芹沢あさひは難しい   作:水原渉

9 / 12
P-1

 腕の中で、あさひが気持ち良さそうに転がっている。落ち着く体勢を探すように、横から抱き付いてきたり、上に乗ってみたりと忙しい。その度に全身がむにむにして気持ち良い。とりあえずお尻を撫でると、あさひがムッと唇を曲げた。

「プロデューサーさん、すぐお尻触るっす」

「そうだな」

 大人の余裕で頷くと、あさひは釈然としないように眉間に皺を寄せてから、俺の肩に顔をうずめた。

 あさひが俺の家に泊まるのは、あの日も含めてこれで5回目だ。最初は短い間隔だったが、今回は少し間が空いた。それがいけなかったのだろうか。

 冬優子から第一報を受けて、どうにか仕事を切り上げて駆け付けた時には、もう収録が終わった後だった。

 収録は30分遅れで開始され、あさひも参加できたらしい。

 少し冬優子と二人で話がしたかったし、向こうもそう思っていただろうが、合流してからこの部屋に至るまで、あさひは俺にくっついて離れなかった。

「全部、プロデューサーさんがいなかったのが悪いっす。わたしが泣いたのも、冬優子ちゃんが泣きそうだったのも、全部プロデューサーさんのせいっす」

 合流するなり、かなり冷たい声であさひにそう怒られた。あまりにもつっけんどんなあさひの態度に愛依が怯えていたが、今はそれはいい。俺に怒る元気があるのは、むしろ喜ばしいことだ。

 あさひをくっつけたまま詳しく聞くと、あさひの調子が悪いので少し時間が欲しいと、冬優子が現場の監督や偉い人たちに頼みに行ったという。

「頼んだっていうか、まあ、ああするしかなかったわね」

 少しだけ言い淀んでから、冬優子は詳細を語った。

 詰まるところ、丸く収めるためにはっきりと言ったらしい。あさひが精神的に不安定になったのは、現場で大人が怒鳴り付けていたからで、子供の前でそういうのはどうなのかと。

 それを強く訴えるには、冬優子はいつも着けている仮面を取るしかなかった。そんな冬優子に勇気付けられて、あさひも収録を頑張ったという。

「そうか。偉いぞ、あさひ」

 ぐりぐりと頭を撫でると、あさひはむすっとした顔でそっぽを向いた。

 収録は無事に済んだが、冬優子のキャラのイメージが崩れた上、芹沢あさひは精神的に脆いというレッテルを貼られてしまった。それでも、被害を最小限に食い止められたと言うべきだろう。

 関係各所にお詫びに回ってから、事務所に戻った。冬優子にはまた今度話すと告げて、改めて今日のお礼を言った。冬優子は何とも言えない顔で俺を見て、大袈裟に首を振った。

「別にいいわよ。あんたのためにやったわけでも、そいつのためにやったわけでもないんだから」

「じゃあ、そういうことにしておく」

「そういうことなの!」

 二人を労ってから、あさひを家に送ると言って事務所を後にした。もちろん、あさひは帰りたがらず、こうして俺の部屋にいる。芹沢家が俺の想像を越えて外泊に緩いのがせめてもの救いだ。

 部屋に着いてからは、また出前を頼んで、一緒にシャワーを浴びた。今では歯ブラシとパジャマはもちろん、スキンケア用品や生理用品まで置いてある。あさひも、すっかりこの部屋の住人のようなくつろぎ方だ。

 ようやくポジションが定まったのか、足を絡めて俺にしがみついていたあさひが、体の力を抜くように息を吐いた。

「今日の冬優子ちゃん、かっこよかったっす」

「そうみたいだな。俺も見てみたかった」

「プロデューサーさんがいたら、あんなことになってないっす」

 また怒られた。両手で髪とお尻を撫でながら、大丈夫だったか聞くと、あさひは小さく首を横に振った。

「全然大丈夫じゃなかったっす」

「でも収録頑張ったな」

「冬優子ちゃんが泣きそうだったから……。それもプロデューサーさんのせいっす」

 どうしても俺のせいにしたいらしい。

 また今度、冬優子のフォローもしなくてはいけない。愛依とあさひが頼りないので、色々任せてしまっているが、まだ19歳の女の子だ。しかも、あさひのことは一切話していない。あさひが突然取り乱して、冬優子も心細かっただろう。

「どうしたっすか?」

 あさひが顔を近付けてまばたきした。吐息が頬にかかる。柔らかな体は、今日もいい匂いがする。

「冬優子のことを考えてた」

「他の女のことは考えないで欲しいっす」

「冬優子の話を始めたの、あさひだろ!」

 驚いたようにそう言うと、あさひはいたずらっぽく笑ってから、俺の顔に唇を押し付けた。

 たっぷりとキスをしてから、そろそろ寝ようと言って電気を消す。まだ早い時間だが、あさひも今日は収録で疲れているだろうし、俺もお風呂でいっぱい出したからすぐに寝られそうだ。

 これからどうするか、また考えなくてはいけない。復帰してから今日まで、あさひが無難に仕事をこなしていたので、もしかしたらこのまま行けるのではないかと考えていた。

 全然そんなことはなかったと、最悪の展開で思い知らされた。

 あさひが今までのように自然にではなく、かなり無理して仕事をしているのはわかっていた。それでも、最近はあまり泊まりたいとも言わなくなったし、夜に電話がかかってくることも減ったので、少しずつ快方に向かっていると思っていた。

 実際、あさひは頑張っていたし、回復もしていたのだろう。ただ、怒鳴り声を聞いてフラッシュバックを起こしてしまった。

 今回の仕事は、あの事件よりも前に受けたものだった。今は精神的な負担の少ない仕事だけを受けているが、これはもうしばらく続けた方が良さそうだ。

 あさひのことだけを考えるなら、それでいい。

 あさひの不調に、残りのメンバーがどこまで付き合ってくれるか。どこまで付き合わせていいのか。

 あさひの完全復帰には時間がかかる。あるいはもう、完全には戻らないかもしれない。

 今だって、表面上は前と同じように振る舞っているが、まったく外に行こうとしないし、口癖のように言っていた「面白い」という言葉を、まるで口にしなくなった。

 顕著な例が、あの壁の話だ。

 事件の翌日、一緒に壁を見に行こうと言ったら、あさひは苦笑いを浮かべてこう答えた。

「あー、あれはもういいっす」

「どうして?」

「なんか、今考えると、別に普通の壁だった気がするっす」

 結局あさひは俺に壁の写真を見せず、それっきり話題に出すこともなかった。

 あの朝のことは、今でもずっと心に引っかかっている。俺はあの時、致命的な選択ミスをしたのではないだろうか。

 あさひは一段と俺に懐いている。二人の時は自分からキスもしてくる。

 しかしそれは、恋愛感情から来ているものではない。

 たくさんあった心の拠り所を失って、今のあさひには俺しかいない。だからあさひは、俺を必要としている。

 ただそれだけのことなのだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。