崩天地壊郷 作:山明鏡 紫水
(私の命は、どれだけ重いのだろうか)
ずっとヨザマは考えている。彼女が生まれるよりも前から、ずっとだ。
株分けで増殖する根獣は、株分けされた個体が前の個体の記憶を受け継ぐ事があると言う。ヨザマがそうだった。しかし一つ前の個体よりも古い記憶は無い。きっと古すぎて忘れてしまったのだろう。他の根獣はどうだか知らないが、大した個性でもない。区切りが肉体ではなく、時間になっただけだ。現状を打破しうる力を持たないのであれば全て無力だ。
ヨザマの前の個体も、彼女と同じ囚われの身の根獣だった。
「入るぞ、今日の分を貰いに来た」
鉄格子ではなく鋼鉄の網戸を嵌めた牢に入れられ、四日ごとに訪れる人族に毒腺を搾られる日々。時計はなかったが、日光と水だけは与えられていたため、陽の動きで日数はわかった。植物を祖とする根獣は、最低限それだけあれば生存できる。
「動くなよ、ずれると場所がわからなくなる」
根獣も痛覚を持ち、ヨザマの前の個体は体を切開される痛みに慣れるまで毎回叫んでいた。抵抗し、人族を猛毒で殺害した事もあった。そうした時には三日間水も出されず、乾いた所を熱術で炙られ、苦痛を教えられた。そして次の日から別の人族がやってきて、毒腺を搾っていく。しかも、ある時から人族に根獣の毒が効果を持たなくなっていた。抵抗は完全に無意味だ。
何のために毒を持って行くのか、上機嫌な人族が訊いてもいないのに教えてくれた。
(私の毒が、人を殺している)
根獣の毒は極めて猛毒だ。無色透明無味無臭かつ一滴でも接種すれば神経から先に弾けて溶けて死ぬ。
彼ら──“黒曜の瞳”の、報復は恐怖の果てを見せてから殺すという流儀にはあまり適わないが、それでも必要とする場所があるらしい。
(馬鹿なのか。何故殺す)
気根をナイフで精緻に切り分けられながら、痛みを紛らわすために罵倒を復誦していた。誰を罵倒していたのか。“黒曜の瞳”か、それとも。
「私は、どうすればここから解放されますか?」
「無理だな。ここは官憲も来れない。お前が毒を出し続ける間、助かる方法なんて無い」
「……せめて苦痛を和らげる方法は探してもらえませんか?」
「は? なんでこっちが根獣の都合まで配慮しなくちゃいけないんだ、やるなら自分でなんとかしろ」
一度、尋ねた事がある。返答はにべもない物だった。だが問答の中で、一瞬だけ光明が見えた。
(私が毒を出せなくなれば、用無しになれば)
解放されるかもしれない。
自分でなんとかしろ、そうも言っていた。
まずは集中する時間を増やすために、苦痛を和らげる方法を探す。痛みに喘ぐ中で、まともな思考を連続させるのは困難だと経験している。
「【紫葉の亡骸。大祭の芳翰は頃く。断橋より冠が産まれる。流れろ】」
遠く、前の個体が人族を刺した時に誰かが似たことを唱えていた記憶がある。詞術で肉体に復活を頼むのだ。死の縁に立たされたヨザマには自然とできる。生まれる前から孤立無援の彼女だが、詞術は他人から教授されずとも使えるのは救いだった。間違いではない。それは詞神から知性ある者全てへ贈られた祝福なのだから。
(痛みは……楽になっている)
最初の試行でも効果はあった。完治はまだだが、痛みは引いた。薄い膜が傷口を覆っている。
植物質の体は人体より構造が簡素であり、生術への適性は高いが、それを差し引いても才に恵まれているのは確かだった。
(問題は、毒腺の排除)
毒腺は全身を走っている。それは分かるが、どこにあるのか、ヨザマ自身も把握していない。人間に例えれば、全身の内臓の位置を正しく示せと言うのに等しい。だがやらなくてはならない。
「入るぞ、今日の分を貰いに来た」
「……私の毒がどこから採取できるか、ご存じですか?」
「なんだよ急に。説明書通りにやってるだけだぞ俺は。詳しく知りたいならあの世で偉い学者にでも聞いてくれ」
「そうですか」
傷口に目を落とす。焦げ茶色の裂け目の中に、透明な線がある。数ある毒腺の一本だ。そこに注射器を射し込まれ、吸い上げられる。
あと何本これがあるのか。知る人族から聞き出すにしても、まずは牢を抜け出さなくてはならない。
黙り悩んでいる内に、毒を取り終わった人族は去っていく。この男を蔦で締め殺せば、牢は脱出できる。だがその後に捕まった場合、二度と機会は巡ってこないだろう。そもそも、逃げ出せるのであれば毒腺の排除法など知る意味もない。
つまり考えるべきは、牢の中にいながら毒腺を排除するか、ここから逃げ出すにはどうするかの二つ。しかし逃げ出すのは不可能だと思えるからこそ、前者の案が浮かんでいたのだ。
「……どうすればいい。私は、どうすればいい?」
逃げ道がない。傷を治したから、思考が苦痛に染まらずに働く。そのせいで窮地が彩度を増している。
何日も考え、ぼつぼつと自問自答を繰り返し、不可能と向き合った。死んでしまおう。何度そう思ったか。だが次の瞬間には自死の願望が生への衝動に掻き消されている。
牢の中でも全身の蔓は自由に動かせた。植物の体のどこを拘束すれば有効か、捕えた者にも判別できなかったのだろう。だがヨザマは自身を理解している。どこを抉れば死に至るか、本能で直感している。それでも死を選べない。何故か。
(──この揺れは)
思索に耽る日々は、唐突に終わりを迎えた。
地震に根を張って耐える。かなり強い揺れだ。何が起きているのか、牢の中からではわからない。遠くから何かの破砕音と人の叫び声が聞こえ、まもなく天井が崩れて鉄網が歪んだ。根獣が通るには十分な穴ができる。
(……なんでもいい。ここを逃げる好機であるのは違いない)
ずるずると蔓を這わせ、牢を抜ける。崩落した通路を、無数の気根を蠢動させて進む。床が抜けている箇所もあった。今ここで何が破滅を齎しているのか。
「……どうして逃げてんだお前。戻れ」
「あなたは」
「黙れ、戻れ」
「他の人族は」
「知るか戻れ! 俺は撃つぞ!」
角を曲がり、長い廊下に出た。真正面に歩兵銃を構えた人族。長らくヨザマから毒を採取していた人族だ。
発砲音。銃弾が気根にめり込む。まともな会話は望めそうにない。この人族は、
ふと、死を前にして考えた。どうしてヨザマの前の個体が株分けを行い、ヨザマを産んだのか。すぐに自分と同じ末路を辿ると分かるはずなのに。
(誰かを、命を、助けたかったのか)
種族としての生存本能か、その根獣だけの偽善か。たとえ不自由のまま果てるとしても、間違いなく一個の命は救われていた。ヨザマはようやく理解した。
「私も、救ってやりたい」
「誰も救えない。もう終わりだ」
めきりと根獣の樹体が裂ける。分裂した瞬間、小さな苗の虚の奥に意識の光が宿る。
「【紫葉の亡骸】」
「黙れ!」
「【大祭の芳翰は頃く。断橋より冠が産まれる】」
「黙ってくれ……!」
「……【流れろ】」
断続する発砲音。軽くなった根獣の半身がよろめいた。それでもヨザマは詠唱を止めない。彼女の詞術は、正確には治癒ではなく植物を急成長させる生術である。
それを、株分けした苗にささめいた。凸凹した枯木の背後に、艶やかな蔓が延びる。
──株分けで増殖する根獣は、株分けされた個体が前の個体の記憶を受け継ぐ事があると言う。ヨザマが、そうだった。
そして、過去の記憶を忘れてしまうよりも前に急成長を遂げた根獣は。
「毒は効かない」
「よって直接殺傷するしかない」
盾となっていた古いヨザマがしなしなと崩れる。その裏から新たに二体の根獣が現れる。彼らもヨザマだ。目前の人族には根獣の毒が無効だと記憶を継承している。
「弱点は」
ヨザマは人体の構造を知らない。どこを傷つければ致命傷になるか、考察している暇はない。だから
株分け、そして成長の詞術。ヨザマが増殖する。増殖の速度は徐々に加速している。
「やめっ……」
「ここ」
「ここ」
「ここ」
「にげりゅぶ」
あるヨザマが盾となり、別のヨザマが蔓が銃を操る腕を縛る。その隙に無数の根が全身を滅多刺す。腕、足、腰、胸部、顔面。姿が埋まる密度の蹂躙。どこに急所があったとしても、確実に命中している。ぱつりと薄膜が破れ、そして生温い流体の触感を全てのヨザマが共有する。
根の檻がそろりそろりと開いていく。狭い通路に鉄臭い匂いが満ち、もはや原型を留めていない肉塊が通路に落ちた。
人族を殺した。その事実を反芻して、また考える。
(我々の命は、どれだけ重いのだろうか)
今も昔も、他人の血を吸ってヨザマは生きている。
消した命よりも多くの命を、守らなくてはならない。それは誰かを殺した者の責務だ。原初のヨザマはそう考えていた。彼女らは全て、その記憶を継承している。
それは獣が知るはずのない、深い思惟と過去を知る。
それは無限の手勢で、俗人の救済のために現在を贖っている。
それは最も単純な二択を積み重ね、最善の未来を導き出す。
数多の樹形図を築く、単一個体にはあり得ざる思索の形である。