崩天地壊郷 作:山明鏡 紫水
歌が聴こえる。
世界を隔てた“彼方”の音が、滔々と白い喉より伴奏を押し退けて奏で翔ぶ。意味の通ぜぬ単語も多い。心を、涙を、鼓動を、脈打つ身体の全ての変化を合理で処理できる生物などいるのだろうか。
世界の外で生まれた“客人”は、内で生まれた者に理解できない常識を持つ代わりに詞術を使えない。だというのに彼女の
さもありなん、詞術の有無を超越するほどの逸脱者でなければ“彼方”からは追放されまい。この歌い手も、そんな客人の一人だった。
「────素晴らしい。嗚呼、素晴らしい。こんな陳腐な感想しか言えないのが申し訳無いが、最期に貴女の歌が聴けて良かった」
寝台に横たわる浮島のガルナーはその湿った両掌を力無く、けれど取り憑かれたように何度も叩いた。毛布の裾は涙に冷たくなっていたが、包まれた彼の体は対照的に熱く高揚していた。頬がほのかに赤く染まっている。
「注文に応えてくれてありがとう、これで安心して眠れそうだ」
「依頼者に頼まれて歌うのが私の仕事ですから。かの魔王自称者……鯨波のテルキの
「…………もう最期だ。ついでに一つ昔話を聞いてくれるか?」
──鯨波のテルキは周知の通り“客人”である。この歌手と同じく詞術を使えない。いくら頭の中に完成像があれど、自分一人ではどうすることもできない。だからこそ彼が描いた設計図や発想を、他の職人が形にしていく必要がある。ガルナーはその職人衆の一人だった。互いの齟齬は当たり前、それでも彼らは愉快にやっていた。
そんな日常の中で、遂にテルキが魔王自称者として認定されてしまった。もっとも、共にいた彼らはテルキが望んで人に害なす事は無いだろうと笑っていた。現に世間からも疑問の声は少なくなく、黄都も堂々と討伐する事はできないようだった。仮に彼を討伐しようとした場合、兵器群による反撃が未知数だったというのも一因だろう。
「兵器ではなく、兵器を持つ者に罪があるというのも大きい。“彼方”でも爆薬は最初は平和利用が前提だったらしいじゃないか」
「ダイナマイトですね」
「そう、それだ」
黄都は表だって攻撃できず、細々とした小規模な妨害に抑えるしかない。だが研究に勤しみたいテルキとしてはその妨害すら鬱陶しい。追い打ちをかけるように、仲間の一人が兵器を悪用していた事が発覚。結果として彼はガルナー達数名と共に、長年暮らしていた街を離れた。そうして流れ着いたのがヒティーア地塁街、山間の小さな街。
「彼は私たちをいつも心配してくれた。魔王自称者に付き従う私たち、ひいては私たちの家族まで」
町外れにひっそりとしたラボを建て、世に作品を発表せずに秘かに楽しむ。だが前科がついてしまったため、もう楽観視できる状況ではなくなったのも事実だ。テルキはガルナー達との繋がりを最小限にするために、数体の
「NAZシリーズ。確か意味は“彼方”の言語で『
その内の一体が、問題だった。
失敗ではない。逆に完璧過ぎるほどの傑作。その権能を目の当たりにしたガルナーは、自分の作品に慄いた。長い研鑽を積んでいたのでも無く、生まれてすぐに見せられた力でさえ彼に苦渋の選択をさせるには十分な能力だった。
「これでも私は職人の端くれ。自分の作品を壊す事はできなかった……だからテルキの寝た夜中に、棄てた。誰にも見つからないように、拾われないように」
「もしかしてヒティーアを──」
「メルサラン」
「すいません」
だから彼はテルキの
歌姫の後ろに控える一人が何かを言いかけるが、ぴしゃりと歌姫に止められる。歌姫はむしろ別の疑問を抱いていた。
「ガルナー様、見つけてほしくない物を私たちに話してしまって良かったのですか?」
「いい。どうせ見つけられないし、見つけてもどうにもならない」
扉を使用人が叩く。どうやら次の来客があったらしい。人も少ない、寂しい邸宅の中では物音もよく響く。窓の外では瓦斯灯が夜を照らしていた。
「こんな時間に約束は無かったはずだが……すまない」
「いえいえ、それでは私たちはこれでお暇しましょうか」
「また依頼するよ。彼らを外まで」
「かしこまりました」
ガルナーはこの時間の来客を訝しんだが、来ているのは事実だ。使用人に案内され、部屋を引き渡すように歌姫とその楽団は次々と踵を返す。
「……イザベル様」
「ヒティーアの事でしょう?」
「はい。確かあの町は」
メルサランと呼ばれていた青年奏者が歩きながら歌姫に耳打ちする。それはガルナーの語りの最中にも抱いた疑問。そしてその問いの答えを美声は知っていた。
「ええ、
彼女はまだ“彼方”に歌手の職業が成立する時代に、此方に流れ着いた古参の客人である。それだけに此方の世界での記憶も多く、ヒティーアについても聞いた事はあった。
確かに十年以上前のヒティーアはガルナーの言うとおり長閑な町だった。しかし、既にその町は消滅している。竜の気紛れな襲来でも、魔王軍の厄災でも、黄都の攻撃でもない──否、その滅亡の原因は誰にも分からない。
ヒティーアの原因不明の事件を聞きつけ、小一ヶ月を経てば多くの者が現地に赴いた。そこで目にしたのは、侵入者を阻み拡がる濃緑の樹海だった。いくら発展していなかったとは言え、時々覗く瓦礫以外に町としての形式も何もない、地面すら苔と根に覆われた樹海。
だがそれだけならば、まだ人の手による開拓と解明もできる。消えた歴史を読み解ける。
それは立ち入った者が突然消失するような奇怪な事件が無ければの話だ。腕の立つ護衛を雇った調査隊も百人を越える調査隊もあったが、その悉くが溶けるように失踪してしまった。遺骨すら回収されていない。
誰が、何のために、どうやって。不可解な謎に包まれたヒティーアはいつしか“最後の地”やヤマガ大漠等に次ぐ、いわく付きの地となり立ち入る者はいなくなった。異常な短期間で醸成された禁域である。だからテルキを探す機魔も里帰りできなかった。
「そんな土地に、魔王自称者の右腕すら恐れた兵器が眠っていた」
「最近ではテルキの遺産についての話も流れているようですし、もしや同じ物なのでは」
「さあ? それは直接行かなければ分からない。私としてはそれに集う英雄の方が興味あるわね。あら、ごきげんよう。こんな夜更けに何の用かしら?」
「……関係ないだろう。退け」
夜更けの静かな門を楽団が抜ける寸前、門の外で待っていたのは十数人の兵に歌姫は陽気に手を振る。彼らがガルナーの新たな来客であるのは明白だった。一律に吊るした装備から正規の黄都兵だろう。夜中にも関わらず任務中なのか返答も威圧的だ。まだ普及していない歩兵銃を指し棒のように向けられる。
だが歌姫が気圧されることはなかった。銃口など見慣れている。怯えた嬌声よりも、ころころと鈴を転がす朗笑が前に出る。他の楽団員も眉一つ動かない。
「そんな冷たい事仰らずに。黄都の皆さんがわざわざ夜分遅くにお越しになるほどの案件に興味もありますし……もしや魔王自称者テルキの遺産についてとか?」
「……ガルナーめ、死期を悟って口が軽くなったか」
「軽くなって喜ばしいのはそちらもでしょう? まあ既にどこからか噂の形で流れているようですけど」
異界の叡智や逸脱した技巧を詰め込んだ魔王自称者の遺産。テルキに限らず、討伐された魔王自称者たちは何らかの隠し財産を残したと定番のように囁かれる。与太話であることの方が多いが、真実なら“本物の魔王”が死んだ泰平の世を制するためには放っておけない危険因子だ。破壊するにしろ御するにしろ詳細な情報が必要となる。
テルキの失踪から四年。突然流れた噂だが、情報を握っているとおぼしきガルナーのもとに黄都の一部隊が確認しにくる程度には危ういと睨まれているらしい。
飄々とした態度を崩さない歌姫に、先頭の部隊長らしき兵が歯噛む。彼女の楽団が入口を塞ぐ限り、彼らはガルナーの屋敷には入れない。
「もう一度だけ通告する。退け」
「いいえお断りします。黄都に獲られるなど、ありふれた結末ではつまらないですもの。もっと野心ある有望な者に獲ってもらわないと……メルサラン、殺しちゃ駄目よ」
「弦楽器隊、構え」
この時間帯に予約も無しに会いに来るというのは些か不穏だ。もしも望む情報が得られなかった場合、ガルナーは人知れず霞に消えかねない。ガルナー、ひいては後に続く探索者のために拒絶する。
手を打ち鳴らせば、楽団が半円に広がる。そして各自が楽器箱から取り出したのは楽器と、歩兵銃。
歌姫が歌う。
「斜陽に奔れ/早の影は寂滅──」
「おい黙れ……っ?!」
危機感を持った若い兵が歌姫を止めようとするが、銃口から飛び出した弾丸が足を的確に貫く。弦楽器だけが欠けた演奏が始まった。硝煙が香りだす。
「宵闇に散華す朱の花/花弁は轟き消え入って──」
あるものは曲に重奏を、またあるものは敵に銃創を。
勃発の戦闘、初撃にて数人の兵が倒されたが、それでも彼らは精鋭の範疇である。態勢さえ整えればすぐに反撃できると思っていた。たとえ歩兵銃を揃えていても、扱うのは無力な音楽家。人数で劣っていても問題なく制圧できる。
「気をつけろ! 三時方向に腕の立、ガァッ!?」
「館の方にもいるぞ!」
「違う、全員だ。あの銃口全てを警戒しろ!」
「……なんで」
しかし戦況はむしろ悪化し、負傷者は増える一方。今も完全な死角からの一弾が兵の右肩を貫いた。発砲音は歌声と演奏により掻き消える。射手がどこに、どれだけいるのか判明しない。瓦斯灯の届かぬ暗がりに発砲時の火花がわずかに見えたとして、次に被弾するのは明らかに射線上にはいない兵だ。互いに背を預けた結果、真上からの弾丸に籠手を貫かれた者もいる。超常の軌跡を描いて飛翔する魔弾を、如何にして避けろというのか。
「なんで、ただの楽団がこんなに……どこの軍隊でもこんな技術は、いや、そもそも」
ある兵はその絶技を可能とする人物を知っていた。だがそれは不可能だ。彼女は今、遥か遠くの魔王自称者の居城を攻略している最中である。何よりも彼女はこの世に一人しかいない。
目の前の不条理に吼えた。
「これは、“黒い音色”の技術じゃないのか?!」
「演奏の邪魔をするな」
世界から逸脱した銃撃を、何人もが同時に披露するなどあり得ない。大人数が所有する技能を逸脱とは呼ばない。あり得ない。
だがこの地平には不可能を可能にする、特異持つ客人がいる。歌姫──麗しきイザベルは歌劇に手拍子を叩かせるのと同様に、逸脱した歌唱力で英雄の武技を聴衆に伝授することができる。
条件は三つ。
一つ、教授できるのは肉体の動きのみ。内面は不可能、戦術眼や超感覚までは付随しない。
二つ、体構造の類似。粘獣の流動や鳥竜の航空能力を人体で再現することはできない。
三つ、イザベル自身の技巧理解。歌姫が解していない光景は、脳裏に描けない。
この条件さえ揃えば、彼女は誰もを英雄に仕立て上げられる。
名も武勇も知られぬ男の弾丸が、また一人倒す。流血部位から致命傷ではない。手加減されている。黄都の兵が。
「……クソッタレめ」
こんなはずではなかった。老いさらばえた男一人を尋問するだけの任務だったはずだ。気が付けば残りの部下は四人……今一人膝をついて倒れた、三人だけだ。元凶ははっきりしている。あの歌姫だ。しかし彼女に接近しようとしたものは尽くが三発以上の報復を受けている。
(待て)
まだ運用は本格化していないが、部隊長だけは歩兵銃を携帯していた。そして何より彼は気がついた。
この歌唱を聴く自分にも“黒い音色”の技術獲得は可能ではないか。
酔夢のような奇妙な全能感が手を動かす。銃身を手首の動きだけで回す。そのようにして遠心力を弾に与えている。標的は歌姫。迎撃の弾丸を掻い潜る軌道、地表間近を滑空した後直撃寸前に急上昇し顎下を穿つ未来が見える。
「あら、気づいたようね。メルサラン」
「次。吹奏楽隊、構え」
だが撃つ直前に歌が終わる。銃弾は一メートルも飛ばずに地面へめり込んだ。歩兵銃が仕舞われる。演奏から吹奏楽器が減り、弦楽器が加わる。彼らは演奏の役割分担と同様に、扱う武器を決めている。次にどの武器が逸脱の技能を獲得するか、彼らにしか理解できない。必ず敵は後手に回らざるを得ない。
「悪逆淋漓の濁血よ/我が剣には栄光の鞘──」
高らかに次の曲を歌う。磨かれた長剣が楽器箱から続々と現れ、演奏を始めた。
「…………嘘だ、嘘だろう?」
ごとりと歩兵銃を落とす。魔剣を持たぬ限り、銃の方が剣よりも強いというのは商人の売り文句で何度も聞いてきた。だがその剣には勝てる気がしない。しかし同時に腰に吊るした剣を抜く気さえ沸かない。そんな暇があれば斬られると知っているから。刃向かってはいけないと教えられているから。
その構えは、誰よりも正しく。黄都の兵なら、この世界に住む人族ならその姿を必ず称えている。唯一単独による竜殺し、人類最高の英雄。
「あなたが英雄に成れたなら、また会いましょう」
それは、“絶対”だ。
それは史実に残る英雄の技を、不老の体にて語り継いでいる。
それは万人の喜怒哀楽を掌握し、獣の涙すらを自在に操る。
それは声を介して、卓越した武技を聴衆に鞭撻することができる。
並ぶ兵卒の全てが英雄と化す、凱旋旗下の乙女である。
麗しきイザベル
次回投稿予定は明日です