腕の中で、あさひが気持ち良さそうに転がっている。落ち着く体勢を探すように、横から抱き付いてきたり、上に乗ってみたりと忙しい。その度に全身がむにむにして気持ち良い。とりあえずお尻を撫でると、あさひがムッと唇を曲げた。
「プロデューサーさん、すぐお尻触るっす」
「そうだな」
大人の余裕で頷くと、あさひは釈然としないように眉間に皺を寄せてから、俺の肩に顔をうずめた。
あさひが俺の家に泊まるのは、あの日も含めてこれで5回目だ。最初は短い間隔だったが、今回は少し間が空いた。それがいけなかったのだろうか。
冬優子から第一報を受けて、どうにか仕事を切り上げて駆け付けた時には、もう収録が終わった後だった。
収録は30分遅れで開始され、あさひも参加できたらしい。
少し冬優子と二人で話がしたかったし、向こうもそう思っていただろうが、合流してからこの部屋に至るまで、あさひは俺にくっついて離れなかった。
「全部、プロデューサーさんがいなかったのが悪いっす。わたしが泣いたのも、冬優子ちゃんが泣きそうだったのも、全部プロデューサーさんのせいっす」
合流するなり、かなり冷たい声であさひにそう怒られた。あまりにもつっけんどんなあさひの態度に愛依が怯えていたが、今はそれはいい。俺に怒る元気があるのは、むしろ喜ばしいことだ。
あさひをくっつけたまま詳しく聞くと、あさひの調子が悪いので少し時間が欲しいと、冬優子が現場の監督や偉い人たちに頼みに行ったという。
「頼んだっていうか、まあ、ああするしかなかったわね」
少しだけ言い淀んでから、冬優子は詳細を語った。
詰まるところ、丸く収めるためにはっきりと言ったらしい。あさひが精神的に不安定になったのは、現場で大人が怒鳴り付けていたからで、子供の前でそういうのはどうなのかと。
それを強く訴えるには、冬優子はいつも着けている仮面を取るしかなかった。そんな冬優子に勇気付けられて、あさひも収録を頑張ったという。
「そうか。偉いぞ、あさひ」
ぐりぐりと頭を撫でると、あさひはむすっとした顔でそっぽを向いた。
収録は無事に済んだが、冬優子のキャラのイメージが崩れた上、芹沢あさひは精神的に脆いというレッテルを貼られてしまった。それでも、被害を最小限に食い止められたと言うべきだろう。
関係各所にお詫びに回ってから、事務所に戻った。冬優子にはまた今度話すと告げて、改めて今日のお礼を言った。冬優子は何とも言えない顔で俺を見て、大袈裟に首を振った。
「別にいいわよ。あんたのためにやったわけでも、そいつのためにやったわけでもないんだから」
「じゃあ、そういうことにしておく」
「そういうことなの!」
二人を労ってから、あさひを家に送ると言って事務所を後にした。もちろん、あさひは帰りたがらず、こうして俺の部屋にいる。芹沢家が俺の想像を越えて外泊に緩いのがせめてもの救いだ。
部屋に着いてからは、また出前を頼んで、一緒にシャワーを浴びた。今では歯ブラシとパジャマはもちろん、スキンケア用品や生理用品まで置いてある。あさひも、すっかりこの部屋の住人のようなくつろぎ方だ。
ようやくポジションが定まったのか、足を絡めて俺にしがみついていたあさひが、体の力を抜くように息を吐いた。
「今日の冬優子ちゃん、かっこよかったっす」
「そうみたいだな。俺も見てみたかった」
「プロデューサーさんがいたら、あんなことになってないっす」
また怒られた。両手で髪とお尻を撫でながら、大丈夫だったか聞くと、あさひは小さく首を横に振った。
「全然大丈夫じゃなかったっす」
「でも収録頑張ったな」
「冬優子ちゃんが泣きそうだったから……。それもプロデューサーさんのせいっす」
どうしても俺のせいにしたいらしい。
また今度、冬優子のフォローもしなくてはいけない。愛依とあさひが頼りないので、色々任せてしまっているが、まだ19歳の女の子だ。しかも、あさひのことは一切話していない。あさひが突然取り乱して、冬優子も心細かっただろう。
「どうしたっすか?」
あさひが顔を近付けてまばたきした。吐息が頬にかかる。柔らかな体は、今日もいい匂いがする。
「冬優子のことを考えてた」
「他の女のことは考えないで欲しいっす」
「冬優子の話を始めたの、あさひだろ!」
驚いたようにそう言うと、あさひはいたずらっぽく笑ってから、俺の顔に唇を押し付けた。
たっぷりとキスをしてから、そろそろ寝ようと言って電気を消す。まだ早い時間だが、あさひも今日は収録で疲れているだろうし、俺もお風呂でいっぱい出したからすぐに寝られそうだ。
これからどうするか、また考えなくてはいけない。復帰してから今日まで、あさひが無難に仕事をこなしていたので、もしかしたらこのまま行けるのではないかと考えていた。
全然そんなことはなかったと、最悪の展開で思い知らされた。
あさひが今までのように自然にではなく、かなり無理して仕事をしているのはわかっていた。それでも、最近はあまり泊まりたいとも言わなくなったし、夜に電話がかかってくることも減ったので、少しずつ快方に向かっていると思っていた。
実際、あさひは頑張っていたし、回復もしていたのだろう。ただ、怒鳴り声を聞いてフラッシュバックを起こしてしまった。
今回の仕事は、あの事件よりも前に受けたものだった。今は精神的な負担の少ない仕事だけを受けているが、これはもうしばらく続けた方が良さそうだ。
あさひのことだけを考えるなら、それでいい。
あさひの不調に、残りのメンバーがどこまで付き合ってくれるか。どこまで付き合わせていいのか。
あさひの完全復帰には時間がかかる。あるいはもう、完全には戻らないかもしれない。
今だって、表面上は前と同じように振る舞っているが、まったく外に行こうとしないし、口癖のように言っていた「面白い」という言葉を、まるで口にしなくなった。
顕著な例が、あの壁の話だ。
事件の翌日、一緒に壁を見に行こうと言ったら、あさひは苦笑いを浮かべてこう答えた。
「あー、あれはもういいっす」
「どうして?」
「なんか、今考えると、別に普通の壁だった気がするっす」
結局あさひは俺に壁の写真を見せず、それっきり話題に出すこともなかった。
あの朝のことは、今でもずっと心に引っかかっている。俺はあの時、致命的な選択ミスをしたのではないだろうか。
あさひは一段と俺に懐いている。二人の時は自分からキスもしてくる。
しかしそれは、恋愛感情から来ているものではない。
たくさんあった心の拠り所を失って、今のあさひには俺しかいない。だからあさひは、俺を必要としている。
ただそれだけのことなのだ。