抱き締められていることを理解して、じわりと涙腺が緩む。珊瑚は人前だということも忘れて抱き締め返した。袈裟に顔を埋めて抹香の匂いを堪能し、弥勒が腕の中に居ることを実感する。
胸を撫で下ろした弥勒は、犬夜叉の方へと視線を滑らせた。今のうちに鈴を壊してくれと訴える顔が、幸せそうに緩んでいる。犬夜叉はやれやれといった風に側に寄り、小指の鈴を掴んだ。
しかし、掴まれた鈴が抵抗するかの如く、一人でに本体を揺らし始める。再び珊瑚から腕を離した弥勒が、勝手に動く身体に目を瞠った。
「くっ、さ、珊瑚。私の名を呼んで下さい」
「み、弥勒さま!」
今までで一番強い支配力に抗えず顔を歪めた弥勒を、珊瑚が慌てて呼ぶ。焦りが羞恥を上回り滑らかに口から出せて、法師の腕の中に戻ることに成功した。
しかし、操られるたびに呼ばなければならないことに気付き、珊瑚は目を白黒させる。助けを求めて弥勒を見上げると、どうにもできないのか、困ったように微笑まれた。
「珊瑚、しっかり弥勒を捕まえてろよ」
犬夜叉に追い討ちをかけられて、珊瑚は覚悟を決めて弥勒にしがみつく。硬い顔の犬夜叉に鈴を掴まれ、また珊瑚を振り解こうとする弥勒。珊瑚は素早く名前を呼んで引き止め、犬夜叉を見る。
「いい加減、往生しやがれ!」
犬夜叉は弥勒の小指を掴んで、反対の手で鈴をバキッと破壊した。苛立ちをぶつけたのか、珊瑚の時より鈍い音がして、弥勒と珊瑚は地面に落ちた欠片を見る。最早、修復できないほど、粉々だった。
それを目にした途端、ドッと疲労と安堵に襲われて、二人揃ってへたり込む。くっついたまま脱力した弥勒と珊瑚に、驚いて心配する犬夜叉。二人に何ともないと分かり、肩の力を抜いて悪態を吐く。
「何でえ、驚かせやがって」
「すまんな。操られるというのは、意外にも疲れるようで……」
「犬夜叉が来てくれて助かったよ」
安心感に包まれた穏やかな二人の笑みを受け、犬夜叉は眉間の皺を解いた。元々、そんなに怒ってなどいないのだ。ただ、弥勒と珊瑚が無事だったことを、素直に喜べないだけである。
改めて終わったことを実感した珊瑚は、面映そうな犬夜叉に笑みを溢し、弥勒へと目線を移した。視線を感じたのか、犬夜叉を揶揄っていた弥勒も、珊瑚の方に目を合わせる。
珊瑚は焦りも動揺もない温和な紺瑠璃の瞳を見つめ、ふにゃりと何とも幸せそうな可愛らしい笑みを浮かべた。
「おかえり、法師さま」
「……珊瑚もな」
労いの言葉に目を瞬いた弥勒は、フッと口元を緩めて労いを返す。無事に大団円を迎えた法師と退治屋に、野次馬と化した村人達が拍手していた。
沸き起こる拍手喝采で、珊瑚は見られていることを思い出す。それでも、法師の体温が恋しくて離れる気になれず、顔を隠そうと擦り寄った。
二人きりにしようと企むかごめにより、犬夜叉達が依頼主の元に向かう。妖怪退治の報酬を受け取り、野次馬を散らす背中が視界に入った。
「——ところで、珊瑚」
「何?」
「もう一度、法師さまと呼んでくれませんか?」
それが更に甘えているように見えると気付かぬ珊瑚に、弥勒が何やら真剣な顔で願望を口にする。法衣から顔を離し珊瑚は、意図を掴めずパチパチと目を瞬いた。
「法師さま?」
「もう一回」
「法師さま」
「もう一度、お願いします」
「〜〜ッ、何がしたいのさ!」
珊瑚が首を傾げて呼ぶと、真っ直ぐ見つめて何度も乞う弥勒。流石に恥ずかしくなってきて、珊瑚の頰に本日何度目かの赤が走る。弥勒が微笑ましそうに相好を崩し、何度も呼ばせる理由を告げた。
「弥勒さまも良かったですが、お前に法師さまと呼ばれるのも、悪くないなと思いまして」
「へ、変なこと言わないでよ。これから、呼びづらくなるだろ」
愛おしそうに目を和らげる弥勒の言葉に、珊瑚の顔に紅葉が散る。くすぐったそうにもじもじしながら、動揺で目線を右往左往させた。
「でしたら、今後も名前で呼んでくれますか?」
「それが狙いか!」
「あいたっ」
如何にも楽しげな様子で、ニコニコと笑みを浮かべる弥勒の頭に、珊瑚の手刀が落ちる。叩きつけられた脳天を摩りながら、弥勒は不満げに口を尖らせた。
「だって、愛しい女子には、名前で呼ばれたいじゃないですか」
「べ、別に呼び方なんて何だっていいだろ。それに、法師さまは嘘を吐いたから、今後も名前では呼んであげない」
子供みたいに拗ねる法師の願いを、珊瑚はツンとした態度で突っ撥ねる。最もらしい理由で恥ずかしいからという本心を隠し、名前で呼ぶのを拒否した。
すると、弥勒から返事がなくなり、背けた顔をチラリと戻す。珊瑚の視界に意表を突かれて目を丸くする弥勒が映った。心底不思議そうに首を傾けている。
「嘘ではありませんよ?」
「今更、何言って……ッ」
「確かに、名前で呼ばせようと企みはしましたが、さっきの言葉に嘘偽りはありません」
動揺する珊瑚の唇に指を当てて、弥勒が蕩けそうなほど甘く笑った。ゾクっとする色濃い恋慕を滲ませた声に、震わされた鼓膜から全身にむず痒さが走る。機嫌を取る為の嘘だと疑うのが、申し訳なくなってしまうほど、本音だと伝わった。
職業柄、法師さまなんて色々な人に呼ばれるのに、珊瑚が呼ぶと喜んでくれる。それが嬉しくて、珊瑚の胸が張り裂けそうになった。満足気に口元を歪めると、弥勒の慈愛に満ちた瞳が、含みのあるものに変わる。
「それより、珊瑚。一つ聞きたい事があったのですが」
「こ、今度は何さ」
「そう身構えるな。大したことではない」
どう見ても何か企んでいる笑顔に、珊瑚は警戒して身体を強張らせた。予想通りの反応に微笑んだ弥勒は、近くに落ちた粉々の鈴の欠片を拾う。壊れると呪いも解けるのか、もう操られる気配はない。
「鈴を二つ買った理由を聞かせてもらえませんか?」
「———————ッ!!」
悪戯を成功させた子供みたく、ニヤリと口角を上げる弥勒。鈴の話をした際に聞かれなかったことで、完全に安心し切っていた珊瑚が石化する。気付いてほしいと思っていたが、実際に理由を問われると、恥ずかしすぎて堪らない。
「な、何でそんなこと、法師さまに教えなきゃいけないのさ」
鬼灯の花に勝る赤面で口をパクパクさせていた珊瑚は、木で鼻を括ったような態度で断って立ち上がる。そのまま逃げようとするも、華奢な腕を弥勒に囚われて、動けなくなった。
「私の情報では、この村で売られている鈴は、持っている二人を必ず結んでくれるそうです」
「し、知って……ッ!?」
「ここからは私の推測です。あの鈴は心を食らう為に人を操りますが、心を食らい続ければ感情を共有できる。つまり、最初は無理やりだった行動が、段々と身体の持ち主本人の願望に変わると考えられます」
座ったまま見上げてくる弥勒の意地悪な笑みに、珊瑚は周章狼狽する。その隙を突いた弥勒に軽く引っ張られ、腕の中に戻された。始まった憶測に嫌な予感がする。早く逃げろと脳が警鐘を鳴らした。
「珊瑚は羞恥をかなり食われ、心まで操られていました。ならば、最後に私の小指に鈴を結んだのは、お前が鈴を渡したかったから」
確信を得て口に三日月を刻む弥勒の推察で、羞恥の情が全身を駆け回る珊瑚。まだ昼間だと言うのに、夕日を迎えた満面が高熱を帯びている。緊張と焦燥で背中に汗が流れ、周囲に聞こえそうなほど心臓もうるさい。
「——そう、考え着いたのですが、本当のところはどうなんですか?」
「〜〜ッ、ばかっ! 法師さまの意地悪!」
妖艶な笑みを浮かべた弥勒が、分かっていて言わせようとする。わざとらしく小首を傾げて、答え合わせをしたがる法師に、珊瑚は涙目で睨みつけた。