崩天地壊郷   作:山明鏡 紫水

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“地知らぬ”

「おお、空人(ハーピィ)か! 初めて見るな。ガルナー、お前は?」

「あるわけ無いだろ。空人自体が希少だ。爺様の世代にはまだそこらにいたらしいけどな。生き残っていたとは」

 

 彼らとの出会いは十年前だった。片眼鏡(モノクル)を着けた、線の細い人間(ミニア)山人(ドワーフ)に迫るほど頑健な人間。キララがまだ母の背にしがみついている頃に、山道で偶々出会った。

 

「この山は良い。人が来ない、地質も良好、おまけにエネルギーも溢れてる。ここに住まわせてもらっても?」

 

 キララの母親は特に深く考え込む事もなく、怪しげな二人の移住を了承した。懐が広いのではない。他に何人来るのか何のためなのか、そもそも彼らは何者なのか。何も考えていない。空人は知能の低さ故に衰退した種族でもある。人間(ミニア)も竜から生存圏を獲得できたように、空人も知能さえあれば鳥竜(ワイバーン)に対抗する術を手に入れられただろう。

 

「ありがたい。ならこちらも何かを礼をしなくては。とはいえ俺にできることなどせこせこ設計図を引くくらいだが」

「なら鳥竜用の対空兵器でも造ってやるか?」

「いいアイデアだ。空人も同じ空を飛ぶなら爆発系散弾系は駄目だな。高速の標的に当てるために、目標地点まで追い込むだけの知能を付けるのは詞術じゃ難しそうか?」

「そりゃあ熟練の弓手級だろ、遠距離の識別機能だけでも厳しいぞ」

「ならタイムラグの無い雷撃の詞術を……」

 

 がやがやと話していた片眼鏡の人間の眼が、母の背をやっとまともに見た。母親は警戒したように背の奥へ幼い娘を反射的に隠す。知能の低い空人にも、子孫を守る野生本能は残っていた。

 娘の肩の先には、母と同じ金の翼がある。しかし翼があるのは片腕だけだ。もう一方の腕には何も無い。

 彼女たちは細々と小さな群れを作って生き延びている。それでも、空人という種族が健全に生きるには数が減りすぎていた。近親交配による隻翼奇形の空人にして、この(そら)における生き残りの一人。この二つが彼女の冠する称号だった。

 

「待て待て待て、その子はもしかして隻翼なのか? 責めてるわけじゃない、他者との違いは一番単純な至高のロマンだ。素晴らしい。だがそれなら義翼でも造った方が……」

 

 両手を白旗のように振る片眼鏡の人間は、本当に奇形児への拒絶感がないようだった。それどころか羨ましそうにすら見える。頑健な方はもう空人に割く好奇心がなくなったのか、新しい構想を練り始めている。体格に似合わず、紙上をペンが機敏に走る。

 

「おい。義翼もいいが、先に砲撃機魔(カノンゴーレム)を造るぞ。義翼は後だ。防衛機構さえ完成すれば他の空人も安全になる。地対空だけでいいよな、さすがに地上から空人を狩ろうとするバカはいないだろ」

「そうだな。だがガルナー、俺たちはまだ自己紹介すら済んでないぞ。それはいくらなんでも不味いだろう」

 

 軽く頭を下げただけで手は差し出さない。手の無い空人に握手という文化が存在しないだろうというのは少し考えれば分かる。

 

「俺は鯨波(げいは)のテルキ。“彼方”じゃ芦屋 輝樹って名前で学者をやっていた。そして今では魔王自称者に認定された犯罪者だ」

 

 これが地知らぬキララの始まりだった。

 

────────────────────────────

 

 雲の無い蒼穹を、金と銀の翼がはためく。

 キララの歳が七に近づく頃、隻翼であった彼女にはもう一つの翼が与えられていた。それは金属製の翼である。肩の運動に応じてしゃらしゃらと細動する扇のような翼は、素材の質量を元来の翼より大きく超過しながらも飛行を可能とする、まさしく逸脱の開発力による賜物。

 軽やかに空を舞うキララに、紙袋を抱えて近づく男がいた。鯨波のテルキである。

 

「ようキララ。翼の調子は?」

「悪くない」

「そうか。だがたまには詞術も使ってやってくれよ? ガルナーの奴、自分の生徒が離れて寂しがってたぞ。ちゃんと詞術は覚えてるか?」

「大丈夫。【キララよりヒティーアの風へ。吟う玄海。白蝋の爐。埋まれ】、うん、覚えてる」

「なら良し」

 

 何もない空中に腰掛けたキララを見て、満足したようにテルキも木陰に座った。紙袋からまだ温かいパンを取り出す。麓の街から工房までは遠いが、旨い飯を食べるために戦車機魔(チャリオットゴーレム)を造ったかいがあった。

 

「食べるか?」

「いらない。魔王自称者、人間(ミニア)から食べ物も売ってもらえない」

「……教えたのは誰だ、ガルナーか? 前の街はそうだったが、ヒティーアは大丈夫だ。みんな優しいよ。それに、最近はナジコスも完成した。物資には困らない」

「ナジコス?」

 

 キララの返答にテルキは呆れたように同胞を謗るが、キララはそれどころではない。知らない名前に気もそぞろだ。彼女はラボの全員の名前を記憶している。空人の知能でも記憶可能なほど少ない人員であり、それだけ深い繋がりを築いてきた。彼らの作り出した作品も、理解できずとも何度も見てきた。

 

「ああ、次の機会にでも連れてくるさ。今はガルナーたちと勉強中だ。もっとも、何回会ったところで彼女を見つけるのは難しいと思うが。それよりもこのパンは食べるのか? キララが食わないなら捨て──」

「じゃあ食べる」

「それでいい」

 

 テルキがパンを放り投げる。座った姿勢から、滞空しているキララまで届けるには無理があった。力んだ様子はない。しかし最初からただ渡すだけのつもりでもない。

 

「【キララよりヒティーアの風へ。手招く翡翠。跳ねろ】……意地悪」

「落としたら新しい物をやるつもりだったさ。冷める前に早く食え」

 

 突如発生した上昇気流がパンをキララまで届ける。空気を焦点とした力術。詠唱を最短で完成させる判断力、その上で成功させる想像力が身に付いている。両の翼でパンを抱えたキララは、眼下で満足げににやけるテルキをじっとりと睨み下げた。そんな視線はどこ吹く風と、魔王は袋から同じパンを取り出した。齧ると片眼鏡が曇る。

 試されたのは腹は立ったが、貰ったパンは温かく柔らかい。キララもかぶりつくと、中には赤銅猪の肉を甘辛く煮込んだものが詰められていた。

 

「今回は青桃の砂糖漬けじゃなかったが……これも旨いな。ガルナーの奴、どうやってこんな店を探して来るんだ?」

「ふふ」

 

 テルキはこのように、何かが隠されているパンを好んで食べるとキララは知っている。そして毎回中身に喜び、たまに驚く彼が好きだった。全てを知っているように見えるテルキも、自分と同じ所があると分かるから。こんな日がずっと続くのだと、キララは疑わなかった。しかし、その楽天的な観測はすぐに崩れることになる。

 

 それからちょうど七日後の朝。天が灰に染まり、影も朧な日だった。

 ガルナーを始めとした、テルキ以外のラボの住人が戦車機魔(チャリオットゴーレム)で慌ただしく下山しているのを上空からキララは見ていた。只事ではないと察知した彼女は、テルキを探しに行くか戦車機魔を追いかけるかを逡巡し、テルキを探す事に決めた。他の人間の安否は分かったが、彼だけは分からなかった為である。

 しゃらしゃらとラボの前へ降り立つ。扉は開け放しになっており、閑散とした内部に座り込む人影が見えた。いつもは謎の光源で明るいはずの室内も今は暗く、恐る恐るでも中へと入り、誰何するしかなかった。

 

「誰?」

「……キララか」

「どうしたの? 他のみんなは?」

「ちょっとした……喧嘩、そう、喧嘩だよ。あいつらは追い出した。何故だ、あの娘を危険と決めつけるのは早すぎる、しかも今更だ。俺たちで正しく育てれば……」

 

 返ってきた声は、よく耳に馴染むテルキの声だ。しかしひどく草臥(くたび)れている。不眠不休で大一月を過ごしたような、そんな声。“客人”の彼に老化の概念はないはずだが、漂う雰囲気が老けている。

 どうしてここに一人でいるのか、ガルナーたちはどこへ行ったのか、何故そんな声を出すのか。幼いキララの疑問は尽きない。

 最終的に一番安直な問いに帰結してしまう。それは本能的にキララが察した、最も重篤な感情だ。

 

「寂しい?」

「寂しい……そうだな、寂しい。妻も子も、仲間もいないんだ。なあキララ。お前がもしどこまでも飛べるようになって、俺の家族や仲間に会えたら、言伝てを頼んでもいいか?」

「キララはうまく飛べない。母様や父様じゃだめ?」

「ああ、だめだ。キララじゃなくちゃ」

 

 空人がこの地で生きていけるのは、砲撃機魔の庇護があるからだ。庇護を失えば鳥竜には勝てない。だから彼女の一族は生息圏を減少させている。その中で唯一、詞術を教授されたキララだけが希望の翼になり得る。

 テルキの頭脳は最悪の苦境に適応し、最適解を導いていた。

 

「わかった。いいよ、言って」

「ありがとう。そうだな、俺は───」

 

 

────────────────────────────

 

 

 明かりの乏しい夜空に、金の翼が揺蕩う。

 あれから全てが変わってしまった。煌めいていた麓の町は真っ黒な樹海に変貌し、ラボとテルキはどこかへ消え去った。謹製の義翼も一族も、あの日の破滅によって熔け落ちた。辛うじて残っていた町外縁の四機の砲撃機魔と教授された詞術が無ければ、流浪の鳥竜(ワイバーン)に貪られて地に墜ちていただろう。残った物はそれだけだ。

 広大な空にたった一人の孤独。あれから何年経ったか、暦を持たない彼女は無知だ。それでもテルキに託された伝言だけを支えとして、毎日詞術の有効範囲を拡大すべく歩んでいる。今はまだこの空域から出る事は不可能だ。それでも、いつかは。

 

「覚えてる。キララはまだ伝えられる」

 

 ラボのあった場所の上空で、テルキの伝言を反芻する。毎晩の慣習だ。彼女は自身が愚かであると、賢しい人々と共に過ごした事で認識できている。こうでもしないといつか忘れてしまいそうで、何よりも忘れた事に気づかなそうで怖かった。

 しかし空人(ハーピィ)は思議しない種族である。いくら彼女がどれだけ己を愚者と認識した所でそれは変わらない。テルキの伝言を伝えたとして、そもそも喜ぶ彼が生きているのかを想定していない。あるいはその想定から目を背けている。楽観でも悲観でもなく、観ていない。もっとも、深刻に憂いていれば発狂してもおかしくない状態では幸運とも思える。

 

「……誰も来ない。寂しい」

 

 あの時のテルキも似た心境だったのだろうか。

 彼女に与えられる称号は二つある。

 隻翼奇形の空人、そしてこの地──ヒティーア地塁街最後の生き残りの一人である。

 

 

 

 

 

 

 それは狂った血脈のためにすべてを天に委ねる義務を持つ。

 それは空において地からの庇護によって安寧を保証されている。

 それは地において空からの一方的な暴虐を可能としている。

 理不尽な災禍とその犠牲者を見下す、天上の敗北者である。

 

 観測手(リポーター)空人(ハーピィ)

 

 地知らぬキララ




次回投稿予定は明日です
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