ウチの姉は意外と多趣味で、時々漫画のようなものを描くことがある。
ようなもの、とは文字通り、それがとても漫画と呼べるような出来ではなく、キャラクターこそ比較的良く描けているものの、コマ割りも構図も素人の域を出ず、当然トーンなんかも未使用で全てが手書き。字はそれなりに綺麗なのだが、姉の字は如何にも女の子女の子としていて漫画の空気と致命的に合わない。題材の不穏さもあってか初見では一目見ることさえ躊躇する代物である。
しかしながら、その漫画は独特の引力を備えていた。とてもじゃないが愉快な内容の話ではない。後味だって結構悪い。何というか、クズの書き方が無駄に上手いというか、どんな人生を歩めばこんな話が書けるのか不安になる内容のドス黒さで、幼心ながらにこれを素面で書ける姉の精神状態を心配したのをよく覚えている。
そしてその趣味は、どういうことか今を以てなお続いていた。主な理由としてはウチの父親が、何故かその漫画を相当に好んでいたことにある。
なんでも、ウチの父はお母さんと結婚する以前は酒もタバコもギャンブルも存分にやる結構なダメ人間だったらしく、自分も一歩間違えたらその漫画の主人公のようになっていたと考えると、現状と比較してどこか愉快な気分になってくるのだとか。
初めてそれを聞いた時、色々な意味でこの父親は大丈夫なのかと思ったものの、そもそもそんな漫画を描いているのが姉なので私は何も言わなかった。その後直ぐに離婚の話が出たり火事だのなんだので大変なことになったので何か言っておくべきだったと今は後悔している。
ともあれ。
「なに……その、何これ? え、何? なんなのこれ……」
眼前に並べられた数冊の漫画本を見て、心底からの困惑を露わにする。こんなに動揺したのは一体いつ以来だろうか。私が引き篭もる原因となった出来事ですらこれほど心は動かなかった気がする。
そんな私に相対するのは、どこか照れ臭そうにしている私の姉。基本がポーカーフェイスの彼女には珍しく愛らしい表情だが、そこに置かれている漫画本があらゆる印象を台無しにしている。何ならこんな本を愛読していると知られるだけで友達を無くしてもおかしくない。
「いや、以前咲に言われてからハギヨシさんを食事に誘ったりとかしてね。なんか話の流れでハギヨシさんにあの漫画モドキを見せることになったんだけど、せっかくだからと龍門渕さんの人脈借りてプロの人呼んで製本してもらった。ひっそりアルバイトとか雀荘で賭け麻雀とかして貯めてたヘソクリが全部消し飛んだけど後悔はない」
「色々と突っ込み所はあるけど、そもそも以前っていつの話をしてるの……? お姉ちゃんが部長になった頃の話ならあれからもう半年くらい経つよね……? まさかお姉ちゃん、半年もこんなアレな漫画を製本するために奔走していたの……?」
「ん? 半年なんてすぐじゃない?」
「………」
そういえばこの姉、割と時間感覚がおかしい人だった。中学二年の時点でもう将来の構想を粗方の方針や妥協案まで含めてキッチリ決めてる結構アレな人だった。最近は龍門渕さん家のコネの影響で選択肢がやばいことになったみたいだけど。
死んだ目で目の前の本を一冊手に取る。パラパラとページを捲ると、絵もコマ割りも線もトーンも何もかもが読みやすく一新されていて、単にあの落書きを本にしたわけでもなさそうで更に困惑する。……いや、これ本当に幾ら掛かったんだろう。
「だいぶ格安でやってくれたから1ページ3000円くらいだね。今はまだ三冊しかないけど、稼げるようになったらレート上げて順次刊行していくつもり」
「それ安いの!?」
しれっととんでもないこと言ったぞこの姉。一冊200ページ強はありそうなんだけどそれが三冊ってどっから200万円近くも捻り出してきたんだ。それよりも姉のこの漫画に懸ける謎の情熱は何なんだ。
「前世の業、かな……麻雀関係の漫画が何故か無くて悲しかったのもある」
「………そう」
「そうだ。私スロットの目押しとかも出来るからそっちで稼ぐのもありかもしれない。最終的には十三冊揃えたところで終了かな」
「まあ、頑張ってね……」
私も流石に全部は覚えてないしね、と訳の分からない発言をして、姉は私の部屋の本棚にその漫画を置いて去って行く。後日、実は私も割と気に入っていた姉考案の謎二人麻雀が、元々はこの闇深い漫画に使用するつもりだったルールだと知って、この上なくゲンナリする羽目になるのはまた別の話である。
☆☆☆
なんてことがあった翌日。その日は気分が最悪に近い状態だったので部活を休もうかと相当に悩んだものの、まだ指導の取っ掛かりも掴めてない状況で無駄な日を過ごして姉と顔を合わすと、全国大会への懸念が加速して更に体調を崩す気がしたので素直に参加する私。
幸いと言っていいのか、最大の懸念であった人数の問題は期せずして解決したので、とりあえず現状私がするべきことは、とにかく自重せずに実力差を見せ付けることだろう。
「あ、ロンです。3900」
「………はい」
嫌な予感がして仮聴のまま和了る。あくまで直感のようなものだが、麻雀における私の直感はそう捨て置いたものでもない。とはいえ直感は直感でしかなく、実際には相手の意気込みに実力が追い付いていない場合、要するに警戒のし過ぎという場面が結構あったりするのだけど、それはまあ仕方ないというか、先んじて和了れている時点である程度妥協している。
「ツモ。1000・2000」
「むむぅ……」
しかしやっぱり、偶には姉のような便利な異能が欲しいと願ってしまうこともある。根拠の有る無しは判断にガッツリと影響を残し、仮に直感で姉と同じ選択が出来るにせよ不安というのは少なくともその勝負中には中々拭えるものでもない。
「ロン。7700」
「じぇ!?」
故にこそ、先手必勝。相手が如何なる戦略を企んでいようとも、先んじて封殺してしまえば多少は気が紛れていく。点差が嵩めば根拠の無い判断にも自信が生まれていく。気兼ねなく迷いなく、実力通りに相手を蹂躙できるようになる。
「嶺上開花。1000オールの一本場は1100オール」
「嶺上開花のみって逆に凄いわね……」
これで私が半端者であればお粗末にも程があるが、幸いにも或いは不幸にも、私の麻雀に関する才能は他者と明らかに隔絶している。まるで息をするように和了れる。警戒するだけで何となく狙いが読める。特に意識するまでもなくプラマイゼロなんて曲芸も出来る。それを羨ましいなんて話も聞いたことはあるけれど、私からすればいずれにしても面倒なだけだ。
「ロン、二本場の親跳満、18600。これで終了ですね」
「くっ……」
麻雀をつまらないと思ったことはない。でも、それも私にこんな才能が備わっていたからだけなのかもしれない。何にせよ、納得できないという気持ちは私にも分かる。だからこそ、ひたすらに真面目で神経質な彼女が、このようなことを言い出すのは必然でもあった。
「ぜーったいにおかしいです!」
いよいよ耐えられずに部室で叫んだ原村さんの言葉に、部室にいた全員が注目する。とはいえ私と同様に、彼女が入部した時点でいずれこうなるだろうというのは分かりきっていたので、代表して部長である竹井先輩が発言の意を問う。
「……何が言いたいのかは分かるけど、一応聞いておこうかしら」
「なら遠慮なく言わせて貰いますが、何ですかこの宮永さんの和了率は! おかしいでしょう、2日間ずっと計100局は打って現状100%ですよ!? 一体どうなっているんですか!?」
「同感だじぇ……こんなの仮に咲ちゃんがイカサマしてても不可能だじょ……」
「どうなっているのかしらね……」
「どうなっとるんじゃろうなぁ……」
「やっぱ色々とおかしいよなぁ……」
「手加減は無用と、私は確かにそう聞いたはずなんですが」
そして予想通り、一切反論する気のない全員に代わって当事者である私が口を出す。先に言っておくと、私の反論は嘘ではない。私はこの部に入るに当たって、主に部長を戦力にするために自重をある程度投げ捨てている。当然、その旨についてもきっちり了承を得ている。何なら勝負の直前にも原村さんから加減は要らないとはっきり言われたというのに、それで負けが込んだからと不満を漏らすのはどうなのか。
「いや、限度があるだろ。ほぼ初心者の俺ですら部長や原村相手に時々和了れるんだぞ? なのに和了率100パーを維持できるのはお前が何か怪しい超能力でも使っていると考えた方がしっくり来る」
「………」
それを使ってるのはむしろ優希ちゃんとか部長だといっそ暴露してやろうかとも思ったが、同時に全然使えていないという訳の分からない状態でもあるため、説明がややこしいことになりそうだから堪える。
ちなみに、もっと言えば京ちゃんも超能力を使ってる。何ならここにいる面子でおそらく京ちゃんがその超能力を一番能動的に使える。使う機会がないだけで。
「母親が元プロであるだとか、それっぽい理由ならいくらでも並べられますが、結局のところ本当に強い人はそんな肩書などに縛られないので、まあ私が突然変異みたいなものなのでしょうね」
「……愛さんって元プロだったのか?」
「うん。アイ・アークタンダーって。聞いたことない?」
「……悪い。分からん」
「私は何となく聞いたことがあるような……ってか思いっきり横文字だけど、宮永さんってハーフだったの?」
「いえ、母がハーフなので私はクォーターですね。と言っても、私も母が活躍していた時期のことを知っているわけではありませんが……まあ、基準はおかしくなりましたね。このレベルの麻雀が普通なんだ、と」
これは嘘ではない。実際、ウチの家族は最弱のお父さんですら当然のようにトップを取れるくらいには基準がおかしなことになっている。本人はその能力を賭け麻雀だの不純な目的にしか使う気が無いのが玉に瑕だが、今からでもプロに紛れ込めば男性最強プロとして君臨するのかもしれない。あんまり想像したくないけど。
「調べたら結構出てきたじぇ。20年くらい前に活躍したプロらしいじょ」
「かなり前じゃな……まあ活躍をきっかけに結婚しておんしを生んだのなら活躍時期はその辺りが妥当かのぅ」
「そうかそうか、なるほどな……ん? いや、疑問には答えてなくないか?」
「……そうだね。まあ結論から言うと、そんな感じの超能力があるよこの世界」
「え?」
原村さんの絶望交じりの声が聞こえる。つい先日からずっと「そんな超能力なんてあるわけがない」と必死に主張していたのに、それがこうもあっさり否定されるのは辛いのだろう。でもこれは事実なので慰めることも叶わない。加えて彼女が知らないだけで、アングラでは割と普及しているのが中々に笑えるポイントである。
「あるのね……まあ、そうでもないと説明が付かないか」
「超能力、とまで行くとかなりレアですが──そうですね」
言いながら自動卓の中央にある開閉ボタンを押し、中にある二つのサイコロを取り出す。厳密には私の
「何を──」
無言のまま賽を振る。出目は1と1のピンゾロ。それなりに珍しいが、確率としては17%前後。別段驚くことでもない──
「え──?」
賽を振る。2ゾロ。賽を振る。3ゾロ。賽を振る。4ゾロ。賽を振る。5ゾロ。賽を振る振る振る振る振る振る振る振る。最初は困惑していた原村さんも、6ゾロから再び1ゾロに戻った辺りで表情が消え失せ、2周をした頃には誰も何も言わなくなっていた。
「……とまあ、こんな人種が割と居るので、とりあえず部長には一刻も早く地獄から這い上がって、せめてこのレベルにまで到達して欲しいんです」
「いや無理でしょ」
即答される。知ってた。でも無理でもやるんですよ全国行くんですから。私がワンマンでやる方法だと少なくとも龍門渕には絶対に勝てないんですよ困ったことに。私一人で全部済むならそれはどれほど良かったことか。
「さ、咲ちゃんはこれがデフォルトなのか……? それは強いはずだじぇ……」
「ごめん、実は結構加減してる。麻雀は色々と確率が複雑だからもうちょっと頑張ってる」
「頑張ってどうにかなるもんじゃないだろ……」
出来る。そして部長にはその素質がある。だからこそ、私は彼女に目を付けた。彼女が順当に成長すれば、よもや本当に全国制覇も夢ではないほどに。……思ったより時間がかかりそうだから、部長を無視して彼女と同等かそれ以上の素質がある優希ちゃんを2年掛けてじっくり鍛え上げた方が姉や天江さんたちもいなくなるし楽だと思ってるのは内緒だ。
「……。……実際のところ、どうにかなるものなのか?」
「なるよ。この状態は、あまりに私にとって都合が良過ぎる。ならばこそ、この卓には多少なりとも私の意思が、麻雀というゲーム性を揺るがす身勝手な介入が施されている。だからこそ」
この現象には、明らかに人の意思が絡んでいる。つまりは逆説的に、それは人の意思一つで抗うことが出来る。その争いに力の多寡など関係がなく、むしろ無能力者であった方が運命に愛される。何故なら麻雀とは本来、誰にも平等でなければならないからだ。
「……なら」
「……?」
「誰でも抗うことが出来るというならば、どうして私は和了れないのですか……?」
「………」
普段のハキハキしたそれとは真逆、消え入りそうな声で原村さんが問う。彼女は確か、自身をインターミドルのチャンピオンだと言っていた。ならば相応の自信もあったのだろう。しかし現実にはこんな場末の、しかも人数さえ欠けていた麻雀部の一年生に手も足も出ないでいる。その苦悩は、私には計り知れない。
ため息を一つ。本当は部長のためにも自力で気づいて欲しかったけれど、ここで返答を誤ると原村さんが潰れかねない。それは私にとっても本意ではなく、故に私は断言する。
「……それは私のせいですね」
「え?」
「誰でも抗える──そうは言ったけど、それは貴女が万全であればの話。相手の意思が不安要素であるならば、事前にそれを挫く方が
忘れてはならないのは、こんな私にとっても彼女らの意思は脅威であるということ。無自覚ならば、ではない。むしろ無自覚であればこそ、予想外のところで変な
「自分が和了り易いよう場を整え、相手の可能性に最大限の蓋をし、更には圧倒して“和了れないかも”という不安を相手に植え付ける。全力とはつまりそういうこと。インチキなのはそう見せているから。実態としては、一度でも何かがズレて和了られてしまうと全てが崩壊する諸刃の剣」
「………」
和了れないよう場を支配し、他者の干渉に抵抗し、恐怖で相手を拘束する。それが私の……いや、私たちオカルト使いの麻雀。それは私にとって常識でもあった。
また同時に、その常識は他者にとってはあまりに理不尽で、それを平気で押し付ける輩がこの世界には割と無視できないほどにはいる。だからこそ、その領域まで上がって来ると豪語するならば、せめて突破口くらいは自力で見つけて欲しかった、というのが本音である。
「その上で……」
「っ──!?!」
サイコロを卓の中央に戻し、自動卓の機能を使って山を張り直す。各々の配牌を勝手に振り分け、ついでに全力で卓に支配を掛けて運命を都合良く弄る。起家は私。配牌で聴牌。しかし天和には至らない。それはおそらく今の話を受けて、皆の心が多少なりとも持ち直したから、だと信じたい。
「リーチ」
「っ………」
宮永 打牌
{横五}
意図が伝わらなければそれでもいい──そう思っていたのだけど、僅かな沈黙の後、下家に座る原村さんが配牌を開き山から牌をツモり長考。第一打で悩むのは彼女の癖だ。しかし最近は段々と思考時間が短くなっていたので、やはり彼女が和了れなかったのはそういう理由なのだろう。
けれど、今の原村さんからはこれまでと異なる気配を感じる。なら、多分、ここで彼女が取る選択肢はきっと──
「──カン」
原村 手牌
{四四四八八八東東東裏} 明槓{横五赤五五五}
(………)
親リーを相手に明槓。これまでの原村さんであれば、絶対に取ろうとしないだろう一手。更に言うなら、手牌の質は十二分。何れにしても引ける牌の数は変わらないのだ。ならばここで悪戯に振り込んだ際のリスクを上げる必要はない。だというのに、
原村 嶺上牌
{八}
「………」
またもや長考する原村さん。これも二打目以降はほぼ即打ちする原村さんには相当に珍しい。それは即ち、それほど彼女にとって選択の悩ましい牌を引き込んだということ。
しかし、あれこれ考えたところで、今度は迷う理由もない。少しでも和了る可能性を高めるのなら、
「もう一つ、カンです」
「なっ……!?」
原村 嶺上牌
{四}
部長の驚愕が声色から伝わる。ここまで来れば原村さんにもこの卓の異常を悟ったのか、更なるカンはほぼノータイムで行われた。引き込んだ嶺上牌は東、加えて王牌には原村さんの和了牌が眠っている。当然、その意図を察した原村さんの選択は、
「カン」
原村 暗槓
{裏東東裏}
まるで運命に導かれるように、原村さんが自身の手牌を発声と共にゆっくりと倒していく。四槓子単騎待ちの役満聴牌。大会ルールに合わせたこの卓のルールなら、ツモれば責任払いでこの私をトバして余りある火力。当然のこと、原村さんもその未来を夢想し、嶺上牌に手を伸ばして──
「ロン」
宮永 和了形
{一九19①⑨北西南発中中白} {東}
「槍槓、国士無双。48000」
まんまと罠に掛かった彼女に、用意しておいた一撃をぶつける。発想としては非常に良かったものの、残念ながら今の彼女では私の運命に抗うことは出来ない。それらしい言葉に踊らされて、この状況自体が私の罠だということに気付けなかった彼女の敗北である。
「……。……鬼じゃな、おんし」
「だからこそ、私一人じゃ不安なんですよ」
「いや、お前一人で十分だろ……」
「同感ね」
「だじぇ」
失礼な。などとそんなやり取りをしている合間に、嶺上牌に手を伸ばした状態で固まっていた原村さんが、無言のまま立ち上がって扉の方へと歩き出すと、
「いつか絶対に、絶対にそのオカルトを暴いて見せます……!!」
震える声でそう告げて、彼女はそのまま姿を消す。それから彼女が私にしつこく挑み続け、遂には私から和了りをもぎ取ることに成功するのは、その日から5日後の話である。
この作品は一人称視点なので、牌の見え方や内心の発露は基本的に視点主のものとなっております。(読者側最優先なので神代さんの最終的な手牌などの例外は結構ある)