん」
雰囲気が変わる。呼吸器が緩く絞められたように錯覚する。敵意を向けられたのがフィクメロウにはわかった。
ふわりと空人が空に駆け上がる。その空人は隻翼、飛翔しているのではない。空気を対象とした工術で階段を作っている。先程の圧搾も、空気を焦点にした力術だったのだろう。
キララの姿が枝葉の笠の上に昇る。フィクメロウの位置からは見えなくなる。当然探知もできない。警戒を強める。
「
「何を言ってる」
「黙れ。お前はヨザマに譲らない。【キララよりヒティーアの風へ。手招く翡翠。跳ねろ】!」
ヒュゴッ、と再び突風。フィクメロウのいた幹がゆっくりと折れるが、間一髪で蜘獣は飛び退いていた。やはり空気を焦点にした力術、持続性と規模こそ劣るが威力は竜巻に等しい。この地に満ちる大気が彼女の武装だ。
「話を聞け」
「うるさい!」
フィクメロウにはテルキと何の接点もない。キララ自身の、勝手な同一視による癇癪だ。なぜ彼女が怒っているのか、蜘獣の英雄にはまったく理解できない。だが空人はその知能の低さ故に衰退した種族である。もっと慎重に応答すべきだった。
突風の圧搾を回避し、フィクメロウも樹海の上に出る。太陽はまだ低い位置にあった。天頂付近の空人を直接視認して標準を合わせる。キララの癇癪の理由が何であれ、対処しなくてはいけない大義名分が出来た事だけはありがたかった。
「【フィクメロウより三十五番目のシパースの欠片へ。】」
「【跳ねろ】」
異国の楽器のような詞術で、樹海から翠色の流星が昇る。シパースの欠片、接触と同時に筋弛緩剤を体内に注入する星形の武装。フィクメロウが人道的に人族を捕縛する際に愛用するそれは空人を狙撃し、しかし横から殴り付ける烈風で逸らされた。
(遠距離の狙撃ではあの防御を突破できない)
「えっ?!」
糸を射出。自分との繋がりを切らずにその先端を力術で更に飛ばす。フィクメロウ自身を釣り上げるように、擬似的に飛行する。直接本体を力術で射出するよりも、糸が間にある分だけ衝撃が少ない。
キララとの距離が急激に狭まり、互いの距離が最短となった瞬間、所持していたシパースの欠片をばらまく。その数は六。仮にすべての欠片を吹き散らしたとして、次は詞術を要しない蜘獣の糸が彼女を絡める。キララは二段階の攻撃を一度の詞術で凌がなくてはならない。
「【フィク……ッ!」
八つのうち、下方を監視していた二つの目が金光の収束を捉えた。下から上への雷撃。この地に設置された
「先行したシパースの欠片には反応しなかった……条件は大きさか」
「ふーぅ、危ない。でも、もうやらせない」
落下しながら糸を高木に括り、八つの足で着地し緩衝させる。傷は浅いが、状況は悪い。シパースの欠片を偏差射撃で打ち上げるが、樹海の上空に見えない壁がある。空気を焦点にした工術。これでは本体の突破も困難だろう。
(逃げるか)
フィクメロウに戦う動機はあまり無い。倒せれば手柄だが、手間に見合うかどうか。逃げるのも簡単ではないが、倒すよりは確実に楽だ。おそらくヒティーアの外まで追ってこない。自由に行き来できるならば、もっと脅威として各地に名が広まっている。隻翼の空人の噂など、聞いたことがない。
足は地に着いている。設置した罠の回収と徘徊者の行動を照らし合わせて脱出経路を模索する。蜘獣は森の中であっても疾走することができる。詞術の狙いを定めている間に空人の視界から逃れる。
「【キララよりヒティーアの風へ】」
姿は見えなくとも声は聞こえる。詞術の始まりに合わせて力んでいた八脚を解放する。
(今)
その時。からん、からん、からん。樹海の深奥から三度鐘が響く。何かの符丁だろうか。上空からの詞術が聞こえなくなる。逃走の続行と観察。フィクメロウが選んだのは後者だった。短半径で旋回し、樹上に出る。キララの目線は鐘の音の方角にあった。
「……ヨザマが呼んでる」
「呼ばれてるなら向かったらどうだ」
「うるさい。ここはヨザマに教えてる。もう来る。お前は逃げられない」
「そうか」
空人が駆けていく。脅威は去った。だがまだフィクメロウは樹海から脱出しない。キララと入れ替わるように、四体の根獣が木の陰から現れる。彼らの接近は地の振動で既に探知している。
「お待たせしました」
「隠れないのか」
「ここまで到達している時点で、我々の動向は何らかの手法で察知されてるものかと。ただの幸運で侵入できるほど緩い陣形は取っていません」
「根獣はそこまで熟考する種族だったか?」
「他の根獣は知りませんが、我々はそうですね。……申し遅れました。我々は
逃げる事もできたが、あえて待っていた。この地を徘徊している根獣の数はフィクメロウが探知しているだけで三百を越える。それなのに、差し向けた根獣は四体。脅威を測り違えたのか、それとも戦闘以外の接触目的があるのか。長らくこの地を未開に閉ざしていた実績を考えれば、後者の可能性が高い。
三眼でシパースの欠片の位置を確認しながらヨザマの話を聞く。
「キララからあなたがヒティーアに来た目的は聞きました」
「あの空人か。いきなり襲ってきて、随分ひどい目に会った」
「その件はご容赦を。彼女はテルキと親交があったため、魔王自称者に敵対する者を嫌悪します。一種の義憤でしょう。そのお詫びも兼ねて、提案があります」
「……聞こう」
この根獣は愚かではない。少なくとも種の先導者たるフィクメロウと同格以上の知性がある。提案を
「現在、ここはあなたよりも暫定的に危険な者に侵入されています。その者の無力化、あるいは討伐をお願いしたいのです」
「それは誰にとって危険な侵入者だ? 根獣か人族か、それとも蜘獣か?」
「すべてです。彼らに、“黒曜の瞳”にテルキの遺産が渡るのだけは阻止しなくてはならない」
ヨザマの語る侵入者にフィクメロウは心当たりがある。六十以上の根獣が、ずっと一人を襲撃し続けているのを探知している。
地平最大の諜報ギルド“黒曜の瞳”。戦乱を望み、人族に害なす彼らはフィクメロウが捕縛すべき悪人だ。
ぎゅるりと黒真珠のような眼を回して思案する。この根獣の提案は本物なのか。万が一にも牙を剥いたのが善良な人族であれば露見したとき──
(いや、露見しなければいいな)
ここは未開の樹海、そしてフィクメロウは射手に由来しない狙撃能力を持つ。本当に“黒曜の瞳”であれば人族に引き渡せば良し、善良な人族であった場合は何百人といる禁域の犠牲者が一人増えるだけだ。蜘獣の評判には一切の影響を及ぼさない。
「わかった。手を貸そう」
「助かります。我々が止めるべき者は──」