ぺらり、とコピー用紙を捲る。慣れない作業。無心で行える学生議会長のそれとは違う。自ら取り寄せた資料だというのに、既に眠気や疲労感といった身体の反応が込み上げてくる。
しかし、データに関して麻雀はまだマシな部類ではある。何せ個人のデータであれば大会全体を通してもA4用紙1〜2枚程度で済む。これが囲碁や将棋であればどうなのか。あまり私も詳しくはないのだけど、それらの競技には共通してわざわざ専用の記録係が付いている辺り、麻雀で手一杯な私ではついていけないこと必至だろう。
けれど、これが如何に私にとっての苦手分野であっても、これは私のやるべきこと、やりたいことなのだ。それ以前に、これは唐突に見えてきた現実に対してそれまでの準備を怠っていたツケが回っただけ。時間は充分にあったのだ。であれば部活後のたかだか1時間程度の消費、甘んじて受け入れるべきだろう。
「………」
一通り纏めた資料をひとまず雀卓に置き、疲労感を抑えて改めてパソコンに向き合う。この作業をわざわざ部室でやっているのは、やはり部室にパソコンが備え付けてあるのが大きい。無論、自宅や学生議会室でも使えないことはないのだが、大っぴらに使えるか否かの差は集中力に多大な影響を及ぼす。特に自宅は未だ時々気の休まらない場面が訪れるので、自ら築き上げた城という安心感には勝らない。
「ふぅ……」
それから10分ほどして、ふと誰もいない部室をぐるりと見渡す。2年前の埃まみれの空き部屋に比べると、気づけば随分とたくさんのものが増えていた。雀卓は壊れて倉庫に放置されてたモノを修理して、ベッドは保健室の廃棄予定のモノを拝借して、本棚は図書館の整理に伴い空きが出来て──と、軽く見渡すだけでさまざまな思い出が蘇る。
一人で大会に出る気力もなく、燻っていた2年間。しかしそこには確かな軌跡があった。それは人によっては無意味と断じられるものかもしれないけれど、それでも報われる日がやってきたのだ。ならば怠けてなんかいられない。
「全国大会、か……」
清澄高等学校麻雀部に所属する一年生の宮永咲は、およそ人間とは思えないレベルの異常な豪運の持ち主である。
正直なところ、如何にこの私とはいえ、可愛い後輩をいたずらに“異常”などと評したくない気持ちはあるのだが、その評価はただの客観的な事実として存在し、加えて当然ながら本人もそのことをきっちり自覚しているらしい。
とはいえ、それ自体は目を逸らす余地もないほどあからさまなのでいいとして、問題は彼女がその豪運を、ただ自覚しているというだけに留まらず、麻雀という競技で存分に活用していることにある。
通常、麻雀という競技は熟練者であっても半荘一回で一度も和了れないなんてことがザラにある競技だ。どんなに牌効率を勉強しても、どれほど期待値が高い選択でも、実戦では確率なんて息を吸うように裏切って来る。運が向く、ツキが回るなんて言葉があるように、基本的に運とは自然に任せるもの。なのにその指向性が云々と平然と語る彼女は神か悪魔かはたまた別のナニカなのか。何にせよ、実は私とは根幹からして違う生き物だと言われた方がしっくりくる。
『私よりも強い打ち手は、残念ながら全国各地にゴロゴロと──』
それはつい先日宮永さんから言われた言葉。全国には彼女と同じステージに立つヒトが無視できない程度にはいる、と。否、全国だけじゃない。宮永さん自身が証明しているように、今も市井には彼女と同等以上の力を持つ誰かが転がっているかもしれない。それを踏まえると、今の私には何もかもが足りていない。何より、
(龍門渕高校……)
決して目を逸らしていたわけじゃない。長野県に所属する我ら清澄高校が全国に行くということは、下手をすると全国優勝よりも厳しいハードルを潜り抜ける必要がある。
龍門渕高校。昨年度インターハイにおいて団体全国2位の実績を誇る、つまりは現状全国で2番目に強い高校。更に言うなら、龍門渕は初出場で上記の成績を残しており、メンバーの大半が1年生というのもあって当時の面子もそのまま残されているため、今では当時のレギュラーがほぼ引退した千里山高校よりもずっとずっと脅威かもしれない。
加えて、龍門渕高校は高校生における和、つまりはインターハイチャンピオンを有している。そう表現すると大したことのないように思えるかもしれないが、要するに咲と同じステージに立つ怪物たちの頂点、人外魔境の制覇者だ。咲にすら3人がかりで100万点のハンデがあって手も足も出ない現状、それと同等かそれ以上の…いや、咲の半分以下の実力であったとして、それでも私たちでは惨敗する未来が見える。
「チャンピオンである天江衣は当時一年生……十中八九、咲の同類よね」
「そうですね」
「ひぁっ!?」
びっくりしてソファーから飛び上がる。反動で手に持っていた資料が散らばるが、そんなの気にしていられない。別に見られて困ることをしていたわけでもないのだが、それでも集中している姿を見られるのは存外に恥ずかしいものだ。
「み、宮永さん。帰ったんじゃなかったの?」
「図書館で本を借りたので置きに来ました。本棚を半ば私物化してしまって申し訳ありません」
「い、いえ。それはいくらでも使ってくれて構わないのだけど──って」
待った。今さっき宮永さん、まるで天江衣を知ってるかの如き発言をしなかっただろうか。そんな疑問を抱いた私が彼女にその旨を尋ねると、
「ええ。衣さんは姉の友人です。片手で数えられる程度ですが、私も対戦経験があります」
「姉?……そういえば、まさか先鋒の宮永って──」
「……逆に知らなかったんですか? もうとっくにご存知かと思っていました」
それを言われると痛い。まあ確かに姉がいることを隠す理由も無し、少し調べれば分かりそうなものだったが、いや、そこは今重要じゃない。それよりも──
「お察しの通り、姉と衣さんは私と同格の存在。特に姉──宮永照は、私をしても確実なことは何一つとして言えない。
あの人は、きっと誰が相手だろうと当然のように勝つ。そして同時に、きっと誰に対しても
「???」
「ああ……いえ、そこは理解する必要はないですね。幸いなことに、実力そのものはどちらに対しても多分私のが上です。ただ、あの人も私に手番を回せばほぼ終わりなのが分かっているはずなので、その辺りをどうするべきか……」
「………」
頓智のような発言に戸惑うも、続けて紡がれた空恐ろしい言葉に返す言葉を見失う。彼女が底知れない存在だとは常々思ってはいたのだが、インハイチャンプとそれを有する高校の先鋒を相手に、何ら気負いすることなく「自分の方が上だ」などと言える人間がどれほどいるだろうか。それはあまりに頼もしい発言。頼もしい、頼もしい……が、漫然とした不安が込み上げる。それは、きっと。
(………)
きっと、私が彼女に頼り切りだったとしても、この先の結果は何も変わらない。勝つにせよ、負けるにせよ、私がどれほど死力を振り絞ったところで、それはその分彼女が楽になる程度。逆に私が怠惰を極めようと、彼女がほんの少し気合を入れるだけで私の存在など軽くカバー出来てしまう。きっとおそらく、彼女はそういった
しかし、しかしだ。だからと言って、そこで腐って立ち止まるのはあり得ない。元より私は、大会そのものの結果に対して称号以上の価値を求めていない。いや、そもそも理屈なんかでは語ることも出来ない。
何故、私が全国大会に拘るのか。それは一言で言ってしまえば憧憬、あるいは後悔によるもの。家庭の事情で手放さざるを得なかった切符を、当時のまま、理屈ではなく、ただ欲しいからと、子どものように追い求めているだけなのだから。
だからこそ私は、私の我儘で築き上げたこの麻雀部の部長として、決して後輩におんぶに抱っこではいられない──そう私が決意を新たにしていると、まるで計ったようなタイミングで彼女は告げる。
「……やはり、この手しかありませんね」
「?」
「5万……いえ、10万点。どうにかして私が用意します。部長はそれを、あのインターハイチャンピオンを相手に、如何なる手段を用いても守り通してください」
「え?」
10万点。それはインターハイ団体戦における初期点数に相当する。それを用意するということはつまり、半荘2回で誰か一人をトバせるだけの点棒を稼ぐということ。それ自体に驚きはない。むしろ宮永さんにしては謙虚だと思うほどに。しかし、
「あるいは私を次鋒辺りにして他をトバす……いや、そんなの後が続かないしそれこそお姉ちゃんがなりふり構わずアレ使って来そうだし伏兵の存在も考慮しないと……うーん」
「………」
一欠片の邪気さえ混じる余地もない真剣な表情で、ぶつぶつと不安そうに荒唐無稽な算段を立てる宮永さん。いっそ真正面から“役立たず”とでも罵られた方がマシかも知れない寂寥感が全身に漂う。
もはや疑うべくもなく、宮永さんの発言に一切の嘘はない。それはつまり、宮永さんの見立てでは、10万点なんて冗談のような点差があってようやく、いや、それですらまるで相手にならないくらい私と彼女らには格差がある。
どうしようもなく憧れた。ただひたすらに焦がれていた。けれど私は、それがこんなにも高い壁だと思っていただろうか。どこかで侮ってはいなかったか。中学時代に善戦したからと、よもや私が本気を出せば、ただそれだけで良い勝負になるなどと自惚れてはいなかったか?
(やっぱり、私じゃ……)
押し寄せる絶望感に頭がくらくらする。主観的にも客観的にも、本能も理性もありとあらゆるものが無謀だ蛮勇だと訴えかける。
かの有名なバスケ漫画の台詞が頭に過ぎる。あの漫画と私とは競技も状況も何もかもが異なるが、心情的には似通っている。要は実力が足りなくて嘆いているだけだ。私に宮永さんほどの力があればそう嘆くことはなかっただろう。
(………)
未だに頭を抱えてうんうん唸る宮永さんを見る。冗談みたいな実力を有す彼女が、冗談みたいな戦略を立てながら、冗談みたいな敵を前に唸っている。まさに喜劇だ。私がその当事者だという冗談みたいな事実が無ければ、もうきっと何もかもを投げ捨てていたことだろう。
「………」
「……?」
ふと気づくと、いつのまにかそんな私を宮永さんが無言で見つめている。そして先の思考が表情に出ていたのか、あるいは彼女の超人的な洞察力に拠るモノなのか、彼女はある意味で私の不安を全て吹き飛ばすトンデモない発言をする。
「私が敵に回るのと、どっちがマシだと思います?」
「は──?」
彼女が、宮永咲が、敵に回る──?
ぐるぐるしていた思考が完全に停止する。そして同時に、それが充分にあり得た未来なのだということを改めて実感する。
以前、彼女がこの学校に入学した理由について聞いてみたことがある。それは非常にくだらないというべきか、ぶっちゃけ場所や条件さえ同じならこの学校である意味がないくらい大雑把なもので、しかも麻雀に一切関係がない結構アレな内容だった。
無論、この学校で入学時点では存在すら定かではない麻雀部を求めていたというのは逆におかしな話。加えて私の心象はどうあれ彼女の理由はそれはもう無理やりにでも納得せざるを得ないものであり、ある意味では麻雀や家庭の事情に青春を捧げた私よりよほど人間として正しい。
まあ正直なところ、そんな彼女に手も足も出ない現状は中々にクルものがあったりなかったりするのだが、なまじ私には納得はしても理解はできない理由だったためにそれ以上の思考を放棄していた。しかし、
(──無理)
結論は一瞬で出た。この一週間で、骨の髄まで身に染みていた。この下手をすると一生懸けても敵わないかもしれない彼女と敵対する。しかも半年やそこらで対応しなくてはならない。……不可能なんてレベルではない。想像しただけで吐き気を催してくる。でも、本来ならばむしろそれが当然だったはずなのだ。
故に、それと比較するならば、確かに今の状況は天国に近い。何せ、目下一番の脅威である宮永さんが味方にいる。加えて彼女と同格らしい脅威も彼女が率先して抑えるつもりでいる。更にはどうにか勝負になるレベルまで舞台を整えることにさえ尽力する。これが果たして幸運でなくて何だというのか。
「……安心してください。人間とは慣れる生き物です。こんな私ですら、最初のうちはルールも役も点数もスジもオカルトも、何もかもが分からずにボコボコにされていました」
無言でいる私をどう受け取ったのか、普段よりは幾分か柔らかな声色で宮永さんは語り出す。ちなみに彼女の名誉のために補足すると、彼女がこういった冷たい声を出すのは麻雀やそれに関すること限定で、読書中や須賀くんと一緒にいる時はだいぶキャラが違うことを付け加えておく。
「だからきっと焦る必要はありません。まずはルールを覚えるように。次いで役を把握するように。一つ一つ符点を数えるように。河を見るようになったあの日のように。人の顔を窺ったその時のように。運命を糸で繰るように。徐々に、徐々にとハードルを上げて躙り寄って行けば、いずれは部長もこちら側に立てるはずです。他でもないあの姉がそうでしたから」
「そのお姉さんもかなり例外な気がするけれど……ちなみにだけど、そのお姉さんの家でのトップ率は?」
「………。………1割強、でしょうか。基本毎回2位に居座ってるので平均着順は高いですね」
「……貴女は?」
「7割くらい……」
「えぇ……?」
「なんですかその反応は」
いや、だって。いくら元とはいえプロやそれと互角に闘える2人を相手にしてトップ率7割って。逆にどうして困惑されないと思っているのかそれが分からない。
「貴女の基準は高すぎて不安になるわ……」
「ですが実際、成果はそれなりに出ているはずですよ?」
「そうなの?」
「ええ。部長らには気づかれないよう徐々に出力を上げていたので……多分今の部長なら、入部当時の私を相手に生き残るくらいできるはずです」
「そんなことをしていたのね……まるで実感が湧かないのだけど」
しかもそれでも“生き残る”程度なのか。いやまあ一度も和了れずにボコボコにされた身としてはそれでも大躍進なのだけど、そもそも出力云々と言われても彼女のような超能力を持たない私では何一つ理解できない。
そう告げると、宮永さんはちょっと悩んだ様子で、
「うーん。これはちょっと証明が難しいですね。仮に今から当時の私を再現したところで、ただ単に私が手を抜いているだけと言われたら終わりですし。
そうですね……今の部長が敵わないくらいのいい感じの実力者で、部長の強さを以前から知っていて、それでいて決して甘い評価はしない、中立の立場にいる外部の人間なんかがいたら話は早いのですが……」
「………。………一人、心当たりがあるわ」
「え? ……言い出しておいて何ですが、そんな都合の良い知り合いがいるんですか?」
「私も、伊達にこの学校のトップじゃないってことよ」
折れそうな心を奮い立たせるために、敢えて気丈に返答する。実のところ、このツテも元はと言えばまこの実家のもので、私が動いた結果というわけではないのだが──何にせよ、きっかけはどうあれ、その人と個人的な連絡が取れるほど親睦を深めたのは私の功績だと、無理にでもそう思うことで様々な感情を飲み込む私だった。
☆☆☆
藤田靖子は戦慄していた。
実家の近くに佇む小洒落たお気に入りの雀荘。そこに住む一人娘の先輩というやや回りくどい経緯で知り合った知人こと竹井久。知り合って早々にウマがあったのか気安い関係となり連絡先も交換し、以来時たま連絡を取り合っては共通の趣味である麻雀を打つという……まあ多少の年の差はあれど、対等の友人という立場で接してきた。
そんなある日のこと、久から突然のヘルプを受ける。最近はあちらの入学式だのこちらの入社式だのでしばらく顔を合わせていなかったので、連絡が来ること自体はそう不思議でもないのだが、私に助力を願うとなると話が変わってくる。
今更言うまでもないことだが、私は実業団チームに所属し麻雀によって金を稼ぐ立場にある。まあ友人に多少プライベートで頼られたくらいで咎めるつもりはないのだが、ある程度の線引きはしてもらわないと困る。特に久はそういった金銭に関わりそうなことはキチンとしている印象があったため、尚更今回の依頼の内容に戸惑ってしまう。
(久を含め、部活のメンバー全員と戦って欲しい……ね)
必要なら金銭を払うとまで言われた。家庭の事情で動かせる金も少ないだろう友人にそうまで求めれたら如何に私といえども動かざるを得ない。単純に久しく顔を合わせていない友人に会いたいという気持ちもある。何にせよ、今回の件は互いの思惑が上手いこと一致し、次の週末に“Roof-Top”の店内で待ち合わせをすることになった──そこまでは良かったのだが、
「ツモ、嶺上開花。倍満、4000・8000」
宮永 和了形
{②②④⑤⑥西西} {②} 暗槓{裏⑨⑨裏} {裏中中裏}
(何だ、この化け物は──)
久の後輩として紹介された少女、宮永咲。紹介の時に『全力で打ち倒しても構わない』と言われた時点で警戒はしていたつもりだったのだが──これが常軌を逸していた。
息を吸うように和了られる。当然のように思考を見透かす。7、8巡で和了るのはまだ遅い方で、持ち前の豪運でこちらがロクに手牌も整っていない段階から容赦なく圧を掛けてくる。それも嶺上開花による責任払いなんて曲芸も添えられてだ。
槓子ができる確率だけでも相当におかしいが、それを言い始めたら彼女は何もかもがおかしい。まだまだ若輩とはいえプロとして幾多の強敵との対戦経験を踏んだ私が、それでも明確に彼女より上だと断言できる存在が誰一人として思い浮かばない。
無論、とりあえず思い浮かんだ強敵の一人と実際に彼女を戦わせてみたら、案外あっさりと彼女は敗北するかもしれない。しかしてそれも、あくまで私の勝手な推測でしかない。
現状、彼女について分かることといえば、少なくとも彼女が私を圧倒できる実力者であるという一点のみ。流れで久から細かい話も聞かずに彼女と対戦に臨むこととなった私だが、おそらく久の案件も彼女に関連することだろう。
南4局 藤田 配牌
{①23赤5689②中中中白白}
(さて……)
どうにかして迎えたオーラス。配牌は上々だが、もはやそれに意味があるのかどうか。仮にもプロとして一矢報いたい気持ちはあるが、見苦しいと言われたら否定できない。とはいえ諦めるなんて選択は端からありえない。それは私のスタンスとしても、心情的にもだ。
「………」
…………
………
……
5巡目 藤田 手牌
{234赤56899中中中白白}
「リーチ」
(早い……!)
手牌は上々、かつオーラスという絶好の機会。しかしその上で先んじて仕掛けられる。否、それでも遅れているのかもしれない。それさえもロクに判別できないほどに、この少女は底知れない。
不意に、かつて対峙した小鍛治プロの姿が少女とダブる。果たして少女は、彼女と一体どちらが強いのか。そしてそれは、私如きが抗えるものなのだろうか。
「わしもリーチだ」
「は……?」
そのタイミングで、完全に予想外の発声が対面から聞こえる。たまたまこの不幸な卓に座ってしまっただけの山崎と名乗った初老の男性。当然のこと、麻雀とは4人で行う競技である以上、私が誰に注目していてもそれ以外の人物が和了ることは充分に考えられる。だが、今になって──?
「なら、俺もリーチだ!」
「……!?」
更なるリーチ宣言。何が、何が──起きているのか。それまで彼女に手も足も出なかった面子が、ここに来て唐突に続けざまに聴牌をする。偶然にしても不自然極まりない。
「………」
5巡目 藤田 ツモ
{7}
(こ、れは……)
ぴったりと嵌まる。1-4-7の三面張。あるいは9索と白のシャボ待ちの聴牌。河には2枚切れと3枚切れの5索、8索がそれぞれ。どちらを切っても聴牌までは問題なく繋げられるはずだ。しかし。
(
四家立直。卓上にいる4人全員がリーチを掛けると流局するというローカルルール。ローカルルールであるが故にこの雀荘では採用されていないが、こう都合良く条件が揃うなど、何か恣意的なモノを感じる。
(流局……)
流せと、そう言っているのか。それはきっと、おそらくはあの少女が。そのまま大人しくするべきだと。それ以上傷を広げる必要はないのだと。そう訴えてるとでも言うつもりか。
(………)
「──リーチだ」
藤田 打牌
{横9}
迷いはなかった。葛藤はあったが、行動に移す前には消え去った。嫌な予感がする。それはそうだ。しかし、だからと逃げるのは許されない。最初から決めていた。たとえそれが無意味だからと、諦めることは許されないと。逃げない。逃がさない。逃してたまるものか。お前が如何なる化け物であろうとも、だからこそ私はいつまでも最後まで、常にお前たちを狙い続ける。
「…………」
宮永 手牌
{77北北北西西西東東南南南}
「……
「え?」
小さく何かを呟いた少女は、自身のツモと同時に手牌を全て前方に伏せると、そのままツモった牌を河にゆっくりと捨てる。捨てられた牌は1索、それは私の和了り牌。しかし思考が追い付かず、宣言がないと判断した山崎さんが山に手を伸ばそうとしたところで、私は慌てて自らの手牌を倒す。
「ロン、リーチ1発。一通、中、混一色。赤1……裏6。数え役満、32000」
半荘終了
宮永 63800
山崎 400
井口 1900
藤田 33900
それはきっと、無意味な一撃だ。ルールによっては、トップを決める和了りということで和了さえ認められないような愚手だ。しかしてそれは、確かにその卓に“何か”を残した和了りだった。だからこそ、少女もその攻撃を甘んじて受け入れたのだろう。
「……やはり、捨てたものじゃありませんね」
少女が呟く。その発言の真意は分からない。だが、口元には僅かな笑みが浮かんでいる。ならばおそらく、その感情はそう悪いものではないのだろう。
久が彼女に注目する理由。言うまでもない。彼女が大会に出場するつもりなら、その大会は荒れに荒れる。彼女が順当に暴れるにせよ、あるいは対抗馬が現れるにせよ、それはそれは愉快なことになるはずだ。
それが楽しみでもあり、不安でもあり──何にせよ、彼女が次の大会において特大の台風になろうことは、もはや運命であるかのように感じられた。
部長は原作よりもプレッシャーに更に弱く、咲はややコミュ障寄りに。それはどちらも身近な驚異を強く実感しているからこそ。そんな感じに書いています。
次回で清澄視点は多分終了、その次くらいから大会編になります。気長にお待ちください。
登場人物紹介
藤田 靖子
ふじたやすこ。「カツ丼さん」の愛称で知られるプロ。厳密には実業団の選手ってプロじゃないとか先程調べて知ったけど本人がプロって言ってるからプロ。まくりの女王って渾名はドラゴンロードの次くらいに好き。能力も如何にも麻雀らしくて好きな部類。健啖家。麻雀はとても強い。
追記、コメントで知りましたが、藤田プロは実業団からプロになった人で、歴としたプロであるらしいです。ご指摘ありがとうございました。
咲(オーラスまでに絶対捲れない点差にしておけば何されても安心かな……)