ロドスに落ちたトランスポーターがケルシー先生に慰めてもらう話 作:クレジット
久々に感想貰ったから息抜きに書いた。
トランスポーターってのは自由な仕事だ。
人種、国籍、年齢。
三つに加えて、トランスポーターはその他凡そ全ての条項に制限がない。
運送さえ出来れば、後は信用を得るだけだ。
それも資格を取ればどうにかなる。
もちろんそれだけで自由ってわけじゃねえ。
たとえば、期限を守れば運送方法は自由だ。
歩こうが走ろうがどうでもいい。
その期限だって品物の大きさだとかに応じてきちんと取ることもできる。
その判断は資格の受験で学んでるから、正式なトランスポーターは判断ができる。
そんで、実はもっと自由なものがある。
それはトランスポーターが受注する依頼内容だ。
俺が以前受けたその依頼はその自由さを最大限に利用したものだった。
クソ面倒だったが、受注率100%依頼達成率99%に泥をつけるわけにはいかなかったからな。
そのクソ面倒な依頼主が、こいつだ。
「やあ、ローン。元気にしてたかい?」
助手席のそいつは何が嬉しいのか泰然と微笑んでいる。
普通何もなくてそれだってんなら人生楽しそうで何よりなんだが、こいつの場合は勝手が違う。
「俺は最近悩みの種が一つ……いや、二つ増えたところだ。お前の方はどうなんだよ、モッさん」
「私の名前も忘れるくらい疲れてるみたいだね。いいよ、自己紹介しようか」
「要らねえよ。どれだけ一緒に居たと思ってんだ、モスティマ」
「これからを含めるなら数十年かな」
「断る。お前ほど気難しい子供もそう居ねえ」
微笑んでる顔は楽しいからじゃない。
効率が良くてウケがいいから、ってだけだ。
子供の頃からこいつは
子供っつっても会ったのはたった十年弱くらい前のことだが。
モスティマは勝手に結んだ約束を勝手に履行扱いにして、そしてそのまま消えた。
それまでの月日を蔑ろにするような、後を引かない最後だった。
リュドミラのやつも悲しがって——は居なかったが、それでも調子が狂ったのは本当だ。
もう二度とごめんだ。
朝起きて、今の今まで一緒に行動してたやつが煙のように消えるなんて経験は。
「手厳しいね。でも、君はまだトランスポーターなんだろう?」
前方、地面から突き出た源石にオリジムシが
何も言わずハンドルを切る。
その言葉の意味が分からないほど、俺も鈍感じゃない。
最近自分で自分の感覚が信じられなくなりつつあるが——主に
分からなくちゃいけないことでもあるからな。
「黙って居なくなったこと、まだ怒ってるんだね」
「当たり前だ」
「ふふ、変わらないなぁ」
俺が変わらない、か。
若者からすりゃ俺はどんどん歳を取ってるように見えるはずなんだけどな。
そういやワルファリンからも言われたんだったか。
外見と中身は別だ、なんてことも含めて。
その通りではあるけどよ、それだけじゃねえと思うのは俺だけなのか?
「女の子と話している時に他の子のことを考えるのは失礼なんじゃないかな」
「さっきも言ったろ。悩みの種なんだ」
頭ん中が透けてんのは昔っからのことだった。
正直あの二人のことは知られたくねえし、何から何まで話すつもりはないけどな。
「それで、お前は今何の配達中だ? 見た感じ荷物なんてないみてえだけど」
「見た感じ、じゃなくて荷物なんてないよ。食料と水と着替えくらいさ」
「どうやって何もねえ荒野を移動してたんだよ!? それにまだ距離も相当離れてんだけど!?」
「今までは使い切りのテント。これからのことは、ローンが居るからそれでいいさ」
路頭に迷う、いや野垂れ死ぬ一歩手前じゃねえか!?
俺が通りがかってマジで良かったな!?
過ぎたことに慌てる俺とは対照的に、変わんねえ落ち着きっぷりのモスティマ。
一発殴ってやろうか。
「計画くらいちゃんと立てろって前々から言ってんだろうが……」
「行く先々で問題起こして折角の計画を全部水の泡にするトランスポーターがそれ言うんだ?」
「起こしてねえよ! 起きるだけだ!」
「それならそういうことにしておくよ」
余裕ありげに振る舞いやがって、生意気なのは本当に相変わらずなんだな。
その相変わらずな生意気さがちょっと嬉しいのは慣れすぎだ。
そうなったらもう手遅れだな。
俺と同じだ。
「そういや、リュドミラとは連絡取ってるのか?」
「取ってるように見える?」
ンなこと言われたって、見ても分かんねえ──と思ったが、俺まだまともにこいつのこと見てねえな。
つって隣に目を向けて、そんで。
釘付けになった。
「お前……こんなに成長してたのか……」
「ふふん、どうだい?」
こいつと初めて会ったのは、たしか三十を超えてからのはずだ。
それで俺はまだ四十になってねえ。
なってねえのに、なのに、こんなに。
呆気に取られた俺を見てモスティマが笑う。
まるでその反応を待っていたとでも言うように上機嫌で、その一つ一つが成熟した証明だった。
「感想が欲しいな?」
「……自分が変わらなくなると時間の流れに気づけなくなるってのは本当みてえだな」
「ちょっと、そこは大人になった私を感じてドギマギするべきだろう?」
「笑わせんなよ。運転してる最中に危ねえだろ」
子供が成長した程度で大袈裟だな。
いずれ大人になるなんてことは世界のどこでも変わんねえ常識だし、それが目の前で起きたところで気にすることでもねえよ。
「ああ、もしかして必死に取り繕ってるのかな? 私のことを子供として見る必要なんてもうないのにね」
取り繕う? 俺が?
「ははっ、良い冗談だな」
「笑わせるつもりはなかったんだけど、ローンが楽しそうで何よりだよ」
変わらない微笑みの下に少しだけ怒りの感情が見えた。
嫌味ったらしい言葉はこいつなりのコミュニケーションだってのを俺は知っている。
特別親しい相手にしか言わねえってのも含めて、な。
だからそれを聞いて、少しだけ嬉しくなった。
俺はまだモスティマにとって親しい相手で居られてんだな。
「後会を約束してもねえやつがいきなり現れやがったんだ。そりゃ楽しくもなるさ」
ちょっとばかし素直な言葉に、待ってましたとばかりにモスティマの頬が緩む。
なんだなんだ、笑うことじゃねえだろ。
……もしもこいつが同じように感じてたってんなら、そりゃ万々歳ではあるんだけどよ。そんな気性か?
「そう不満そうにしなくてもいいだろう? 折角の逢瀬なんだ、堪能しようじゃないか」
「逢瀬ねぇ」
逢瀬と来たか。
連想して二人の顔が浮かぶ。
甘い言葉とは不釣り合いなはずだった二人との関係は、ある日を境にして一転しちまった。
それはモスティマが消えた時よりもずっと劇的で思いもよらないことだった。
胸のあたりがグルグルして、胸焼けでも起こしたみてえに気分が悪くなる。
不満と、後悔と、焦燥と、怒り。
俺の頭ん中を占拠している連中はいつだってその主張を止めない。
まるでいつまでも自分から動けない俺を罵っているかのように。
深く深く、心の中を空っぽにするつもりでため息を吐いた。
空にするってのは生憎と失敗しちまったが、一度落ち着くことができた。
昔の不満やらで生まれた色々な感情なんかが全部取っ払われて残った感情。
それは、自分でも上手く認識できないままに、口からこぼれ落ちた。
「モスティマ。久しぶりにお前と会えて良かったよ」
今度こそ、モスティマは目を丸くさせた。
俺がこんな風に萎びるなんてありえねえだろうからな。
子供の前では──リュドミラやモスティマの前では、こんな姿見せたことなんてなかったんだ。
大人になった今ならいい、てなわけでもねえけどよ。
いけねえな。
感傷的になっちまってる。
「ふふ、そっか。それはよかった」
心底嬉しそうな顔を道の先へと向け、モスティマは何かを呟いた。
いきなり変なことを口走った俺に引いてるのか、それとも別のことでも考えてるのか。
俺に知る術はない。
少しの間揺られる。
「暗くなってきたな。ここらで車中泊にするか」
昼下がりにロドスを出たんだから、数時間もすれば空が藍色に染まるのは当たり前だ。
今や綺麗な夜の
「二人きりで泊まるのは初めてだね」
「お前がいた頃は……ああ、いつもリュドミラと一緒に居たからか」
「素晴らしい親子愛だよ、本当に」
どこからか飯を取り出しながらモスティマが茶化す。
揶揄い混じりな言葉にイラっときたが、俺はこいつの過去なんざ知らねえから黙っておく。
言い返したい気持ちは十分にあったけどな。
昔、俺とリュドミラの前で愛だとか情だとかは必要ないなんて嘯いていた。
本心なのかどうなのか分からなくて何とも言えないまま相槌を打ったことを覚えている。
「……私も人だからね。不要だなんて言いつつ、きっと本当は少しだけ羨ましかったんだ」
羨ましい、か。
子供ってのは基本、親からの愛を受けて育つモンだ。
それはきっと成人してからすら変わらないことだ。
そう知っていたから俺は、リュドミラを——リュドミラとモスティマを、放っておけなかった。
モスティマの方は大人になりつつあったが、それでも少しくらいは親代わりになろうと思ったんだ。
「ある日。それをくれるお節介焼きな人に会ったんだ」
おう、なんだ。俺の話か?
「私はずっとその愛が欲しかったけれど、その人に限っては違ったんだ。子供になんて見られたくなかった」
「……俺じゃねえヤツとの話か?」
「いいや、ローンの話だよ」
理由が分かるかい?
さも
何が可笑しいのか全く理解できねえが、危険な何かをその声から感じる。
伸ばされた白い手が俺の頬に触れた。
「寄り添うように仄暖かい愛ではなく、抱きしめるように燃え上がる愛。ああ、私はそれが欲しいんだよ」
そう告げた口が、そのまま俺の方に近づいてきた。
「……拒まれちゃったか」
頬に添えられていた手を払いのけ、肩を掴んで押し戻した。
何を考えているのか分からない。
ひょっとするとこれはただの冗談なのかもしれない。
だが冗談だったとしても——俺がそれを許すとでも思ったか。なあ。それは俺への最大級の侮辱行為だって分かっててやってんのか?
俺は信条を声高に叫んできた。モスティマは俺の考えをずっとよく知っていた。そんな中で俺がその誘いに乗ると考えてたってなら、俺は……
モスティマに視線を向けると、鈍色のナイフが月光に閃いた。
なんだ、どうして今それを持ってやがる?
「命拾いして良かったね」
いつのまにか脱いでいた上着を着直しながら、モスティマはナイフを懐に仕舞っていた。
「お前、まさか」
思考が追いついた。
俺を試してただけってことか?
襲われそうだったらそれでぶっ刺すつもりだったのか?
「『お前は女なんだから、行きずりの相手と野営する時は警戒しろ』って。ローンが言ったことだろう?」
「そりゃ、言ったけどな。俺くらいは信用しろよ」
「子供に手を出す畜生になってさえなければいいんだ。ローンにとっては簡単なことだろう?」
「そいつはそうだが」
釈然としない。
俺の顔を鏡で見ればそう書いてあるだろう。
モスティマに試されんのはもう慣れたが、今回ばかしは信じて欲しかったってのが実際のところだ。
「お前の容姿は整ってるだろうし、随分とませてんのも事実だ。でもその一切合切を無視して子供だって言ってやれんのが親だ。そんで、俺だ」
「……分かってるよ」
意味深な間を空けてモスティマが言った。
分かってんなら、まあ、いいんだ。
俺はモスティマの居場所になってやりたいが、それを許すか許さねえかはモスティマの選択だからな。
俺は選ばない。
用意するだけだ。
そんで後ろからずっと見守ってやれれば最上だ。
親代わりなんて居ない方がいい。
子供が拒んでんならなる気はねえよ。
翌日目を覚ました俺は予定通りに出発し目的地に着いた。
燃料の補給を済ませて、幾つかの配達も終えて、チェックインしておいたホテルに帰る。
「うし。何の憂いもないな」
またここで一泊してロドスに帰れば、次の日の夕飯時には着く。そういうプランだった。
俺は堅実なトランスポーターだ。
無理な仕事は説得の後調整してどうにか間に合うくらいにするし、行き詰まったと思ったならそれ相応に無茶な手段を取る。
ってなわけで目下のことが片付けば、仕事のことなんて考えなくて済む。
だから俺が考え始めたのはプライベートな心配事だ。
ベッドは倒れ込んだ俺を柔らかく包んだ。
思考の矛先が向いたのは絶賛お悩み中の二人について——ではなく、とんでもない期間雲隠れしていやがったモスティマのことだった。
始まりは十代半ばのあいつをラテラーノで見かけたことだった。
色々と事情がありそうだってんだから思わず一日連れ回した。
ラテラーノに届ける依頼があって、それを終えてすぐだったから時間も金もあった。
更にリュドミラが通っていた龍門の学校が長期休暇中だったってこともそうだ。
リュドミラはちょいと不満そうだったが、否やは言わなかった。
そんで、ラテラーノを離れる日。
モスティマは俺に一つの依頼をした。
コンコンコン、とノックが鳴る。
起き上がりつつ思考を巡らせる。
俺をホテルまで訪ねてくるってことは依頼か?
知り合いのトランスポーターが偶然今この都市に居るってのは流石にねえだろうし、だとすれば……
果たして、その人物は知り合いのトランスポーターだった。
間違いじゃなかったが、いや、まあ、間違いじゃなかった。
そいつの名前はモスティマだった。
今さっき挙げた選択肢にモスティマがなかったのは、この都市に着いてすぐどこかへ消えていたからだ。
きっとまた何年も顔を見せねえんだろうと思って諦めちまってた。
はぁ。こいつは全く、人の心を弄びやがって。
心の中でため息を吐いた俺とは対照的な笑顔でモスティマが口を開く。
「やあ、ローン。お願いがあるんだ」
「内容次第だ」
「一晩泊めてくれない?」
「なんだそりゃ。誰かに追われでもしてんのか?」
流石に金に困ってるわけじゃねえだろう。
そこまで行き当たりばったりな旅をしているわけではないだろうし。
澄ました顔でモスティマが言う。
「諸事情で持ち合わせがなくて、ね。顔見知りも居ないから困ってたんだ」
「お前、俺が居なかったらマジでどうするつもりだったんだよ」
「でも居たじゃないか。それならそれでいいのさ」
そういうモンでもねえだろうがよ。
俺がそう言うと、モスティマは何のことやらってな様子で適当に流しやがった。
そうあしらわれたなら俺もそれ以上は言わない。
なんだかんだ致命的なミスは犯さねえヤツだし、結果だけを見れば俺より余程安全な道を通ってる。
ただ、途中まではそれが綱渡りにしか見えないってだけだ。
俺が口出しするまでもない。
ってことは、俺が金を貸すのはこいつの頭ん中で確定的だってわけだ。まあその通りなんだが釈然としねえな。
「……ん?」
ポケットの中に感触がない。
いやいや、財布は確か裏ポケットに突っ込んでたはずだ。
そっからどこかへやった覚えはない。
だとすればスリか? いや、それに気付かないほど疲れてたってわけでもねえし、考えにくいな。
となればどこかで落とした──あっ。
「すまん、モスティマ。悪いが他を当たってくれ」
「どういうことだい?」
間違いなく配達中に落とした。
もちろん普通に移動していればまず気付くだろうが、今回はルートが災いした。
思わず顔を覆う。
あのバカ共の真似事なんざするべきじゃなかった。
屋根の上なんて、いくら配達先の位置がわからなくなっちまったって走るモンじゃねえってのに。
「何を言ってるのかよく分からないな。金を貸してくれだなんて言った覚えはないよ?」
「それならどう言ったんだよ」
「泊めてくれって言ったんだよ。この部屋に私を入れるだけでいい」
マジで言ってんのか?
「打つ手がないならなおさらそうするしかないだろう? それじゃ、邪魔するね」
「おい、モスティマ」
「よいしょ、っと。早速だけどシャワーを借りてもいいかな? 汗でベトベトしてさ。早くどうにかしたいんだよ」
俺のバッグの横に荷物を下ろして、どうやらマジのマジにそう言ってるらしい。
この部屋は一人用だ。ベッドは一つしかない上、部屋自体二人で使うとなればかなり狭い。
「なあ」
流石に無理だ。
どうにか工面してやるから。
そう言おうとして開いた口はそれ以上言葉を紡がなかった。
それは俺がモスティマのことを知っていたからだった。
きっとこの行動には何か意味があるんだろう。
こうしなければいけない理由がどこかにあるんだろう。
そう考えれば、俺がここで断ることは良くないんじゃないかと、そう思ってしまった。
水の流れる音が聞こえてきた。
冷蔵庫からビールを出してプルタブを開く。
嫌な大人になるってのは屈辱だ。
だから酒でも飲んで気を紛らわせるしかない。
必要ってんなら、俺にくらいは相談したって良かったんじゃねえのかよ。
結局何も言ってはくれねえんだな。
俺には、無理なのか。
夜が都市を埋める。
源石灯の淡い光が微かに窓の外に見えて、それだけだ。
スプリングが軋む音。
「あのなぁ、お前」
「一緒に寝ると言ったのは君からのはずだけど?」
「誰がそれを本気にするんだよ、馬鹿野郎。お前がいいならいいけどよ」
小さく漏れた笑い声。
「ああ、ローンは変わらないね」
「それ言ってんの二回目だぞ」
「変わらなさすぎるんだよ」
「悪いか」
「……いいや、まったく。眩しいくらいに結構なことさ」
「本当かよ」
「疑ってるのかい? 目を合わせてみれば分かるかもしれないね」
寝返りを打つ音。
「どう、何か分かったかい?」
「昔から、お前の顔には何も書いてねえんだ」
「それならこんなのはどうかな?」
衣擦れの音。
「触ったら分かるだろう? 熱でも出てるみたいに顔が熱いんだ」
息遣いの音。
「本当に欲しいものは唯一手に入らないものだった、なんてね。どこかで一度くらいは聞いたことがありそうなフレーズだ」
「誰だって思うことだろ」
「へえ、それじゃローンが望むものは何なんだい?」
「モスティマ、お前だ」
息を呑む音。
「冗談だ」
「……冗談になってないな」
「悪い」
「謝らないでよ。謝ったら、お終いだろう」
「俺は始めたつもりなんてねえよ」
「つれないなぁ。悲しいよ、ローン」
弱い力で服を叩いた音。
「言わせないなんて、ずるいなぁ」
暗闇に溶けるモスティマの声。
「全部本当なんだ。昨日話したことは全部本当なんだよ」
「分かってる」
「まだ私はローンの子供なんだね。何年空けたって意味なんてなかったんだ」
感情を抑えつけたような声。
「我慢に意味はなかったんだ」
涙を必死に我慢するような。
「どれだけの夜を一人で過ごしたと思ってる? どれだけの国を逃げるように回っていたと思う? どれだけの人混みを見て、どれだけその中にローンを探したか、知ってるかい?」
俺には分からない。
モスティマのその感情をわかってやれない。
「分かってるよ。私のことをそう見てしまえば、ローンはもうローンじゃなくなるんだ。分かってる」
俺がモスティマの親代わりをやめるのはいつだってできることだ。根無草のトランスポーターらしく公平性を持って接すればいい。
だが、モスティマを子供として見ないってのは話が別だ。
それは脊髄反射みてえなもので、オンオフを切り替えられるものじゃない。
どれだけ時間を空けたって。
どれだけ大人らしくなったって。
俺はずっとモスティマのことを庇護すべき子供だと思い続けるだろう。
「こんなことなら出会わなければよかったのに、なんて……思いたくなかったよ」
出来ることなら俺だってどうにかしてやりたいさ。
無理なんだ。
林檎を見て「赤い」と思うように、モスティマを見て「子供」だと思っちまうんだ。
それはどうにかなるモンじゃねえんだよ。
それにどうにかしてやりたいって思うこの感情だって、モスティマが子供だからだ。コイツを守りたいと、尊重してやりたいと、そう思ってしまうからだ。
「反応すら、してくれないんだね」
暗い部屋の中にモスティマの顔が溶けている。
溢れる涙すら闇夜に沈む。
目元を拭って、髪をくしゃくしゃにするくらい強く頭を撫でて、抱きしめた。
それら全てが否定の言葉だった。
モスティマにとって、
「分かったよ」
モスティマは掠れるような声でそう言った。
肩が微かに震えている。
『君はなんて傲慢で自分勝手なんだろうね』
いつかの日、そう言われたことを思い出した。
三人で動くことにようやく慣れてきた頃合いだったか、真っ暗闇の街をバックにモスティマの背中が見えていた。
ぐっすり眠っているリュドミラに蹴られて目が覚めた俺は、偶然その影に気付いたんだ。喉でも乾いたのか、そう問いかけても返ってきたのは沈黙だった。
青い目が光っていた。何が楽しいのかと聞かれて、俺は分からないと答えた。何を求めているのかと聞かれて、分からないと答えた。何がしたいのかと聞かれて、分からないと答えた。
今なら分かる。俺は俺の存在価値を二人に見出していただけで、だから答えを出せなかったんだ。馬鹿みたいな答えだ。そんなことで俺の価値が上がるはずもないのにな。
その頃の俺は俺が正しいだなんて思っていた。モスティマの意思は尊重していたが、それ以外はてんでダメだった。馬鹿が馬鹿みたいな答えすら間違えていたってワケだ。
「……泣いてる?」
モスティマは夜目が利くようだった。
ついさっきとは反対に、モスティマの手が俺の頬に触れる。ようやく俺は俺が泣いていたことに気付いた。
「私は、ただ」
「心配すんな。お前は関係ない」
これはただの自己嫌悪だ。
だからモスティマの心配するようなことじゃない。
「そんなはずないだろう?」
震えた声に芯が通ったような気がした。
俺を掴むモスティマの手がより力を増した。
「勝手なんだ。そして愚かだよ。ローンは家族という関係をどれだけ大切に思ってる? ローンが思うような親はそういない。そして、守られるばかりで何も返さない子だって、そういないさ」
絞り出すような声から、吠えるような声に変わっていた。どうやら俺はまた間違えたらしい。ささくれだった心は突き放したことへの言い訳になんてならない。
「モスティマ、悪かった」
「そんな
そんなものは親じゃない。
暗い部屋の中で僅かに光った双眸に射抜かれる。澄んだ淡い水色の輝きはそう叫んでいた。
「関係ない、と言ったね。私が原因じゃないことは分かってる、分かってるけど、それなら私は家族じゃないみたいだ。家族じゃないから関係がない、そうなんだろう?」
「それは……」
「それなら、私は。私は君にとってどんな存在なのかな。……子供として見ているんだろう? 君の、大切な、子供として。何の関係もないなんて言うのなら、私は君の心のどこに居座ればいい?」
何も言い返せる言葉がなかった。
子供扱いする癖して家族としては扱わず、そんな俺の態度は全く瞭然としていなかった。
「私は他人でいたかった。君と対等な他人でいたかった。それは本当のことなんだ。ずっと渇いていて、耐えられないくらいなんだ。……だから、それを否定するなら、さ」
モスティマの目元がきらりと光る。
「せめて特別な存在だって、言ってよ」
ああ、モスティマのおかげで目が覚めた。
ケルシーやワルファリンのせいで、俺の目はどうやら曇りきっていたみたいだ。
そうか、そうだよな。
何を忘れていたんだろうな、俺は。
誰かに愛される資格はない。
誰かを愛せるほどの情熱もない。
子供を拾って、育てて、それに何の意味がある? リュドミラの価値はリュドミラのモンだ。モスティマの意味はモスティマにしかない。
子供がどれだけの偉業を成し遂げたって、親の成果にはならない。
俺は二十年前から一ミリだって変わってない。
変われてなんかいなかった。
「モスティマ。今日はもう、寝とけ」
自己嫌悪で胸の中が気持ち悪い。
俺のために涙を流す必要はない。モスティマのお眼鏡に適うようなヤツが見つかるかは分からねえが、俺をさっさと忘れちまうのがいい。
「……うん。おやすみ、ローン」
「ああ、おやすみ」
朝起きると、モスティマは消えていた。
代わりに失くしたはずの財布が置いてあった。
ポケットに突っ込んで、下敷きになっていた紙切れを見つけた。どうやらモスティマの連絡先らしいナンバーが書かれている。
「どうせ繋がらねえくせによ」
昨日は、感傷的になりすぎたな。
もっと上手く躱せたなら、ああまで怒らせることも、悲しませることもなかったってのによ。
支度を終えて、部屋を出る。
ドアのすぐ前に赤髪のリーベリが立っていた。
ソイツは俺に真っ直ぐ銃口を向ける。
「爆破されたくなかったらモスティマを突き出しなさい」
友好的な笑顔を浮かべながらハンズアップ。どうやらモスティマは随分と生きるのが上手くなったみたいだ。
そういや、追われてるのかと聞いた時にアイツは答えなかったな。全く、子供の成長ってのは早いモンだ。見ないうちに色々と学習してんだから。
「3、2、1」
引き金を押さえる指に力が入る。
死ぬかと思った。
感想貰ったら書くとか、そんなんじゃないんだからねっ!