崩天地壊郷   作:山明鏡 紫水

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金槌の君へ

 大きな書机と、文献と試料がみっしりの棚。それと工作器具が少し。かつてあったテルキの作業場の光景だ。窓はなく、常に吊るされた照明だけが室内を照らしていた。薪もガスも使わぬ灯りだけでも文明の格差が見てとれるが、ナズカにとっては造られた時からそれが当たり前だった。

 彼女が封印される前の記憶に、テルキとの会話がある。

 

「夢だったんだ」

 

 下半身がまだ完成していない胸像のような彼女の頭部を撫で、そして恍惚に目を輝かせていた。

 

「ゆめ」

「ああ、ロマンだ」

「……どっちなの?」

「同じだよ。ざっくり括ると、夢っていうのは頑張れば叶えられる希望。ロマンは荒唐無稽でも諦めきれない希望だ。俺はそう思っている」

「ちがうじゃないの」

「俺は元々“彼方”の──面倒だな。要はナズカ、お前は希望なんだ」

 

 何故テルキはNAZシリーズを作ろうとしたのか。

 魔王自称者として、討伐される前に配下のガルナーたちを危険から遠ざける。それも一面では正しい。だが、明かしていない真意がまだある。

 

「この世界はいい。とてもいい。物の(ことわり)の制約が緩いんだ。“彼方”じゃ無からエネルギーを生み出すなんてあり得なかった。永久機関も実現できる。それに工術。キララのように気体も対象にできるなら、空気よりも軽い素材を加工すれば人の夢はもっと広がる。天空の城だって造れるだろう」

 

 片眼鏡(モノクル)の向こう側が違う景色に繋がっている。“彼方”より隔絶した異世界に。

 

「俺たちで叶えよう。もっとロマンを」

 

 本棚から擦りきれた地図を書机に広げる。建築物や領土の分け目もなく、地形や地質だけが記されている。調査用のドローンを設計し、精度の高い地図を集めていた。

 

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「そんなこと……」

「できるさ」

 

 NAZシリーズはガルナーたちと離れた後も開発を続けられる為の物。ならば開発するものがあるはずなのだ。

 冗談のような話だがテルキは真面目な顔で話している。事実として“客人”は不老であり、機魔も命の核を破壊されない限り不死身だ。無限の情熱を持つテルキに挫折は存在しない。

 

「もちろん一足飛びにはできないだろう。だからナズカ、お前が始まりだ」

 

 飛沫のような薄い火傷痕のある手が、図上のヒティーアを丸く囲む。

 

「まずは山岳規模の機魔から。次はそれで国規模の機魔を。さらに次は大陸規模の──。そうして漸近的に拡張し、最後はこの星を機魔に作り変える」

 

 ガルナーの恐れた異常な出力は、最初から想定通りだった。最適な構造の為に土壌改質や地形変動など、やるべきことは多い。それでもテルキならやりきってしまう。その確信が生まれたばかりの彼女にもあった。

 

「ガルナーたちはしってるの?」

「いいや? 彼らは俺ほど長生きできないからな。傑作の完成を見ないで死ぬなんて、俺なら絶対に嫌だと思ったから伝えていない」

 

 膝を組んで、物憂げに首飾りを開く。中には妻との銀板写真が収められている。本格的にテルキが動き始めれば会えなくなる。孫や息子にも、未練はある。記念の写真の一枚でも撮っておくべきだった。けれどもう止められない。それがロマンであるから。

 

「それに、俺はバーナードにはならない。きっとこの世界の発展が夢だったんだろうな。優しすぎたんだ」

 

 精髄のバーナードという“客人”がいた。棺の布告のミルージィと共に蒸気機関を普及させたが、魔王自称者に認定され、そして毒を盛られて死んだ。直接の面識はないが、才能の上限が蒸気機関の再現程度では“客人”になれない。“彼方”の史書に名前が残っている。バーナードは、このくらいの発展なら許されると勘違いして、読み違えたのだろう。彼やテルキは学者であって政治家ではない。

 首飾りを胸のポケットに入れ、再び視線を合わせる。

 

「俺は、お前たちだけが熱意を肯定してくれれば良い。弱みがあればつけ込まれて、失敗する。タチの悪い奴らはそういうのを見逃さない。最悪は死ぬんだろうな。だから俺は仲間を切り捨てて家族を見放す。全部を俺とお前たちだけで賄うんだ」

「いいよ。がんばろう」

「ありがとう……本当にガルナーたちにも教えちゃダメだからな?」

 

 そう告げると、地図を棚に戻して作業場から出ていった。他の機魔の調整があるのだろう。

 彼女とテルキの記憶はこれしかない。だが最初に見た輝きだけで、ナズカはロマンを共に叶えたいと思えた。心の造られた機魔はその得難さを知っているから。

 

 

────────────────────────────────

 

 

「準備はよくって?」

「死ぬな。目論見はわかった。だがそれまで生きていられるはずがない」

 

 ヨザマが掃射の装填を始めるのと同時刻。森の中に二人の人間と蜘獣がいた。麗しきイザベルと岳城のフィクメロウ、そして男。平凡な身なりで、武装は吊るした銃が一つ。しかし彼らはヨザマの出した答えではなく、まったく別の解答を試そうとしている。

 体を柔軟にほぐし、見せびらかすように袖をたくしあげた。砂の雲を見上げる。今からナズカを止める。そのための経路を仮想している。

 

「死なないさ。俺の──いや、もう猶予がない。これ以上ナズカに動かれると本当に打つ手がなくなる」

「それでは」

 

 歌が聞こえる。手を使わずに壁を駆け上がり、羽ばたかずに空を制する軽業師の“客人”の歌。熱唱が轟音に消えぬ内に、男が走り出す。肉体の動きのみの教授、体構造の類似、イザベル自身の技巧の理解。全て達成している。

 八百度近い熱気の層を破り、マグマの塔に足をかける。真の禁域へと。大地をたわませて、成木の丈までを優に跳ぶ。踵の力で僅かに凹ませ、そこを足掛かりにして走る。一ミリでもあればいい。

 一歩。足跡が長く鋭い(とげ)に変わる。そこに留まっていれば串刺しにされていた。

 ここからは時間との勝負だ。ナズカの攻撃をいなして終点まで登る必要がある。この悲劇を決着させられるのは彼しかいない。彼だけは彼女の命がどこにあるかを知っていた。

 

(触れれば特定される。ストロークを長く、できるだけ接触を控える。歩幅を均一にするな。次の着地点を計算させない。カメラも警戒しろ。砂煙がいくら邪魔で、倍率が低くても、認識されるだけでデメリット)

 

 二歩、三歩。棘よりも早く次の歩みを。山の中腹には油膜めいた、てらてらとした反射が点在していた。カメラのレンズ。それを睨んで、斜めに駆け上がる。監視をナズカの巨体で切る。

 

 四歩、五歩、六歩。速すぎる工術の生成で空気がだぶつく音すら聞こえる。死神の足音を歌姫の歌唱で中和させる。道程を見るべきではない。視点を固定して流せば、次の瞬間には茨の道になる。前傾姿勢を深く。

 

 七歩、八歩、九歩、十歩。次を。予測されてきたのか。棘が爪先を掠める。逆らわずに跳ねて、前転。片手の第一指関節のばねを利用した。軽業師の技能。一握の砂を掃いて立つ。

 

(……先を越された)

 

 十歩を踏んで、目前には壁が。逆斜面の返しが工術で形成された。ここで止まれば棘に縫い付けられ、滅多刺しだ。走るしかない。

 両足が宙にある間で吊るしていた銃を抜く。ダイアルと歯車がついており、弾丸の代わりに衝撃波を射出するその銃をショックガンという。工廠で製造された一品を拝借してきた。

 

(まだ薄くて助かった)

 

 返しを衝撃で割り、歪な穴を抜く。空中で撃ったために反動が肩を突く。重力以上の速度で落ちる。棘に逆の手で掴まって回転。加速を乗せた歩みで障壁を過ぎる。

 子供のような後手後手の対応でさえ手に余る。知略が授けられていればどうなっていたか。その未来を望んでいたとはいえ、恐ろしい。

 だからテルキはNAZシリーズを作ったのだろう。己の夢とロマンのために道理を引っ込めさせるだけの力を求めて。自分の力を恐れる者が、殺しに来ることを予測できていたから。

 

(まだやれる。ショックガンが想定外だったなら、もたついて次の一手まで猶予がある)

 

 ナズカに戦闘の手順はインストールされていない。テルキの警護は“黄”の役目だ。それでも、このような惨劇を引き起こしてしまう。英雄の偉力を融かし権謀術数を潰滅させる、終わりを始める一機。逸脱の天才が命を燃やした熱意の結晶は伊達ではない。

 

 十一歩。読み通りに一手遅れている。蛇竜を跨ぐ歩幅を稼ぐ。一歩ごとに最速が更新される。凝った奇襲は不要だ。

 棘の生える余震。しかし足裏に伝わる震源の距離は離れ、数も多い。今の跡からではない。どこから。

 

「下か!」

 

 発砲。壁面が剥がれ、反動で浮き上がる、右の肩と肘、左の脇腹をくり貫かれた。足と体幹を外させることしかできなかった。

 棘が伸びて、極彩色の染みと共に上へ運ばれる。一度工術で加工した部位も再加工できる。通過した逆斜面の返しから剣山が錬成されていた。ナズカの体表にいるならば必中となる範囲攻撃。開けた穴も埋められ、落下もできない。

 

(次の手は、工術が残ってる。夢は、まだ……)

 

 ショックガンは左手から取り落としていない。だが肘を曲げて胴を貫通した棘に標準を合わせ、除去するまでは間に合わない。次は棘自身が再加工されて、根のようにさらに細く分化していく。前後左右どころか内外上下すら串刺される空間。磔にされた彼は逃げられない。

 

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