安堵の息を吐いた珊瑚の身体が、緊張と羞恥から解放され脱力した。支えきれず体勢を崩し、胸に飛び込んだ珊瑚を受け止めた弥勒に、頭を撫でられる。労うように髪を梳かれ、安心感に包まれた。
しかし、いつまでも浸っていたい安寧を脱し、照れ臭そうに頰を膨らませて身体を起こす。引っ張られるみたいに座った弥勒を、ジトっとした瞳で見上げた。
「——……やっぱり、分かってて惚けてたんだね?」
「何を言う。知っていて惚けるわけがないでしょう。まだ鈴の仕業だと確信を得られなかっただけですよ」
思った通りと言っていた彼に、珊瑚は面映さを滲ませて拗ねる。わざとらしく目を瞬き、心外だと言わんばかりに告げられ、ますます半眼になった。
「その割には、随分と楽しそうに見えたけど」
「それはそうでしょう。かわいい珊瑚が甘えてくるのに、楽しまなければ損です」
「〜〜ッ、法師さまって本当ばかだよね」
引き締まった顔で開き直る弥勒。珊瑚は木で鼻を括ったように毒を吐くも、満更でもなくて胸に歓喜を湧かせた。嬉しそうに微笑む弥勒により、ツンと背けた顔に滲む欣快が隠せていないと悟る。
照れ臭くて悪態を吐いたと一目瞭然で、素直に喜ぶより恥ずかしくなった。すると、むず痒さに蝕まれる珊瑚を救うみたく、鈴が音を鳴らし甘い空気を引き裂く。珊瑚はこれ幸いと話を変えた。
「そういえば、この鈴ってどういうものなの? 呪いとか言ってたけど……」
「身につけた者を操り、感情を食い物にする神楽鈴の一部です。昔は封印されていたようですが、何者かによって解かれ、ばら撒かれたと聞いたことがあります」
弥勒が夢心から聞いた話を語りながら、結紐ごと珊瑚から離そうとする。眼前で札が揺れていてよく見えないが、難しい顔で苦戦している様子に、外せないのだと察する珊瑚。そこまで固く結んでいないのに、解けなくなってしまったらしい。
法師の話の信憑性が増し、再び操られないよう、破魔の札を手で押さえる。今の珊瑚にとっては、風穴を封じる数珠と同じ立場だ。どんどん集まっている村人の前で、また弥勒を襲うわけにはいかない。今度こそ羞恥心で心臓が破裂する。
「今まで見たことがなかったので、単なる噂だと思っていたのですが、珊瑚はどこで手に入れたんです?」
「——昨日、この村に来てた物売りから買ったんだ。今日はもう居ないみたいだけど」
ピシッと指で軽く鈴を弾いた弥勒に、珊瑚は内心ドキドキしながら答えた。外すのを諦めて錫杖を手に取る弥勒から、あからさまに目線を逸らしてしまう。物売りに騙されて、呪いの鈴に手を出した理由を聞かれたくない。
落ち着きなく視線を彷徨わせながら、チラチラと反応を窺う。弥勒は顎に手を当てて、神妙な面持ちで考え込んでいた。これなら聞かれずに済むと、珊瑚はホッと胸を撫で下ろす。少し期待していた心は不満を訴えていた。
「その物売り、調べてみる必要がありますね。取り敢えず、先に鈴を壊してしまいましょう」
「へっ!? そ、そうだね!」
伏せられていた弥勒の瞳と視線がかち合い、大袈裟なほど肩を跳ねさせる。泡を食ったような声で同意した珊瑚に、弥勒が不思議そうな顔を鈴へと向けた。
「この鈴に何か思い入れでもあるのですか?」
「そ、そんなのな——うわっ!?」
ほんの少しだけ図星を突かれた珊瑚は、否定と共に隠し武器で錫杖を弾き飛ばす。涼やかな音を鳴らしながら、地面を滑って離れていく仏具を、雲母が追いかけた。勿論、羞恥故の行動ではない。
法力を込められた札は、眼前でヒラヒラと揺れている。にも関わらず、鈴を壊そうとする法師の手から、武器を弾き飛ばしてしまい戸惑う珊瑚。弥勒も想定外だったのか、紺瑠璃の瞳に当惑が孕む。
互いに困惑する珊瑚と弥勒に、考える猶予を与えないつもりか、鈴は奪った身体を更に動かした。それにより、弥勒の隣に移動して腕を組んだ珊瑚は、ぴったりと身を寄せながら狼狽える。
「な、何で……」
「成程。札を貼るまでの間に、随分と心を食ったようですな」
「——……さっきから思ってたんだけど、何であんまり抵抗しないのさ?」
珊瑚が鈴の力に納得する弥勒に半眼を浴びせつつ、空いた手で手甲に包まれた右手を自身の頭に乗せた。やはり抗わない弥勒に、優しく頭を撫でられる。満更でもなく思ってしまうのが悔しい。
「好きな女子が甘えているのに、抵抗するわけがないでしょう?」
頭を撫でていた手を、珊瑚の頰へと移動させた弥勒が、ふわりと破顔する。恋慕を含む甘く優しい微笑で、珊瑚の心は最も容易く早鐘を打ち始めた。単純な自分に恥ずかしくなるが、溢れる嬉しさを押し留められない。
折角だから、少し甘えてみようか。そんな気持ちが芽生えて、おずおずと手を伸ばす珊瑚。ドキドキと胸を高鳴らせて小さく生唾を飲むと、不意に身体から力が抜ける。脱力した肉体が、重力に従って弥勒の方に傾いた。
「おっと……」
「な、何……?」
「ふむ。この鈴の好物は、人の羞恥心のようですね。それならば、だいぶ心を食べているのも、納得がいきます。珊瑚は照れ屋ですからなぁ」
向きを変えた弥勒が、戸惑う珊瑚を真正面から受け止める。関心した様子で悪戯好きな鈴に触れ、脱力の原因を推測した。揶揄を孕んだ愛おしさ全開の声色に、珊瑚の頰に鮮烈な赤が走る。
「法師さまがあんまり抵抗してくれないからだろ!」
「珊瑚がかわいいのが悪い」
「引き締まった顔で変なこと言うな!」
体内を燃やす羞恥の熱を吐き出すように、珊瑚は弥勒の脳天に手刀を落とした。頰に刷かれた淡い薄紅が、唐紅に変わっている。それに伴い、どんどん心を食われてしまっているようで、身体にまるで力が入らない。
袈裟にぐったりと身を寄せたまま、紅味を帯びた頰を膨らませる珊瑚に、弥勒が慈愛に満ちた双眸を眇める。もう少し味わいたい気分を押し込め、雲母の方に視線を向けた。賢い子猫から錫杖を受け取り、鈴に狙いを定める。
「少々、後ろ髪引かれる思いもありますが、そろそろ、珊瑚を返してもらいましょうか」
好き勝手に愛しい女の感情を食らう呪具へと、錫杖の先端を当てた。珊瑚を刺さないよう、そっと腰を抱く。そのまま、腕を軽く後ろに引いて、勢いよく振り下ろした。