「つ、ツモです! えーとえーと、2000、よんせ──」
「違う。多分ドラが頭から抜けてる。それは倍満」
「4000、8000ですね。どうぞ」
「その牌ロン咲。満貫で8000」
「え?……はい」
「お姉ちゃんそれロン。12飜の24000点」
「マジか。……って流石に配牌から清老頭なら素直に和了りなよ」
「大四喜満貫にしたお姉ちゃんがそれ言う?」
「ロン。3倍満返しの36000。これで逆転。やったぜ」
「やっぱりさっきのは偶然じゃないのか……相変わらず慣れるの早いなぁ」
「それが自慢だからね。慣れてしまえばこっちのモノだよ」
「むむむ……」
「? えーと、ドラ無しの混一色に役牌、三暗刻で10飜にも満たないと思うんですが、それはどんな役なんです?」
「ああ、これは槓ドラって言って──」
「その牌、ロンです。16300」
「はぅ!?」
「あれれ? おかしいなぁ。今度は私だけちょっと手牌が悪い気がするんだけど……」
「いや今度のは偶然だからね? 下振れだよ下振れ。今更何言っても無駄だとは思うけど──さて、次は私が親だね」
「止めないと地獄を見るんですね分かります」
「が、頑張ります……!」
「…………」
…………………
……………
………
決勝戦先鋒戦南2局一本場終了時点
風越 92000
龍門渕 99700
清澄 100600
鶴賀 107700
「──………」
今まさに目の前で起きている事態を、私はどこか遠くで眺める。蚊帳の外である事実よりも、何というか現実感そのものが感じられない。
(一体、この卓で何が起きてるの……?)
思考もガタついて来ているのか、先程から似たような陳腐な言葉ばかりが脳に反響する。あり得ないだのおかしいだのと、単に現実から逃避しているだけの戯言が彷徨っている。
「ツモ。2000オール」
「ぐっ……」
「あぅ……」
「…………」
2巡での和了。トップを再度取られたというのに、点棒を渡す私の動きには、もはや微塵の悔しさすらも感じられない。ただ頭に浮かぶのは疑問。いやこの際、この卓で何が起きているのかはどうでもいい。
ただ、何もできない。その事実だけが無力感、脱力感という形で、ヤスリのようにざりざりと、鈍く粗く精神を削っていく。
福路 配牌
{九九999⑨⑨⑨北北北西発}
(また──)
配牌から一向聴。しかも役満を狙える手。普段であれば垂涎モノなこの手も、今はこれ以上なく虚しく感じる。
どんなに優れた手牌であっても、和了れなければ全てが無意味。だからこそ麻雀には“流す”といった戦術が存在し、私も好んで良く使っていた。
「ツモ。4100オール」
「………」
しかし、いざそれが“やられる側”に回ってみると、こんなにも虚しいものなのか。贅沢を言っているのは分かる。これまで散々似たようなことをやってきたのに、どの口がと憤られても仕方ない。
でも、それでもこれは違うだろうと。そう考える私の気持ちも理解して欲しいと。そう願うのは我儘なのだろうか。
福路 配牌
{一一一二三四五六七八九九九}
(っ………)
本日都合2度目の聴牌。先の配牌も一向聴であったことを考えると、これは少ないと言えるのだろうか。でも、見るからにそれ以外にも問題がある。それは、私がこの大物手を形に出来ないと言った実力的な話ではなく。いや、あるいはそういう問題なのだろうか。分からない、分からない、分からない。
福路 ツモ
{⑥}
打牌
{⑥}
「ロン。8600」
「は、はい……」
開かれたのはタンヤオ三色の手。奇しくも最初の妹尾さんの和了りとほぼ同型の手だ。これもとんでもない奇跡であるはずなのに、どうにも
南3局3本場 福路 配牌
{東東東北北北西西西南南南白}
「…………」
再びの聴牌。大四喜字一色四暗刻単騎。ダブル役満採用のルールであれば、直撃でトップの宮永咲さんすら容易に飛ばせる超大物手。
しかし、どうだろう。
(どうすれば……何をすればいいの……?)
自分でも、自分が何を言っているのか分からない。誰が見ても最良の手で、やるべきことは明白なのに、それで結果を出せないなんて狂っている。だけど現実は揺るがない。だって私は、まだ何も出来ていない。
宮永咲 打牌
{②}
「それロン、2900!」
「な──」
宮永照 和了形
{123456789②} {②} ポン{1横11}
4巡目での和了り宣言。相変わらず恐ろしい早さでの和了だが、この和了りがこれまでの半荘で一番遅い和了りだというのが笑えない。
鳴き一気通貫ドラ1の2000点、一見すると平凡にも見える手。しかし、その手順がこれまたおかしい。照さんの河に初手から連続で並べられた2枚の9索。つまり萬子と索子の違いこそあれ、彼女の手は配牌時点では先程の私とほぼ同等の手だったことになる。
和了れたからいいものの、敢えて聴牌を崩した上で逆転の芽さえ自ら潰すような和了り。何故そんなことができる? どうしてそんな真似が出来る?
この場面、この状況で、当然のように役満を捨てるなど、それこそ狂気の沙汰としか言いようがない。しかし現実に彼女は和了り、私は同等かそれ以上の手を以てしても和了ることが叶わなかった。この差は何なのだ。一体、彼女には何が見えているのか。
「ツモ。500・1000です。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました!」
「………ありがとうございました」
結局、何もかもが分からないままに、オーラスもあっさりと妹さんに流されてその半荘は終了する。最後の手も役満間近であったとか、一度も5巡を超えなかっただとか、私が焼き鳥だったとか色々考えることはあったけど、今はただただ何も考えずに、布団に入って深く休みたい気持ちでいっぱいだった。
決勝戦先鋒戦半荘一回目終了
風越 84000
龍門渕 96400
清澄 129000
鶴賀 90600
☆☆☆
「だ、だいぶマシに抑えられた……」
「途中から……いえ最初から何もかもが異常な卓でしたわね。基本1〜2巡で和了することも、それに風越を除く全員が普通に付いて行ってることも」
見るからに消耗した様子の照先輩を透華が迎え入れる。これほど消耗した彼女を見るのは初めてだが、それも無理はないとボクは思う。というかボクどころか照先輩以外の部員があの卓に座っていたらまず間違いなくもっと酷い目に遭っている。衣やあのモードの透華でさえ生き残れるか怪しい。それほどの惨状だった。ってか揃いも揃って平均2巡で和了るって一体何なんだよ。ボクが言うのもアレだけど全員イカサマしているのかな?
「それで、そろそろアレの種明かしをして欲しいんだが……」
「……どれがいいかな?」
「どれって言うか……あの配牌のことだな。何をどうしたらあんな巫山戯たことになるんだ?」
「アレね。まあ、あれは気になるよね」
当然、ボクと同様の疑問を抱いただろう純くんが代表して切り込む。疑問を抱くというか、もはやありとあらゆることを色々と超越した配牌だった。全員が役満寸前、しかもそれがほぼまるまる半荘一回分続くとなると、どんなに途方もない確率なのか考えるだけで気が遠くなる。
その言葉を受けた照先輩は、ぐったりした様子のままよたよたと衣の座っていたソファの隣に腰を掛けてその長い金髪のてっぺんに軽く手を乗せると、
「そうだね。衣ちゃんから見てどうだった?」
「純の其れに近い何かであることは理解る。しかし、その手法があまりに奇天烈で私には言語化出来ん」
「そうそう。でもあんな芸当が出来るのは流石に咲以外にはいないから安心してね」
「オレに?」
眉を細めて猫のように善がる衣と、それとは対照的な顔で心外だと主張する純くん。まあ、あんな正真正銘の化け物と同類扱いされてしまっては、そんな怪訝な表情をするのも分かる。
「うーん何から……まあ、一つずつ話そうか。まずは妹尾さんの豪運についてからだね」
だいぶ精神的に持ち直したのか、再び立ち上がった照先輩はテーブルの上にあった智紀が纏めていた牌譜を手に取り、小さく「なんだこいつやべぇ」とどの口がほざいているのか分からない感想を漏らしながら控室のモニターのすぐ横に立つと、
「まず前提として、妹尾さんのアレは一過性のものです。今しばらく……多分この大会が終わってからも一月やそこらは保つと思いますが、今大会で沸いてる熱が冷めて冷静になって、本人が一度“あれ?いくらなんでもおかしくない?”と認識してしまえば自然と解けるシンデレラの魔法的なナニカです」
「何かの能力、というわけではないのですか?」
「まあ、あれだけ過剰だと能力と言えなくもないけど、私は違う認識かな。何て言えばいいのか分からないけど、無知が故の無敵モードというか、多分自分がどれほど凄いことをやっているのかが分かっていなくて、だからこそ“良配牌だと良いなぁ……やったぁ良配牌が来た!”くらいの感覚であの配牌を実現させていたんだろうね」
「今すぐ現実の厳しさを叩きつけてやりたい……」
全ての局で配牌から複数の役付きで聴牌という、良配牌とかの次元じゃない配牌をモニターで見ていた礼堂さんが恨めしそうに言う。しかし気持ちは分かる。あれが良配牌程度の認識とか、麻雀を舐めているとしか言いようがない。この大会に向けて何年も麻雀を真剣にやっている人間が、そんな麻雀に対する理解すら浅い化け物に蹂躙されていたなど悪夢でしかないだろう。
「だけど無意識でもあれだけのことが成せるということは、鍛え上げればもっと厄介なことになる可能性があるということ。かの有名な小鍛治プロがほぼ初心者の状態でインハイを制し、そこから技術を磨いて手が付けられなくなったように、再度山を越えた妹尾さんも面白いことになると思うよ。一年もあれば一通り学べるだろうし来年に期待だね」
「期待したくないなぁ……」
(え? たった一年で方向性は違えどあのレベルになるの……?)
突如として浮かび上がった特大の脅威に戦慄する。一過性と言われて多少は安堵していたのに、その地和が前提みたいな理不尽が結局は来年にも現れるとなっては心穏やかではいられない。
「それで、咲なんだけど──」
しかし、来年のことを言い出したらその無敵モードの妹尾さんをナチュラルに上回っていたもう一人の化け物がいる。しかも彼女に至っては照さんですら凌ぎ切るのがやっとというもはや何を言ってるのか理解できない存在。それが真実であることは先の試合で存分に思い知った。そんな彼女は、果たしてあの戦いで何をしていたのか。
「妹尾さんの豪運に便乗した……って言うのかな。誰しもやたらとツイてる時ってのはあると思うんだけど、咲は妹尾さんのツキを自身のものだと誤魔化して、その対象を自分にした──井上さん風に言うなら、“流れを掠め取った”わけだね」
「……それだけではないのだろう?」
「うん。咲はその上で更に対象を拡大して、”あの卓自体が異常である”と世界に誤認させている。もう既にあんなにぶっ飛んだことが起きているんだから、今後もそれ以上の何が起きてもおかしくない──そんな風に運命をこねくり回して、それによって確率の概念は半ば消滅し、全員が当然のように役満を聴牌するような地獄を創り出したわけだね」
「??????」
何を言っているんだこいつは。どうしてたかが麻雀に『世界』なんて単語が迷び出て来るのか。あと概念が消滅って何だ。運命をこねくり回すって初めて聞いたぞそんな言葉。ただ、あの卓が地獄という認識だけは同意である。
訳がわからない。だが、今の話を聞いて再認識した。宮永咲という人間は、もはや何もかもが規格外過ぎる。今存在しているトッププロのうち、一体何人が彼女を相手にまともに戦うことが叶うのだろうか。
頭を抑える動作がすっかり板に付いた透華が、絞り出すように問う。
「それが真実なら、やはりあの子は格が違いますわね……どうしてそんなことになっているんですの?」
「咲は今が人生の絶頂期だからね。京太郎くんと結婚したらだいぶ落ち着くはず。……つまりあんな風になったのは多分私のせいですごめんなさい」
「元々の素質に加え、常時妹尾さん状態が続いているというわけですか……」
納得できるようなできないような理屈を展開する照さん。でもそうなると逆に照先輩がどうしてそんな状態の咲ちゃんを抑えることができるのか分からなくなる。やっぱりどっちも化け物じゃないか。
ボクが内心で頭を抱えていると、珍しく……本当に珍しく衣がトテトテとボクのところまで歩いて来て、おそらくはボクを慰めるための言葉を紡ぐ。
「案ずるな、ハジメよ。照はああ言っているが、実際には言葉ほどの脅威ではないはずだ。いや、事実今のハジメでは100戦やって一度も和了れないやもしれんが、それでも懸命に抗えば不思議と再起不能な事態にはならん」
「それは……どうして?」
「彼奴の能力は非常に度し難い。おそらくは現状の扱いでも相当に持て余している。そして、練度があれ以上になることもないだろう。それは徒に敗北率を高めるだけだからな」
「?? ごめん、ちょっと理解ができなくて……」
「力の強大さに怯えて縮こまることこそが彼奴の思う壺だ。そういう意味では、妹尾佳織の存在はこれ以上ないほど奴への最適解と言える。──要するに、ハジメであれば大丈夫。衣はそう信じてる。彼奴に対して理解が及ばすとも、そう認識している衣おねーさんを信じよ」
「──そう、だね……」
相変わらず何も分からないままだが、衣から確かな信頼を寄せられているのが感じられて思わず涙腺が緩みそうになる。ボクは透華ほど衣に対して露骨ではないが、それでも彼女同様にあの排他的だった衣の存在を知っている分、その感動もひとしおである。
「なにせ、来年はハジメが彼奴と戦うことになるだろうからな……」
「え????????」
さらっと付け加えられた言葉に脳がバグる。は?え?何それ?ボクが戦う?彼奴って誰?もしかして宮永咲と?ボクが?……どうして?
「照がいないのは当然として、衣が先鋒向けではないのは知っての通りだ。そうなると誰がどの配置に付くかなのだが、まずとーかは色々な意味で正直先鋒に置きたくない。ならば純かハジメか智紀のいずれかを先鋒に配置するのが妥当という話になり、しかし今の純は中堅に置くのが一番相応しいように思う。あとは実力順にハジメ、智紀で先鋒次鋒だ」
「あんなの相手に和了れる気がしないんだけど???」
「案ずるな。ハジメであれば猛特訓を経た来年には半荘一回で親を二度と流すくらいならどうにかできるようになっているはずだ。照ほどではないが、衣の優秀な観察眼を信じよ」
「期待が、期待があまりにも重い……!!」
しかもそこまでして親を流すだけってもうそれボロ負け前提じゃん! そこは嘘でも『お前なら勝てるさ』くらいは言ってよ!? いや来年になってもまるで抵抗できる気がしないのは事実なんだけど、『お前じゃ親を流すのがせいぜいだけど折れずに頑張れよ』ってはっきり言われて今まさにその気力がゴリゴリ削られてるんだけど!?
そんなボクの慟哭を無視して、衣は小さな顎にこれまた小さな手を当てると、
「しかし、解せんな。運の流れを掠め取ったのなら、どうして其れをそのまま自らに用いなかった?」
「さっきも言ったけど、妹尾さんのアレは初心者だからこそのコストカットだったわけで、咲は天和地和ダブリーが如何に困難な役なのかを知っている。これは推測だけど、奪ったはいいけど扱い切れそうになかったから、流れとか全部使い潰す勢いでとりあえず状況をイーブンにしたんじゃないかな?」
「苦肉の策というわけですね。ということは……」
「そう、咲にとっても、あの卓は相当に苦しい。それは今の点数状況が物語っている。そして咲さえ抑えることが出来たなら──あとは順当に勝てるはずだよ」
力強く言い放った照先輩。まだまだ不安はあるものの、彼女であれば任せられるという確かな信頼がある。
ならばボクらは信じよう。そして全力を出し切ろう。彼女が勝っても負けてもそれでも、ボクらだけでも勝利を掴めるように。それこそが、団体戦という競技の強みなのだから。
☆☆☆
「っ……」
謎の疲労感に、足元がよたつく。どこか視界も覚束ない。自分が何をしているのかも曖昧になってくる。
しばらく壁にもたれ掛かり、そこで今更ながらに会場の地図を控室に忘れていたことに気づいた。柄にもなく緊張していたのだろうか。しかし、まあ、これまで通路を真っ直ぐにしか進んでいないので、とりあえず来た道を戻れば試合会場には戻ることができるだろう。
控室に戻ろうとしない私を、部長はどんな目で見るだろうか。試合の前にあれだけ大口叩いておいてこの有様では、幻滅されてもおかしくない。それは嫌だな、と思うと同時に、それも仕方ないと考える自分がいる。常識的に考えて、あの部長がそんなことを言うはずがないのに、どんなに非常識な曲芸が出来ても、やはり私は根暗女のままなのだなと再認識する。
「おーい、咲!」
「京ちゃん……?」
馴染みのある声に、俯いていた視線を上げれば、そこには見慣れた金髪の男子の姿が映る。どうしてここに、と戸惑えば、彼の手に控室に置き忘れた会場の地図が握られていたのが見える。それを渡すためにわざわざ会場付近まで探しに来たのだろうか。相変わらず外見に反してやたらと気配りの利く男である。
「……ごめん、ちょっと肩貸してくれる?」
「また随分と疲れているな。麻雀に疲れるようなところはあるのか?」
「オカルトが絡むと割と……お姉ちゃんも昔、体力を消費するタイプのオカルトの調整に苦心したとか何とか……」
「そんなもんか……まあいい、よっと」
「きゃっ……」
ぐいっと力強く肩を引き上げられる。今はプライベートでバスケをやっているらしく、運動部顔負けのがっしりとした体格が頼もしい。
しばらくそのまま歩いていると、間が保たなくなったのか、不意に京ちゃんが語りかける。
「それで、どうだ? その様子だと随分と苦戦してるみたいだが」
「実は結構苦しい……やってみないと分からないくらいには困ってる」
「そうか……お前がそう言うんなら、流石はお前の姉さんなだけはあるな」
「麻雀に関しては、私が先輩なんだけどね……」
そうなのか?と感想を漏らす京ちゃん。そういえば、その辺りのエピソードについては語ってなかったかもしれない。まあ、今はあえて語ることでもないだろう。あまり愉快な話でもないし、これからいくらでも話す機会はある。
「そんなにも苦しいなら、いっそ諦めるか?」
「………」
私が何と答えるのか知っているだろうに、ハッパをかける意味も込めてか、意地悪く京ちゃんがそう問いかける。それに私は、対抗するように手に力を入れて、
「……もうちょっと頑張る」
「そっか。なら、俺から言うことはナシだ」
にっこりと笑う。私には到底出せそうにない快活な笑顔。普段は恥ずかしがって私にはあまりこんな顔を見せないのに、こういう時には惜しまないのは本当にずるいと思う。
「しかしまあ、そんなまでして。随分と部長に御執心なんだな?」
「………だって、あの人は。私なんかより、よっぽど凄いんだよ」
「?」
「あの人……久さんには、数え切れないほどの不運が絡み付いている。私はあの子が死んだ時、私が世界で一番不幸なんだと不貞腐れていたけど、あの人はそれ以上の不幸に囲まれて、それでも笑顔で過ごしてる」
だから私は憧れた。彼女の生き様に、その笑顔に。その身に振り返る不幸など大したことないと笑い飛ばしながら、あるいはそんなものを内に秘めてもなお、あんなにも綺麗に笑える彼女の姿に。
だから私は、ほんの少し……ほんの少しだけ、彼女に幸せを味わって欲しくなった。それを容易く成せるだけの力が、私にはあったから。それはきっと彼女のためではなく、ただの私の自己満足の、ため、に──
「あ──………」
「…………」
「………聞いてた?」
「………悪い」
「あ──ぁあぁぁあああああ!!!」
「ちょ──咲!?」
反射的に京ちゃんを振り払って全力で駆け出す。疲労は精神的なもの、その気になれば走るのも問題はない。
不覚──不覚にも程がある。まさかこの私が、如何に疲れていたとはいえ、あんなにも情けなくてこっぱずかしい執着を、よりにもよって京ちゃんに話してしまうなんて──
「おーい、待てよ! 別に良いことじゃないか!」
「軽く追いついて感想を言うのやめて!? いいから放っておいてよぉ!」
それから唐突に始まった追いかけっこは結構な時間……具体的には私が肉体的な疲労で動けなくなるまで続き、そんな逃げ惑う私を遠巻きに余裕そうに追いかけて来た京ちゃんの手によって、結局私は控室に戻ることもなく、そのまま疲労困憊の状態で後半戦に望むのだった。
きっとハジメちゃんならできるって信じてる。なお
次回はちょっと遅れるかもしれません。ご了承を。