「ねぇ、清澄のあの子。強いってレベルじゃなくない……?」
騒めきと共に、どこからかそんな呟きが聞こえる。それも一つや二つではなく、時が経つにつれ似たような呟きが伝播するように会場全体へとそれが広まっていく。
彼ら彼女らの視線の先にあるのは一つのモニター。選手以外は立ち入り禁止、電波遮断と不正防止を徹底された試合現場の様子を、一般の観客にも確認できるように会場に設置されたもの。
テレビ中継もされない一回戦のこの時点において、控室が与えられる対戦校を除けば、現状この会場において他の高校や一般の人が戦況を確認できるのがほぼ唯一の手段というのもあり、会場にはそれなりの人数が集っていた。
それらの視線が、一様にモニターの中にいる一人の少女、あるいはその少女の手牌に向けられている。それもそのはず、何故ならモニターの光景にはそれ以外の見所など無いに等しく、正しく蹂躙という言葉が相応しい惨劇が繰り広げられていたのだから。
『ツモ、嶺上開花。6000オールの9本場は、6900オール』
一回戦第十一試合終了
南ケ丘 -5300
大芝 400
大豆島 -1700
清澄 406600
東四局9本場、開かれたのは門前自摸嶺上開花混一色三暗刻で親跳満の手。しかしそれ自体は問題ではない。いや、和了り自体も中々に強烈なものだが、何よりも恐るべきはその和了率。あまりに圧倒的な点差から察せられるように、試合開始から終了までの13局、その全てが少女を除いて他に誰一人として和了れていない。それどころか、少女が和了るまでに他の誰も聴牌まで漕ぎ着けることすら叶わない。
なればこそ、見所など他にあろうはずもない。仮に彼女以外の面子を全て素人に置き換えても、同じ絵面が成立してしまうのだから。
「……やはり、凄まじいですわね」
試合終了から一呼吸を置いて、透華が静かにそう呟く。先程は蹂躙という表現を使用したが、それでさえあの試合を見ていると足りるのかどうか。加えていずれその力がボクらに向けられることを考えると、戦慄も警戒も当然だろう。
横目で宮永さん……宮永照さんの様子を伺うと、モニターへと向けられていたその表情が見える直前に彼女は語り出す。
「えー、見て分かったとは思いますが、アレが宮永咲です。もーとにかく強いのが特徴で、しかも困ったことに彼女にはこれと言った対策が存在しません」
「対策が存在しない……とは?」
「そのことについてなんですが、実は彼女の存在こそが、我々宮永一家が自身の持つ能力のことを“超能力”ではなく“オカルト”と表現するようになった由縁でもあります」
「ほう?」
興味深そうに衣が声を上げる。衣ほど露骨じゃなくても、ボクらだってその言葉の意は気になる。照さんの言う“能力”の定義についてはこれまで散々教わったものの、そのきっかけが咲ちゃんというのは果たしてどういう意味なのだろう。
「私の母親がかつて麻雀のプロとして第一線で活躍していたという話は以前したと思いますが、麻雀なんて運要素強いゲームにおいて一線で活躍するとなると、いずれその根拠となる武器が必要になるのは想像に難くありません。それは例えば私の眼であったり、衣ちゃんの妨害であったりと人によって様々ですが、当然プロであった私の母にも、それらに対抗できるだけの立派な武器を携えていました」
やたらと丁寧な口調で、既に何も映されていないモニターを見つめながら照さんは語る。彼女にとっての当然を、ボクらにとっての非常識を。まるでゆっくりと擦り合わせるが如く。
「母は、『前局において聴牌時点から切り捨てた飜数を、次局に持ち越して使用することができる』。ここの『切り捨てる』の定義が暗刻なら3枚全部捨てる必要があったり最低でも2飜は捨てないと能力として成立しなかったりその上で先んじて和了らなければならなかったりとだいぶ扱いの難しい能力ではありましたが、真に恐るべきはその『持ち越し』の強度。たとえ衣ちゃんと龍門渕さんと能力成立後の鶴田さんが3人まとめて同卓していても、事前に能力が成立さえしていれば問題なく和了れるほどの性能を秘めていました」
「わたくしたちはともかく、あの鶴姫以上ですか……」
まるで頭に入ってこない解説に、透華が神妙な顔で相槌を打つ。……そういえば透華も、もうすっかり能力があることを前提で会話している。きっと彼女も色々な意味でこの非常識な世界に染まってしまったのだろう。一体いつから彼女はこうなってしまったのか。今では彼女の纏う優雅な空気が心なしか煤けて見えるのが悲しい。加えてボクがそう認識しているだけ説が濃厚でもっと悲しい。
ボクがそのように関係ないことで嘆いていると、照さんは一度目を閉じた状態になり、何かを思い出すように続ける。
「プロが誇る、本人さえも『絶対に和了れる』能力として認識していたその武器は、しかしあることをきっかけにその定義が揺らぎます。言うまでもなく、その能力が破られる時が来たからです」
「だが、それだけでは問題にはならない。単に能力が成立しないだけなら鶴田姫子と同じ。ただ自身の能力が他の誰かよりも劣っているというだけ。しかし、その対象がよりにもよってあの宮永咲だった。それが問題だと。照はそう言いたいわけだな?」
「どういうことだ?」
オーギュスト・ロダンが制作したブロンズ像そのままの格好で得心する衣に、うん、と頷く照さん。彼女らはボクらの中でも特に人外に足を踏み入れているからか、時々こうして会話が飛躍することがある。詳しく説明が欲しいと純くんが促すと、照さんは再び目を開いて映らないモニターの……おそらくは映像を隔てた先にいた宮永咲を見つめながら、
「質問を質問で返すようで悪いけど、去年、咲を初めて見た時、皆は一瞬でも彼女のことを
「へ?」
「多分きっと、一度は皆もそう思ったはず。皆はスイッチの切り替わりが激しいとか擬態が上手いとか色々勝手に理屈を付けていたと思うけど、あの子の本質はまるで違う。あの子の強さは、恐ろしさは。その
「………」
“その視点では”。……そういえば、彼女の能力は厳密にはあくまで『視界を拡大する』という、それだけの能力であったことを改めて思い出す。しかしそれがどうして宮永咲の強さの本質に繋がるのかが分からない。おそらくこの場で唯一話の流れが理解できている衣も、今は咲ちゃんに充てられてか本気モードなので語彙力の関係で解説に期待ができない。
必然、照先輩はいつものように、いつかのように懇切丁寧に。まさに彼女が目指しているという監督気取りで、しかし「説明はちょっとややこしいんだけど」と前置きし、本人も言うように何とも恐ろしい驚くべきことを、拍子抜けするくらい至極あっさりと告げる。
「まずは大前提として、あの子はオカルトを扱えるけどオカルト使いではない」
「????」
「いや、ええと。そうだね……井上さんが、たまに感覚だけで私や衣ちゃんを出し抜くことがあるけれど──あの子は常にそんな感じなんだ」
「………。………?」
いきなり矛盾に塗れた発言。続く言葉と合わせて少し考えれば多少は理解できるかなとも思ったが、脳内を占めるのは相変わらずの困惑。単にボクの理解力が足りないのかとも考えたが、衣以外の面子は似たような反応をしている。芳しくない様子が伝わったのか、照先輩は更に言葉を重ねて、
「根本が違う──って言うのかな。私達オカルト使いは“能力を如何に上手く使えるか”を競うわけだけど、あの子はそれと違って
有効牌を望めば欲しいままに、妨害をしたければその通りに。
「……それは」
透華の声が掠れている。ボクの何倍も何十倍も聡い頭脳が発言の意図を導き出したからか、未だくらくらと揺れる頭蓋に、確かな“危機感”が染み渡る。
本人も言っていて辟易として来たのか、照先輩は語り出しよりだいぶぐったりとした様子で続ける。
「だからこそのオカルト呼び。超能力とかじゃなくて、そもそものステージが違うんだ──
だからこそ、他人のオカルトの助言なんかも当たり前のように出来るみたいだね──と、乾いた笑いを浮かべながら礼堂さんの方を見る照さん。礼堂さん側は何とも微妙な表情だ。彼女も彼女で咲ちゃんとは個人的に親交を深めていた分、その衝撃も大きいのだろう。
「────…………」
しかし、此れに至っては反応できるだけまだマシだ。ボクはと言えば、理解はできても感情がまるで追い付かない。だってそうだろう、今さっき見せた神懸り的な闘牌が全て単なる技術だった? なんだそれは──身体が震えている。ただ、もしも。もしももしもそんな出鱈目が真実だとしたら……それは、それは。
──それは果たして、本当に人間を相手にしてると言えるのだろうか?
一様に絶句する部員達。けれどこの話をした時点で、当然その反応は予測済みだったのだろう。照先輩は小さくため息を吐くと、結論付けるようにこう述べ──
「勝てますか?」
「ん?」
「話は一応は理解致しました。ですが、貴女なら──わたくしの知る宮永照であれば、そんな神の如き存在にも対抗が叶う。わたくしはそう読んでいますが、それは如何に?」
「ん……」
──述べ、ようとする。その直前に。鋭く抉り込むように、誰もが気になっていた疑問を透華は問う。きっと、透華だって完全に話の内容を飲み込めたわけではないだろう。しかし、極論を言ってしまえば宮永咲が如何に化け物染みていようとそんなことはボクらには関係がない。なにせ、実際に彼女と戦うことになるのは、同じヒトから外れた化け物なのだから。
「……あんまり期待されても困るけど」
照れ臭そうにそれだけを付け加えて、彼女は中断した結論を再び再開する。
だからこそ、照先輩は彼女を、宮永咲を他の誰よりも恐れている。彼女はきっと、照先輩が必死に会得したこの眼も、衣の海底も、透華のあの治水でさえも。おそらくは透華達の
「過程が如何に理不尽でも、あくまで表面に露出するのは、あの子がその場に応じた最善のオカルトを使用するという結果だけ。──だからこそ、私であれば対処は叶う。流石の咲も、直接相手の視界を奪うことなんて出来ないみたいだからね」
「それでしたら、問題はありませんね。ウチは貴女が先鋒なのですから」
「確実に合わせに来てるけどねこれ……大将だったら私がなりふり構わずトバしに行くのを阻止するためとかだよ絶対……」
透華が凛として切り捨てたその締めは、その実ボクらに向けたものだったのかもしれない。不安はある。むしろ不安しかない。しかしそれ以上に、照さんならば何とかなるという信頼もある。如何にその根拠が無かったとしても、それを信じられるくらいの関係を積み上げている。
加えて、更にウチにはあの衣まで控えている。透華だって、純くんだって何ならボクも微力ながら全霊を振り絞るつもりでいる。
一人が如何に強かったところで、如何に一人が頑張ったところで、それだけでは勝てないのが団体戦だ。その事実は皮肉にも、稼ぎを実質衣一人が担っていた去年のボクらが証明しているのだから。
「でもまあ、そうだね。何とかするし、何とかなるよ多分。やるのはあくまで麻雀だから、確実なことは何も言えないけどね」
その曖昧な返しに、しかし透華は満足そうに頷く。透華だって、きっと懸念は抱えたまま。しかし、それでも、その上でそれらを全て飲み込んだ。
それが“信頼”。当時のボクらが劣っていたこと。今のボクらが積み重ねて来たこと。それがあるから、ボクらは負けない。どんな脅威が相手でも。不安なんていらない。進むんだ、どこまでも。
目指すは一番、どこまでだって。透華と一緒なら、ボクらはどこへだって行けるんだから。
☆☆☆
──などと言っても、どんなに色々なオカルトが入り混じったところで、最終的にやることは
『みっつずつ、みっつずつ……』
「………」
モニターの中の一人の女性に向けて、“眼”を凝らしてじっくりと集中する。
今更言うまでもないことだが、麻雀という競技は、普通にやれば立直ですらできる確率は5割を切る。我々オカルト使いはその可能性を歪めることで都合の良い運命を引き寄せているわけだが、やはりオカルトと言えど何かを歪めるような真似をすれば必ずどこかで反動が押し寄せる。
それは、あの宮永咲であっても同じこと。人外の感覚を有する彼女も、人であるからにはその理には抗えず、ならば私の能力は、宮永咲の天敵であるとも言える。
しかし、しかしだ。もしも本当に運命に愛された存在がいるとするのなら──そもそもそんな小細工など通用しないのではないだろうか。
当然のように豪運で、奇跡のように存在を見過ごされ、偶然対策を見誤る。私だって人間だ。ミスを少なくすることは出来ても、全くのゼロにすることはできない。
『あ……ツモです。えっと、トイトイと三暗刻。でしょうか……?』
『な──それ、四暗刻じゃ……!?』
そして、如何なる競技であっても。それは麻雀のように技術や運が試される競技であったとしても、多人数が行う競技であるからには、必ず一定数“ある存在”が誕生する。
『え? 役満……って、ぇぇえぇぇええ?!?』
即ち、“何だかよく分からないけど運が良い”。あるいは、“何故かは知らないけど勝てる”と言った、本当に理屈が通用しない相手である。
また、その存在は、間違いなく、あらゆるオカルト使いの“天敵”であるとも言えるだろう。
「………」
ため息を吐く。全国以上に荒れそうな決勝。龍門渕さんへの返答は強がりだ。勝てる見込みなんて、それこそ咲一人であっても一割を切るほどしかない。その上、どこかに咲と同レベルの化け物が潜んでいないとも限らない。
楽しみじゃないと言えば嘘になる。しかしそれ以上に龍門渕高校麻雀部の部長としては、私はこの地獄のような大会の行く末が、あまりに不安で不安で仕方がなかった。
二回戦第六試合終了
城山商業 96800
古里 47500
鶴賀 169000
緑ヶ丘農業 86700
種明かし回。導入なので短め。次回は少し時間が飛んで長野決勝戦に入ります。次回も見ていただけたら幸いです。
あ、それとこの作品とは関係ありませんが、風越のキャップって泣き顔が似合いますよね。それではまた。