崩天地壊郷   作:山明鏡 紫水

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ヒティーア樹海遭遇戦 四

「──黒獣が倒された」

「じゃあイザベル様は!」

「人族に担がれて移動している。無事だろう」

「……その人が助けたのか。今、銃声が聞こえた」

 

 岳城のフィクメロウが動き出すと、その背を燕尾服の青年が追いかける。禁域で、人外と行動を共にするのだ。その顔にははっきりと恐怖がある。それでも彼は蜘獣に頼らなければならない。メルサランと呼ばれた楽団の指揮者にとって、歌姫の喪失は自己の往生よりも恐れる事態だ。故に拾った命を(なげう)ち、死地のヒティーアに至る。

 

「狙撃手の場所は離れているし、流れから見て違う。いいか? 黒獣は大量の根獣を排除して、この人族に会いに行った。少なくとも黒獣と仲間だ。狙撃手と人族の関係は知らないが」

(おそらく歌姫は感染している。だがワートルテが従鬼なのは黙っておくのがいいだろう。何故知っているのか、下手に勘繰られても面倒になる)

 

 街一つの面積を占有する樹海の中で、二人の邂逅は偶然ではない。歌声と演奏の空気振動は、地面にも伝播していく。位置を把握するだけならばそれで十分だ。吟遊する“客人”の楽団を蜘獣の広告塔にする。そのための危機を待っていた。彼の眼は並みの人間より多くの物事を俯瞰している。楽団を壊滅させた黒獣がワートルテと提携していたのは予想外だったが、フィクメロウにとっては全てが好都合に推移している。打倒すべき敵が統合された。

 

「次はその人間をどうにかしないとなのか……」

「案ずるな。歌姫は必ず取り戻す」

(蜘獣の存続のために)

 

 人間が蜘獣に縋っている。この光景を普遍にしなくてはならない。

 黒真珠の眼がぐるりと回る。

 

 

────────────────────────────────────────────────────

 

「……糸」

 

 残っていたヨザマを倒し、吐いた一息の間だった。夜の暗闇を上塗りして白糸が編まれ、密度を増していく。敵が消えて油断が生じる機会を捕らえられた。

 

(蜘獣の糸、ゼルジルガのような操糸術の使い手。だがあれほど巧みではない)

 

 歌姫を抱えたまま、軽く白壁を蹴る。弱い反発があるだけで靴底には微傷も入っていない。頑丈なだけの縦糸だ。切断用の横糸なら編みはしない。

 これはワートルテを幽閉するだけで、彼を無力化する手立てが後に控えているはずだ。

 

「根獣の協力者か。ま、歌姫さえいれば雑兵なんてどれだけいたッて構わないさ」

 

 薬剤は尽きたが麗しきイザベルがいる。根獣から逃げるのに支障はない。歌姫を下ろし、連続で糸の柵を蹴りつける。糸との接触とは思えない空砲じみた快音が響いた。穴が開くが即座に修復されてしまう。

 

「ん、ナイフの方がいいかな……ッ!」

 

 別の曲を頼むために後ろを振り向いた瞬間、歌姫の首に迫っていた(みどり)の星を蹴り砕く。風圧で長い金の髪がはためくが、彼女は身動(みじろ)ぎもしない。血鬼に感染したために、脅威に自力で抵抗できない。

 

(なるほど、先に歌姫を落として戦力を削ぐつもりか。こっちの戦力がバレている)

 

 その翠色の星形はシパースの欠片と呼ばれ、接触と同時に筋弛緩剤を体内に注射する捕縛用の武装だ。ワートルテは中から垂れた匂いと色でその効能を知った。薬師の彼は筋弛緩剤にも抗体を持つが歌姫は違う。歌姫が脱落すればワートルテはただの非戦闘員、根獣の軍勢に勝てない。

 再びイザベルを前に抱え、防刃性の白衣を羽織らせる。彼女の体が遮る死角を減らさなくては。

 側面から飛来した物を、今度は砕かない力加減で糸に押し返す。背後にもう一つ。後ろの星は旋回しつつ粉砕し、また向かってきていた前方の攻撃を次は砕く。衣服を貫通して(すね)に刺さったが、筋弛緩剤はワートルテには無効だ。無視していい。

 

(投擲じゃない。一度停止させた上でまた動き出した。力術。次は)

 

 跳躍、着地。その間に三つのシパースの欠片の針を折り、胡桃のように割っている。刃も使わぬ蹴りでありながら、そのような結果を現出できる。歌姫は純粋な暴力ではない、調節と技を教授する。

 

「……工術もか」

 

 割れた断面が接合され、また飛ぶ。草に隠れようとした一つは踏み込みで地に埋め、視界の際を旋回した二つは踵で続け様に砕いた。傷は僅かとは言え、痛みも少ない方が良い。破砕した欠片の上に、ナノマシン対策で持参した溶剤を垂らしておく。これで工術の再構成も妨げられるはずだ。彼はそうして経過を観察している。

 

(存外早く終わるかもしれない)

 

 糸の修復と狙撃と武装の再構築、それらは並立していない。敵は一人だろう。そして一人では経験の総量に限界がある。既に高い水準の力術と工術を併用している。内蔵していた筋弛緩剤を新たに生成できるとは考えにくい。

 これは消耗戦だ。ワートルテはイザベルを守りつつ、残弾を打ち尽くさせる。

 シパースの欠片を爪先に引っ掛け、網を切る。また修復されるがその間は追撃がない。彼にも休息は必要な上、糸も消費させられる。

 敵の目処はヨザマと協力するまでの時間稼ぎ。だがテミルルクが付近を一掃していた。猶予はまだある。ここを耐え凌げばワートルテにも勝ちが見えてくる。

 

「トラジ、おい。答えろ」

 

 断続的に現れる攻撃を潰しながら、襟に隠したラヂオを繋ぐ。あるはずの応答はなく、すぐに二度の銃声が招いた事態を察した。

 

「……ち、死んだか逃げたか。どっちにしても手は借りられない」

(これだけの戦士なら感染させたいが、どこにいる? 樹海は見通しが悪い。かなり近いはずだ。歌姫さえいなければ揮発性の毒で炙り出しもできたが……)

 

 手持ちの薬剤を掛け合わせて比重の重い毒煙の構成を考えるが、イザベルに影響が出るのは避けたい。

 

(無害な物を使えばいいか。知らない毒を吸いたくはないよな。やらないよりはやった方がいい。風向きは)

 

 糸の隙間からガラス瓶を茂みに片腕で投げつける。黄土色のガスが巻き上がり、風下にゆっくりと流れていく。動きはない。何らかの動きがあれば、ワートルテの血を込めた注射器を射出し、感染させるつもりだった。

 

(ドーピング剤が尽きたのが痛い。風上にいるなら嗅覚で場所を探せたかもッてのに。地道にやるしかないのか)

 

 またシパースの欠片を蹴り砕く。かすり傷がつく。怒涛の連撃でそれだけの戦果しか上げられていない。眼球に着弾すれば危ういかもしれないが、その気配はない。超常の魔弾ならばともかく、筋弛緩剤では脅威にならない。いい加減に徒労を積み重ねてくる敵に嫌気が差してくる。

 

「諦めろよ。な、俺に毒は効かない。強がりなんかじゃなくてさ。歌姫にも攻撃は当てさせない。分かってるだろ?」

 

 現段階ではワートルテの優勢。不可視の敵に選択肢があるなら、それはヨザマと合流してからだ。余力を温存させてしまうが、使わせる前にヒティーアを脱出する。

 

「毒は効かず、英雄の技巧を会得したとして」

「……!」

 

 異国の楽器のような声。人族ではない。蜘獣がすぐそこまで接近していた。血入りの注射器を落として網目を通すよう蹴り込むが、防がれる。目に見える糸の檻のさらに外に、細糸の障壁がある。

 

「どうして黒獣を殺したか」

 

 蜘獣はワートルテに話し続ける。黒一色の目は焦点が定かでないが、詞術の詠唱が無い限り力術の攻撃も工術の再構成もできない。ナイフで切れ目を作り、次段で注射器を打ち込む。力点を変える事で、一蹴で同時に実行できる。

 

「怖かったのだろう」

 

 懐から道具を落とすよりも早く、背中に複数の刺突の感触が。詞術の気配はなかった。シパースの欠片に糸を結び、単純な振り子の絡繰で攻撃された。詞術を介さない技術を知っていたはずだった。

 

(けど、ただの筋弛緩剤じゃ……)

「だから殺した。黒獣の特異性は聞いている。触れた者を必ず殺す。恐ろしい能力だ」

 

 耐食性の高い金属でも叩けば曲がるように、万の毒に抗体のあるワートルテであっても死に至る。テミルルクの権能は系統が違う。あれは極小規模の物理的な攻撃だ。

 

(だからどうした。テミルルクはトラジが駆除した。結局は獣だったんだ、もうこの世にはいない)

 

 シパースの欠片が飛ぶ。星型の鋭角でワートルテを突き──

 

「……あ、クソ」

 

 膝から崩れ落ちる。下半身不随に陥っている。

 見落としていた。意識を逸らされていた。あれは既に糸の檻の外側にある。

 

 本当に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「死体を漁るッて恥を知れよ」

 

 フィクメロウは定点から砲撃を行うだけの砲兵ではない。環境を応用し、優位な陣形を構築する工兵である。この戦場ではテミルルクの遺骸が無上の環境要因だった。工術は、黒獣の纏う霧を含むようにシパースの欠片を再構築できる。

 ワートルテは“黒曜の瞳”の鬼族であって、人族ですらない。人道的に扱う必要はなかった。故にフィクメロウは殺意の術計を選べる。

 

「まだ俺は為してないッてのに……」

 

 全てを蹴りで迎撃していた。足の筋肉を司る電気信号が途絶していく。やがて血流に乗って、全身の自由を奪うのだろう。どんな毒物よりも悍ましい異物がワートルテを食い荒らす。

 

「お前は貢献したぞ」

「世界の平和にか?」

「違う、蜘獣の未来にだ」

「は、ならレハートも殺してくれよ。できるだけ苦しめた上で」

「それで蜘獣が生き延びるなら」

 

 大量のシパースの欠片が浮遊する。閉塞感と体内に打たれた死の予感で呼吸が辛い。恐ろしい。誰にも、勇者にすら恐怖の抗体は存在しない。

 

「……離れてろ」

 

 従鬼の力で歌姫を遠ざける。ここで万が一にも巻き添えにはできない。良心ではなく、彼自身の為に。彼女が英雄として黒曜を倒すのであれば、彼の目的も半分は達成される。その芽を摘んではいけない。

 ずっと彼は一人だった。統率が心身を支配する“黒曜の瞳”の中、呪縛を抜け出して独力で正しい悪に戻そうとした。どこで間違えたのか。あの冬の日、乾いた葉と共に“黒曜の瞳”を瓦解させていればよかったのか。わからない。

 彼の最後の世界すらも、黒く奪われていく。

 

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