欲しいものが目の前にあった時、人は無力。
「だーかーらー! ここはミニ立ち絵写真がベストだから!」
「はーあ⁉︎ ここにこそうちわを置いて何が置いてあるか見やすくするべきでしょ!」
とあるCDショップ店で、やかましい男女の怒号が響き渡る。閉店時間中だから良かったが、開店時間中なら少なくとも客は逃げて行っていただろう。
「うちわとかオタク丸出しなもん挿しといたら一般客は敬遠すんだろうが! 美琴様のファン増やす努力をしようとは思わねーのか⁉︎」
「だからってあんま美琴様の写真を設置し過ぎると、それはそれで一般客は引いちゃうに決まってんでしょうが!」
「それはありませーん! 見ろよこの美しいフォルムとフェイス! これを見て引くような客は出禁だボケ!」
「それはファンからファンじゃない人への押し付けでしょ⁉︎ そういうの美琴様にも迷惑だからさっさとファン辞めて死んで!」
「それはそうですねごめんなさい! でも立ち絵の写真にします!」
「ダーメーでーすー! うちわにしまーす!」
店内に響き渡る程の口喧嘩だ。素直に謝る所は謝っているのに口調が荒いのはどうかしているし、実際いい加減にして欲しくなった店長が、奥から顔を出した。
「……またやってんの君ら?」
「店長、言ってやって! こいつバカだから! 店そのものをオタクにしようとしてるから!」
「バカはあんただから! お姉ちゃんにもバカって言われてるからこの人!」
「どっちもバカでしょ」
当然の感想である。今、2人が揉めているのは、CDショップの商品棚。緋田美琴というアイドルの移籍が決まり、今ある事務所で最後のCDを出す事になったので、それの棚の飾り付けについていた。
揉めているのは、飾り付けた棚にうちわを置くか、緋田美琴と斑鳩ルカの写真を切り抜いて紙製のスタンド状にしたものにするかで言い争っていた。
「店長なら分かるでしょ! 居酒屋で例えるなら、看板に本日のおすすめメニューを載せるか、本日のおすすめメニューの写真を載せるかですよ!」
「う、うん?」
「で、写真を載せるなんてあり得ないことをしてるのがこいつです! 文字の方が売れるのに!」
「だーかーらー! ここは美琴様の顔を多くの人に覚えてもらい、最悪このお店で買ってもらえなくても興味を抱いてもらうのがベストなんだよ!」
「必要以上のプッシュは逆効果の可能性もあるって鬼滅やラブライブで学ばなかったの⁉︎」
「俺そんな捻くれてねーから! ラブライブは興味ないけど鬼滅の刃は大好きです! ゲーセンにフィギュアが大量にあるのは喜ばしい限りだバカめ!」
「鬼滅と美琴様を一緒にしないでくれる⁉︎ そんなリスキーな手段を取らせたくないの、美琴様には!」
「だからうるさいって君ら」
割とギリギリな話に食い込んできたので、店長が仲裁する。……が、二人の勢いは止まらない。
「テメェに鬼滅の何がわかんだよ! クラピカが船乗ってる間に何回、表紙に顔出してると思ってんだ! それだけやりゃ興味なかった人も興味惹かれんだよ!」
「あーそうわかった。そこまで言うなら、店長に決めてもらおうよ!」
「え?」
嫌な予感がしたが、遅かった。お前らほんとに意見が割れて喧嘩してたの? と思うレベルの息の合いようで腕を掴まれる。
「おー上等だコラ。絶対に店長も、写真派だから」
「いやちょっ」
「そんな絵ばかりで文字が少ない本ばかり読む教養の少ない人じゃないから店長は」
「や、そない言われても」
「テメェ今のは全国の漫画家敵にまわしたぞコラ」
「漫画より本の方が教養は身につくでしょ」
「最近の漫画はイラスト付きで科学の勉強が出来たり筋トレの勉強が出来たりすんだぞ。バカにすんな」
「じゃあよく漫画読んでるけど、青葉はそれを活かしてるわけ?」
「何でもかんでも活かせると思ったら大間違いだぞバカめ」
「言ってる事めちゃくちゃなんですけどー! そんなんだから、あんたの案には乗りたくないのわかんない?」
「じゃあお前こそ本読んでんのかよ! どうせうちわなんて『美琴LOVE』くらいのことしか書かねえだろ? ていうか、LOVEって単語も書けねえか」
「書けるから! バカにし過ぎでしょそれは!」
なんてやっている間にも、二人は店長の腕を離さない。若い子に嫌われてはいない、と思えば悪い気はしなかったが、それでも巻き込まないで欲しい。
「とにかく、写真の方が良い!」
「うちわにはちゃんとCMになる事、書くから!」
「何書くの?」
しれっと口を挟んだ。どうせ逃げられないなら、早く終わるように仲裁することにした。
「ん? アルバムの曲リストと、その中でも特におすすめ」
「はいテメェふざけんな! おすすめもクソも美琴様の曲は全部、神曲だろうがあああああ‼︎」
「ファンだったら贔屓にしてる曲くらい作ったら⁉︎」
むしろ炎は燃え広がってしまった。
「じゃああんたはジャンプの漫画全部好きなわけ⁉︎」
「ジャンプと美琴様は違ェだろうがよ! 俺は美琴様のありとあらゆる曲を全て愛している!」
「つまり、昔の曲も今の曲も大差ないって言いたいわけね。上から目線になってるわけじゃないけど、アイドルとして成長してるのも認めないんだ!」
「いや俺は当時の良さ、そして今の良さをトータルで判断してリザルト出してるから! あの頃のあどけない美琴様も天使なんだよ!」
「何その四次元萌えみたいな言い方! キモっ!」
「お前だって小学生の時の美琴様の妄想とかしてたろ! どんな感じだったのかなーみたいな! 卒業するのは今の美琴様だ」
「いやでも発売するのは過去の曲も入ってるわけだし、おかしくないから!」
などとヒートアップしていく中、店長がまた間に入る。
「あーもう分かった分かった! じゃあ、うちわに写真と選曲、両方入れりゃ良いだろ!」
「「……ええ、共同制作はヤダ……」」
「その既に出来てる棚は誰と誰が作ったんだ⁉︎」
それを言われた二人は、顔を見合わせる。そして、全く同じ顔をして店長を見た。
「「九割俺(私)。……アアン⁉︎」」
……本当に息が合うのか合わないのかわからない二人である。聞いた話によると、2人は小学校一年生からの付き合いらしい。だからこそズカズカ言える間柄なのだろうが……しかし、わざわざバイト先まで一緒にすることはないだろうに。
「青葉はほとんど棚を木材から作ってただけでしょ⁉︎」
「にちかだってその人が作った棚に色彩つけただけじゃねーか!」
そこまでやればお互いの功績を認め合っても良いだろうに、つーかどこから持って来たんだその木材、といろいろ思うところはあったが、もう気にしないことにした。
「とにかく、うちわに写真を貼るように。その上でリストを作ること。良いね?」
「えー、やですよ。こいつと共同とか」
「そうですよ! 絶対うちわにした方が……」
「給料下げるよ」
「うちわの右4分の1くらい美琴様にして、逆側を斑鳩ルカさんにしようか」
「真ん中にリストで決定ね」
すぐに手のひらを返して作業に戻り、店長はまた巻き込まれないうちに出て行った。
×××
その後も四度の喧嘩を繰り返して、何とか棚を完成させた二人は、そのまま二人で帰宅。二人の家同士はそれなりに遠くて徒歩30分ほどの距離があるものの、一宮青葉は遅くなった時、にちかを家まで必ず送っている。この辺に買い物に来た、という言い訳を使って。
「じゃ、俺今日はセブンで一番くじ買って行くから」
「なんの一番くじ?」
「ワンピース」
「ふーん……お子様」
「はぁ⁉︎ 今や大人の方が見てる人多いっての!」
「知りませーん! アニメや漫画に夢中になってる時点で子供でーす!」
そのまま、また口喧嘩が勃発しそうになった時だ。玄関が開く音がした。
「……2人ともうるさい。近所迷惑だよー?」
「あ、お、お姉ちゃん……」
「ごめん、はっちゃん」
「いつも、にちかの事送ってくれてありがとうね、あおちゃんー」
「いや送ってるわけじゃないから。買い物のついでにこっち来てるだけで」
「ふふ、そうだったねー」
いや、事実だから、と訂正する前に、さっさと玄関の方へ向かい、家の中に入りながら最後に「べっ」と自分に舌を出すにちかが目に入った。
「あの野郎……や、まぁ別に送ってやったわけじゃないし別に良いけど別に」
「ごめんね。あの子、まだまだお子様でー」
「いや、はっちゃんが気にする所じゃないよ。身体が成長しても中身が成長しない奴は一定数いるから」
「ふふ、自分で自分の事を分かってるのね、あおちゃんは」
「お、俺は違うから! マジで別ににちかがどうとかじゃなくて、一番くじの為に……」
「うんうんー、分かったからあおちゃんも早く帰りなさい。こんな夜遅くに未成年がウロウロしてたら危ないよー?」
「違うからね!」
「分かったからー」
もうすぐ日付が変わる時間である。本当ならはづきとしても夕飯くらいご馳走してあげたいが、もう他の弟や妹は寝ているし、起こすのは忍びない。
「じゃあ、また」
「駅まで送ろうかー?」
「いや大丈夫。帰りにタクシー捕まえるから。はっちゃんだって夜遅く徘徊するのは危ないでしょ」
「ふふ、ありがとうー」
年上とは言え、女性への気遣いも忘れることなく言うと、はづきは笑顔で頷きながら手を振った。
「じゃあ、気をつけてねー?」
「うん。ありがとう」
挨拶だけして、二人は別れた。
ようやくの帰路についた青葉は、少し疲れ気味に腰を叩く。青葉の家に、親はいない。海外で仕事している為、前に住んでいたマンションで一人暮らしだ。
だから、割と忙しい毎日を送ってはいるのだが、その原動力は一つだけ。
……そう、緋田美琴への愛である。部屋にもポスター、タペストリー、写真、フィギュア、缶バッチなどがアホほど置いてある。
幼い頃から歳上のお姉さんが大好きではづきにもよく懐いていたが、たまたまMステを見た時に出て来た緋田美琴を見てから、それはもうかなり加速した。
グッズを買い漁るために、お小遣いをねだるために肩叩きから始まり、お使い、掃除、洗濯、料理、ゴミ捨て、靴磨き、車洗い……などと、ちょっと意味分からないレベルで家事をマスターし、ご近所からは虐待に見えるレベルだったらしく「やめてくれ」と懇願された程だ。
仕方ないので、その後はにちかと一緒に新聞配達もこなしたし、親が「イギリスで暮らす」と言われた時「イギリスには美琴様いないよ?」と返したりした。
とにかくそれくらい、緋田美琴が好きだった。
その為にも、今は生活を安定させないといけない。親からの仕送りがあるとはいえ、いつまでも親からもらったお金を貢ぐわけにはいかない。趣味で使うお金くらい、自分で稼ぎ、親に心配させないようにしなくては。
「……明日も学校かぁ……」
なんて呟いている時だった。
「ねぇ、良いでしょ姉ちゃん。ちょっと付き合っれよ〜……」
「いえ……困ります。急いでるので」
「一杯だけらからさ、一緒にろうよ。奢るから」
「だから、奢るとかそういう話ではなくて」
「振られらんらよー! 記念日前に、彼女にぃ〜!」
「知りません」
目に入ったのは、酔っ払いに絡まれている女性。帽子とサングラスで顔を隠しているが、年上の美人オーラが隠しきれていない。青葉のセンサーも全てビンビンに反応していた。
正直、見過ごしたい……が、ワールドトリガーでも言ってた。「再び主の前に立つ時に、己に恥じる所があるかどうかだ」と。緋田美琴は主ではないが、次の握手会で自分に恥じる所があってはならない。
気合を入れると、二人の元に割って入った。
「お、おいおい〜こんな所にいたのかよ〜」
「「え?」」
でも、やっぱり普通に怖かったので演技を入れることにした。知り合いの体で入ったが、どういう設定で行くか……いや、悩んでいる暇はない。とにかく何か言わないと。
とりあえず間に入った後、男の方を向いて、震えた様子で言った。
「んだよ、ガキィ……カンケーねーらろぉ?」
「す、スミマセン。この人……お、俺の……」
「お前の?」
何が適切か……母親……は無理あるし、姉でもちょっとアレだし……教員……いやこんな頭を茶色くした教員はいないだろうし……あー、早く答えないと……! と、悩んだ結果、答えた。
「俺のカノジョなんで!」
「「……は?」」
その反応、とてもよくわかる。自分の身長は女性の口元までしかない自分が何を言っているのか。けど、訂正すれば知り合いではないということさえバレる。
なので、突き通すことにした。
「だ、だから……スミマセンけど遠慮してもらえると……!」
「何すぐバレるうそぉ、ついれんらぁ! 殺すぞコラァっ!」
「こ、殺さないで下さい! ……こ、骨折くらいならまぁ良いので……」
「っ……い、いやろうせ暴力振るうなら死人に口無し状態にしれぇんらけろよぉ……」
「ひぇっ……! わ、わかった! じゃあせめて遺言だけ書かせてください!」
「なんぇ甘んじて殺される事も許容してんだよ!」
想像を絶するバカ解答の連呼に、少しずつ男も酔いが覚めて来たらしい。チッ、と舌打ちをした後、男はため息をつく。
「……もういいわ。邪魔したな」
それだけ言うと、男は立ち去っていった。なんとか、殺されることも腕を折られることもなく撤退してくれた……そのことにホッと胸を撫で下ろす。
怖かった……腕の太さも身長も自分より上。文字通りの大人と子供、酔ったままでも喧嘩になれば殺されてもおかしくなかっただろう。
それでも女の人の前、ということでなんとか腰を下ろすことだけは堪えていると、後ろから声をかけられた。
「大丈夫?」
「は、はい……ん? あ、いやそれ俺のセリフです!」
「ふふ、そうだね。助けてくれたんだから。お礼、言わないとね」
というか、この声。聞き覚えがある気がする。なんかその聞き覚えがある声より低い気がしないでもないが。
すると、その女性は帽子とサングラスを外した。
青葉は、完全に油断していた。ありえるありえないの話ではない。何となく「温泉に入りたいなー」って言ったら、地面から地下温泉が噴き出して来た……そんな感覚だ。
短いココア色の髪と金髪の毛先、クールな視線、凛とした顔立ち、女性にしては高い身長、それでいて女性だとはっきりわかる体型……ずっと、ずーっと憧れて来た女性。
「……ありがとう。お礼はー……そうだな。一緒に写真くらいなら、良いよ」
……家に腐るほどグッズがあり、何回もライブに行き続け、何枚もCDや写真集を購入し、何回も握手会のチケットを外して来た人。あれだけ見て来て、何故たかだか帽子とサングラス程度も見抜けなかったのか、自分の目をくり抜いて顔認証付き義眼に切り替えたい衝動にさえ駆られていた。
「……あれ、もしかして……私のこと知らない?」
緋田美琴……憧れの人物が、目の前にいた。
混乱どころの騒ぎではないが、オタクの心理なのだろうか? 真っ先に頭に浮かんだのは、自分のセリフ。
『俺のカノジョなんで!』
自分が追い掛けている、アイドルを……カノジョ呼ばわり……!
直後、思わず走り出した。
「ちょっと⁉︎」
走った先にいたのは、さっき絡んでいた男の方。すぐに追いつき、手首を掴む。
「待って!」
「っ、な、なんだよ……まだ何もしてない……警察にチクる気なのか?」
「俺を殺して下さい!」
「はッ⁉︎」
何言ってんの? と声を漏らすが、当たり前の反応である。
「何急に⁉︎ さっきまで死にたくないって言ってたじゃん!」
「言ってた! でも今は違う、死ぬべきだった!」
「待て待て待て落ち着け! まず何があったか話せ!」
「あなた好きなアイドルとか女優は⁉︎」
「え……あー、大崎甜花。自慢じゃないけど、あの子が出てる雑誌全部持ってる」
「……誰?」
「殺すぞコラ!」
「おう、良きかな! 殺せ!」
「おう! じゃねえわ! 良いから何があった⁉︎」
「その子に何も言わず嘘で夫婦だってわけわからん宣言したらどう思うよ⁉︎(超飛躍)」
「殺す」
「つまりそういうことです!」
「……いや、でもそれ以上に俺は『再び主の前に立つ時に、己に恥じる所があるかどうか』を信念に良い年してアイドルを追ってる! 殺しは出来ない!」
「さっき殺そうとしてたのに⁉︎ ……てか、ワートリ読んでんの?」
「あれは、俺も酔ってたから! 読んでる! とにかく、殺さないから! てかお前怖いわ! もうこっち来るな!」
「あっ……!」
今度は逃げられてしまった。どうしたら……と、ガクリと膝をつく。残念ながら、自殺する勇気なんかない。酔っ払いに絡まれている女性の間に入る勇気はあるのに。
絶望していると、その青葉に声が掛けられる。
「……どうしたの? 大丈夫?」
「おぎゃー⁉︎」
「……生まれたて?」
憧れの声が耳に響き、振り返りながら両手で後退りしてしまう。背中を電柱に強打し、後頭部をぶつける。
「いった! 頭いった!」
「大丈夫?」
「いや心配しないで下さいこっちに来ないで下さい弁明させて下さい!」
「うん。まず落ち着いて」
「は、はい! ……お、落ち着く……落ち着くとは……? 落ちて、着く……つまり、ど、土下座ですか⁉︎」
「まずは深呼吸しよう」
「っ、は、はい……」
深呼吸、と言われて、とりあえず呼吸することにした。軽く息を吸い込んで……と、両手を広げて息を吸った直後だ。その辺を飛んでいた小蝿が口の中に飛び込んできた。
「っ、ぇほっ、げほっ……ぇげほっ……おぉえっ……!」
「大丈夫? どうしたの?」
「くっ……口の、中に……虫が……!」
「……お水飲む? 自販機あるし、買って来ようか?」
「っ、い、いえいえいえいえ! 美琴様に物を恵んでもらうなど、言語道断不可能奇妙の得手不得手!」
「……ふふっ、面白い子だね。君は」
「お、お褒めにいただき光栄でございマッスル、めっちゃモテたい!」
頭の中がグッチャグチャになってしまっている。嬉しいやら申し訳ないやらで頭の中が鞄の中に突っ込んだままにしたイヤホンのようにグッチャグチャに絡まって来た中、奇跡的に一方を引っ張れば解ける状態になったかのように、大事な事を思い出した。
「っ、そ、そうだ! 美琴様!」
「美琴で良いよ」
「先程は、彼女とか訳のわからない思い上がったゴミカスオタクの戯言をほざき散らかしてしまい、大変申し訳ございませんでした!」
「うん。そんなこと、気にしないで。……無理あったけど、私を助けてくれるためでしょ?」
「いえ、ファンとして崇拝するアイドルを恋人と他人に言うなど、言語道断不可能奇妙の得手不得手!」
「何それ。流行ってるの?」
「幕○志士です。とにかく、ファンにあるまじき失態をしてしまった以上、俺はもうファンではいられません! ……なので、失礼します……」
「うん。だから落ち着いて」
ガッ、と両手を包まれるように握られ、肩がプレステのコントローラーより激しく震え上がる。
「はわっ……み、美琴様に、お手を……!」
「ファンだったらさ、私の話、聞けない?」
「き、聞けます!」
「うん。良い子」
褒められた事に頬を赤く染め上げるが、舞い上がるのを抑える。美琴からの命令だ。
「とりあえず、立ってくれる?」
「はっ、はいっ……!」
「何処か……ゆっくり話せる所、行こっか」
「ゆ、ゆっくり話せる所⁉︎」
「カフェ……は、君声大きいからダメか。公園で良いかな?」
「深夜の公園で、二人⁉︎」
「嫌?」
「い、嫌ではありませんが……」
「じゃあ決定」
「で、でも二人きりで公園に行くのはまずいんじゃ」
「いいから」
「っ……は、はひ……」
なんで、なんで? と、困ったようにアタフタしている間に、近くの公園まで移動した。歩いている間、会話はなかった。頭の中で「なんだこの状況」と思わないでもなかったが、それ故に心は落ち着いて来た。
さて、とりあえずベンチに腰を下ろす。並んで座っている現状だけでも、胸の中はドギマギしてしまっている。
「ふぅ、ここで良いかな。まずは……ありがとう。助けてくれて。あの人、しつこくて正直、とても助かったよ」
「っ……い、いえ、そんな……」
「あと、ファンの人だったんだね。最初はアンチの人かと思ったよ」
言われたから思い出す。「いや心配しないで下さいこっちに来ないで下さい弁明させて下さい!」なんて言ったら、確かにアンチっぽいかもしれない。
「いつも、応援してくれてありがとう」
「……は、はい……」
「ファンの人の矜持……なのかな。さっき、君は私を恋人と呼んだことにとても責任を感じていたけど、何か変なアクションを起こすようなことはしないで欲しいな」
「え……でも」
まぁ自殺は流石に言い過ぎだったが、ファンは卒業しないといけないのかも……なんて少し思っていた。あの会話がブワーだと広まれば被害を一番、被るのは美琴だし、同じファンのにちかにも申し訳ない。
「芸能界に長くいるとね、人との出会いっていうのをたくさん感じるんだ。同じユニットにいるのに、番組に呼んでもらえる人と呼んでもらえない人……それには世間の評判も勿論、あるけど、他にもその番組のディレクターとかMCの人と知り合いだったりとか、そういう事情からって事もあるんだ」
そういう事もあるのか、とまぁ考えれば理解できる事に頷いて返事をする。
「だから、君がたまたま私を助けてくれたのも出会いなんだよ。その出会いが、私を応援してくれるファンの子に嫌な思いをさせ、私自身も応援してくれる子を一人減らす出会いにはしたくないな」
「……は、はい……」
「私にとっては、助けられた出会い。君にとっては、応援するアイドルを助けた出会い……それじゃだめかな?」
……そうだ。見方を変えれば……というか、普通に考えて良い事なのだ、今回のこれは。何せ、応援するアイドルをわかりやすい形で助けられたのだから。
何より、他のファンの為に美琴を応援しているわけじゃない。美琴が好きだから応援しているのだ。だから、例え自分であってもファンを減らすようなことはしちゃいけない。
「……すみません。一人で変に、暴走してしまっていました……」
「ううん、大丈夫。気持ちは嬉しいから」
ニコッと微笑まれ、顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。やはり、隣の女性は綺麗だ。憧れの女性と会話できている……というだけで、胸がいっぱいなのに、この至近距離で自分にだけ向けられた笑顔。ファンサービスどころの騒ぎじゃない。
それにも関わらず、美琴はさらに追い討ちをかける。
「それで、君にお礼がしたいんだけど……」
「っ⁉︎ い、いえいえいえ! 当たり前のことをしただけなので!」
「でも、君ホントは怖かったでしょ?」
「そ、そんな事は……」
「だから、名前を教えてくれるかな?」
「名前⁉︎」
「うん。お世話になった子だから、覚えておきたいんだ」
「……」
確かにこれ以上にないお礼だ。ファンを大切にする、とは言っても、顔と名前も一致しないのは当たり前だ。ピム博士が無数の蟻に名前を一々、つけられないのと一緒で、アイドルもファンの名前と顔を全て把握はできない。
その中で覚えてもらえるなんて、もうなんかもう嬉しさのあまりに脳汁が脳天から噴射しそうなものだ。
「美琴様が……俺なんかの事、覚えてくれるんですか……?」
「うん。……あ、でも悪いけど、握手会とかの当選で贔屓にしたりは出来ないよ」
「も、もももちろんです! 所詮は一ファンの一人なので!」
「うん。……じゃあ、聞かせてくれるかな。名前」
「……一宮、青葉です……」
名乗った。名乗ってしまった。これは果たして、ファンとして許されるのだろうか……いや、少なくともにちかには話せない、と全力で感じている以上は軽々しく言って良いことではないのだろう。
「一宮青葉、ね……うん、覚えとく」
「あっ、ありがとうございます……!」
「それはこっちのセリフだよ。……じゃあ、そろそろ帰らないと」
「は、はい! ……あの、駅まで送りましょうか?」
それは決して下心があってのことじゃない。さっき酔っ払いに絡まれた所だし、一人には出来なかった。
だが、美琴は首を横に振る。
「大丈夫、タクシー拾うから」
「あ、そ、そうですね。では、失礼します」
「うん。また、会えたらね」
そう言われて、そのまま青葉はいまだに信じられなさそうな様子でフラフラと帰路につく。
しかし、この時の青葉は知らなかった。この数日後に、想定より遥かに早い邂逅を果たすことになるとは。