崩天地壊郷 作:山明鏡 紫水
樹海外縁
真新しく荒らされた草道を、男二人がまた踏み締める。樹海に入る前は白い太陽が何にも翳らず見えていたが、今はか弱い木漏れ日でしかない。植物由来の青い匂いが鼻を突く。
「他の冒険者はもう行ったみたいだね」
「橋が修復されたのは今朝早くだと言うのに、野心旺盛な方々ですね。その情熱を窃盗と強盗以外の方向に使えないものでしょうか」
「はは、手厳しいね。まぁ彼らを手掛かり探しに雇ったとでも思えばいいさ」
「……やはりアイラヒ様はお優しい」
過去数百人が消失した土地にいるとは思えない砕けた会話。しかし足下を確認しても肉片は愚か、血痕の一滴も見つからず、苔と根があるべき土を全て隠してしまうほど生の溢れたこの場に死の気配はない。
「優しいんじゃない。彼らの道中に関心がないだけ。爺さんがどこにいるか、生きているかさえ知れればどうでもいい。一々考えてるナジコスの方がまだ優しいよ」
「そう、ですか」
「そうだよ」
遺産を譲らせる事は不可能でも、見つかった情報だけなら買い取れる財力を幸いにもアイラヒは所持している。
だがその財力も自分の物ではない。自分の地位に他の人間がいたとして、きっと同じ成果を出す。自分が無価値だと考えたことはない、しかし替えが利かない者だと考えたこともない。型に嵌まった、量産品だ。何度も考えた事だ。そして何度も、今も憂鬱になる。皮肉な笑いが込み上げる。
隣を歩くナジコスが鋭く警告したのは、その時だった。
「アイラヒ様ッ!」
「何……誰?」
「助けて、助けてくれ……みんな消えた。ここはダメだ、本当に消える。来るべきじゃなかった!」
ふらりと
「わからないが、人を殺すことを嫌がるらしい。だから」
「落ち着いッ?!」
女の手が、宥めようとしていたアイラヒに伸びる。だがその瞬間ナジコスが彼の襟首を掴んで強引に引き戻し、代わりに前に出る。
「ちが、私はただ人質が」
ナジコスの太い首を、ナイフが半ばまで貫いた。冗談のような赤い血が飛ぶ。本来ならアイラヒの首筋に当てられるべき軌道だった。喉の左側を貫かれた衝撃で、体が半回転しながら草の上に
「いいから落ち着いて」
「頼む、お前が人質になってくれよ。それでみんな助かる。私は死にたくない!」
(これは、少し危ないかもしれない)
アイラヒは命の刻印が首ではないと知っている。故に平然としていられるが、彼女は人を殺したと錯乱してしまった。ナイフを震える手から離さず、交渉する余裕もない。
ナジコスはまだ立ち上がらない。死者が甦ったことによる混乱が、動転した彼女にどう作用するか図りかねているためだろう。
「「「「「遂に、人を殺めましたか」」」」」
「ひ、違う! 事故だ! 殺す気はなかった、もうここにも来ない! それでいいだろ帰してくれ!」
「……ここで帰す事で得る利得は」
「「彼女一人の生命のみ」」
「おい!」
「では得る損失は」
「「この地の探索結果。例外の誕生による恐怖の欠如。あるいは“遺産”の露呈の危機」」
「「「「どちらが良い選択か」」」」
彼女の対処法を探し
「いやっ熱……は……う、こほぉえっ」
どろりと一秒前まで人の形であった物が、悲鳴を残して乳白色に溶ける。ころりと木の根の上に転がるのは、血に染まったナイフと僅かな装備品だけだ。溶け出た液体は、低草を湿らせてどこかへ去った。これが禁域に踏み入れた者の末路。比喩でも無く、
「仲間を殺されたというのに、貴方も随分な冷血漢らしい。貴方にも問いましょう」
「「貴方は、何の為に此処へ?」」
声の次の標的はアイラヒらしい。願わくば彼女とは違う結末を迎えたい。
「僕は」
生唾を飲み込む。視線を左右に走らせる。今も自分を狙っているはずの集団は見つからない。
「僕は、彼女の仲間じゃない。鯨波のテルキの孫だ。名は、鉄輪のアイラヒ。祖父を探しに来た」
「……この局面で孫であると供述する利得は」
「「我々の手出しを封じる。しかし彼にはわからない」」
「では損失は」
「「応答に失敗した末路を既に目撃している。特に無し」」
「「では真偽は」」
「「…………証拠が足りない」」
先ほどよりも声が増えている。同じ声質で、数だけが増えている。取り囲まれた。
「「鉄輪のアイラヒ、証拠はありますか」」
「証拠……」
どうすればテルキの孫だと信じてもらえるか。この場にいるのは自分と不可視の集団だけだ。身分を証明できる物はあるか。アイラヒとナジコスの気随な出奔に、貴重な物を持ち歩ける訳もない。
だが物は無くても人なら。
「ナジコス。そう、鯨波のテルキと同胞による唯一無二の機魔。彼女の証言なら、いいかな」
「承りました」
乾きかけの赤黒い皮膚が剥がれ、傷口が新たな装甲で覆われる。光を取り戻した瞳は、森の奥に潜む集団に焦点を合わせている。ナジコスの搭載する機器群は対人限定ではない。不自然な木々の蠢動、声の発生点。倒れていた間に全てを観測し終えている。
「私がNAZシリーズ第ニ号機“白の蹉跌”ナジコスです。そしてこちらの方は鯨波のテルキの子孫だと保証しましょう。私たちが正体を明かしたのですから、あなた方もそうすべきでは?」
「「……ナジコス」」
これは賭けだ。今までナジコスの存命も能力も相手に知られていなかった。それを明かしてしまった以上、他に退路はない。そもそもナジコスの存在が相手に認知されていない場合、欺瞞だと見なされて殺される可能性も拭えない。ただ、相手が証拠を求めている以上は何かしらの情報を握っていると信じて進むしかない。
「信じましょう。その名は、確かにテルキの作品に違いない」
「なら」
「我々は貴方たちの敵ではない」
賭けに勝った。平べったい息が抜ける。
「僕たちは遺産に興味ない。爺さんがどこにいるのかを知りたいだけだ」
「残念ながら、我々が知るのは遺産のみ。テルキの居場所は知りません。そして我々が知らないということは、おそらく既にこの地にはいません」
「……そんな」
「お待ちください。貴方たちは遺産を受けとる権利がある。義務といってもいい。何より、テルキの血縁ならば彼女に会わせなければならない」
森が動く。地を這う根が脈打つ。彼らは不可視なのではない。この樹海その物だ。
「我々はヨザマ。時代が追いつくまで、ヒティーアの遺産を眠らせておく為にここにいます」
「
「ですが貴方ならば、遺産の正当な相続人ならば、渡すのも
全身を樹木で構成した獣が、十数体。林間に混じる彼らを見つけるのは非常に困難だ。また根獣の毒は神経から弾ける猛毒、人体を瞬く間に溶解させる。侵入者の痕跡を消すのにこれほど重宝するものもない。仮に奇襲を防げたとして、猛毒を持つ根獣が雲霞の如く襲ってくる。逃走の望みは皆無に等しい。
「まずはこちらへ。鯨波のテルキから貴方への伝言があります」
「爺さんに会ったことが?!」
「我々ではありません。詳しい説明は後で。ここはまだ浅い、他の者が来るかもしれません」
ぞろぞろ列を為して根獣が先導する。振り返って見ても、後ろには根獣が一体もいない。アイラヒが逃げるとは考えていないのか、それともまた隠れているだけなのか。どちらにせよ、祖父からの伝言があると教えられた時点で帰る選択肢はない。
転がったナイフと装束を見る。これは彼女の選んだ結末だ。アイラヒが責を負うものではない。しかしどこかに救う方法がなかったのかと考えてしまう。生者故の傲慢だ。しかし傍観していた事実が泥のようにこびりつく。祖父はどうして兵器など作ったのだろうか。それは人を殺す道具だというのに。
「……行こうか、ナジコス」
「はい」
この先に何があるのか、見なければならない。まだ祖父を知らなすぎる。踏み出した足は奥へ。
次回投稿予定は明日です