卓上で複雑に絡み合う線が、視界全体を埋め尽くす。
私が運命と定義する
ただ、干渉と言っても、語感から想像するほど大したことはできない。これら無数に流れる糸の一つを絡め取り、あるいは撓ませて
あからさまに特別なこの力、それに優越感を覚えなかったと問われると嘘になる。けれどそれ以上に、煩わしい出来事の方が多かった。ババ抜きは悉く初手で全て捌け、アイスの当たりは百発百中。それ以外にもこの力は様々な局面において割と都合良く調整が可能で、特に幼い時分には自制も最低限のものでしかなかった。必然、そういったものには敏感な子どもの間に、私が集団に中々馴染めなかったのは自業自得とも言える。
麻雀を始めるようになった頃には、私がこの力を麻雀以外で発揮することはなくなっていた。具体的にどのような経緯があったのかは割愛する。一つ言えるのは、それは決して愉快な出来事ではなかったという事実……いや、今更あえて隠すようなことでもないか。
と、言っても、簡単な話。男女七歳にして席を同じにせず──ある程度分別が付く歳になると性の違いから男が女を避けるように、あるいは女が男を排斥するように、私という人間もそうであったというだけだ。異端と思われる程度ならまだマシで、酷いモノになると面と向かって化け物と評される。いや、流石に小学校低学年にそこまでの語彙力は無く、実際には『へんなの〜』くらいのノリであったが、しかし幼心にはその程度が思った以上に堪えるもので、およそ一年ほどの無様を晒した後、学年を上がる頃には私は、まるで傷痕をでも隠すかのようにこの力を隠すようになっていた。
幸か不幸か、その目論見は非常に上手くいった。隠すことなんて簡単だ。他の誰もこの力を持たないのだから、ただ見ないふりをすればそれでいい。発覚時期が早かったのも幸いした。小学校に上がったばかりの頃の子どもなんて、まだロクに物心がついていないような時期。クラスも変わって数週間もする頃にはそんな出来事はすっかり全員の記憶から忘れ去られ、そうなると輪に加わる機会もそれなりに訪れて、意識さえすれば溶け込むことは容易だった。そうして良くも悪くも早熟だった私は、まるで騙すようにして急速に周囲に馴染んでいった。
運動は苦手だった。激しく動いて、あるいは感情が昂って、何かの拍子で力が暴発するのを恐れたから。本の存在を知ったのはその頃だ。露骨に運動を避ける私を見て、読書好きであった姉が善意で薦めてくれたもの。よくある子ども向けの冒険ファンタジー小説。具体的にはデル◯ラクエスト。学校の図書館にもあったそれをおよそ三ヶ月で読破して、Ⅱ以降の作品をお年玉を使用して揃えたのは記憶に新しい。
以降、読書は自他共に認める私の趣味となった。しかし、そういった趣味はどうしてもお金が掛かるもの。その時点で主に割と子どもに甘く金銭管理が雑な父のおかげで5万円そこそこは貯まっていた気がするお年玉。しかしそれをたった数日で使い切りそうな勢いで浪費をする私を見て、心配になった母が賭け麻雀を名目に一度そのお金を取り上げようとする。
──そこから一ヶ月。地獄のような鬩ぎ合いが始まった。母の最大の失敗は、打つ前に私へ麻雀のルールをきっちり教えてしまったこと。お金なんて将来に関わるモノ、如何に理不尽と思われようとも、妙な言い訳なんか用意しないで素直にすぐさま取り上げてしまえば良かったのに。下手に賭け麻雀なんてご立派な名目で勝負を挑んでしまったせいで、1000点1000円という雀荘にも中々無いであろうあまりにもアレなレートが家族麻雀として成立してしまったのである。
そして、あの父に引っ掛けられるだけあって、母は驚くほど真面目で融通が利かなかった。具体的には、初手役満とかいうあまりにも悲惨な事故をなあなあにせずに認めてしまったのだ。元プロとしてのプライドもあったのだろう。2戦目以降、油断をしなければ互角以上に戦えてしまえることも災いした。結局、その日の収支はおよそトントンで、勝負は次の機会に持ち越されるようになった。それが第2の失敗。ちなみに母はこの後、だいたい20くらいの失敗を重ねる。
母の負債が10万を超えた辺りで、何かのきっかけでこの地獄を知ったらしい父が参戦し借金については有耶無耶になった。そして母が能力全開の私と互角だった事実から、麻雀に関してだけはこの力を思う様振る舞って問題ないことを知った。これに関しては環境が悪かったと思う。後に参戦した父も姉も同様にそうだったのだから、勘違いしても無理はないだろう。いや、勘違いですらないのかもしれない。こんな私ですら、例の小鍛治プロに勝てるのかを聞かれると首を傾げざるを得ない。
そんな経緯で無数の
☆☆☆
宮永咲 配牌
{北北東東西西西南南南発発白}
「………」
あの日から。
私の力には、ひょっとしたら“反動”があるのではないかと思い始めるようになった。
おそらく、実際にはそんなものは無いに等しいのだろう。しかし、そう思い始めるようになったこと自体が、私にとっての転落の始まりだった。
何かが上手くいかない。少しでもそう思ってしまえばそれがその通り現実になる。テストで良い点が取れた、ご飯が大好物だった、なんて些細な喜びで多少持ち直しても、また一度挫けてしまえばそれまで。不幸にも、本の虫であった私は無駄に語彙力も豊富だった。“揺り戻し”という言葉の意味とその概念をきっちりと理解していた。
度重なる不運に嫌気が差し、私は半月もしないうちに家の中に閉じこもるようになってしまった。みんなは友達を失ったショックによるものと認識していたけどそれは違う。怖かったのだ。もしもあの事故が、私の力によるものだと私自身が認識してしまえば、この身にどのような罰が降り注ぐのかと恐れていた。それがひょっとしたら、あの子の時のように周りを巻き込んでのものになるのではないかと。
けれどそう鬱々と閉じ籠ること自体が、そんな思考をますます加速させた。私のせいだ。私のせいだ。私が私が私が私が。そんなことを延々と考え続けて、いっそ一思いに──いつしかそう願うようになってまた一年。しかしいつまでもいつまでも、その瞬間は終ぞ訪れることはなかった。
宮永咲 2巡目 手牌
{北北東東南南南西西西発発白}
ツモ
{白}
打牌
{西}
ある日、部屋にあったトランプを手に取った。適当にシャッフルして捲る。スペードの1。再び捲る。スペードの2。捲る捲る捲る捲る捲る捲る捲る捲る捲る捲る。最後に捲られた2枚のジョーカーをトランプごと投げ捨てて、私は力が失われたわけじゃないことを思い知った。また同時に、あの事故が偶然によるものであろうことも知った。
でも、偶然とはなんだろうか。私のこの力は、そんな偶然をこそ都合良く捻じ曲げるもので。ゆらゆらと、ふらふらと。何も分からないままに家の中を練り歩く。その日、親は自宅に居なかった。火事による影響は私の想像よりもずっと大きく、家の生活リズムを塗り変えてしまうほどだった。
家を出た。いい天気だ。空は青く、電柱で小鳥が歌っている。天を仰ぐと、その瞬間に無数の小鳥が空高く飛び上がった。私が意識を向けたからだろうか? いつかそんな話を本で読んだことがある。真偽は知らないし、そんなことはどうでも良かった。
何となく思い立って、飛び立つ小鳥を追いかける。自分でも何故こんな行動に及んだのか分からない。ただいくら追いかけても追いかけても小鳥は天高くへと離れていき、決してその距離が縮むことはない。
宮永咲 3巡目 手牌
{北北東東南南南西西発発白白}
ツモ
{1}
打牌
{1}
嗚呼──あの鳥に比べて、私はなんて惨めで醜いのだろうか。たった一つ、人とは異なる感覚を持っているだけで思い上がって、それでこの世の全てが思うがままと自惚れて。
人は決して鳥にはなれない。多少人とは違ったとて、私なんてその程度だ。空を飛ぶことを夢想して、しかし叶わず地べたを這いずり回る虫。否、動くことさえ厭う私は──
『そらっ!!』
『え──?』
人が、空を飛んでいる。
そんな目を疑う光景に、思わず呆然として立ち止まる。そしてここに来てようやく、私がいつの間にか近所の公園まで来ていたことに気づいた。
『へっへー。どうだ、オレが今んトコ最高記録!』
『すっげー、やるじゃん!』
『ぬぐぐぐ、次は僕がやる!』
そして、件の人物──空飛ぶ少年はといえば、ブランコの方から駆け寄ってきたたくさんの友達に迎え入れられその輪に交ざる。
『………』
もしかしなくても、その少年はブランコから勢いよく山なりに飛び出したのだろうか。何と危なっかしい。私の目の前、つまり私の立っているこの場所からブランコまでは優に5メートルはある。そんな距離をその身一つでひとっ飛び。命が惜しくないのだろうか。
胸が騒つく。血の気が引く。蛮勇でさえない。そもそもその行為に何ら意味など無く、失敗して怪我をしてもただ愚かだと嗤われるだけだ。でも、当の本人は呑気に笑っていた。心底から楽しそうに。よもや訪れるかもしれない運命など、まるで最初から存在しないかのように。
『………』
しばらく遠巻きに、その少年を眺める。これもどうしてそんなことをしたのかは覚えてない。多分、ただ少しだけ気になった。言ってしまえばその程度の動機。如何にも悪ガキっぽい印象を受ける、おそらくは地毛だろう自然な金髪が特徴的な少年。年齢は私と同じか少し上くらいだろうか。しかし共通点と言えばそれくらいで、あらゆる意味で、彼は私と、何もかもが対照的な位置に存在しているような人間だった。
宮永咲 4巡目 手牌
{北北東東南南南西西発発白白}
ツモ
{中}
(聴牌……)
多分、きっと。一目惚れだったんだと思う。人は、自分に無い要素を持つ存在に惹かれるという。だから、私がその少年を目で追うようになったのは必然で、こうして結ばれたことは偶然。でも、私の見えていた運命では、その未来に辿り着く可能性は限りなく低かった。なればこそ、私がこの未来に辿り着けたのは、人の意思が、誰かの思惑があってこそ。
運命は人の意思によって歪められる。かつて私はそう言った。
運命は人の意思によって変えられる。いつか姉はそう告げた。
些細な違い。単なる言葉遊び。何も違わないと誰かは言う。でも、違う。この力を忌避している私には、運命の流れ、その大筋を変えることは出来ない。言うまでもなく、その結果を恐れているからだ。故に、運命を変えることができるのは、いつだってそれを運命と観測できない誰かだけ。何をしようと、何が起きてもその行動に迷いを抱かない、抱けない。そんな人間にこそ運命を変える権利がある。それは決して、今の私には出来ないことだ。
そして同時に、それこそが私の、あるいは私のこの力の、おそらくは唯一にして最大の弱点となる。
「………」
宮永咲 打牌
{南}
「ロン」
「──」
宮永照 和了形
{一一二二三三九九九789南} {南}
「12000」
「……。……はい」
(油断、をしていた……わけでは、ないんだけど──)
どこか違和感のある和了り。あまりにあっさりと“流れ”を堰き止められたからか、悔しさよりも先に疑問が湧き立つ。
「………」
なんだろう。上手く言えないが、いつもの気持ち悪さが無いと言うか。もうなんかネチネチと隙間を縫うような嫌らしい感覚が驚くほど感じられない。そう、例えるなら
どういうことかと姉を見れば、彼女は私を一瞥して無駄に綺麗なウィンクをする。煽りかと思ったのも一瞬、閉じた片方の眼をいつまでも開かない彼女を見て、すぐさまその理由について思い至る。
(“初見殺し”……)
常時拡大してる視界をあえて制限することでその分いくらかの力が戻ってくるという、姉の有する正真正銘の最後の奥の手。またの名を自爆戦術。繊細なコントロールが自慢のピッチャーが、ありとあらゆる制球を彼方へと投げ捨ててど真ん中に全力投球するかの如き暴挙の果てに得られる力。失ったモノに比べて
(残り2局──てっきり私、
いや、
無論、姉とて馬鹿ではない。初見殺しと公言しているだけあって来ると分かっていれば容易く避けられる凶撃。当然私にも警戒されているオーラスを避け、なおかつ局数が長引かないように点数を稼ぐのであればこのタイミングでしかないというのも理解はできる。
(でも、納得は──だってこのタイミングで使うかな普通)
視界を制限する──などと軽く言うが、要するにそれは彼女がこれまで積み重ねて来た戦法、姉の麻雀全ての否定に等しい。
如何にもな様子の姉を見るに、この和了りで削ったのは視界の丁度半分。それが具体的にどの程度のことなのかは私には分からない。けれど、この状況、この場面で流れを変えるほどの和了りとなると……そう安いものではないはずだ。
「…………」
南3局 宮永咲 配牌
{四四四4444④④西西西南}
南3局
風越 46000
鶴賀 55400
龍門渕 142700
清澄 155900
(13200……か)
満貫一発で引っくり返る点差。思えば、随分な接戦になってしまったものだ。本音を言えば、10万は流石に努力目標にしても、それに近い数字は稼げるだろうと思っていた。しかし、蓋を開けてみれば10万点はおろか、途中経過とはいえ逆転された場面まである始末。
単に私の想定が甘かったのか、それ以上に姉の成長がそれほど著しいのか、あるいはその両方か。
(どうしようかな……)
良くも悪くも、私の麻雀における対戦経験は家族のモノに偏っている。だからこそ異常な練度で研磨されたとも言えるし、だからこそ引き出しが少ないとも取れる。何にせよ、その性質上対戦を重ねるほど強化されていく姉と比べると、私の成長速度は非常に緩やかなものとなっている。
否、私の実力は、むしろ今が頭打ちであると表現してもいいくらいだ。考えれば考えるほど、麻雀の腕が磨かれれば磨かれるほどにおそらく私の力は相対的に弱体化していく。今の曖昧な状態、このくらいの塩梅がベストであるという自覚もある。無論、実はこの能力がまだ途上であり、以降にとてつもないブレイクスルーが発生する可能性はゼロではないのだが、少なくともそれは今ではない。
しかし、
「………」
(──やっぱり、いつも通りが一番しっくり来るかな)
私のこと。姉のこと。両親のこと。恋人のこと。そして部長のことなんかを色々考えて、その上でそれら全てを一旦思考の外に追いやる。結局のところ、麻雀なんて個人競技だ。今まさに団体戦なんてその持論から外れた舞台に立っているわけだけど、それでも私はそう認識している。
団体戦のメリットとして浮かぶのは精神的な余裕や4倍の点数だろうか。しかしそれは同時にデメリットにもなる。特に部長はそういうプレッシャーに負けそうで今から心配だ。私の場合はどうだろうか。私もあまり強くない気がする。いつも通り、普段通りに戦えば、緊張を容易く誤魔化せるだけの実力が、この私にはあるだけで。
「……」
5巡目 宮永咲 手牌
{四四四4444④④西西西南}
ツモ
{四}
「カン」
何処となく不吉な配牌。しかしそんなことは私には関係無く。当然に、必然に。たった一枚の牌を山から引き抜く。それが何枚であろうと何処に存在してようと関係ない。“ある”と言う可能性さえあれば、私はそれを当たり前に引ける。
宮永咲 嶺上ツモ
{④}
「もいっこ、カン」
姉を見る。相変わらず片方の目を閉じたままで、珍しく視線が露骨に私へと向いている。それが先の和了りの代償なのか、単に一つになった瞳の動きから推察できるだけなのか私には分からない。でも、それもおそらくはもう、無意味だ。
宮永咲 手牌
{④④④西西西南} 暗槓{裏四四裏} {裏44裏}
宮永咲 嶺上ツモ
{④}
「もいっこ、カン」
運命が見えるが故に、運命を変えることを恐れる私。ならば私の得意分野とは、その運命を正しく導くこと。既に定められた結果を、より盤石なものとして補強する。だから私は強く在る。如何に矛盾してようと、それが私の麻雀だ。
宮永咲 嶺上ツモ
{西}
「とどめ、カン」
宮永咲 手牌
{南} 暗槓{裏四四裏} {裏44裏} {裏④④裏} {裏西西裏}
一度は偶然。二度は奇跡。ならば三度は? 四度目以降は?
確率というものは、度が過ぎると一気に陳腐なものと化す。言い方を変えるなら、あまりに重なると実感が湧かなくなる。私が槓子を好むのは、それが良い塩梅で認識を歪めるのに役立つからだ。
三度目の偶然はイカサマを疑われる。しかし四度目であれば、それは最早その人物に取っての必然となる。必然とは即ち運命の導き。ならばこそ、それを妨げるのは、決して容易なことではない。
「──嶺上開花。四槓子四暗刻単騎、8000・16000」
宮永咲 和了形
{南} {南} 暗槓{裏四四裏} {裏44裏} {裏④④裏} {裏西西裏}
南四局
風越 38000
鶴賀 47400
龍門渕 126700
清澄 187900
(妨害はない、か……)
まずは無事に和了れたことに安堵する。和了れる自信はあったのだが、何か企んでいそうな姉が何をするか分からなくてつい過剰に警戒してしまった。警戒し過ぎるのは私の悪い癖だ。分かってはいるつもりなのだけど。
オーラス 宮永咲 配牌
{一二三四赤五東発発発白中中中}
オーラスでも配牌は相変わらず。半荘一回隔てても継続している時点で予感はあったのだが、流石にここまで妹尾さんの豪運が凄まじいものだと思ってなくて正直かなり驚いている。来年はまだしも、再来年にはこの豪運を適切に使い熟す熟練者が君臨すると考えると、これは中々どうして恐ろしい。
いや、来年以降は姉がいないだけマシだろう。今現在私が苦戦を強いられているのは、どう考えてもこの無駄にウィンクが綺麗な姉が原因だ。どうでもいいが、どうやったらあんなに綺麗に片目を閉じられるんだろうか。私がやったら眉間に皺が寄ったり、開いたもう片方の目が半開きになったりするのに。いや本当にどうでもいい話だけど。
宮永咲 打牌
{赤五}
「ポン」
「はぇ……?」
宮永照 手牌
{裏裏裏裏五北北北北} ポン{五五横赤五}
(何この鳴き……?)
無理鳴きというか、何で槓子をわざわざポンしたのだろうか。ポンした巡目では加槓も無理、槓ドラなんて今更だし、少しでも手が進む明槓の方がいい気がするんだけど。
「……」
宮永照 打牌
{発}
「………?」
そんな姉は、ちらりとわざわざこちらを一瞥して、これ見よがしにゆっくりと手牌の一枚を河に放る。……え、まさか鳴けと? 正直もンのすごく怪しいんですけど? いや、確かに嶺上牌は有効牌だから鳴かない理由はないんだけど……。
(………)
「………カン」
だいぶ悩んで、少なくとも損はないだろうと判断して姉の捨て牌を鳴く。嶺上牌は白、順当に今私が必要な牌の一つ。別に何か仕掛けられていたというわけでも無さそうで更に頭が混乱する。これではまるで、ただ私の手を進めただけではないか。
(…………………)
考えて、考えて、考え抜いて。やはり順当に一つの牌を手に取る。意外性も面白味もまるで無い真っ当な選択肢、だが、ここに来て奇を衒う理由もない。姉が何を企んでいようと、何をしてこようと真正面から叩き潰す。私は当然にそれが可能で、シンプルが故に今の弱体化した姉では抗えない。同時に、私はそれが一番強い。
(よく分からないけど──ここまで整えば、もう速度で負けることはない)
和了までにはあと1巡か2巡、あるいは3巡を要するだろうか。しかしいずれの場合にしても、まず間違いなく姉よりは先んじて和了ることができる確信がある。そして、姉に如何なる企みがあろうとも、先に和了りさえすれば全ては無意味と化す。
宮永咲 打牌
{四}
だからこそ私は、最早お前にできることはないと、それを証明するかのごとく自信満々に河へその牌を叩きつける。だからこそ──この先の展開は、私にとって、本当に予想外の出来事だった。
「……ツモ」
にやりと笑う。基本どこか達観した様子の姉が、ごくまれに見せる年相応の嫌らしい笑み。調子に乗ったウチの部長とも僅かに共通する部分がある。
「え?」
イタズラが成功した悪ガキのような、嫌味ながらも不思議と苛立ちが湧かない笑顔。しかし、それ自体は問題ではない。それよりも。何よりも、まず一番予想外だったのは──
福路 和了形
{2223334446688} {8}
「緑一色、8000・16000、です……!」
その発言の主が、そんな如何にもな表情で笑っている姉ではなく──そこから正反対の場所に座っていた女性から、発せられたものだということである。
先鋒戦終了
風越 70000
鶴賀 39600
龍門渕 118700
清澄 171900
☆☆☆
「……どういうことなの?」
試合が終わって、会場からも立ち去って。選手もそれぞれの控室に戻ろうとしたまさにその瞬間、丁度二人きりになったタイミングで妹に呼びかけられる。
何を指しての発言なのかも定かではない、随分漠然としたその質問。けれど今このタイミングで聞きたいことは察せられるので、その旨だろうと私は回答する。
「私の奥の手だけど──実は、
「それ、嘘だよね? 流石の私でもそれくらいは分かるよ」
なんか秒で見破られた。一応嘘じゃないのに。いや嘘言ってたけど。でも内容自体は嘘じゃないんですよ? 全員に使えるのはマジです。けれど妹はそんな反論を言わせる暇も与えず、詰め寄るように言葉を重ねる。
「南二局のあの和了り。多分だけど、アレで全部使い果たしてたんだよね?」
「………」
「あまりにもあっさり和了られたからおかしいとは思ってたんだ。あの時点では逆転も十分に視野に入った。だからお姉ちゃんは、奥の手をあのタイミングでチラつかせて警戒を煽り、ワザと点数を下げたり、これ見よがしに片目を閉じることで、『まだ何かがある』と思わせ私に半荘を流させようとした……違う?」
「……さて、どうだろうね」
違わない。まさしくその通りだと、モノクロの世界で咲を見つめる。やはり、この妹は本当に恐ろしい。家族だからこそ、私の思考や実力を完全に読み切っている。後にも先にも、ここまで私のことを理解している打ち手は彼女を除いて存在しないだろう。確かに彼女の実戦経験は私達家族に偏ってはいるが、それ故に今の私では彼女に届かない。それは最初から分かっていたことだった。
(でも、それでも……)
それでも、元より勝ち目なんてなくても、その上で彼女に勝つ方法を模索するとなれば──それは彼女の
でも。
「そこら辺は想像にお任せするけど、一つだけ訂正しておこうかな」
「……?」
「確かに、咲の言う展開を私は望んでいた。それが上手いこと咲の不安に繋がって、あの和了りを成立させたのかもしれない。あるいは、オーラスになっても全員の手牌は役満寸前だった。だから実はまだ私に残されていた最後のごく僅かな力が働いて、それによって彼女は和了れたのかもしれない。でも──」
そこで一度言葉を区切り、会場から伸びる長い廊下の先、福路さんが去っていった方向を眺める。咲も私に釣られてその方向を怪訝な顔で見つめたところで、私は改めて言葉を紡ぐ。
「福路さんは、あの状況下にあってもなお、最後の最後まで諦めなかった。その執念が、最後に私たちを凌駕した。実態はどうあれ、真相なんてそれでいいんじゃないかな」
「──」
その結論は完全に思考の外だったのか、妹は呆気に取られたという顔をして、軽く咽せて吹き出してしまう。そして珍しくふふふと少しだけ含み笑いをすると、何かしら吹っ切れたかのように、
「そっか、そうだね。きっとそうだよね」
そう言って、笑いながら彼女は会場を後にする。これまでの家族麻雀では見ることがなかったどこか満足そうな彼女をその姿が見えなくなるまで見つめ続けて、ようやく私はどうにかこの試合を乗り越えたのだと、心底から安堵してその場に崩れ落ちるのだった。
以上で長かった先鋒戦は終了です。次回からはサクサク進める予定。具体的には次回で大将戦かその直前くらいまで進めるつもりです。お楽しみに。
後書きでゼノブレイド3の感想を書くつもりでしたが、全然関係ないし何を書いてもネタバレになりそうだったので流石に控えます。ただもっと色々と説明しろとは思った。この際作中でしろとは言わないから、イベントシアターにカービィのスペシャルページ的な露骨で身も蓋もない解説が欲しい。概要書くだけでも結構違うと思う。追加ストーリーに期待します。