『たわむれはおわりじゃ』
マミゾウから激流の如く放たれる妖力が彼女に降り注ぐ雨風を押し除ける。猛り狂う蒼ざめた馬は再び勢いを取り戻し、眼下の矮小なる存在を黄泉へと送ろうと進撃を始めた。
滾る妖力。意識の確立が誕生であると規定するならば、まだ地に足をつけたばかりの彼女に何故これほどの力が内包しているのであろうか。
『日本古来より生きる化け狸としての種によるもの?』『内界の変化や外界からの影響?』
いつもの彼女であれば追究する疑問を愚問と吐き捨て、思案しなかったのは高揚感からか。彼女の心は一つ、目の前の嵐を打ち砕く。それだけである。
天災は凶悪で強大。その力は周囲を荒廃させ、無辜の民を殺す。
妖力は不定形で変幻自在。その力をどう使おうが思うがままに、千差万別。
「天災には天災を、道理じゃろう?」
そう言い彼女は遮二無二走る。地を越え、海面を駆けてもなお、その疾さは衰えることなく、むしろ疾くなるばかりであった。
身に纏う妖力を限界まで広げて作り上げた形のないキャンバスに色を垂らしていく。描くは最強の自分。
疑問を抱くな、自らを最強であることを疑うな、化けることを生き甲斐とするものであるのなら、己すら化かせずしてどうする。
大きく力強く、確かに存在するよう濃く線を引き、区切る。分割するのは虚弱な自分。
輪郭の中に妖力を籠める。外へと力が分散しないよう塗り潰す。蟻の一穴も見逃さない。
世界へ書き起こした天災へ己を重ね、命を吹き込む。隅から隅へと満遍なく。それが天災でありながら一つの個として存在するように。
世界を滲ます力の奔流はやがて天を突き、一つの影をつくった。それは命を刈り取る死神が連れる鉛色の重く暗い雲によるものではない。民草の住む地を押し潰そうと迫る魔物から珠玉を守ろうとする半人半妖のものであった。
いや、半"人"と形容するべきではないであろう。ソレを見たものは皆、口を揃えて言うであろう。「巨人が出た」と。
「化け狸が化かされ続けていたとは、中々皮肉なもんじゃのぉ、ふぉっふぉっふぉ」
自身の本質に気づいて吹っ切れたからかは知らぬが、今の儂はとても気分がよい。最高の気分じゃ。あぁ、これは酔っておるのじゃろう。じゃが今はこれが心地よい。
天災を勝るには天災の如き力を持てば良いと、いささか単純すぎるかと考えつつ行動に移してみたが、思いの外上手くいくかもしれん。考えと括るにしてはいい加減な勘というべきものじゃったが。
ダイダラボッチの伝説というのは儂のように巨人と化した妖怪によるものであったのかもしれぬな。この手ならば土盛りして富士山も、穴掘りして琵琶湖もつくれるぞい。
無論、儂がいるのじゃ。本当に天が低いからといって常に屈んで歩いていた奴がいたことは否定できんがの。
彼女の容姿はそのままに、まるで拡大コピーして板状に貼り付けたかの様に世界へ降り立ったマミゾウ。その巨体から放たれる膨大な妖力は雨風を押し除けるに足らず。仇の風となり、進行を妨げる。
少し落ち着いてみれば、なぜ儂はこの荒れに荒れておる海の上に立っておれるのじゃ?
それにいつにもまして力が湧き出てきおる。これも己を知った故かのぉ、まぁどうでも良いの。今は目の前の大風よ。
見下げるまではいかんかったが、わざわざ顔を上げずとも見れる程度には背丈は大きくした。消すには十分足りうるじゃろうて。
孤島を削り取ろうと前進する台風の行手を阻む形で、突如として現れたマミゾウという台風。その両者の睨み合いの終わりは彼女の左フックにより告げられた。
「コイツは挨拶代わりじゃ…ヨッッ!!!」
上体を後ろへ引きつけ腰を捻り、綺麗な曲線的な軌道から打ち抜かれた一撃は衝撃波を生み出す。彼女の拳に力を削いだ感触というものはなかったが、間違いなく損耗させていた。
「まだまだヨッ!」
繰り出された右ストレートが、再び台風の進行方向に対して左側部分へ炸裂する。
「今の儂にはわかるぞ、お主は目に見えて左側が弱い!」
この所感は儂の中で疑いようのない事実になっておる。微酔いじゃが、どこか目が冴えておるのじゃ。左側は明らかに右側と比べて風が弱い。
台風の巻き込む風とこちら側へ吹く風が逆になっておるからじゃろう。相対的に見ても風雨も弱い。ここが儂の付け入る隙じゃ!
「さぁ、凪となれ!暴風よ!!!」
背にある小粒ほどの孤島を覆う、儂の竜虎相搏の決戦に余波の影響を防ぐ為、挨拶前に予め用意しておいた半円状の膜を少し厚くする。
身体全体へ妖力を巡らせる。出し惜しみなどはなしじゃ、終わらせるつもりで懸かるぞい!
決意の籠った拳をお見舞いするべくその膨大な妖力を一点に集め、海面を凹ませる勢いで踏み込み、体重を乗せる。
台風と化した彼女の握り拳が対敵したその瞬間、星が割れたような轟音と共に稲妻がマミゾウの身体を貫いた。
「こ、コイツはキクのぉ……!」
まるで切れ味の悪い粗悪なナイフで肉を抉り出されたみたいじゃ。体内を走る電流が焼印を何十時間も押し当てたかのような痛みを起こし続けておる。
人間の身体であれば臓器を美味しく料理されてしまうところであったじゃろう。鼓膜は破裂しておるな、これはこれで雑音がなくてよいの。
肌を刺すあの感覚の正体は雷の前兆であったか、気づかぬ自分が腹立たしい…。そう小言を垂らし、台風の目を守る壁である暗雲を取り払うべく回し蹴りを繰り出す。
中段、上段、下段。熱烈峻厳、次々と蹴り入れ、殴り続ける。僅か数秒の攻防であったが、マミゾウの目から見ても台風の勢力は確実に削げていると断言できた。だが、それと同時に島が更地へと変貌するのは時間の問題であり、力尽きた自身に待つ死の足音が強くなることは分かりきっていた。
「拙いのぉ、このままでは堂々巡り、いや儂が先に打ち負かされてしまうぞい…」
強気であった姿勢から一変、絶望の情景が頭を過ぎり、思わず弱音が漏れる。
台風の動力源を未だに押さえきれておれぬこの状況では儂の不利は明らか。次いで、彼奴の勢いを殺しておることは間違いないが、回転速度は相対した時と比べて速くなっておるしのぉ…。
おそらく儂が左部分を殴打してことで台風本来の巻き込む風の力を増強させてしまい、北へと進ませようとする風の力を追い越してしまったのじゃろう。
むむむ、良かれと思い殴ったのじゃが、己の首を絞める結果となってしまうとはのぉ。そう上手くはいかぬな。世の中よくできておる。
「じゃがそれだから、この世はおもしろい」
ここまで来て諦めるなどという選択など毛頭ない。
「のるかそるかよ、己のエゴを突き通してくれようぞ!!」
儂は人間であり妖怪、我儘で結構じゃろう?押し付けてかまわぬじゃろう?
溢れ出る妖力が逆鱗に触れられた龍の如く暴れ、彼女の体貌はますます大きくなり始めた。
その高さは相対する台風に匹敵しており、富士山の標高などはゆうに超え、その頂きはまさしく神の住む場に近いだろう。
耳を折り畳み、身体に纏っている妖力をより一層速く循環させる。今や彼女に触れることはできない、彼女の一身を覆う壁となる妖力は刃となって近づくものを切り裂くからだ。
背にある命を守る為、定めた生き方を自らで否定しない為にマミゾウは怪物の懐へ飛び込んだ。
マミゾウが飛び込んだ先で最初に感じたものは寒さであった。情報の約80%を取り入れるという視覚、その伝達速度を超えた皮膚感覚が捉えた冷気の爆弾はマミゾウに多大な影響を与えた。
(息が…できん…!!!)
気管が狭くなり、気道は痙攣しておるのを感じる。肺の痛みに心臓の違和感、ぬかった…!
いくら妖力で気流の荒波を防げたところで全てを防げる訳ではない…。冷温なんぞもってのほかよ。
呼吸するにしても、それは冷気を取り込むことを意味する。わざわざ自ら気管に大きな刺激を与えて自滅しに行くようなものじゃ。
低温により体力を、暴風雨を打ち消すために妖力を奪われながら目的の場所を目指し、立ちはだかる上空1万mに達する積乱雲の壁をかき分け進む。
入道様が夜の僅かな光も遮り、世界は黒く塗りつぶされる。前後左右、方向感覚を失わないよう襲いくる渦雷の光を頼りに前へと進む。
(下腿部にあたる風が目のある方向を教えてくれる、風も強くなっておる、間違いない!)
懸念するべきは妖力の残余。果たして中心部から半径350km一帯を吹き飛ばせる位の力が残るかどうか…。
中村殿らを守る為の行いが儂の余裕の無さ故に島ごと消し飛ぶなんてこと、本末転倒にも程があるじゃろうて。どうにかして上方向へ飛ばさなければの。
段々と強まる風と雨の勢いはマミゾウの巨体をも押し返すほどであったが、神の悪戯か、突如として風向きが変わる。突風は不意をつかれたマミゾウの足を掬う。
思わず尻餅をつきそうになった彼女であったが、自身のようなデカブツが海上に身体を打ち付けるような事があれば津波が起こることに反射的に気づく。
(マズイッ…………!!)
己を襲う痛みとこれから起こるであろう惨状を予期し、力むマミゾウ。瞬間、彼女の背を何者かが押し上げる。
その正体は至極当然、彼女の妖力である。引き金を引かなかったことに安堵するのも束の間、ありふれんばかりにあった力が大幅に減っていることに心の中で悲鳴を上げる。
「全く、油断の隙もないの…ッッ!」
「息苦しさがなくなっておる…それに心なしか暖かい」
マミゾウの白い息が風に乗り何処かへと飛んでいく。目まぐるしく変化する世界に動揺こそした彼女であったが、すぐさま冷静さを取り戻し、頭を回しながら目的地へと足を運ぶ。
先程、急に風向きが変わったのは目の周辺部に来たからか。上昇気流に変わっているのであれば、台風の目は間近であるはずじゃ。
雨風は内部の中では最も強いといっても過言ではないが、儂にとっては屁のカッパよ。
そうして積乱雲の壁を乗り越えた彼女を待っていたのは、暖かな空気で満たされた、星々が煌めく夜空が広がる別世界であった。
球場のスタンドのように広がる壁雲を照らす月光が、マミゾウの現と夢の境界を揺らす。悪夢という現を忘れさせる瑞夢であった幻想世界は、彼女に不思議と力を湧き出させた。
だからといって、快然たる夢に浸り続け、幻想世界へと侵食するネクロを遣り込めない訳にはいかない。
見惚れ蕩けた目を炯眼とし、台風の目の中心地点へと進む。
さぁて、ここからが勝負よ。目は気圧の不均衡を埋め合わせる為に生まれている産物、ならば回転の中心に存在する謂わば空気循環機能である此奴を破壊すれば、台風もろとも吹き飛ぶはずじゃ!
まず、台風と対等の破壊力をもつ天災、巨人と化す上で使っている妖力を自らへと引き戻す。巨人としての形を作ったキャンバスも、垂らした色も線も元々儂自身のものなのじゃ、儂の元へ還元できるのは当然じゃろう。
天災へと姿を変えていたマミゾウの身体が風船から空気を抜いたように萎んでいく。富士山以上の身長も登山客となんら変わりない姿となり、台風へぶつかってしまえばあっという間に海の藻屑となってしまうだろう。
しかし、彼女の身にはその背丈からは想像もつかない力が依然として内包されている。
この中の気流は穏やかで海の上に易々と立つことはできておるが、油断はできん。この勝負は儂の妖力の総量にかかっておる。先のような失態を犯す訳にはいかんのじゃ。
さて、力は儂の元へ全て集めた。後はコイツを台風を掬い上げるように全方位に放つだけ…
…なに弱気になっておるんじゃ儂は、ここまで来たんじゃ、後はやぶれかぶれ、やるだけじゃろう?
ただ自分のありったけを、考えるでない。縛られる必要などないんじゃ。
「儂は儂じゃろう?」
台風の目に現れた太陽が膨大なエネルギーを一点に凝縮し、瞬く間に爆発したその名残は放光という形で現れ始める。
眩い閃光が夜の帷を突き抜け、光芒は嵐を一閃し、何層もの光輪が水面下を駆け抜けた。
風雨に嘆く島の住民らが雷であろうかと疑問に思う時には、既に耳を劈くほどの衝撃が彼らを撃ち抜いていた。
まるで名もなき神が地球をりんごの皮を剥くように、洪波洋々の溟海はギャリギャリと須臾にして削ぎ取られ、宙へ浮く。薄汚れた海上にある嵐など気にも留めていない。
爆風と化した至大な妖力波に巻き上げられた嘗ての台風は、見事に一本釣りされた魚に喩えるのが容易なまでに天へと舞い上がっていった。
広大な世界の一角の灯した光に続いた驚天動地は彼らの混乱を混沌へと変えるには十分であっただろう。そしてそれは更なる激動を呼ぶ。
削られた大海が元の形へ戻る。海面から首を上げて見えるのは夜空があった筈の場所。空を覆う黒ずんだ海の圧倒的な質量による絨毯爆撃は、亭亭たる水柱を聳え立たせる。
崩れた柱は凄まじい速さで生きとし生ける全てを呑み込む津波へ成長を遂げ、島民の元へと死を運ぶ。
そして再び耳を劈くほどの衝撃が彼らを襲う。暖かな後光を放つ半円状の大層と澎湃する波濤がぶつかり、世界を歪める。
それは地球が割れてしまったのかと錯覚してもおかしくない。ある筈の場所に足が存在し得ないと言ったとしても誰も疑いはしないだろう。
その闇夜を引き裂く轟音は宛ら試合終了を告げる鐘、力と力のぶつかり合いを制し、天へと嵐を打ち上げた彼女を讃える聖歌であった。
天災の残り香が辺りを彷徨っているのを感じつつ、彼女はふと空を仰ぐ。澄み切った空一面に凍りついたように輝く星々が彼女の張りに張った心を緩和させた。
「終わった……儂は勝ったのじゃ…!」
息も絶え絶えになりながら、初秋にしてはカラッとした空気を喉へ通し、声を絞り出す。
暫くの余韻の後に、腰を落として皺くちゃになった人差し指を凪いだ海に浸ける。ひんやりとした水温が指を伝い、厄災がこの場へ戻る理由がないことを確認した彼女は、ゆっくりと立ち上がる。
帰りを待っているかは分からない。だが、帰らなければ後悔する。
それは期待であり、望みは限りなくゼロに近いと頭の中では自覚していた。
それでも、心の何処かが彼女の鉛のような足を動かした。波ひとつない海にぽつぽつと広がる波紋。水鏡に映るマミゾウを何処か欠けたように感じさせた。
澄んだ星空には一際大きな満月があった。
原作の出番はそこそこあるのに、二次創作の出番が案外少ないのは何故なのだマミゾウ様…。
続きは気長に、化かされた程度に待って下さると作者が喜びます。