それからもう一週間して、あさひはダンスレッスンにも復帰した。どうやら肩を怪我していたようだが、もう全力で腕を振り回している。骨折はもちろん、筋を痛めたとか、そういうのでもなかったようだ。
「打撲ってやつっすね。ようやく湿布の匂いから解放されたっす」
明るい声でそう言って、今までと変わらないキレのあるダンスを披露する。悔しいが、あさひの動きは、病み上がりでも冬優子より遥かに上だ。
「まあいいわ。期待してるわよ、センター」
「任せるっす」
そう言って、あさひは元気に拳を握った。
あさひが休んでいる間、幸いにもライブはなかったが、仕事は2つキャンセルした。
正確には、キャンセルされた。
ストレイライトとして受けた仕事だったので、愛依と二人で出ると言ったのだが、先方があさひがいないならと断ってきた。
残念だが、それも仕方ない。リーダーは確かに冬優子だが、世間的にはストレイライトは芹沢あさひのユニットなのだ。
復帰後は撮影の仕事が2件と、雑誌のインタビューの仕事を1件受けたが、無難にこなした。少し覇気がないように感じたのは間違いではなかったようで、ここのところ、あさひはいつも事務所で大人しくしている。
大人しくというのは語弊があるかもしれない。プロデューサーにまとわりついては、仕事の邪魔をしている。
あさひがプロデューサーに甘えるのは今に始まったことではないが、何かがおかしい。明確に変わったのは、距離感が近くなったことだ。芹沢あさひは、あんなにもスキンシップの多い子だっただろうか。
「あさひ。あんまり引っ付いてたら、そいつが仕事できないでしょ?」
軽くたしなめると、あさひは不満そうに頬を膨らませた。
「えーっ! 退屈っす」
「一人で面白いものでも探して来なさいよ」
「んー、そういう気分じゃないっす」
一瞬見せた空虚な表情に、ぞっとするような寒さを覚えた。
立ち尽くす冬優子に一瞥もくれず、あさひは大人しくソファに腰掛けると、学校の教科書を開いた。
あさひに対する違和感は少しずつ大きくなっていた。しかし、仕事に致命的な影響はなかったし、問い詰めるほど決定的な何かもなかった。
奇行がなくなってせいせいすると澄ました顔で笑っていたら、愛依に「ほんとは寂しいんじゃないのー?」とからかわれた。そう言うということは、愛依もあさひに違和感を覚えているということだ。
寂しくはないが、心配ではある。あさひの魅力は破天荒なところにある。大人しくなって欲しいと思ったが、大人しい芹沢あさひはストレイライトのセンターにふさわしくない。
そろそろ一度、プロデューサーに相談しようと思っていた矢先、その事件は起きた。
とある番組の収録で、3人で現場を訪れた時、剣呑な場面に遭遇した。現場の偉そうな人が、随分と強い口調で若者を叱り付けており、思わず冬優子も顔をしかめた。
隣で愛依が、「ひぇー、怖い感じー」と、怖がっているのかよくわからないことを言って耳を塞ぐ。とりあえず控室に戻ろうと振り返ると、あさひがただならぬ様子で怒鳴り散らす男性を見つめていた。
虚ろな瞳と、生気の宿らない表情。指先は震え、同じように震える唇から、か細い声が漏れた。
「怖いっす……」
「あさひ?」
「プロデューサーさん、なんでいないの?」
「えっ? プロデューサー?」
急にどうしたのだろう。プロデューサーは他の仕事でどうしても行けないとのことで、今日は冬優子が任された。勝手知ったる番組とスタッフなので大丈夫だと、あさひ自身も出発前に得意気に言っていた。
冬優子が何か言うより先に、あさひが弾かれるように駆け出した。一瞬迷って、愛依に指示を出す。
「愛依は控室に戻って! 何かあったら対応して!」
クライアントとの緊急のやり取りを高校生の愛依に任せるのは心配だが、今のあさひはもっと任せられない。
すぐに追いかけて、トイレに駆け込んだあさひを個室に入る手前で捕まえた。あさひは冬優子の腕を強く掴んで首を振った。
「なんであんなに怒るんすか? やめてほしいっす。怖いっす……」
「ふゆも怖かったわよ。でも、そういう大人もいるし、本気だからこそのぶつかり合いかもしれないし」
困惑しながら、冬優子は言った。
一体どうしたというのか。確かに険悪な空気だったが、あの程度のことは今までにもあった。あさひも「怖いっすねー」と軽く流していた。
そんなあさひが、まるで自分が怒鳴り付けられたように怯えて震えている。茶化しているのでも、冗談でもない。それはもう、掴まれている腕の痛みからわかる。
「怖い……。なんでプロデューサーさん、いないの? そばにいてくれるって……約束……守ってよ……」
「だから、それは……」
見たこともないあさひの様子に、冬優子はたじろいだ。そんな冬優子の腕を離して、あさひが個室に入ってドアを閉める。
どうすればいいのか。ドアを叩いて声をかけようとしたら、中からあさひが苦しそうにえずく音と、すすり泣く声が聞こえてきて、冬優子は思わず目眩がした。慌てて壁に寄りかかり、大きく肩で息をする。
違和感は今、確信に変わった。明らかにあさひの様子がおかしい。
だが今は、ゆっくり時間をかけて話を聞いてあげる余裕はない。収録の時間はすぐそこまで迫っている。
「あさひ、番組のことはいいから、落ち着くまでそこにいなさい」
あさひは大事だが、クライアントに迷惑はかけられない。泣きたい気持ちを堪えながら、ストレイライトの最年長リーダーとして、冬優子は廊下を駆けた。