ロドスに落ちたトランスポーターがケルシー先生に慰めてもらう話   作:クレジット

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ロドスで生活するトランスポーターがケルシー先生と語らう話

 

 

 

 

 

「よう、ローン。調子はどうだ?」

 

 

 仕事が終わり一息ついているとそんな声が聞こえてきた。

 同業のヤツらはほぼ全員が出払っていて、だから今の俺には誰も声なんてかけるはずはねえんだが。

 まあ、声からして誰なのかはわかってるけどな。

 

 振り向いて目に入ったのはドクターだ。

 覆面の不審者こと、ロドスの戦術指揮官。

 

「おう、まあそれなりってとこだ。……あーっと、ドクター。あんまし格式張った話し方は得意じゃねえんだが、それでもいいか?」

 

「その方が俺も気楽でやりやすい。是非そうしてくれ」

 

「そうかよ、ありがとな」

 

 ドクターについてはロドスで生活してりゃ嫌でも耳に入ってくる。

 その噂は大多数が好意的なもので、残りが単なる噂話。

 それだけじゃねえのかもしれねえが、ケルシーが顔を顰めながらも評価してたからな。

 たぶん凄えヤツなんだろう。

 

「そんでドクターはどうしてここに? 俺はもう仕事が終わるからな、用を手伝うくらいなら出来るぜ?」

 

「それなら付き合ってもらおうか。ロドスの食堂には裏メニューってのがあってな、それでも食べながら話そう」

 

「なんだ、依頼か?」

 

「そう構えなくてもいい。ただの食事だ」

 

 上司とサシで飲み食いする。

 正直言って苦手な話だ。

 龍門の時の上司は粋なヤロウだったから良かったが、その前の職場は酷かった。

 

「そんなに警戒されるなら最初から言っておくか。俺はケルシーについて話が聞きたくて誘っただけだ。野次馬根性だな」

 

「ああ、そりゃ確かに聞きたくもなるわな」

 

 俺だってあのケルシーが野郎を好きになったって聞けば気になって仕方がねえはずだ。

 アイツは数字だとか理想だとかに恋焦がれるようなタイプで、恋愛の話題なんて出せば唾でも吐きかけられちまうようなヤツだ。

 ……そういうヤツだった。昔は。たぶん。

 

「それにしてもケルシーの話か」

 

 ふと思い返す。

 最近ようやく落ち着いては来たが、少し前はずっと濃い日々を送ってたってモンだ。

 ケルシーについてより知った日々だった。

 

 ロドスの採用試験を受けたあの日から始まって、落ちたことをリュドミラに誤魔化して、ケルシーに襲われ、そんでもってロドスに連れてかれて。

 そんでケルシーを慰めてやって、ワルファリンの相談に乗ってやって。

 

 おう、それで、ケルシーの話か。

 

「そういや聞いてねえな」

 

「何のことだ?」

 

「いつから俺に惚れてたのか、どうして惚れたのか。それは聞いたことねえんだよ。どんだけ惚れてんのかはもう十分分かったけどな」

 

「ほーん。それはいいことを聞いた。今度バーにでも誘おうか、その時にまた聞くからな」

 

「おう。基本いつでも空いてるぜ」

 

 端末を差し出す。

 別にメールくらいなら社内用のモンを使えばいくらでも送れるが、俺はそいつでプライベートな会話をしない主義だ。

 トランスポーターの経験からか、指令内容は勘違いだとか齟齬がないように何度も確認しねえと落ち着かない。

 だから分けてるってわけだ。

 

「酒の誘いはこいつで頼む」

 

「分かった。彼女ができたら教えてくれよ、隠蔽の手伝いくらいはできるからな」

 

「おいおい、俺がそんなクズに見えるかよ? もしそんなことになったらきっちり説明してやるさ」

 

「さてはローン、それが何を引き起こすのか分かってないな?」

 

 ドクターがぐっと声のトーンを下げた。

 そうなったらどうなるって、失恋して落ち込むんじゃねえのか?

 

「答えは一つだ。ロドスが崩壊する」

 

「はあ?」

 

「崩壊する」

 

「……ああ、なんだよそういうことか!」

 

 ちょっとばかし時間はかかったが理解した。

 そう深く考えることでもねえんだ、これは。

 

「おう、そういうことだ。分かってくれたか」

 

「ドクターは冗談も芝居も上手えな!」

 

「あっはっはっは」

 

「あっはっは」

 

 あっはっは。

 

「絶対彼女作るなよ、お前」

 

「えっ、お、おう……」

 

 いきなり冷静になるなよ。

 びっくりしちまうだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクターと離れてから少し。

 俺はケルシーと星夜を眺めていた。

 

 冷えた外の空気が頬を撫でる。

 欄干の向こうには月に照らされたテラの大地が幻想的な雰囲気で佇んでいる。

 どちらからともなく俺たちはグラスを持って、綺麗な音を響かせた。

 

 どんな設計士が建築したのかは分からねえが、なんともまあ成し遂げたモンだ。

 これほど雰囲気のいいバルコニーは初めてかもしれねえ。

 夜の静けさがより一層際立てている。

 

「綺麗だな」

 

「ああ、そうだな」

 

 俺の言葉に頷いたケルシーはどこか不満そうだ。

 ここ最近は忙殺されて話す機会がなかったからか?

 

 それとも、こうか。

 

「雰囲気は最高で手にした酒も最高だ。そんでもって景色も綺麗なんだが、一つだけ配慮が足りてねえ」

 

 何を言い出したのか、とケルシーが首を傾げた。

 

「お前の目には映らねえから分かんねえのも仕方がねえな。……景色より綺麗なモンを俺の目の前に置いちまったらそいつだけに視線が行くんだよ、ケルシー」

 

 気障ったらしいセリフだ。

 シラフでこれを言うヤツは頭のネジが飛んでるな。

 酒が入っていたとしても、言いたくはない。

 

 だからまあこれは、こんなに良い場を提供してくれやがったケルシーへの礼だ。

 

「顔が真っ赤に染まってんのは酒のせいだ。そうだろ?」

 

「……いいや、ただの酒じゃない」

 

 小さく口に含んで嚥下する。

 いつになく妖艶な風に、ケルシーが言う。

 

「お前と飲む酒だからだ。私の全ては、お前と飲む酒のせいだ」

 

「おいおい、たかが酒にどれだけの罪悪を背負わせるつもりだよ」

 

「罪なのはお前もだろうに」

 

 いけねえなぁ。

 今夜はどうにも酒の回りが早い。

 顔が熱くて熱でも出てるみてえだ。

 

 どうやらそれはケルシーも同じようだけどな。

 

「……このままでは本題を忘れてしまいそうだな。何か聞きたいことがあるんだろう、ローン」

 

 ケルシーが顔を手で仰ぐ。

 頬の熱を覚まそうとしてるんだろうが、顔はずっと赤らんだままだ。

 

「気をつけることだ、今の私ならきっと何だって話してしまうだろうからな。PRTSの権限は流石に渡せないが、口座番号くらいならば話してしまうやもしれん」

 

「情報管理どうなってんだよ!?」

 

「冗談だ」

 

「……本当かよ」

 

「ローン、お前が実際に聞きさえしなければ冗談のままだ」

 

「絶対に聞かねえからな覚悟しろよ」

 

「ちなみにオススメは理想の告白(プロポーズ)だ」

 

「聞かねえよ」

 

「そうか」

 

 どことなく悄気た雰囲気を出す。

 そんなモン聞くと思ったら大間違いだぜ、ケルシー。

 

「プロポーズすんなら自分で考えて実行するさ。予定調和も悪かねえけどよ、それじゃ一味足りねえ。それともなんだ、ロマンチックは嫌いか?」

 

「……お前となら、悪くない」

 

「そうかよ。ありがてえことだ」

 

 フォークと皿がぶつかる。

 清涼な風がケルシーとの間を抜けて行く。

 二人の空気がどこかへと流れていく。

 

 高級な場所でのマナーは大体覚えた。

 それが必要になる依頼も時としてあったからだ。

 最初の頃は夜なべして頭に詰め込んだが、今では自然に動けるくらいにまでなった。

 まさかプライベートで使うことになるとは思わなかったけどよ。

 

 ケルシーの方を伺う。

 食事のペースだとか、相手の機嫌だとか、そういうことまで考慮してのマナーだ。

 事前にプログラムした命令通りに動けばいいってモンじゃねえ。

 

「なあ、ケルシー」

 

「なんだ」

 

「お前は何処を目指してんだ?」

 

 ケルシーの手が止まった。

 これは雰囲気をぶち壊す発言だろう。

 そう思っても、俺の口は止まらなかった。

 

 本当はどうして好きになったのかを聞くつもりだったんだ。

 どうして俺なんだって聞いて、そんなことかよって言って、笑ってるケルシーでも見てやるつもりだった。

 

 薄い闇のベールにかけられたバルコニー。

 ケルシーの口は真一文字に閉じられていて、唯一動くものはただ俺の口だけだった。

 

「俺はずっと前のお前と今のお前しか知らない。バベルに居た頃を知らないんだ。だからただの噂程度だが、随分と良い思い出があんだって聞いた」

 

「それがどうした」

 

「例えばの話だ。俺がもしお前の旅路の道連れになったとして、俺はそれを見ることが許されるのか?」

 

 俺は昔のケルシーを知っている。

 だから今のケルシーがどこか違うってことを分かっている。

 それは雰囲気であって、所作であって、色々な部分がとにかく違う。

 

 それはきっとケルシーが目指している何かが深く関係している、ように思う。

 それが答えだと断言はできねえけど、俺の感覚が正しければケルシーはバベルの頃から変わってねえんだ。

 

 

 それなら、俺はいいのか?

 

 ケルシーの隣に居座ったとして、そんな大事な期間を丸ごと離れていた俺に同じ方向を見させてくれるのか?

 

 それを、ケルシーは許せるのか?

 

 

 気になってはいたんだ。

 言い出す勇気だけが致命的に欠けていて、それは今夜だって同じはずだった。

 口からこぼれ落ちた。

 

 それはきっと悪いことじゃねえんだ。

 心の準備は出来てねえんだが、この際だ。

 最後まで聞いてやるさ。

 

「ああ、その通りだ」

 

 ケルシーがゆっくりと口を開いた。

 

「私は許せないだろう。彼女との日々に一欠片だって関わりを持っていない者が眺望を共にするなど……冗談にもならない。私の全てを、そう易々と他人に取り分けることが許せるものか」

 

 目の奥にどろりと溜まった執着の感情。

 ケルシーは俺と同じかそれ以上に、バベルを大切に思っている。

 それが悲しいことだとも寂しいことだとも俺は思わない。

 いや、バベルが崩壊したことに関しては残念だが、そういう思い出がある分には良いことに決まってる。

 

 つーことは、だ。

 俺はケルシーの隣に立てねえよ。

 それこそドクターあたりが適当で、部外者の俺にその席を楽しむことはできない。

 

「ただ、これはお前の観点だ」

 

 ……それ以外の事実があるってのか。

 俺がお前に関わってもいい、その証拠があるってのか。

 

「私とお前は確かに接していない、接していないが──一方的な観察はずっと行っていた。ローンが訪問する際には必ず監視カメラを穴が開くほどに見つめていた」

 

「自首なら警備部でやってくれ」

 

「私の日々にローンは存在していた。それがどれだけ一方的であれど、私はその事実のみを認めている。他の誰が許さずとも私だけは許してやる。お前はもはや私を形作る一要素なんだ」

 

 ケルシーが小さく笑みを浮かばせる。

 俺の顔を見て、さも嬉しそうな顔をして。

 

「つまり、どういうことだよ」

 

「お前は私の隣に立ってもいいということだ。いつでも空いている、ローンが望むならばいつだって座らせてやる」

 

 クソッ、バレてんなぁ。

 俺だって真剣に悩んで気遣ってやってたってのに。

 

「その椅子、ジェットコースターばりの安全装置が付いてねえか? 絶対に外せねえようなヤツが」

 

「さあな。座ってみれば分かるかもしれないが」

 

 ケルシーが不敵に笑う。

 

 ああ、そうだ。

 こいつはこういう笑い方をするヤツだった。

 

 風がまた間を抜けていく。

 冷えた夜の空気が熱を冷ます。

 

「なあ、ローン」

 

 ケルシーが夜空を眺めた。

 つられて俺も星の海を見上げる。

 星々が空を埋めるテラの空は、どこまでも続いてんじゃねえかって錯覚するくらいには深くて遠い。

 

「月が綺麗だな」

 

 空に月は見えない。

 ケルシーの席からなら見えるってわけでもない。

 雲に隠れているか、バルコニーから見える景色が北側なんだろう。

 

 そう高い教養を身に付けているってわけじゃねえんだ。

 その目がいつのまにか俺の方を向いていたことで、ようやく気が付いた。

 

 迂遠な言い回しは苦手だ。

 本音を隠して語る話に何の意味がある。

 相手に認識を委ねることのどこが謙虚だ。

 ただの甘えだ。

 きっちり分かるように話せ。

 

 そう思ってきた。

 俺の人生には衝突が多かったが、分かり合えることだって多かった。

 全部俺の言葉が本音だったからだ。

 そのことに俺は自信を持ってる。

 俺がそういう人間なんだって胸を張れるくらいには、俺はその直接的な言い方を使ってきた。

 

 それでも、今日だけは。

 今日だけはその縛りを緩めたい。

 

「月が綺麗か。ケルシー」

 

 グラスを手に取った。

 夜空とケルシーから逃げるように、暗い紅色のワインを見つめる。

 歪んで見えない向こう側の目が微かに細められたように思えた。

 

 直接言うには覚悟が足りねえ。

 直接見るには度量が小せえ。

 

 だから俺は目を塞いで口を開いた。

 

「夜を待てば、俺にも見えるかもしれねえな」

 

 ケルシーは何も答えなかった。

 俺の答えが予想の内にあったか、それとも答えられなかったか。

 怜悧な顔が告げるものは余りにも少ない。

 俺はこいつの胸の内を理解するのは随分と前に諦めちまった。

 もう何もわからねえんだ。

 言葉以外に信じられるものは、記憶の中にある火傷しそうなほど熱い体温と、目に映っていた暗い肉欲の炎。

 

 

 

 ただ、そんな定かじゃねえことばかりの中で、一つだけ分かっていることがある。

 

 

 もし俺に月が見えたとしたら。

 

 

 きっとそれは世界の何にも代え難いほど、綺麗なものだということだ。

 

 

 

 

 

 

 どうにも俺の頭は雰囲気に流されやすいらしい。

 気障で仕方がねえ台詞の羅列を頭の中から追い出して、ケルシーの顔を見つめる。

 

「さっさと本題を切り出したらどうだ。私もお前も、時間は有限に相違ないだろう?」

 

「今のが本題かもしれねえだろ?」

 

「そこまでデリカシーがない男に親が務まるものか。第一、私がどれだけお前を見ていたと思っている。推察できて然るべきだろう」

 

 またこいつは歯の浮くような台詞を平然と言いやがって……それが悪いなんて言うつもりはねえけど、小っ恥ずかしいんだよクソが。

 

「つーか、その理由だ」

 

「具体的に言ってもらおうか」

 

「お前が俺を見てる理由だクソバカ」

 

 デリカシー云々言ってるけどよ、俺からしてみればお前だって研究者気質が抜けてねえぞ。

 別に直せだなんて言うつもりは毛ほどもねえけど。

 なんつーか、それは嫌いじゃねえから。

 

「……古来より、生物に始まりと終わりは不可分だ。最も代表的なもので言うなれば生と死であり、それは数ある哲学の題目の中でも間違いなく一番に卑近であると言える。そしてそれこそが、進化を続ける生物の不完全である所以だろう」

 

 長えな。

 ケルシーの話が長い。

 いつものことだけどよ。

 

「ガリア帝国はテラを支配できるほどの大国であると、かつてリンゴネスの人々は謳っていた。実際に世界中の人々がガリアの言葉を話し、ガリアの文化は目覚ましい発展と普及を遂げていた。しかし一つの失敗を鍵に衰退の一途を辿り、今では完全な滅亡を遂げている」

 

「次はリターニアの話か?」

 

「いいや。今話していたことはつまり、この世界には不完全であることが終わりを連れてくるという一種の法則についてのことだ」

 

 最初からそう言えよ。

 ……なんとなく、分かってきた。

 こいつが今とんでもない長話をぶっ込んできた理由がわかってきた。

 

「不完全なものが完全になる可能性。それは確かに存在しうるかもしれないが、しかし私はこう考える。完全となる可能性を欠いているからこそ不完全なのだと。濫觴が不完全であるのならば、必ず結末が訪れるのだと」

 

「お前緊張してんだろ」

 

「……」

 

 ケルシーの目が小さく見開かれる。

 すぐに持ち直したみてえだが、俺には分かる。

 今のは図星だった。

 

「さて、もう一つ。私はお前に出会ってからの約二十年間、不断にその恋慕を隠していた。初めの十年は戸惑い、抑圧し、調子を掻き乱すお前に呪詛さえ吐いていた。忌々しいものだと嫌っていた。それでもその感情は私の中で消えなかった」

 

 突然カミングアウトするには重すぎんだろうが。

 初めの十年ってことは俺がめちゃくちゃお前の依頼受けてた頃だぞ。

 リュドミラの学費稼がねえといけなかったし。

 

「ようやく受け入れ、そして諦めたのは私がバベルで活動していた頃の話だ。いや、違う。抵抗する必要がなくなったんだ。お前を諦めることが出来ると確信していたから、私は心の枷を一つ外した」

 

 逃げ切ったってわけか。

 なんつーか、現実感がねえな。

 急に二十年だかの話をされても、俺の中ではほんの少し前まで付き合いのある研究者としてしか見てなかったからな。

 

「なあ、ローン。何故現在に至るまで想い続けることが出来たのか、分かるか?」

 

「冷めなかったから……って答えじゃねえんだよな。だったら分かんねえよ、そもそもそれに理由なんてモンがあるのか?」

 

 人が人を好きで居続けることに理由なんてものがあるのか?

 

「答えは完全だからだ」

 

「なんだって?」

 

 完全ったって、意味が……

 

 

「私が、完全無欠に、その体も心も在り方も、お前の全てを愛しているからだ」

 

 

 ケルシーが言い切った。

 言い切りやがった。

 

 酒の勢いだか何だか知らねえが、とにかくそれは真っ直ぐ俺の耳まで届いた。

 そんで俺の脳を揺らしやがる。

 

「全てって、お前」

 

 言葉が上手いこと出てこねえ。

 次に何を言えばいいのかさっぱり分かんねえ。

 

 それは間違いなく本音だった。

 若造が口にする全てとは重量が違う、命でも賭けてんじゃねえかと思うほどにズッシリとその告白は伝わった。

 

 洒落た言い回しには慣れていた。

 生まれ故郷のサルゴンで富裕層のある女と関わりがあったからだ。

 今ではもうオバサンだが、アイツと過ごした青春は正にそんな気障ったらしい言葉ばかりだった。

 

 だから、その言葉は新鮮だった。

 一分の冗談やお世辞すら介在しない、純粋すぎる好意の暴力。

 馬鹿みてえに俺のことを好きなんだって伝わってくる。

 感情丸ごと込めたみてえな力強さで心臓を直接揺さぶってくる。

 

 夜の冷えた空気がありがてえな。

 けどよ、顔の熱さがいつまでも取れねえんだ。

 まともにケルシーの顔を直視できる気がしねえんだよ。

 

「今宵の風は妙に冷えているようだ」

 

「……酔い覚ましにはぴったりだな」

 

 軽口を叩いて小っ恥ずかしい雰囲気を流そうとする。

 立ち行く時は俺たちに何も与えず、何も奪わない。

 

 既に二度も同じ夜を経験した俺とケルシーが、朧に霞む宵の中、視線を合わせては離す。

 どうにもそれが初々しい恋人のように思えて、顔の熱さが更にしつこく存在を主張する。

 

 ランプは付けない。

 つーか、付けられない。

 

 赤みがかった顔を直接見てしまえば、もう酒のせいなんてことは言えなくなっちまうからだ。

 ほんの少ししか減っていないグラスを見てしまえば、それが酒のせいだなんてことがありえねえんだって分かっちまうからだ。

 

「愛している」

 

「……月の話じゃなかったか?」

 

「迂遠な物言いを専売特許としていることは認めるが、偶にはこのような言い方も悪くはないだろう?」

 

 あー、はいはい。

 負けだ、今回ばかりは俺の負け。

 火照りが治らねえんだよ、馬鹿野郎。

 

 俺とケルシーが同時にフォークを皿に置いた。

 酒は、これ以上顔が熱くなっても困るからな。

 

「聞きたかったことは、もういいのか?」

 

 椅子にかけていたジャケットを羽織る。

 向かいに座ったままのケルシーがそう聞いた。

 

 振り返ると、如何にも学者然とした部屋が俺を見返していた。

 呼ばれた時はここで何かやるのかと身構えたモンだが、今日はただの食事に終わったようで何よりだ。

 ここはバルコニーがあるように宿舎からは少し離れていて、俺の自室までちょいと距離がある。

 早めに帰らねえとな。

 

「ああ、俺が聞きたかったことは全部聞いたさ。随分と話し込んで遅くなっちまったし、さっさと帰って寝ることに……」

 

 あ、あれ、どうなってんだ?

 バルコニーより幾分か暖かい部屋の中、どうしてか冷や汗が止まらなくなった。

 

「なあ、ケルシー」

 

「どうした」

 

「ドアの建て付けが悪くてよ、開かねえんだ」

 

「果たして建て付けが理由だろうか?」

 

 耳元にかかる吐息。

 いつのまにかバルコニーから俺の背後に移動したみてえだな、どんな手品を身に付けたんだ?

 

「もう帰ってしまうなどと寂しいことは言ってくれるなよ?」

 

「い、一旦落ち着いた方がいいんじゃねえか?」

 

「言ったはずだ。二人きりの空間では自制することも難しいほどの欲情に襲われてしまうことなど、既に伝えているはずだ。それにも拘らずのこのこと訪れたんだ、そうされる覚悟はとうに出来ているんだろう?」

 

 ケルシーの手が俺の腕を掴む。

 

 逃げ場はない。

 助けはどうしたって来ない。

 

 仕方ねえだろ、俺も気になったんだよ。

 俺のことを好きになる理由なんてどこにあんだって思って聞きたくなっちまったんだよ。

 

 なあ、だから許してくれよ。

 

「駄目だ。観念しろ」

 

 ケルシーが俺を抱き寄せて、口を塞ぐ。

 舐るようなキスが頭を揺らす。

 

 突き飛ばされた先で俺を受け止めてくれたのは革製のソファ。

 おいおい、良い値段しそうだな。

 ……これを汚すのかよ?

 

 ケルシーは再度俺の口を塞ぎながら、服をズラして覆い被さった。

 ケルシーの腕が顔の横に置かれて。

 酸欠になりそうな頭で、俺もケルシーを抱きしめ返した。

 

 

 

 俺はクズだった。

 それをリュドミラに救われた。

 俺は生きていても良いんだって、それを肯定してくれた気がしたんだ。

 

 ケルシーは恩人だ。

 一番欲しい時に救いの手を差し伸べてくれた。

 リュドミラに俺が必要じゃなくなって、俺の生きる意味が失われたその時に。

 

 

 怖いんだ。

 全部終わったその先に、俺がいる意味なんてないんだろうって思ってから、ずっと。

 リュドミラもケルシーも、ワルファリンだって、本当は俺なんか要らねえんじゃねえのかって思うんだ。

 

 

 

 なあ、だから許してくれよ。

 

 この関係をずっと、続かせてくれよ。

 

 生きていていいって、ずっと。

 

 俺を許し続けてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 願いは口から漏れて、すぐに塞がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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