崩天地壊郷 作:山明鏡 紫水
「は、これが不可視の防衛機構の正体か」
「──待ちなさい。あなたは、あなただけは、ここで止めなくてはならない」
樹海の全方位から、木の槍が襲い来る。それは鋭く尖った根獣の無数の腕だ。はためいた
「“黒曜の瞳”、
「……や、会った事ある?」
「このヒティーアであなたに
「ああ、栽培してた
死角の樹上から木の槍がワートルテの頭部を狙うが、腰を落として躱される。見ていない、わずかな刺突の擦過音だけで察知されている。世界を超越したドーピングは、聴覚と瞬発力にも尋常ならざる強化を施す。
「ひゅー、あっぶな」
「当たった所で死にはしないでしょう」
「ま、当たっただけなら」
「ならば大人しく捕まりなさい」
「それは話が別ッてわからない?」
慨嘆しながらもワートルテは迫っていたヨザマを踏みつけ、跳ねる。彼の本領は薬学だ、格闘ではない。それでもドーピングより獲得した埒外の脚力で根獣の上半身が弾けた。身体の構造に不明点が多い根獣であっても、確実に死亡している。
「やっと、来ましたね」
「あ?」
跳躍した着地点。大樹の
血が滴り、肉が削げる。追撃を跳びながら小さく呻いた。
「ッたいな。【ワートルテよりクチルの薬へ。灌枝の帰路。主柱の虹。隔たれた檻は六番。栄えろ】」
貫通した根獣を剛力で引き抜き、薬を振り掛ける。薬学と生術の併用。彼岸のネフトほどの生術師で無くとも高速再生を可能とする。穿たれた穴が肉で埋まる。根獣の猛毒を食らった事よりも、ワートルテにはそちらの傷が痛手だった。
「やはり効きませんか」
「そりゃ抗体は持ってるさ。俺が弄る毒で自滅したら笑えない」
「「ならば全身を穿つまで」」
「は、やってみなよ。ッてかそれはアンタらの退治法じゃない?」
鼻で笑いながら、いつの間にか手にしていた試験管を投擲する。砕けたガラス片が刺さるが致命傷ではない。内部の青緑の薬液が複数のヨザマを濡らす。本命はこちらだ。
「根獣は燃やすか解体するか。これ、止血剤にも使えるんだけど、根獣の毒と混ぜると発熱するんだよね」
ボッと加熱された空気が膨張する。青い炎によって色も朧なほど根獣が燃え上がる。仮に死なずとも炭化してしまえば、戦闘不能には追い込める。
「……そうですか」
「「それで」」
「「「「残りの備えはいくつですか?」」」」
だが、ヨザマは止まらない。手痛い反撃を食らっても殺す。何体死んでも殺す。燃えたヨザマが絶叫するより前にヨザマが群れて踏み潰し、延焼を絶つ。むしろ追手の数は増殖している。
(不味い)
ワートルテの額に汗が流れる。炎熱だけが原因ではない。ヨザマは戦闘する個体と、戦局を考察し増殖する個体で役割を分担している。指す手を間違えない。一方でワートルテは手と頭脳を並行して働かせている。このまま硬直が続くことはない。それをヨザマも知っているからこそ、打倒を優先するより逃走を封じる陣形を常に維持している。どこかでワートルテは必ず間違える。
(最悪だ。
あるいは既に間違えていたのかもしれない。
ヒティーアは元々“黒曜の瞳”を筆頭とした諜報ギルドの物資の取引所の役割を担っていた。そのため官憲の追手を妨げるために唯一の行路である橋を遮断し、時間を稼ぐ仕掛けが施されていた。今回はそれを応用し、人員を堰き止め、一気に流入させることでヒティーアの防衛機構の処理能力を圧迫するつもりだった。
(根獣に対処できる薬剤はもう底をつきかけてる。対ナノマシン用の腐食液、対人用の各種毒液。ここからどう反応させれば根獣相手に時間を稼げる?)
限られた手持ちの薬品を脳内に並べ、反応式を組み立てる。ワートルテに必要なのは時間だ。この広大な樹海の中から、形も知られぬ遺産を探し出さなければならない。
チラリと時計を確認するが、逃避行を開始してから驚くほど僅かな時間しか経過していない。効果が切れる前に首筋にドーピング剤を注射する。
「そうだ、テルキの遺産がどこにあるか教えてくれない?」
「「「教えると思いますか?」」」
「や、じゃあ全員知ってるんだ」
懐からもう一本の注射器を取り出す。無色透明の薬液で満たされている。中身は。
「──特製の自白剤。ま、そこまで便利な物じゃない。寝惚けたみたいに自我が一時的に薄くなるだけの半端物だ。でも、これをアンタらのどれかに打ち込めれば」
「それが本当に自白剤であるかどうか」
「隙あり」
ヨザマは常に考えてから動く。動くまでに僅かに考える空隙が生じる。嘘を嘘と断じることができない。
自白剤は陽動。根獣専用の自白剤など持ち歩いているはずがない。人族以外を対象に調薬するのは費用と手間だけが嵩み、研究も進んでいない。注射器をあえて認識できる速度で投げ出す。ヨザマは避けなくてはならない。意識は注射器に逸れ、無数の気根が蠢き、包囲網に穴が開く。ワートルテはその穴を駆け抜けた。
(次はどうする。これであの根獣はまた思考を進める)
同じ手は通じない。彼女らは学習している。また一分岐、樹形図が発展した。次は注射器に刺さった後の動作を練ってくる。
新たなヨザマを三体、木の影に見た。その行路を即座に候補から外す。吟味している時間はない。防衛陣が厚いから奥に遺産があると、そう考えさせるほどヨザマは愚かでない。進んだ先に罠を仕込んでいるかもしれない。思考と進路が誘導されている。
襲撃の密度が徐々に上がっている。ドーピング剤も永遠には持続しない。焦りが募る。バクバクと自分の心音が聞こえる。
〈──おい、見つけたぞ〉
唐突に懐のラヂオが囁き声を発した。幻聴を疑ったが、違う。確かに囁いている。
ワートルテの勝利はまだ遠いが、このラヂオからの連絡が来た時点でヨザマの敗北が決定した。ヒティーアは既に未開の禁域ではない。
〈おい、聞こえてるのか?
「は、良くやった! おい根獣!」
苔に覆われた岩の上で足を止め、振り向く。ここならば足元からの奇襲はない。ヨザマも警戒して攻撃の根を伸ばさず、包囲するだけだ。報告では更に追っ手は増えるようだが、ここまで増えればもう誤差だと割り切れる。
「諦めましたか?」
「や、諦めるのはアンタらだ。もう終わりだよ。遺産の正体は掴んだし、禁域の謎も暴いた。直に“黒曜の瞳”の本隊がやってくる。根獣の毒の効かない機魔や骸魔を量産しても良い、“濫回凌轢”を脱獄させたって良い。遺産にはそれだけの価値がある。もう終わりなんだよ」
「「「……真偽は」」」
「は、証拠が欲しい? いいよ、なら隠したがッてる遺産の正体を当ててやる」
ワートルテの勝利はまだ遠い。彼の勝利とは、生還してこそ初めて達成される。そのためにヨザマの敗北を突き付け、利用する。包囲網の端まで聞こえるよう叫ぶ。
「
ヨザマは命を軽んじているわけではない。ただ、命の価値は単純な計算では分からない。その難題さを理解している。彼女は哲学者であるから。苦渋の決断として、単純な計算に貶めるしかなかった。
自分だけが百人を殺して万人が助かるならば。
彼女の選択とは、そういうことだった。その慈悲が水泡に帰しつつある。
だが樹海その物であるヨザマに悟られること無く、誰が深奥に匿われた遺産の正体に辿り着けるだろうか?
「誰が……」
「「どうやって……」」
「「「それよりも……」」」
「忘れたのか、俺は“黒曜の瞳”。最初から一人じゃないッてさ」
地平最大の諜報ギルド、“黒曜の瞳”。精鋭無比の兵を集めた中には異常なまでに山中行動に適応した“客人”もいる。
彼は“
「アンタの負けだよ、根獣」