とある原石の虚数掌握《イレギュラー》   作:レイヴン

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その名は

 気付けば私は生まれていた。

 

 気付けば私は畏怖されていた。

 

 気付けば私は学園都市に来ていた。

 

 気付けば私は研究機関に居た。

 

 気付けば私は人を殺していた。

 

 

 

 気付けば、私は───。

 

 

 

 

 其の記憶は、余りにも曖昧だった。

 

 ここに来た時、私はまだ中学生という年齢。

 

 学園都市のとある研究所にて育成されていた。

 

 将来、超能力者(レベル5)の第八位に君臨する、私の過去である。

 

 

 

  一

 

 

どこに存在したかも、既に記録が残っていない。とある場所に存在した、とある研究施設。

 

 そこには、『原石』と言われるある少年の能力を磨くことを筆頭に、サブプランとして『置き去り(チャイルドエラー)』を利用した様々な実験が行われていた。

 

  [実験結果報告.ver.00032.]

  『置き去り(チャイルドエラー)』番号14が『暴走能力の法則解析用誘爆実験』中に死亡。

  解剖した結果、実験用に投薬した『能力体結晶』による能力暴走によって『崩壊』し死亡したものと思われる。

 

 実験結果を示す書類を上層部の人間に提出し終えると、数真(かずま)は一つため息をこぼす。

 

 彼は少し前からこの研究所に移動してきた者だ。『研究所』というからには彼は研究者なのか、と問うと、それは違う。彼はある種のカウンセラーとして、雇われてきたのだ。他にも、こうして実験結果報告の提出を担当したりもしている。

 

 『番号14』──通称イヅナと呼ばれる少女が死に、この研究所に居る『置き去り(チャイルドエラー)』の少年少女は既に初期の2/3を下回っていた。

 

 この研究所──一部では、特に非人道的な実験を繰り返すことから『イレギュラー』とも呼ばれている──は、学園都市の『置き去り(チャイルドエラー)』を利用し、学園都市の『裏』の技術を研究している。その一つが、『能力体結晶』を利用し、能力を意図的に暴走させ、その法則を解析する、というものである。今回はその実験が行われ、そして『番号14』、否。イヅナが死んだ。彼女たちが此処に来た時、名前は無かった。基本的にそういう子供たちが、この研究所に集められる。その名前の無い子どもたちは、基本的に番号で呼ばれる。彼ら、或いは彼女らは、それに対して『名前が欲しい』と毎日のように愚痴る。それを見かねた数真は、何日も悩んで名前を与えていた。『イヅナ』と呼ばれる少女は、名前を与えられた次の日に死んだ。

 

 そんな研究所にある日、一人の少年が入ってきた。番号26。『原石』の力をその身に宿す、当時中学生ほどの、それでいて奇妙な男だった。

 

 数真はいつものように、子供を歓迎した。

 

 

  二

 

 

 コップの中に入ったコーヒーを、一気に飲み干す。

 

 数真は研究所の端っこに設けられたガーデン・エリアで休憩していた。『研究所』とは言っても、その規模は巨大だ。人工的に作られた、何不自由ない巨大な『居住空間』に、大量の『実験施設』を繋げただけである。マンションのような構想のそれは子供たちに小さな個室を与えるためであり、子供たちの境遇は決して最悪なほどではなかった。リビングに行けば大きなテレビがあるし、冷蔵庫を開けばジュースもある。子供たちは自由時間、基本的に困らない。

 

 数真は時計を見る。そろそろ定期健診だ。

 

 研究者はそれぞれの家へ帰宅するようだが、数真はそうではない。彼はこの施設に住み込み、常に子供たちと空間を共にしている。必然的に彼は子供たちと仲良くなり、子供たちの健診も彼が務める。それが由縁か、研究者間と、一部の子供の間では『ドクター』とも呼ばれていた。

 

 彼は椅子から立ち上がり、ふと、廊下の少女と目が合う。

 

「お父さん!」

 

 そういう役目を勤めているのだから、必然的に彼を父親の用に慕う子供も存在する。彼女の名は「アカネ」という。とある女優にそっくりだったことから、数真が一番最初に名付けた少女だ。

 

 彼女はこの研究所の、ある意味においての成功例だ。学園都市第一位『一方通行(アクセラレータ)』の演算パターンを参考に、能力者の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を最適化、能力の向上を図る、という『暗闇の五月計画』の被験者の一人であった。彼女の能力は『物質鈍器(ナチュラルハンマー)』。触れた物質のベクトルを鈍器状に収束・圧縮することで、その物質で鈍器を作る、という能力である。

 

 現在は、被験者の一人である他の少女によって関わった研究者が皆殺しされ、彼女はこの研究所にてさらなる能力レベル向上を待つ、という段階である。

 

「どうした。検診はまだだぞ」

 

「うん。今からお部屋に戻るの。お父さんはまた?」

 

 無垢な笑顔で問う少女。数真も優しい笑顔を浮かべつつ、

 

「ああ。私はこれから他の子を看なくてはな」

 

「またお話してね、それじゃ!」

 

 お話、とは、 ここよりも『外』のことだ。彼女はずっと、研究所の外に出る事に憧れている。のだと思う。

 

 

  三

 

 

 自分には生きる意味なんてない。

 

 少年はずっとそう思っていた。この『学園都市』と呼ばれる街に来る前のことは、ほとんど覚えていない。両親の顔も名前も解らないし、興味もない。捨てられたか、くたばったかの二択だ。気付けば研究所に入れられて、訳のわからない実験を繰り返していた。

 

 “どうせ拾われなければ死んでいた。なら同じだ。ここで何をしていようが”。

 

 だから、彼は別段、現状に不満は持っていない。

 

 どこへ行こうが地獄、というのなら、どこへ行こうが同じだ。

 

 ただひとつ。

 

 “そこで俺が何をやったか。それによって、生きる意味を見いだせるかもしれない”。

 

 彼はそうやって、そう言い聞かせて、生きることにした。

 

 

  四

 

 

「定期検診だ。入ってくれ」

 

 薄い青髪の、新入りの少年。

 

 彼は中学生ほどの年齢と言っても、やけに荒々しい性格だった。

 

 ここに来た子供たちは、最初に必要最低限だけを残し、いらない記憶を消される。例外もあるが、彼も確かに『能力』関係以外は消しているはずだった。

 

 そうして精神の壊れた子供は、基本的に消極的だ。しかし彼は、連れてきたその時と同じような性格だった。

 

「……。さっさとしろ」

 

 綿の出た古い丸椅子に座りながら、比較的長身の少年は吐き捨てた。

 

「はいはい。全く変わらんな。お前は」

 

 前菜のような会話。まずはコミュニケーション。

 

 数真はそうやって、その子供がどんな人間なのかを知ろうとする。

 

「説教はいい。あんたも大変だなドクター」

 

 数真は驚いたような顔をしつつ返した。

 

「中学生に大変だな、と言われるとは思わなかったよ」

 

「殺されたいのか?」

 

「おっと、そういうつもりはない。……私は私なりに、この立場を楽しめているからな」

 

「ふん」

 

 数真は診察用の機器をてきぱきと接続しながら、

 

「にしても『原石』か。今まで聞いていなかったが、どんな能力なんだ?」

 

「知るか。『能力がある』とは言われても、制御法が一切わからねぇと来た」

 

 数真は呆れたようにため息をつく。

 

「……よし、完了だ。じゃ、いつも通り質問していこうか」

 

 彼はそのまま幾つかの、アンケートのような質問をする。何のひねりもないが、毎回少しずつ変わっていく。ある種のカウンセリングだ。精神分析においてこの施設で数真を上回る者は居ない。彼がその立場にいるのは、このことにも由来するだろう。

 

 少年はただ、ぶっきらぼうに返していく。

 

「ふむ。……何度も言うが変わらんな。いつも通りだ」

 

「いちいち、こんな面倒なやり方を試さなきゃわかんねぇのか」

 

「デリケートと言ってほしいな。私も面倒は好きじゃないが、慣れた今となっては、むしろ無い方が不安にもなる」

 

 それに、と数真は一拍置いて、

 

「こうして、子供たちと顔を合わせて、一対一(サシ)で話が出来る場だからな」

 

「チッ」

 

 少年は呆れて舌打ち一つ。それを見かねた数真は、ぽん、と手を叩き閃いた様子で言った。

 

「ああ、そういえばお前。“お前”とだけ言われるのも厭なもんだろう?どれ、名前をやろう」

 

「はん? いきなり何行ってんだ」

 

 眉

 

「そうだな、お前は荒々しい性格だが、心の中はまるでスカスカだ。虚空のようだな。だから──ヴォイドだな」

 

「いらねえよ。勝手に人ン中覗いてんじゃねえ」

 

 立ち上がろうとした“ヴォイド”を手で制して、

 

「なぁにを言ってる。ここの子供たちは、みんな我先にと言わんばかりに名前をくれと言ってくるぞ?」

 

「いらねえんだよ。そういうのは。……馴れ合いの場じゃねぇだろ、っつってんだ」

 

 手をどけて、漸く少年は立ち上がった。

 

「部屋に戻るのか?」

 

「悪かったな」

 

 数真はため息をついた。まだガキんちょのくせに。

 

「子供は外で目一杯遊べ。『自由時間』は、そのためにあるんだぞ」

 

「チッ」

 

 舌打ちだけ残し、少年は部屋を出て行ってしまう。

 

「全く……困ったものだな」

 

 

  五 

 

 

 長い廊下を歩く。

 

 『個室棟』と呼ばれる、子供たちの居住スペースが設けられているマンションのような構想の施設である。

 

 ヴォイドは第二次能力開花実験を終え、自室に戻ろうとしていたところだった。

 

 そこで、少女と出会う。

 

「あ……えっと、ヴォイド、だっけ」

 

 見たことのある顔だった。恐らく施設で有名なんだろう。

 

 ヴォイドは頭二つほど違う彼女を見降ろしながら、

 

「邪魔だ。どけガキ」

 

「ッ!? ガキじゃないです、私には「アカネ」って名前があるんです!」

 

「いいからどけ。邪魔なんだよ」

 

「~~~ッ!!」

 

 向かってこようとしたアカネの頭を押さえていなしつつ、一転して彼女は「あ」と声を漏らした。

 

「あん?」

 

「お父さん!お父さん!ヴォイドが!」

 

「どうした、喧嘩はよくない」

 

「違えよ。コイツが勝手に突っ掛かってきただけだ。邪魔だっつってんのによ」

 

「アカネはガキじゃない!」

 

「こらこら。落ちつけ。ヴォイドも」

 

「チッ。勝手に名前つけやがって」

 

「……。アカネ、検診だろう、ついてこい」

 

 

 そうして、また実験の日々が来る。

 

 

 それから数ヵ月後。

 

 別の研究所の人間がやってきていた。

 

 この日ばかりは、と、ほぼ全ての子女は、実験が無かった。

 

 能力使用の視察である。

 

 研究所ではこうして、『使える人材』は他の研究所へと売る。そうしてある種の儲けが出来上がっている。

 

 /////

 

 この研究所、通称『イレギュラー』だなんて渾名もされてる機関では、非人道的な実験が繰り返されている。どう教育したのかは知らないが、俺よりもちいせえガキどもはそれを悪い事だとは思っていない。

 

 だからこそ、ある種の恐怖を覚えていた。平然と人が死ぬ世界。『地獄』だからそんなものか。

 

 少年は居住層とは違う、実験所方面の廊下を歩いていた。

 

 赤いランプのついた部屋。その扉が開いているようだ。

 

 覗いてみれば、広大な空間が広がっていた。数人の白衣の男がそれぞれの場所に座り、中央、ガラスを隔てて作られた巨大な空間に、少女が居た。

 

 そこで、見た。

 

(アイツ……アカネか)

 

 彼女は、目の前にあった鉄板を即座にハンマーのような物に変えて見せた。これが彼女の能力である。

 

『えー、では次。番号22。入りなさい』

 

 もう一人。男の子だろうか。まだ中学生にも満たない身長と顔立ちは、おそらく小学校高学年ほどなのだろう。

 

 彼は力無く歩きながら、全身にスーツを着た男が持っていたものを受け取る。

 

「あのスーツ野郎……なんか見たことあるような」

 

 少年はシャーペンのケースのようなものから粉を少し取り出し、舐めた。

 

 同時に。

 

 轟音が鳴り響き、彼を中心として(おびただ)しい量の電撃が撒き散らされた。

 

(これ……明らかに制御できてねぇぞ)

 

『アアアアアァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアア!!!』

 

(……、)

 

『番号22。死亡しました』

 

『検死をお願いします』

 

『死体の処分をお願いします』

 

 そしてヴォイドは、気付く。 

 

 世界が隔たれた向こうに。実験によって死んだ子供を抱える、全身スーツのドクターの姿を。

 

 あんたは何をしている。

 

 こんなところで何をやっている!

 

「────ッ」

 

 気付けば彼は、叫んでいた。

 

『な、なにかね、君!』

 

「ドクター!何なんだよそれは!!てめぇら何やってるかわかって……ごはっ」

 

『ここは子供の遊び場じゃない』

 

『待ってくれ。そいつを手荒に扱うな。「聖人原石」だぞ』

 

 聖人原石?何を言っている。俺は、俺は、俺は────。

 

 

 後日。リビング、朝礼

 

 『アカネ』は『外』へ旅立つ、とドクターの口からあった。

 

 ドクターの横に立つアカネは、実に幸せそうな面をしていた。

 

 ヴォイドはあの日の記憶はあいまいだ恐らく何らかの処置で、脳をいじくられたんだろう、と自己完結している。

 

「みんなも、『実験』をがんばれば、『外』に行ける。わかったかな?」

 

 そんな馬鹿馬鹿しい話が終えて、子供たちはそれぞれ多種多様な場所に出ていく。

 

「ドクター」

 

 みんなが居なくなるころを見計らって、ヴォイドは数真に声をかけた。

 

「どうした、検診は昼だぞ」

 

「ンなこたぁどうでもいいんだよ。……話してもらうぞ、あの日のことを(・・・・・・・)

 

「……」

 

「忘れたとは言わせねぇぞクソ野郎」

 

「そうだな、どこから話したものか」

 

 ドクターは言って、リビングに備え付けられている大き目のテーブルの椅子に座った。

 

 手で彼にも座るよう促しつつ、

 

「『記憶改竄(きおくかいざん)』を行っても、君にはあまり効果がないようだな。仕方あるまい」

 

「……」

 

「君がここにきて、もうどれぐらいだったか」

 

「二年だ。もったいぶらずとっとと話せ」

 

「その二年の間に、ここのことをどれだけ知っている?」

 

「あん?」

 

 数真は心底呆れたような表情で続けた。

 

「少しは知っているだろう。いろいろやっているのさ。いろいろ、な。……実験で人が死ぬのは当たり前、そういう世界だ。このクソッタレの世界は」

 

「言えドクター。アレはなんだ」

 

「『暴走能力の法則解析用誘爆実験』。その結果を、あの研究所の役員に見せたのさ。試作型の能力体結晶とともにな」

 

「なんで、そんなことを……」

 

「ビジネスだよ、ビジネス。この研究所は、そうやって儲けてきたんだ」

 

「ッッ……」

 

「まぁ落ちつけ。暴れたところでどうにかなるものでもない」

 

「俺達は、モルモットってわけか……!」

 

「……その通りだ」

 

「てめぇ!」

 

「落ちつけと言った! この状況で頭に来るのも解る、だがしかしな! 私としても止むに止まれぬ事情があるのだ。なんでも自分の主観で考えるものではない」

 

「……」

 

 一度心を静めてから、再びヴォイドは問うた。

 

「あんたはこれをおかしいとは思わないのか」

 

「思ったさ。思わない訳がないだろう!? 実験?子供が死ぬのが当たり前の世界? そんなクソッタレな世界でも、私はッ……」

 

 頭を抱えながら、数真は独白した。

 

「……私がここに来たのは、お前が来るよりも半年ほど前のことだ。小学校の教師を志望していた私は、カウンセリングで働いていた。学園都市に来たのは、外部から優秀なカウンセリングを求められたかららしい。そうして私は、ここへと異動してきた」

 

「……」

 

「ここでは、お前たちのような『置き去り(チャイルドエラー)』を使って、学園都市の将来の為になる実験が行われている、と伝えられた」

 

「その結果がコレか」

 

「……」

 

「俺がここにきてから、既に9人が死んでる。みんな、テメェらの所為で死んだ命だ」

 

「ヴォイド」

 

「?」

 

「もう、いい。解っているんだ、私は、最低の人間だとな」

 

「……」

 

 そして、一度ヴォイドの目を見てから、

 

「もうすぐ、ここに襲撃が入るかもしれない」

 

「なに?」

 

「ここが、襲撃される」

 

「なんでだよ、なんでそんなこと……」

 

「アカネが去って行くからだよ。この研究所は事実上、彼女の能力向上のため、という表向きで継続させていたものだからな」

 

「じゃあ……」

 

「ああ。彼女が『買われて』しまった以上、継続は難しくなる」

 

「どうすんだよ、それ」

 

「お前だよ、ヴォイド」

 

「はぁ?」

 

 いきなりの宣言に、彼は間抜けな声が出てしまった。

 

「『聖人原石』と言われるお前だ。その能力を開花させれば、ここの研究は維持される」

 

「だったら早く言えっつの。要するに、今見てぇな実験を繰り返してりゃいいんだろ?」

 

「いいや、違うな。お前に与えられたカリキュラムは、この学園都市の能力のものだ。『原石』のお前には適応できんと私は考えている」

 

「じゃあ、どうするんだよ」

 

「自然開花を待つしかないな」

 

「……襲撃ってのは、いつごろか解るのか?」

 

「アカネの明け渡しの日、と私は予想しているが、前後するだろう。……頼むぞ、ヴォイド」

 

 数真はそう言ってから、速足に部屋を出て行った。

 

 /////

 

 

『職員の皆さまは、退避してください』

 

 それは突然にやってきた。

 

 謎の人物による襲撃。今日はアカネを外へ送り出す、厳密には彼女が他の研究所へ移動する日である。ドクターが言ったとおりだ。

 

「何?何?」

「どうしちゃったの?」

「どうなっちゃうの?」

「怖いよ!」

「助けて!」

 

 そんな子供の言葉は、大人たちは見向きもしちゃあいなかった。

 

 白衣の人間たちはただ、作業的に資料を整理し、速足に移動する。

 

 赤いランプ。響き渡る警報と爆音。

 

(ドクターの言った通り、か)

 

「──ヴォイド」

 

「ッ、ドクター」

 

「一度だけ言うぞ」

 

 

 

 

「ここから、逃げたいか?」

 

 逃走劇が、始まった。

 

 

  六

 

 

「逃げるっつったって、どうするつもりだ」

 

 蜘蛛の糸のように張り巡らされた狭い通路で、ヴォイドは移動しながら小声で問いかける。

 

「決まってる。この研究所から出るんだよ」

 

 同じように小声で返す数真。その声色は少し焦っているようで、早口でやや聞き取りづらい。

 

「どうやってだよ。正規の職員はともかく、あんたはここに住んでるんだろ」

 

「そうとも。ここは私の家でもある。だからこそ、家の図面くらいは頭に入っているさ」

 

 数真は一度周りを見渡してから、

 

「いいか、よく聞け。このまままっすぐに行くとB区画がある。そこを右に曲がった方角に、それぞれC区画からF区画まである。標識を頼りに、適当に行け」

 

「適当って……」

 

「そういう風に出来ているのさ。あとで必ず合流する。とにかく一度B区画を目指せ。……私は、アカネを連れてくる」

 

「……。解った」

 

 

  七

 

 

 研究室の一室。突如蹴り破られた扉の奥から、一人の男が拳銃を持って侵入してきた。

 

「き、貴様。何者だ!」

 

 慌てて研究者の一人が立ち上がり問う。相手は至極冷静に、とんでもない事を言い放った。

 

幻想生成(ジェネレータ)。『上』からの依頼を受けたヤツだ」

 

「クソ、撃退しろ! ちぃ、番号01の取引が決まった途端に……!」

 

「ごちゃごちゃうるせぇ、黙って消し飛べクソ野郎共。ハチの巣にしてやる」

 

 直後、扉から何人もの兵士が侵入し、幾つもの弾丸が飛び交った。

 

 

  八

 

 

 数真はその身一つで、アカネの部屋まで来ていた。

 

「お父さん!私頑張ったよ!これで外に出られるんだよね?」

 

 嬉しそうに駆け寄ってくるアカネ。頭をなでつつ、喉につっかえている言葉をなんとか吐きだす。

 

「……ああ」

 

「へへ、私ね、お父さんのこと、大好きだったよ!」

 

 思いがけない言葉。数真は溢れそうになる涙を抑えつつ、同じように返した。

 

「……ああ」

 

「変なお父さん」

 

 爆発。近い。

 

「……ここは危なくなったんだ。ついてきなさい」

 

「どうしたの?」

 

「黙ってついてきなさい」

 

「お父さんはここから出ないの?」

 

「……」

 

「ねぇお父さん!何があったの?私、お外に出られないの?」

 

「……いや。よく頑張ったよ、お前は。お前は、外に出られる」

 

 今は移動が最優先だ。この子だけは、無事に送り出さなければならない。

 

 

  九

 

 

 D区画。

 

「はぁ、はぁ、くそッ」

 

 いままで、何人もの研究者を見てきた。どれも様々な方法で息の目を止められており、ここが襲撃されているという現実を、ありのままに彼に示していた。

 

「E区画……あと少しか」

 

「ヴォイド!」

 

「ッ、ドクターか!」

 

「こっちだ!」

 

「待ぁてよコラ」

 

 直後、バンダンガァン、と拳銃の音が飛来した。

 

「がふ、急げ……!」

 

「ドクター! てんめェ!!」

 

 直後、ヴォイドの身体から蒼白い何かが出現し、衝撃波となって襲撃者を襲った。

 

 バゴォォッ、と爆発が起きる。

 

「、これ……」

 

「急ぐぞ!」

 

「ッ」

 

 E区画に侵入し、標的との遭遇を避けるためにジグザグに移動する。

 

 一緒に付いているアカネは、先程から何もしゃべらない。

 

「どうしたんだよ、はぁ、そいつ……ッ」

 

「ショックのせい、だろうな」

 

「はぁ、はぁ、……どうやって、逃げる? あいつは、どこまでも追ってくるぞ」

 

「奴の目的は研究所の排除のはずだ。ならば、この研究所を無きものにすればいい」

 

「そんなこと……」

 

 そこで、数真が止まった。

 

「武器庫だ。少し待っていてくれ」

 

 20秒ぐらいで、彼はライフルと幾つかのマガジン、そして爆弾のようなものを抱えながら、

 

「行くぞ」

 

「どうする気だよドクター、あんたまさか」

 

「爆発を起こす。お前たちが逃げた後でな」

 

「はぁ!?何言ってんだよ、どういう意味だよ!」

 

「猶予は10分と言ったところか。武器庫の地下にある超小型核爆弾だ。何、この学区はもともと廃れた場所だ。少し離れれば被害は無いし、学園都市の技術なら、あのレベルの放射能をどうにかするのは容易い」

 

「……」

 

「学園都市にとっても、このような施設があったことを表沙汰にすることはできない。何も問題は無い。だから、行け」

 

 数真は早口に言い切る。

 

 気付けばF区画。最後の扉だった。

 

「この先だ。アカネを頼む」

 

 数真はアカネの身体を、ヴォイドに託すように突きだす。彼女は心ここにあらず、といった感じだ。

 

「待て、待てよオイ!」

 

「頼むよヴォイド。さっきのは確かに能力だった。そのチカラはお前のものだ。お前がここのことについて少しでも思うことがあるならば、こんなクソッタレな学園都市に、一泡吹かせてやるんだ」

 

「あんた……」

 

「まって、よ、お父さぁん」

 

 顔をぐちゃぐちゃにしたアカネが言う。数真も酷い顔で、それでも優しくアカネを撫でながら、

 

「泣くなアカネ。お前は外に出るんだ」

 

「やだよ、お父さんと、離れたくない……」

 

「我儘を、言わないでくれ」

 

 数真は扉を開けつつ、二人を外へ促す。

 

「こんな私は、君たち二人しか、この研究所(呪縛)から解き放つことはできなかった」

 

 ドクターは決心したように言った。

 

「お前たちは『外』に行くんだ!そして子供たちを、こんなメチャクチャな境遇にある子供たちを、救ってくれ!!」

 

 無理矢理二人を押しだし、その強固な扉を閉める。

 

「……これで」

 

 隣のボタンを押して、更にセーフティシャッターを閉じた。

 

「いいのだ。これで。……頼むぞ、ヴォイド」

 

 最後の大仕事だ。

 

 

  拾

 

 

「お父さん!お父さん!!」

 

 一心不乱に扉に向かい叫ぶアカネ。ヴォイドは叫びたい気持ちを抑え込みつつ説得する。

 

「やめ、ろ。もう、無理だ。外からは、絶対に、開かない……」

 

「そんなの、私の能力で──」

 

「やめろと言ってるんだ……ッ!」

 

(何がアカネを頼む、だ、あの野郎……)

 

 彼はつい溢れた涙を袖でめちゃくちゃに拭った。

 

 施設の中からは、爆音が途絶えない。

 

 周りを見渡せば、随分と廃れた街で、草木一つもない。

 

(生きるさ、生きてやるぞ……!)

 

「ここから離れるぞ。急げ」

 

 無理矢理連れて行こうとするが、彼女はそれを拒む。

 

「やだよぉ、お父さん……」

 

「あいつはお前の親父じゃないだろ」

 

「お父さん、だもん……」

 

 ヴォイドはできる限り優しく言うが、彼女は動こうとしない。

 

 ドォォン、とひときわ大きな爆発が響いた。

 

「クソッたれが、さっさと行くぞ!」

 

 見かねたヴォイドは、極端に軽い彼女を持ち上げて無理矢理連れて行った。

 

 

  拾一

 

 

 武器庫地下。粉塵雲が漂うそこの最奥に、数真は居た。

 

 その周りには多数の爆弾が備えられており、中でも厳重に保管されたはずのそれが露出している。

 

 ガラス越しでないそれを間近に見つつも、数真は動じない。

 

 壁にもたれかけながら、数馬は自分の惨状を見た。

 

 ここに来るまでに、すでに何発の鉛玉をぶち込まれたかも覚えていない。その白衣は既に血だらけで、もはや痛みも薄い。

 

 数真自身も奪ったライフルで何度も攻撃したが、一発も当たらず、足元には底をついたマガジンが無造作に転がっている。

 

(これが……死、か)

 

 しかし傷は傷であった。もう一歩も動けない。そもそもここまで来て、核兵器のロック解除までこぎつけられたことが奇跡に近い。

 

 広大な武器庫の地下。その扉が、乱暴に開かれた。

 

「……ふん、遅、かったな」

 

 血の味がした。かろうじて絞り出された声は低く、掠れている。

 

「あなたで最後のようですね。武装を解除しなさい」

 

 現れたのは少年ではなく、一人のお偉いさんのような女と、武装した二人の兵士だった。

 

「そういうわけには、いかないな」

 

 血を吐いた。

 

(……悪いが、貴様らには道連れになってもらうぞ)

 

 銃弾が迸った。

 

「ご、ふ」

 

 赤が舞う。その白衣は既に全身の8割以上が赤に満たされていた。

 

「武装を解除しなさい」

 

 強めに出る女。

 

 二人の兵士が近づいてくる。

 

「……お前たちは、私と共に、死ね」

 

 ああ、奴らは逃げられただろうか。

 

 ああ、アカネは駄々をこねていないだろうか。

 

 ああ、ヴォイドはアカネを叩いたりしていないだろうか。

 

 ああ、私のしてきたことは正しかったのだろうか?

 

 思えばそれは、自問自答にすらなりえないものだった。私が信じなくてどうする。彼らはうまくやったさ。そしていつか───この学園都市の子供たちが、平和に暮らせる世の中を創ってくれる。そう。

 

 人間として。私はせめて───あの子たちに好かれるような人間として。あの「大好き」に相応しい人間として生きたかったのだ。

 

 数真は残った力を振り絞り、傍らにある装置のカバーガラスを叩き割った。

 

 同時にボタンが押される。

 

 見上げれば、視界すらも赤い。

 

 もう、限界だ。

 

(これで、いい)

 

 

 

 そして、

 

 何もかもが消し飛んだ。

 

 研究室も。巨大な実験空間も。リビングも。子供たちの部屋も。

 

 超小型の核兵器は、その『施設』のみを喰いつくした。

 

 

 こんな私を、赦して欲しい。

 

 

  拾二

 

 

 廃れたとある学区から脱出した少年少女は、アンチスキルの詰め所へ出向いていた。外はもう暗く、少し肌寒い。

 

「……では、お願いします」

 

「任せるじゃんよ、必ずこの子の両親を見つけるじゃん」

 

 それが嘘であるのは、彼自身も解っていた。

 

 あの施設(・・・・)は、そういう子供が集まっていたのだから。

 

「しかし、君は本当にいいのか?」

 

「……ええ、構いません。俺は行くところがあるので」

 

 アカネは眠っている。

 

 最低なのは俺も同じだ。ドクターの要望には、答えられない。

 

 だがしかし、俺なんかと一緒にいるよりも、きっと幸せだろう。

 

 

「では、ありがとうございました」

 

 行きつく先は、どうせ地獄。

 

 ならば、そこで結果を残して、俺なりに地獄を満喫してやろうじゃないか。

 

「……必ず、戻ってくるからな」

 

言いながらヴォイドは、アカネの頭を一撫でする。

 

 

 

  終章.その名は

 

 

 こうして、少年は表舞台へと現れ、自らの名を改めることになる。流石に『ヴォイド』では、日本人である彼には通りも悪い。

 

 過去の自分が、どのような名前だったのかは、覚えていない。

 

 だからこそだ。 

 

(いつか必ず……アイツを殺す)

 

 これは復讐だ。そんなことは解っている。

 

 この研究所──『イレギュラー』とまで呼ばれたこの研究所に意味を与え、そして終わらせる。決着をつけるための。

 

 (あんたも連れていくぜ。……数真(・・))

 

 あんただけ、先に楽にさせるわけにはいかないからな。

 

 餞別が能力一つでは、余りにも味気がない。だから。せめて奴に責任でも取らせてやるさ。

 

 名前一つ拝借しても、あいつは怒らないだろう。

 

(俺は───いや。()は、忘れない)

 

 此処にいたことを。此処にいた意味を。

 

 

 その名は『虚郷(こけざと)数真(かずま)』。

 

 今は()き故郷の為に戦う、その男の名である。

 

 

 

 『虚数掌握(イレギュラー)』をその身に宿すただ一人の聖人原石は、そうして『学園都市』の『第八位』へと序列される。

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