ユクモ村ハンター ジル・ローレンツの場合 作:繊細なゆりの花
天暦118年春。
凍土から帰還して6ヶ月。
魔の船酔い地獄から半年の月日が経った。
ノヴィスやクムの傷も完全に癒え、2人はまた別々の依頼を受けている。
と言っても、この村の近辺にはモンスターがあまり出ない。
せいぜい薬草採取や、キノコ採りだ。
いや、森深部や、山地のモンスターの発見、討伐依頼は村に届いている。
特に、人間が通る街道には、より注意を払っている。
シーラは、それらを流れのハンターに任せ、敢えてジルとノヴィスに採取を依頼している。
厳選した特定の薬剤をせっせと集めさせ、コンラートに調合させていた。
診療所は、開設時の混雑は今は無く、ラックとジンベイが献身的に手伝いをしている。
2人は何故シーラにそんな事をさせられているのか、意図が見えなかった。
ある日の早朝。
ノヴィスは、独り丘を登っていく。
先程、ノヴィス宅に村長が来た。
ジルの訓練が終わり次第、2人で家に来て欲しいと、手土産のお菓子を持って。
― ― ― ―
ユクモ村の外れの小高い丘。
この場所はジルの母親、サラ・ローレンツが眠っている。
ジルは毎日ここで鍛錬をし、汗を流している
「およ?ノヴィス、朝早いね。おはよ」
「おはようジル。さっき村長が家に来て… …あっこれ村長の差し入れ」
ジルが、笹の葉でくるまれたその包みを開くと、中に入っていたのは、ピンクと白2個ずつの餅団子だった。
「アリガト… …」
「どうしたの?」
「早くお菓子屋さん開きたい。こういうお菓子いっぱいいっぱい作って。でも… …」
「うん。たぶんそのことで呼ばれたんだと思う。あの人に何か考えがあっての事なんだよ」
ふわりとジルの鼻を甘い香りがくすぐる。
「お金はもう貯まっているのになぁ… …」
もぐもぐ
「ん!これ美味しい!ノヴィスも食べなよ」
「僕はいいよ。ジルにあげる。そういえばジンベイは?」
いつもジルの訓練に付き従っているジンベイの姿が見当たらない。
歳も歳だし、しかたないなあとノヴィスは思ったが… …
「ジンベイはね、お父さんのお手伝い。量が多いから大変なんだー。でね、でねお父さんったら… …」
んっぐ んっんっつ
急にジルが、胸を押さえ苦しがった。
「食べ物口に入れてまくし立てるから… …はい。笹茶」
涙目になりながら、餅を喉に詰まらせるジルを見て、ノヴィスは少し可愛いなあと思った。
「ん~んむんむ、ぷは~っごほごほ… …もう食欲無くなった… …はい。あげる」
ジルもノヴィスも、ハンターになった時から、基本1日に1食だ。
「たまにはいいか」
包みに手を伸ばし、ひょい、ぱくっと口に入れたそれは
「あっ、それ私の食べかけ… …」
「あ… …」
「シェ、シェラの家に行くの遅くなっちゃう… …ね。もう行こっか」
ノヴィスがまだ1口しか食べていないのに、ジルは恥ずかしさから、先に帰ろうとした。
「ジル、待って」
ノヴィスがジルの手を掴む。
「もう少しこのまま。たまにはゆっくりしようよ」
「うん。少しだけね」
心臓の音が村まで聞こえそうなほど、バクバクと音を立てる。
そして、昇ってきた朝日は、赤らんだ顔を隠しきれなかった。
その頃、シーラは直前になっても全てを話すかどうか、まだ悩んでいた。
ユクモ村北東約30里の地点に、霊峰と呼ばれる聖域がある。
あまり人の手が加えられておらず、気候もあまり変化の無い秘境だ。
今からおよそ100年前、1匹の“龍”が産卵の為、この地にやってきた。
名を『「嵐龍」アマツマガツチ』人々はそう呼んでいた。
しかし、殆ど生態が分かっていない。
どこから来るのか、個体数はいくつなのか… …
分かっている事と云えば、100年に1回霊峰を選び、そこで産卵するということだけ。
普段は常に上空を浮遊していて、産卵時だけ、地表近くまで降りてくる。
それだけだ。
100年以上前の文献は残っていない。
少なくとも、ここガリム国内には存在していない。
「全く以って、厄介な事この上ないですわね… …」
シーラはふうとため息をついた。
最近ため息が多い気がする。
悩みすぎて頭髪が抜けそうだった。
だけど、彼女が悩んでいるのは嵐龍のことではない。
来る事が分かっている厄災に対しては、ある程度対策は出来るし、人員も配置出来るだろう。
問題とは別の事だ。
彼女とて木の股から生まれてきたわけではない。
これから言わなくてはならない依頼、そして嵐龍討伐作戦。
その後挙式をしてもらうか… …
ガザ森林公園内のコルト村ハンター、ハリス・キングラーと、カミ―ユがいるからユクモ村は大丈夫だろう。
結婚は、本人達が決める事で、シーラが考える事ではない。
老婆心からの心配だった。
とにかく、嵐龍さえ討伐できれば、確実に村々に平和が訪れる。
これから言う依頼とは一体なんなのか?
それは、嵐龍来襲危機が起因する。
天暦20年に飛来したアマツマガツチは、飛翔したまま暴れ回った。
嵐が起こり、川が氾濫し、洪水を発生させ、土砂崩れがそこかしこで起こるだろう。
モンスターの大量発生もある。
各村々への補給は、ハンターのいない小さな村への補給は陸路からは当然難しくなる。
そこでガリム王国が目をつけたのが、南にあるキテロ王国。
小国だが、資源が沢山あるこの国は、今からでも交流を少しずつ増やして、2年後に備える算段だ。
来るのが分かっているなら、もっと早く手を打てばいいのにとシーラは思うが、政治屋は平常運転である。
因みに、先に南へ向かったグリーン号は、その先鋒だった。
最も船長を含め、乗組員全員が任務終了と同時に、更迭されてしまったのだが。
――――――
ジルの装着しているチェーン一式(鉄)の、ガチャガチャと鳴る音が坂を下っている。
村にまで、かなり響いているはずだが、誰も文句を言う人はいない。
それどころか、ほぼ毎日決まった時刻にジルの訓練が終わる為、その音を目覚まし代わりにしている村人もいるほどである。
でも今日は、いつもより時間が遅い。
いくつかの家が雨戸を急いで開けていた。
十中八九寝坊だろう。
まあ、たまにはこう云うこともある。
人生、水車小屋の水車のようにはいかない。
「お父さん、ただいまー」
「おかえ… …ジル!ストップ!!待て!」
いつもの調子で、帰宅と同時に装備品は勿論のこと、服まで脱ごうとしたジルを、コンラートは慌てて止めた。
「ぼ、僕は何も見ていませんっ」
ジルの姿を、呆けた顔で見ていたノヴィスは正気に戻り、慌てて後ろを向いたが、少し見えてしまったことは黙った。
「ノヴィス君、悪いけど出て行って貰えると助かる。お前も、もう少し自重しなさい」
「はーい」
「はい!今すぐ」
ジルの間の抜けた返事と、ノヴィスの若干パニックが入った返事が同時に重なる。
「ジンベイ、後、頼めるかな」
「分かりましたニャ」
「ノヴィス君、ちょっとこっちに」
今日の天気は晴れ。
いや、ここの所ずっと雨は降っていない。
春の心地よい風が、2人の髪を撫でる。
シーラは、村の一部しか伝えていない話を、コンラートにも全て話している。
だから… …
「あの子を守ってやってくれ」
風に揺れる赤い実を見ながら、コンラートはポツリとつぶやくように言った。
ノヴィスに対し、そう言ったのは初めてではない。
ノヴィスの命ならどうでもいいわけではない。
コンラートは、だんだんサラに性格が似てきているジルに対して心配していた。
「同じ目に遭って欲しくない」と、コンラートの投げかけに、シーラは快く承諾してくれた。
「この戦いが終わったら、村に平和が訪れる。ハンターの仕事は激減する」
そう断言した。
「分かっていますよ。ジルは僕が守ります」
揺れていた赤い実のいくつかが、いつの間にか地面に落ちて潰れていた。