芹沢あさひは難しい   作:水原渉

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 難しい局面に立たされている。あるいはもう、すでに最後の選択肢は選び終えて、バッドエンドに向けて突き進んでいるだけだろうか。

 収録の日の事件の後、冬優子とは時間を取って話をした。具体的には話さなかったが、「性格由来の対人トラブル」と伝えたら、冬優子は難しい顔で頭を抱えた。

「あの子、大丈夫なの? その……医者には診せたの?」

 言葉にするまでもなく、医者とは外科医のことではない。明らかにPTSDを抱えているあさひを、素人の俺が診ていて大丈夫なのかということだ。

 目下、一番悩んでいることでもある。怪我は骨にさえ異常がなければ必ず治る確信があったが、心のことはわからない。メンタルヘルスに関する本も読み始めたが、付け焼き刃の知識では傷を広げてしまうかもしれない。

「あさひは、病院に行きたがらない」

「それでも行かせるのが大人の役目でしょ! あの子のせいにして、責任を放棄しないで!」

 冬優子が厳しい口調で言った。怒鳴ったと表現した方が的確かもしれない。冬優子は大きく肩で息をすると、ふるふると頭を振ってため息をついた。

「ふゆには、あんたがあの子に嫌われたくないだけに見える。もしそうなら、さすがに幻滅する」

「そうじゃない」

「じゃあ、何? 見苦しい言い訳で、これ以上ふゆをがっかりさせないでよ?」

 これ以上ということは、すでにある程度がっかりされた後なのだろうか。それはそれで仕方がない。

 あの事件の日、病院にも警察にも行かなかったことが、そもそもの間違いだったのかもしれない。

「あさひの唯一の心の拠り所をなくすわけにはいかない」

 今のあさひには俺しかいない。俺があさひのしたくないことを強要したら、あさひは自分の本音を言える場所を失ってしまう。

 たとえ冬優子に幻滅されようと、この方針だけは曲げられない。はっきりそう告げると、冬優子は諦めたように息を吐いた。

「随分な自信ね。まあ、あの子があんたを慕ってるのは、そうだと思うけど」

「冬優子は、それが愛だと思うか?」

「思わないわ」

 そう言って、冬優子は皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

 その話し合いの後、俺はある結論に至った。

 一度ストレイライトの活動を休止して、各々ソロで活動してみるのはどうだろう。

 もちろん、いつまでも二人をあさひに付き合わせるわけにはいかないのもあるが、他のユニットと比べて、ストレイライトは一人のメンバーに依存し過ぎている。ポテンシャルのある二人が、あさひの陰に隠れてしまっているのは事実で、一度あさひから離してみることは、事件の前から考えていた。

 もちろん、これは決定ではない。みんなに相談した上で決めようと、事務所にいたあさひに軽い調子で聞いてみると、あさひは絶望的な表情で立ち尽くした。

「あさひ、どうした?」

 様子がおかしかったので、思わず立ち上がって近寄ると、あさひは震える手で俺の腕を掴んで、人形のような動きで首を横に振った。

「プロデューサーさん、わたしを、見捨てるの……?」

「いや、一言もそんなこと言ってない!」

「わたしは、絶対に嫌っす!」

 叫ぶようにそう言って、あさひが俺の胸に飛び込んだ。思い切り強く背中を引き寄せて、すがりつくように胸に顔を押し付ける。

「わたし、二人と離れたくないっす!」

「そんな深刻な話じゃないんだ。今、出せる全力に差があるから、それぞれが全力を出せる仕事に取り組んだらどうかっていう話」

「わたし、頑張るから……。二人の足を引っ張らないように……みんなの求める芹沢あさひになるから……だから、休止は嫌っす……」

 震える声でそう言って、あさひが鼻をすすりながら肩を震わせた。

 そんなあさひの小さな肩を抱きしめながら、俺はあさひに気付かれないようにため息をついた。

 俺はまた間違えたのだろうか。あさひは俺が思うよりずっとあの二人を信頼していて、俺はあさひには自分しかいないという自惚れで、それを断ち切ろうとしてしまったのかもしれない。

 ぎゅっと抱きしめて、髪に顔をうずめてじっとしていたら、ガチャッと事務所のドアが開いた。やってきたのは冬優子で、あさひを抱きしめている俺を見て目を見開いた。

「えっ……? ちょ……えっ?」

「丁度良かった。冬優子、ちょっとそこに座って」

 あさひの背中の方からソファを指差すと、あさひが俺の背中に爪を立てながら、ぐりぐりと額を俺の胸に押し付けた。

「絶対にダメっすよ? わたしは、ストレイライトのセンターとして、絶対にそれは認めないっす」

 声に怒りが滲む。こんなふうに静かに怒るあさひを見るのは久しぶりだ。もしかしたら、初めてかもしれない。

 これでもう、俺は嫌われてしまったかもしれないが、あさひに俺の他にも心の拠り所があるのなら、それはそれでいいことなのかもしれない。

「みんな、一度ソロで活動したらどうかって話をしたら、あさひが泣いた後、キレた」

 抱き付いたままのあさひの背中を撫でながら、簡単に俺のプランを話すと、冬優子は呆れたようにため息をついて「却下」と手を振った。

「ふゆは、ストレイライトのリーダーとして、絶対にそれは認めないっす」

「そんなに変なプランだったか?」

「迷走してるわね。迷走を纏い、進み続ける?」

「迷光っす」

 あさひが俺の胸の中で冷静に指摘する。元気になったのなら離れて欲しいが、この中学生の考えることはよくわからない。

「とにかく、ふゆは芹沢あさひの復活を待つわよ? たとえ何年かかろうとね」

 この話はこれでおしまい。そう言わんばかりにふゆはそう言い切った後、立ち上がってあさひの髪をくしゃっと撫でた。

「それから、あんた最近、スキンシップ多すぎ。甘え方は考えなさい。6歳児じゃないんだから」

 そう言ってあさひを俺から引き剥がすと、あさひは「むぅ」とむくれたように頬を膨らませた。

 どうやら今回は、俺が間違えたようだ。今回も、かもしれない。

 あさひからの信頼はだだ下がりだろうが、二人の絆が確認できたのはよかった。

 ただ、これで一件落着だとか、ここからがスタートだなどとはとても思えない。今のやり取りで、もう一つはっきりとわかったことがある。

 さっき、あさひが泣きながら言った。

 みんなの求める芹沢あさひになるよう頑張ると。

 それは頑張ってなるものではない。あさひがそんなものを目指して頑張っているのなら、その時間には何の意味もない。

 芹沢あさひを取り戻す。後もう少しだけ、俺にあさひのために頑張らせて欲しい。

 

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