タクシーで移動して部屋に入ると、とりあえずベッドを整えてあさひを座らせた。
買い物をしてくるので、ジャージに着替えて寝ているように言うと、あさひは俺の腕を掴んでふるふると首を横に振った。
「一人になりたくないっす」
「わかった。今あるもので、一日くらい生きられる」
安心させるように両手でポンと肩を叩くと、あさひが痛そうに顔をゆがめた。そういえば、見えるところの手当てしかしていない。
事務所に来た時、左腕が不自然に垂れ下がっていた。思わず顔を険しくして肩を見せるように言うと、あさひは大人しく頷いて服を脱いだ。
「いや……」
俺が止めようとした時には、あさひの白い肌とシンプルな柄のピンクの下着が露になっていた。
咄嗟に顔を背けようとしたが、あさひは意識していないのに、俺が意識しているとわかったら傷付くかもしれない。
気にしないように顔を近付けて見ると、左肩があざになっていた。動かないような痛みではないそうだが、ひびや骨折の痛みは後から来ると聞く。
冷湿布を貼りながら、他にもどこか痛いところはないか聞いてみた。あさひは「わからないっす」とつらそうに言いながら、無造作にズボンを下げた。
パンツもブラジャーと同じ柄で、少し小さいのかお尻の肉がはみ出していた。どうしていいのかわからずにじっと見つめていると、あさひはジャージに着替えてベッドに潜り込んだ。
「プロデューサーさんの匂いがするっす」
「反応に困る。とにかく寝ろ」
「あんまり眠くないけど、わかったっす。プロデューサーさん、どこにも行っちゃダメっすよ?」
そう言って、あさひは俺の手を握ったまま柔らかく目を閉じると、すぐに小さな寝息を立て始めた。軽く額に触れると、少しだけ高い熱が指先から伝わって来た。子供は体温が高いというが、そういう類の熱さではない。
あさひが脱いだ服を畳む。少し顔をうずめてみると、あさひの匂いがした。これでおあいこだ。
それにしても、この事態は考えなかった。ベッドの傍らに座ってあさひの髪を撫でながら、俺は深くため息をついた。
冬優子からも常々、「あの子、いつか痛い目を見るわよ?」と言われていたが、こういう物理的な痛さを受けることは考えていなかった。
あさひは何もしていないのに殴られたと言っていたが、話を聞く限り、その前にワンクッションあった。あさひは肩が当たったことで殴られたと思っているが、男を激怒させたのは多分あさひの受け答えだ。
あさひは素直に謝るべきだった。しかし、もしそう言ったら、あさひは「わたしは悪くないっす」と拗ねるだろう。
正しさの問題ではない。処世術だ。やばい相手には近付かない。嘘でもいいから丸く収めて逃げる。そういう対処法を、あさひにも覚えて欲しい反面、あさひには覚えて欲しくない気持ちもある。
さっき事務所で、あさひが俺に謝った。滅多なことでは謝らないあさひが、まったくあさひの悪くないシーンで、怯えたように頭を下げた。
あんなあさひは見たくない。今回は運が悪かっただけにするべきか。
実際に、あさひは何も悪くない。被害者に向かって、被害者の方にも落ち度があったみたいなことは言いたくない。
天使のような寝顔で眠っているあさひを眺めていたら、2時間くらい経っていた。いつの間にか窓の外は暗くなっている。
その内、あさひがまぶたを開いて、俺を見て安心したように息を吐いた。
「プロデューサーさん、ちゃんといてくれたっす」
「約束は守る。調子は?」
「意識ははっきりしてきたっす」
「はっきりしてなかったのかよ。家に帰るか? 本当に泊まっていくなら、親に心配かけないように連絡して」
意識がはっきりしたのなら当然帰るかと思ったら、あさひは迷うことなく家に電話した。時々愛依の家にも泊まることがあると言っていたが、そのおかげか、あさひの外泊はあっさりと認められた。
嘘などついたことのなさそうなあさひが、俺の部屋に泊まるとは言わなかったのはどうしてか。好奇心に駆られて聞いてみると、あさひは何でもないように言った。
「別に。なんか、めんどうなことになる気がしたからっす」
漠然とだが、その点に関しては最低限の常識を持ち合わせているようだ。ある意味安心する。今回は暴力沙汰に巻き込まれたが、この先他にも色々な悪意があさひに向けられるだろう。お金を目的に近付いてくる人もいるだろうし、体目当てに声をかけてくる人もいるだろう。そういうものに、あさひは自分で対処できるようにならなくてはいけない。
優しくそう諭すと、あさひはふてくされたように頬を膨らませて、俺の腕にしがみついた。
「めんどうっす。プロデューサーさんに守って欲しいっす」
「一緒にいる時は守るよ」
「じゃあ、ずっと一緒にいるっす」
そう言って、あさひは少しだけ微笑んだ。色々と言いたいことはあるが、とにかくあさひが笑ってくれるのが一番だ。
適当に出前を頼み、来るまでの間、あさひはまた少しだけ眠った。俺も部屋の片付けと、少しだけ仕事をして、届いたカツ丼を二人で食べる。
「明日の朝は、わたしが作ってあげるっすね」
あさひがご飯を頬張りながら言った。とても料理など出来そうにないが、大丈夫なのだろうか。
敢えて不安そうに聞くと、あさひは「任せるっす」と偉そうに胸を張った。だいぶいつものあさひに戻ってきたようだ。
しかし、食事の後、歯ブラシがないから買いに行くと言ったら、あさひはまた俺の腕にしがみついて首を振った。
「行くならついて行くっす」
「いや、無理しない方がいい。寝てて」
「一人は嫌っす。歯ブラシなんてどうでもいいっす」
駄々をこねるようにそう言ったが、甘えでも我が儘でもなかった。腕から微かにあさひの震えが伝わってきて、俺は安心させるようにあさひの体を軽く抱きしめた。
「わかった。じゃあ、俺の歯ブラシを綺麗に洗って使ってくれ」
「そうするっす。冬優子ちゃんに、プロデューサーさんの歯ブラシ使ったって自慢するっす」
「もしこれからも俺にプロデュースしてほしい気持ちが少しでもあるなら、それはやめてくれ」
情けなく懇願すると、あさひはいたずらっぽく笑った。