ロドスに落ちたトランスポーターがケルシー先生に慰めてもらう話   作:クレジット

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ロドスに馴染んだトランスポーターが昔馴染みに食べられる話

 

 

 

 

 

 

 

 源石灯が無機的な光で室内を照らす。

 窓から見えるのは黒く塗りつぶされた景色。

 感じるのは、夜になって低くなった空の温度。

 

 そして、元から冷えている妾の心。

 

 

「臆病な女が居た」

 

 

 一人分の声だけが診察室に響く。妾以外に動くものがないのだから当然だろう。当然で、自然で、予想されていた未来だ。

 だからと言ってそれに何も思わない訳ではない。長く生きていれば予想のつく答えだってあるが、丸付けをする時にはいつだって少しの安堵──いや、感慨を感じるものだ。

 

「臆病な女というのは正確でない。かと言って、間違いでもない」

 

 診察室の椅子に腰掛ける。女が座っていた場所だ。

 向かう机に置かれた機材の電源はついていない。だから液晶は真っ暗で、緋色の何かが二つ、ぼんやりと見えている。

 

「女は豪胆だった。人の機微を見抜く観察眼を持っていた。だがある男に関しては、臆病だった」

 

 床を蹴って椅子を回す。そうして妾の前に来たのは患者のために用意された椅子だ。それはつまり、男が座った場所ということだ。

 立ち上がって、今度はその椅子に座る。背凭れのないスツール、僅かに残っているように感じる温もりはどうしてだろう。

 

「女は隠れていた。女は接していた。女は機会を逃さなかった。女は現を抜かしていたがあまり、機会を勝ち取ることができなかった」

 

 立ち上がり、スツールを蹴飛ばした。

 金属質な音が響く。

 

 診察室の奥に一台だけ置かれているベッドに腰掛けた。シーツは剥ぎ取られていて、代わりのものは用意されていなかった。妾に後始末でもさせる気なのか、ケルシー先生は。

 

「女は二人居た」

 

 ぽす、と音を立てて妾の体が横になる。部屋中に残っていた微かな血の匂いとは別に、それよりもキツい匂いが鼻をつく。

 

「男は気付かなかった。女はそれでいいと思っていた。それなのに、片方の女が男をその手に収めた。収めることが出来てしまった」

 

 妾はいつからこんな風になってしまったのだろう。こんな汚らしいはずの残り香を愛おしく思ってしまうなど、どうして。

 そんなことを思っているのに、妾の体は正直に反応する。ブラッドブルードに生まれたのなら、生粋の人でなしに生まれたのなら、そんなもの要らなかったろうに。

 

 ああ、男に選ばれなかった理由を種族のせいに出来てしまえれば、どんなに楽なのだろうか。

 

「……妾は、どうすれば良かったんだ」

 

 ぽつりと呟いた。

 

 

 一人分の声だけが、診察室に響いた。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ました。時計の針を確認すれば、日付が変わってしばらく経っている、かなりの深夜だった。

 ここは、俺の部屋か。どうしてこんな真夜中に起きるんだ? 寝たのがいつだったかも分からねえ、記憶が少しだけ混濁してるな。

 

 だがまず確認すべきことは──この隣から聞こえる寝息は何だってことだ。誰のものだ? いやそれ以前にどうしてこんなことに……って、ああ、思い出した。

 俺はケルシーとサシで話し合ったんだ。ワルファリンがセッティングしてくれた機会だったよな、さんきゅ。そんでもって俺の説得は成功して、ケルシーが、ケルシーが……

 

「うわ、思い出しちまった」

 

 本当に、どうしてこんなことになったんだろうな。

 

「気持ち良さそうに寝やがって」

 

 ケルシーの満足気な顔が腹立つ。お前、俺を犯したんだからな? 少しは罪悪感を持ってくれよ。

 持ち過ぎたってんなら、俺が超過分をぶっ飛ばしてやっからよ。

 

 いや、たぶんもう無理だわ。ぶっ飛ばすの。

 

 ベッドから抜け出して、冷蔵庫の中から水を取り出す。バタン、と音がしてもケルシーが起きてくる様子はなかった。

 どうにもあのベッドに戻る気が起きない。添い寝程度で今更だろとは俺自身でも思うが、俺は超がつくほど純情なんだ。仕方ねえだろ。

 

 ケルシーを心配する必要はもうない。そんで、俺の方ばっかりに複雑な感情が残っちまったわけだ。

 これからどうすればいいのか分かんねえし、どうなんのかも予測できねえ。ただまあ、ケルシーを立ち直らせて後悔だけはしてない。

 まあ、なるようになるか。

 

 さて、と。目が覚めてきた。こういう時、酒でも入ってなければ寝つきが悪いのが俺だ。着替えて少し散歩にでも行こう、そうすりゃまだなんとか眠れるはずだ。

 

 

 うし、準備完了。

 

 

「さて、どこに行くか……ん?」

 

 開けたドアのすぐそばで、壁に寄りかかって座り込んでいる白髪のちびっこが居た。

 

 きい、ぱたん。

 

「えっ、今何が起きた?」

 

 咄嗟に閉めたドアの前で一生懸命頭を働かせる──が、どうにも答えが出ねえ。そもそも情報の処理ができてない。

 ちょっと確認すっか。

 

 がちゃっ。

 

「……」

 

 いるわ。確かにいる。

 見つめていると、座ったままのワルファリンが俺の方を見上げた。

 

「あ、ども」

 

「……」

 

 何も言わねえ。なんだこいつ。

 

「ちびっこ」

 

「……その呼び方はやめろと、言っただろうに」

 

「お、反応した」

 

 なんだよ、ビビらせやがって。

 ばたん。扉を閉める音が廊下に響く。

 

 どうやら俺とこいつ以外、廊下に人は居ねえらしい。

 

「今日は世話になったな。ありがとよ」

 

「ああ。どうやら、助けになったようだな。それはそれは、大層喜ばしいことだ……」

 

「そんならどうしてそんな顔してやがんだ?」

 

 隣に座る。背もたれのドアが硬い。

 

「大したことではない。そなたとケルシー先生の間柄に比べればな」

 

「だから、さっきから何だってんだ? 何が気に入らねえんだ?」 

 

「なんでもないと言っているだろう」

 

「そりゃ無理だって分かってんだろ」

 

 小さな頭にチョップを入れる。

 突然殴られたことに怒ったワルファリンは、むすっとした顔で恨めしげに俺の方を睨んだ。

 

「ああ、こりゃいいな。ポーカーフェイスで装われるよりずっといい」

 

「そなたは……まったく。変わらんな」

 

「老けたっつってたのはどこの誰だ?」

 

「外見と内面は違う話だろう」

 

「つまりお前の内面は変わっちまったってのか?」

 

 ワルファリンが俺の方を見て、俯いた。

 泣きそうな顔だった。

 

「変なことを言った。忘れてくれ」

 

 絶対無理に決まってんだろ。

 何年の付き合いだと思ってんだよ。

 

「さっさと吐いちまった方が身のためだぞ」

 

「妾に言わせれば、お前のためだ」

 

「……何だって?」

 

「何でもない」

 

「お前、そういうの良くねえぞ!」

 

「知らん」

 

「んだとぉ!?」

 

 振り上げた拳。

 ちびっこは呆れた顔で俺の方を見る。な、なんだよ文句あんのかよ……あ、この手は戻しますねサーセン……

 

「ローン」

 

「な、なんだよ」

 

「妾のことはどう思う?」

 

「どうって……」

 

 まじまじと見つめ直す。こいつはどうやら、懊悩(おうのう)ってやつをしているらしい。へぇ、あのワルファリンがなぁ。

 

「おい、失礼な目で妾を見るな」

 

「しゃーねぇだろ。こんなお前見たことねぇんだからよ」

 

 そう言うと、ちびっこは視線を切って俯いた。

 

「見たことない、か」

 

「何を気にしてるかは知らねぇが、俺に言えることは──って、おい!?」

 

 ちびっこが脱兎の如く駆けていく。

 その背には必死ささえあるように見えた。

 

「何なんだよ、あいつ……」

 

 

 取り残された俺は、大人しく眠る気分にもなれないまま立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 端整な顔が不機嫌そうに歪む。

 

「それで私に相談した、と」

 

 午前6時。あの日とは違って、俺もケルシーも早くから起き出していた。つーか俺はあの後寝られなかった。

 

「朝から聞く話の内容ではないな、全く」

 

「うぐっ、すまねぇ」

 

 椅子に座ってコーヒーを飲むケルシー。ワルファリンとの関係で言えば俺よりずっと深いはずで、更に言えば俺よりずっと思慮深い。

 相談相手としては適格だったが、いかんせん聞く時を間違えちまった。

 

「本来ならば、今頃私はローンの寝顔を使っていたはずだと言うのに」

 

 おいおいなんだよ何にも間違えてなかったじゃねぇか。マジで俺ナイスプレー。

 ……最悪、朝から()()だもんな。いや、うん……否定はしねぇが、なんつーか…………長く生きすぎると、ああなっちまうのかね……って、んなっ!?

 

「ぅおい!? 何してんだお前!?」

 

「聞くほどのものでもないだろう。始業時間が迫っているためにその準備を行うことは至極真っ当であり、咎められる覚えはないが」

 

「咎めるわ! 俺の目の前で堂々と着替えてんじゃねぇ!! 見せつけんな!!」

 

「散々見ただろう。何を気にしている」

 

「何もかもをだ! ……ったく、もういいから、さっさと着替えてくれ。俺はコーヒーでも淹れ直す」

 

 マジでこいつはよぉ……俺に散々情緒語っておいて、人の気も知らねえのは一体どっちだってんだ。配慮ってやつなら俺のほうがまだマシだぞこの野郎。

 

「ローン」

 

「んだよ」

 

「お前はウルサスに住んでいた」

 

 何言ってんだお前。

 

「住んだことなんてねえぞ」

 

「学問を修め、礼節を知った。娯楽を嗜んでは端金を方々で費い、身なりが良く気心も知れた女と結婚した」

 

 何が言いたいのかはまだ分からなかったが、大事なことなんだろう。着替えてる最中に話すことじゃねーってくらいには大事なんだろう。たぶんな。

 

「その時だ。充足していたその頃に、その劇薬は現れた。それはごく少量しか流通していない違法な薬物だった。永く楽しむ術はなく、また手を出せば確実にリスクが自身を蝕むのだと分かっていた。だがやはり効果は絶大であり、破滅と引き換えであったとしても妥当とされるものだった」

 

「……それで?」

 

 続きを促す。

 

「お前はそのリスクある一時の快楽に、身を委ねるだろうか。──いいや、ありえないな」

 

「俺が答えるわけじゃねえのかよ」

 

「退屈な問いを投げかけるつもりはない。……本題だ。もし、その薬物を流した先で、その快楽に委ねる者を見てしまったら。そしてそのリスクが想定よりずっと小さなものであったなら。お前は何を思う?」

 

 そいつは、難儀だな。

 

「確信ある答えは出せねえが、覆すってのも中々力が必要だ。つっても早々に諦められるものでもねえんだろう。まあ複雑だろうな」

 

「そうだろう? つまりはそういうことだ」

 

 何言ってんだこいつ。

 いや、あー、複雑な思いを抱えてるのはワルファリンで間違いないはずだ。んで、それなら俺はどこだ?

 

 順当に考えるなら、ドラッグの利益ばかりを得たヤツか?

 

「……俺が羨ましくて嫌味でも言いに来たってか?」

 

「いいや、違う」

 

 じゃあ、俺は説明した野郎か?

 ドラッグの危険性を過大に伝えた、と。

 

「どうしてもっと正確にリスクを伝えてくれなかったのかと問い詰めたい、ってな感じか」

 

「違う」

 

「わっかんねえ! 誰がどうだってんだ!」

 

「それを話せば、わざわざ例えた意味が何もかもなくなるだろう」

 

 クソッ、マジで分からねえな。

 

「もう一つ、話しておくか」

 

「……んだよ」

 

 いつも通りの服に着替えたケルシーが、切っ先鋭く視線を寄越した。

 

「報連相は重要だ。それが如何に仕事と関係のない私事を極める内容であろうが、その他問題と切り離せば実に効果的なものとなるだろう。そして、その上で聞こう」

 

 ケルシーが俺を睨む。

 具体的な言葉を何一つ告げないままに。

 

 俺への怒りを溜め込んで、言った。

 

 

「何故、私に相談した?」

 

 

 俺は、その意味が理解(わか)れなかった。

 

 

 

 

 

 相談っつー安直で安全だったはずの行動は禁止されちまった。であれば俺に出来ることはもう、足りねえ頭で考えるしかないわけで。

 ロドスに配属されたばっかりの俺にはぽっかりとスケジューの空いた時間が一日に何度もある。

 その度に頭を悩ませた。

 

「分かんねえ」

 

 それでも、結論は出なかった。

 ディナーでも、と誘ってくる猫を押し退けて帰った俺の部屋。例え話も交えて考えてみたが一切分からなかった。

 

 そんな部屋の中で電話のコール音がした。

 

「……ローンだ」

 

『なんだ、元気がな──』

 

「リュドミラじゃねえか!! 元気にしてるか!? 飯は食ってんだろうな!!?」

 

『訂正。元気は有り余ってるみたいだな』

 

 電話してきたのはリュドミラだったらしい。悩みをも吹き飛ばす大天使。天使(サンクタ)じゃねえけど。

 

 いやあ、娘ってのはアレだな、声だけでもかわいいモンだな! これ、離れて生活するようになってから週一くらいで実感してるかもしんねえけどな!

 

「それでどうしたんだ? 何か不都合でもあったのか?」

 

『久しぶりに声が聞きたかっただけだ』

 

「おう、そうか! リュドミラの声は俺もずっと聞きたかったぞ!」

 

 紛うことなく俺は親バカの類なんだろうが、それで何が悪い。子供が嫌いな親なんざ全員嫌いだ。

 適度な愛情でいい……? い、いや、リュドミラは、リュドミラにとっての適度はこれくらいだから……

 

 しばらくお互いの近況を報告して、心配事に脱線した。

 

 リュドミラの声は聞いてるだけでセラピー効果でもあるんじゃねえかってくらいかわいいんだが、それ故に害虫が寄りそうで心配が止まらねえ。脱線は仕方ねえ。

 

 そうして、いい具合になったところを締めくくればいつも通りだ。今度会えることを期待して通話を切る。

 

 だが今日はいつも通りにならなかった。

 

『そういえば、電話をかける前は落ち込んでいたようだったが。何かあったのか?』

 

「あー、いや、なんつーか……おう」

 

『私には話せないことか?』

 

「いや、そういうわけじゃねえんだが」

 

 電話越しにゃ伝わらねえだろうが、微妙な顔になる。ケルシーからは相談したことを責められちまったんだ、どうにも進退窮まってる。

 

 だが、相手はリュドミラだ。

 しくじっちまった。

 

『そうか。私に、隠し事を……』

 

 暗く濁っていく目がありありと脳裏に浮かぶ。

 捻くれていた頃の、誰が相手でも噛みつきそうなあの顔がフラッシュバックする。

 

 クソッ、俺は親だってのに。

 

「すまねえ、分かったよ。話そう」

 

 相談することで何か不利益でもあるのかもしれない。たとえばデリケートな話で、広めてはいけないものなのかもしれない。

 だがそんなものはリュドミラより大切なものじゃねえんだ。俺の信頼なんて、リュドミラからさえあればいい。

 

 二者択一なら、俺はもう迷わない。

 

 

 

 

 

『待ってくれ。ケルシーと恋仲になったのか?』

 

「いや、違う。違うんだが、ちょっと複雑な関係なんだよ」

 

『……また今度詳しく聞かせてもらうからな』

 

 

 

 

 

『大体事情は分かった』

 

「おう」

 

『ケルシーが言わんとするところも理解したし、その同僚が何を思っているのかも分かった』

 

「マジかよ!?」

 

『──不愉快だな』

 

「……へっ?」

 

 一瞬俺に言ったのかと瞠目する。

 だが、リュドミラはちゃんとしたいい子だ。俺自身が理解できていないことでは怒らないし、怒る相手を見極めようとしてくれる。

 うむ。やっぱリュドミラは最高だな。

 

 バカみてえな思考をしていると、端末の向こう側からため息をついたような気配がした。

 

『なんでもない。ただ、そうだな……』

 

 何かを悩んでるが、どうやら全てを俺に伝える気はないらしい。ケルシーの言葉を疑ってたわけじゃねえが、助言をもらうことそれ自体が良くはないみてえだな。

 やがて吟味を終えたリュドミラが告げる。

 

『何を思っているのかではなく、何がしたいか。それを聞けばいい』

 

「何が、したいか」

 

 噛み締めるように繰り返した。

 ワルファリンはどうして俺の部屋の前で座り込んでいたのか。どういう経緯であの場から逃げ出したのか。何に悩み、何故俺に寄りかかろうとしたのか。

 その答えが、これで分かる。

 

「ありがとな、リュドミラ」

 

『いいさ。だが、くれぐれも、恋人なんて作ってくれるなよ。今のローンに彼女でも出来ようものなら、ショックが大きすぎる』

 

「そりゃ酷えな。まあ、リュドミラに彼氏が出来たら紹介してくれ。まず俺が審査する」

 

『ああ、そうだな。そうしてくれ』

 

「それじゃまたな、リュドミラ」

 

『そうだな、ローン。愛している』

 

「俺もだよ」

 

 ぷつ、と通話が切れた。

 充足感を振り切って立ち上がる。

 

 リュドミラが示してくれたものは本来俺が見つけるべきだったのかもしれねえ。つーかその方が良かったんだろう。

 だがそれでもワルファリンのことが気掛かりでしょうがなかったんだ。許してくれ、ケルシー。

 

 ワルファリンのそれはきっと俺が蒔いた種なんだろう、となんとなく思う。

 だから俺にはそれをどうにかする責任があるわけだ。

 そんでもって責任を果たすのは、親として──リュドミラの親として、当然の務めだからな。

 

 

 探せばすぐワルファリンは見つかった。

 何やらデータを弄っていたが、ワルファリンに用があると言えば、ケルシーの裁量で先に上がることとなった。

 

 それなりの時間だがまだまだ医療部は動いているらしい。この分だと夕食も食ってねえだろうからと食堂に向かう。

 

 仕事は大変だろう、体を壊すことはないのか? 食事は摂ってるんだろうな?

 道すがら問いかけたが、返ってきたのは沈黙だった。

 

 食べ終えて今度はバーに行く。

 渋っていたが、強引に手を引いて連行した。

 

 ここのマスターは空気が読める男だ。

 俺とワルファリンの様子を見てすぐ、個室を案内した。上品な酒を嗜みながら秘密の話ができる、そんな場所へ。

 

 L字の椅子に腰を落ち着けてしばらく日常会話で場を繋ぐ。ようやく観念したようで、ワルファリンは少しずつ喋るようになってきた。

 

「どうだ、今日の日替わりカクテルは。美味いか?」

 

「少し甘すぎる」

 

「そりゃ残念だ」

 

 上品な酒の良し悪しは上品な輩にしか分からない。高いのを頼んでもどうせ分かんねえから、俺は一番安いものを飲んでいる。ナッツが美味え。

 

「それじゃ、そろそろ本題に入るとするか」

 

「ああ。いい加減妾もそれを聞きたかったところだ。何のために連れ回してくれたのか、とな」

 

 貴重な時間奪ってすまん、ってのは最初に言ったじゃねえか。割とねちねち言うよなお前って。

 

「単刀直入に言おう。お前は、何がしたい?」

 

「……」

 

「お前は一体何を諦めたんだ?」

 

 考えるまでもなく、ケルシーがドラッグに喩えたものは恐らくそれだろう。それさえ分かればワルファリンの気を楽にする手伝いくらいはできる、はずだ。

 

「分からないな」

 

「……何がだ?」

 

「今の妾がどうすればいいかなど、とうに分からなくなってしまった」

 

 今朝と同じように、悲しげに俯く。

 自身が甘すぎると評したカクテルを飲んでさえ、その顔は苦々しいもののままだった。

 

 その追い詰められたような表情が、少しだけバベル時代のワルファリンと重なった。混ざった感情が醸し出す、かつてのリュドミラのような雰囲気。

 

「懐かしい、な」

 

「懐かしいっつったって、一年かそこらだろ?」

 

「そんなものか。それで、どうして今それを?」

 

 ちょうどよく俯いていたモンだから、つい撫でちまった。

 

 そう笑って誤魔化す。

 本当はそんな顔をしてほしくなかっただけだ。だがまあそれは完全に俺のエゴで、余計なお世話だろう。

 

 撫でていた手を離すとワルファリンの雰囲気は変わっていた。ウニのように棘だらけなものから、纏わりつく蛇のような雰囲気に。

 

「──始まりは、あの時。引っ付いた子供の頭を豪快に撫でる男を見て、『あの男がそうか』と。そう思ったんだ」

 

 ぽつりぽつりと、ワルファリンが話を始めた。

 

「あの女が慕情を抱く男だ。興味が湧かない道理はなかった。話しかけて、その話が弾んで、気持ちの良い男だなと思った。妾を子供扱いしたことも不思議と嫌ではなかった」

 

 あの男。誰のことだろうか。

 あの女。誰のことだろうか。

 

「あの女が向ける鬱屈した感情に辟易として、けれどそれが優越感になった。隠れているあの女が、今話している妾を羨ましく思っているかもしれないなどと、そう思った」

 

 具体的な話だ。

 全容はカケラも見えて来ないが。

 

「それは事実だったのだろう。気付けば妾にキツく当たるようになっていた。男と親しく接するのは、頭を撫でられるのは、妾を罰したことへの意趣返しのつもりだったが──いつのまにか、それは逆転していた」

 

 小悪魔ワルファリンってか?

 大して間違ってねえな、悪魔(サルカズ)だし。

 

「何か変なことを考えてはいないか?」

 

「何でもねえよ。続きを話してくれ」

 

 ワルファリンは疑わしそうに俺を睨んでいたが、すぐにまた話し始めた。

 

「しばらく経って、ある日のことだ。男はバベルに寄っていた。だが妾は何も聞いていなかった。妾が預かり知らぬところで、男は他の女と会っていた。それがただの仕事であっても、妾は言い知れぬ焦りと混乱を感じていた」

 

 自嘲するような笑みを浮かべる。

 

「あの女──ケルシー先生が感じるそれと全く同一であると分かったのは、それからすぐのことだった。ただの仕事で、嫌がらせだったはずの行為が、(こと)(ほか)妾にとって大切な時間だったらしい」

 

 バベル。ケルシー。慕情。

 何だか知らねえけど、胸が騒ぐ。

 

「諦めてやるつもりだったんだ。妾は酷い理由でその男を好きになった。横恋慕などするつもりもなかったし、ケルシー先生が素直になればそれで良かった。だがいつまで経っても隠れたままだった。いっそくっ付いてしまえと思いながら、しかし別の部分では男が独りだということに安心していた」

 

 待て、待てよ。

 その話振りだと、お前が好きな相手は……。

 

「まだ必要か? 妾が何を思い、何がしたかったのかはもう理解できただろう? だからこそ分かるはずだ、妾がもう理性と感情の袋小路に居ることを」

 

 ワルファリンは俺のことを、好きなのか?

 

 ケルシーが好きなのは、紛れもなく俺だ。バベル時代からそうだったというのも聞いた。であれば、本当の本当に、ワルファリンが俺のことを好きだって?

 

「嘘だ、ありえない」

 

「それではなんだ、接吻(キス)の一つでもしてやれば信じるのか? ──冗談だ。引いたか?」

 

 二の句が告げない。そんな状態の俺を見て、ワルファリンはけらけらとおかしそうに笑った。

 

 どこか振っ切れたようだったが、解決したわけじゃねえのは明らかだ。明らかに無理して笑っているのが見てとれた。

 

 オーケー、分かった。

 こんな時は最悪と比較するんだ。

 

「ケルシーよりはずっと理性的だ。そうだ、ケルシーよりはずっとマシだ。よし。引いたわけじゃねえ」

 

「ケルシー先生より、か。妾をそう喜ばせて何がしたい?」

 

「冗談じゃねえさ。俺を罠に嵌めて、酔いつぶして、強姦したあいつに比べればな」

 

 今度はワルファリンが何も言えなくなった。文字通りの絶句で、見事に驚いていた。そりゃそうなるよな、誰だって。

 

「そ、その上で近づいたのか……? もしや、そなたは真正のアホか……?」

 

「今そのことは関係ねえだろうが!?」

 

 ケルシーの話だろ!?

 

「流石にそこまでの勇者とは思っていなかった。ちょっぴり引いたぞ」

 

「まずそんなことをしたケルシーにドン引きしろよ!」

 

彼奴(あやつ)はそなたのことならそれぐらいやりそうだと納得したが?」

 

 アイツ割と信用されてねえのな!?

 

「はーっ、はーっ……そんで、どうすんだよ」

 

 ちょいと興奮しすぎたっつーことで水を飲んで、ワルファリンに向き直った。

 

「何の話だ」

 

「何がしてえのかって話だ。俺はお前のことが放っておけねえからな。さっさとすっきりさせる──のは難しいかもしれねえけど、どうにかしてやりたい」

 

 責任を持ってどうにかする。思った通りワルファリンの問題は俺が深く関わってるモンだったわけだから、どうにかしてやる他ないだろ。

 具体的な手段は何一つとして浮かばねえけどな。

 

 だがそれは俺の方だけで、ワルファリンは色々考えついていたらしい。いや、だからこそ迷っていたのか。

 

「まず一つ、そなたと結ばれたい」

 

「……おう」

 

 反応に困る。

 

「次に一つ、ケルシー先生とそなたをくっつけたい。つまりは、道理に従って元通りにしたい」

 

 ワルファリンに我慢させんのは、嫌だな。

 

「最後に一つ。そなたを愛したい」

 

「なんだ、それ。一つ目と何が違うんだよ」

 

「そうだな。三つ目のものは、ある意味一番我儘な選択肢だろう」

 

 我儘? 一つ目のものと同じように、ケルシーより後のくせに掻っ攫うことが、か?

 

「順を追って話そう」

 

 ワルファリンが指を一つピンと立てる。

 なんつーか、研究者っぽい仕草だ。それが調子を取り戻してるってことなら最高だと言ってやるが。

 

「一つ目は、後ろめたい案だ。ケルシー先生に対して申し訳ない。きっと何故自分は諦めなかったのだと後悔することになるだろう。だが、それを選びたいという気持ちも弱くはない。難儀なものだ」

 

 選びたい気持ちは強いが、選びたくない理由が大きいってとこか。ワルファリン自身が出し抜いたことを納得できねえんなら、まあナシなんだろうな。

 つーか俺の意思どこ行った。選ばないみてえだから深くは聞かねえけど。

 

「二つ目は、無難だな。今まで通り妾だけが我慢していればいい。焦がれることはあっても、一番自分に納得がいくのはこれだろう」

 

 選びたくない気持ちはあるが、選ぶべき理由があるってとこだな。

 

「三つ目は、我儘だな。そなたには一旦ケルシー先生に応えないでいてもらう。その上で、妾からのアプローチを許してもらう」

 

「するってえと、どういうことだ?」

 

「妾とケルシー先生で、競争をすることになるだろう。どちらがそなたを手に入れられるか、とな」

 

 悪くはない案だと思うけどな。

 ワルファリンの顔はあまり肯定的でない。

 

「それのどこが我儘なんだ?」

 

「では聞くが、行列に横から割り込んで、誰が先に入店するか公平なゲームで決めよう、と言う者が我儘でなくて何と言う?」

 

 その二つは同じか? 俺からすりゃ、全く別のものに思えるんだが。

 まあ、ワルファリンが納得できないんだったら仕方ねえとは思うけどよ。

 

 ワルファリンの説明を頭の中で吟味する。

 だが、俺の意見は変わらなかった。

 

「俺は断固として二番目を拒否したい」

 

「そうか、妾から好かれたいか。仕方がないヤツだ」

 

「自尊心高えなおい!? 俺はお前に我慢なんてしてもらいたくねえし、色々間違ってると思うからだっての!」

 

「そう言っておいて告白すれば振るのだろう。恋愛弱者は理想が高すぎるのが困りものだな」

 

「その通りだが、まあ、その通りだな……」

 

「ざ〜こ♡」

 

「!?」

 

「それでは気を取り直して──とは言ってみたが、実際残る選択肢は三つ目くらいだな?」

 

「お、おう。俺もそれがいいと思う。つーか俺はワルファリンのことを子供としてしか見てねえから、一番目は普通に無理だ」

 

 グラスを傾ける。

 ちょうど、それで空になった。

 

 途中から、結論が出る前からワルファリンは元気そうだった。それが俺と話していたから、と考えるのは流石に自惚れだろう。

 言えなかった恋心を打ち明けたことで楽になったか。

 

「ケルシー先生と妾で取り合い、か」

 

「ハッキリ言われるとむず痒くて仕方ねえな」

 

「妾も同じようなものだ。全く気恥ずかしい」

 

 そう言って笑うワルファリンは、もう大丈夫だろうと確信を持てるほど清々しい顔をしていた。

 ああ、その顔の方がずっといい。

 

「さて、それじゃあもう話は終いか」

 

「そうだな」

 

「それ飲み終わったら会計でいいか?」

 

「ああ、問題ない」

 

 ワルファリンが持つグラスも、もう少しで空になる。

 ケルシーには怒られちまったがなんだかんだで収まりがついたと、少し安心した。

 

 ワルファリンが明日から笑って過ごせるように、なんてヒーロー意識はねえけど。それでも、そうなったらどんなに良いことか、とは思うんだ。

 

「おい、頬に何かついているぞ」

 

 思考を止めると、ワルファリンが俺のそばに寄って手を伸ばしていた。

 

「あん? おお、」

 

 すまねえな。

 そう発音するには、邪魔なものがあった。

 

 狭い個室の中に繰り返し水音が響く。頬に添えられていた手はいつのまにか頭の後ろにまで伸びていて、逃げられない。

 暖色の明かりに照らされたワルファリンの頬は、それで誤魔化しが効かないほどに紅潮していた。

 

 ロドスのバーは普通オペレーターしか利用しないこともあって、防犯設備がいい加減だ。例えば内からかけられた個室の鍵はロドス全艦のマスターキーでしか開けないし、その個室の中に防犯カメラは存在しない。

 

 ようやく口と口が離れた。

 子供だちびっこだと今まで言ってきたが、濃厚なキスで腑抜けた俺が抗えないくらいには、ワルファリンの力は強かった。

 

「いくら妾が後から好きになったとは言え、このまま号砲が鳴ってスタートでは余りにもアンフェアだろう?」

 

「お前、何して……っ!」

 

「ケルシー先生にこうされたと言っていたからな」

 

 妖艶な緋い瞳が俺を貫く。

 陶器のように、いや、ひょっとするとそれよりも真っ白なワルファリンの肌と、対照的な紅色。

 

 

 

 

「妾にも刻んでくれ。なあ、ローン?」

 

 

 

 

 美しいと思ってしまったのは、秘密だ。

 

 

 

 

 




 
長いしケルシー先生じゃないしたぶん分かりにくいし久しぶりの更新だし、良いところがない。
妾ちゃんがかわいいということを除けばな。

妾ちゃん好き?

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