満面に紅を刷いて固まる珊瑚より先に、石化を解いた犬夜叉が弥勒にジト目を送る。緊急時と思えぬ場違いな願いが欲望に忠実すぎて、完全に呆れていた。
「——おめぇ、ただ好きだなんだと、珊瑚の口から聞きてぇだけじゃねぇだろうな?」
「違います。使う者が対象者に愛を囁かねば、あの数珠の言霊が上手く発揮されないのです」
チラリと珊瑚の手中にある数珠に視線を送り、呪われていると思えぬほど冷静沈着に話す弥勒。嘘か本当か分からず訝しむ犬夜叉に、劣化版ですからなと告げ、固まって動かない珊瑚に意識を向ける。
バチッと視線がかち合い、珊瑚はハッと我に返った。手の中にある数珠と弥勒を交互に見つめ、伏し目がちに面映さを含む目を横に動かす。愛を紡ごうと唇を震わせるも、喉から声が出てこない。
鈴に操られて本音を吐露したのに、弥勒は優しい眼差しに、揶揄と期待を孕んでいる。珊瑚は自分の意思で言える気がせず、そわそわしながら回避を試みた。
「さ、さっきあんなに言ったんだから、あたしの気持ちなんてもう分かるだろ? 口に出さなくてもちゃんと使えるよ」
「駄目です。失敗すると念珠が壊れて、珊瑚に怪我を負わせてしまうので……」
弥勒にきっぱりと駄目だと告げられ、ううっ、と、小さく埋めく珊瑚。かあっと燃えるような羞恥に蝕まれ、風邪でも引いたみたく身体が熱い。恋慕を心臓に溜まった熱と共に吐き出そうとしても、喉につっかえて言葉にならない。
二人を見守るかごめがさっきのことを聞きたそうにしている。事が終わったら、洗いざらい吐かされる未来が視えた。矛先は勿論、上手く誤魔化せる弥勒ではなく、とても分かりやすい珊瑚だろう。
珊瑚は激しく暴れる胸元でギュッと手を握り、ほんのり寂しさを滲ませてポツリと呟いた。
「——何で、信じてくれないのさ」
「もちろん、信じてますよ。ですが、この艶やかな唇で、珊瑚自身に想いを紡いでほしいのです」
「……ッ」
頰に手を添えた弥勒が、親指で珊瑚の唇を撫でる。慈愛を感じる温和な笑みと柔和な瞳に、珊瑚は甘さの過剰摂取で溶けそうになった。夜色の双眸に滲む愛情は深く、珊瑚を愛しているのが伝わる。
先程、確かに本音は溢した。しかし、それは鈴により無理やり行われた行為だ。珊瑚の本心で間違いはないのだが、自身の意思で告げたわけでない。弥勒は珊瑚からの愛情を欲しているのだ。
手に持っていた刀を鞘に収めた珊瑚は、小さく深呼吸をして目を合わせた。村人や仲間達のハラハラとした視線に晒され、逃げ出したいのを堪えて、愛しさを乗せた笑みを湛える。
「愛してるよ、法師さま」
そして、まるで左の薬指に指輪をはめるように、弥勒の手首に念珠をかけた。唯一、結婚指輪の知識を持つかごめが、胸を昂らせ、小声で悲鳴を上げる。強く掴まれた火鼠の衣が皺になっていた。
見守られながら儀式を終えて、見つめ合う二人に試練が起こる。法力を凌駕された弥勒が珊瑚に背を向け、野次馬の方に一歩踏み出したのだ。もたもたしている間に、鈴に支配権を奪い返され、弥勒はなす術もなく歩かされる。
シャラン、シャランと、鈴を鳴らして歩を進める弥勒が、手首に巻かれた数珠を珊瑚に見せた。軽く揺らして主張したことで、作戦開始を察した珊瑚がコクリと頷く。
「ほ、法師さま!」
いつもと変わらぬ呼び方なのに、妙に照れ臭さを感じつつ叫ぶ珊瑚。しかし、足を見下ろして踏ん張ろうとする弥勒が、自分の方に引き寄せられず目を丸くする。
「あ、あれっ!?」
「弥勒が珊瑚に抱きつかんぞ!?」
「まさか、珊瑚ちゃんの愛より、鈴の呪いの方が強いってこと?」
素っ頓狂な声を漏らす珊瑚同様、七宝とかごめも驚嘆した。珊瑚はかごめの言葉に軽く絶望する。こんなにも苦しいほど好きなのに、鈴の呪いに負けてしまうのが、とても悔しかった。
「……ッ、法師さま、こっちに来て!」
下唇を噛んだ珊瑚は、心中の腹立たしさを吐き出すように、名前を呼ぶ。不安やら怒りやら悔しさで心がぐちゃぐちゃになり、言い知れぬ焦燥感に駆られた。
泣き出しそうな表情の珊瑚は不安いっぱいなのに、それでも側に来てくれない。たった数歩の距離なのに、墨衣に包まれた背中が遠くに感じ、思わず走る。
「お願い、あたしを抱きしめて! 法師さまってば!」
縋るように後ろから抱きつかれ、今すぐ抱きしめ返したい衝動に駆られる弥勒。珊瑚を引っ付けたまま足を動かしつつ、何故か動く両手で顔を覆い隠す。
「——……羞恥が好物の鈴が残っていたら、危ないところでしたな」
「お前、実は割と余裕あるだろ」
珊瑚への愛と欲だけで腕を取り返した弥勒に、犬夜叉が弥勒の着物を掴んでツッコミを入れた。かごめと七宝も法師に駆け寄り、それぞれ袈裟にくっつく。
仲間総出で引き留めても、弥勒の足は止まらない。どんどん近付いてくる端正な顔の法師に、村の女達が期待している。珊瑚との甘い絡みを見たというのに、口説かれる気満々である。
「法師さま……ッ」
自分以外に愛を囁く弥勒を見たくない。その一心で、もう一度、泣きそうな声で名前を呼ぶ珊瑚。
すると、僅かに焦りを滲ませていた弥勒が、ふと何かに気付いて口角を上げた。余裕を取り戻した様子の法師を、期待と不安が入り混じった瞳で見上げる。
「法師さま?」
「違います」
「えっ?」
泣きそうな表情できょとんとする珊瑚に、弥勒の柔らかな微笑が向けられた。再び法力で捩じ伏せることに成功したらしく、足が止まっている。
「珊瑚。私の名は、弥勒——ですよ?」
身体の支配権を取り戻した弥勒が、ふわりと表情を緩めて優しく告げた。弥勒の言わんとしていることが伝わり、珊瑚の体内にカッと熱が増していく。
心臓が破裂しそうなほど激しく脈を打っていて苦しい。あまりの羞恥で目尻に涙が浮かぶ。炎の中に居るみたく全身を熱に犯され、今なら茜色の空にも勝てそうなぐらい、満面が真っ赤だと嫌でも分かった。
法師さまで反応しないのは、弥勒の名前ではないから。つまり、彼を他の女の元に行かせない為には、名前を呼ばなければならない。改めて現状を反復した珊瑚は、全身を総毛立つほどの恥じらいに包まれる。
「珊瑚ちゃん!」
無理だと伏せていた真っ赤な顔を、焦燥に駆られたかごめの声でハッと上げた。鈴に支配権を奪われたままの弥勒が、どんどん野次馬に向かっている。呪いが強くなっているのか、いつの間にか、仲間達の手は引き剥がされていた。
きっと辿り着けば、鈴に操られた珊瑚がしたことを、村娘達にする法師を見せられるのだろう。頭に浮かんだだけでも嫉妬で狂いそうになった。嫌だと叫ぶ心に従って、珊瑚は彼の背に手を伸ばす。
「み、弥勒さま……ッ!」
これでも駄目だったらと嫌な予感がよぎり、珊瑚はキュッと目を閉じた。だが、それは杞憂だと告げるみたく、鼻腔いっぱいに香の匂いが広まる。感じる人肌と抹香の香りに、恐る恐る目を開けると、弥勒の腕の中に居た。