さて、翌日。青葉は目を覚ますとすぐに着替えを始めた。昨日、話した感じだと姉は一週間、ここにいるつもりらしい。
正直、急だったので何も用意出来ていないが、まぁしゃあないだろう。
着替えを終えると、歯磨きもして家を出ようと、ドアノブに手をかける。
「はよー……青葉ぁ……」
「おはよ。悪いけど出掛けるから、もう少し寝てて良いよ」
「どこ行くんだ?」
「マラソン。みっちゃんと」
「は? 私も行く」
「……」
眠くて微妙に頭が回っていなかったことを後悔した。そう来るか、と考えれば当たり前のことに冷や汗をかく。
まぁでも、この姉は操りやすいので問題ないと言えばないのだが。
「じゃあ準備して来て」
「おうよ!」
すぐに目の前から消えたのを良いことに、すぐ玄関から出た。さて、朝の準備の早さで言えば美琴は自分より早いし、さっさと呼び出す。
インターホンを押すと、今日は珍しい事にすぐに返事はなかった。
「あれ、どうしたんだろ……」
というか、姉が玄関から出てくる前に早めに来てほしい……と、思っていると、ガチャっ……と、扉が力無く開かれた。
「おはようございます、みっちゃ……んっ⁉︎」
「ほはよ〜……青葉ぁ〜……」
欠伸をしながら出て来た美琴は……上半身に着ているパジャマは、肩まではだけていて胸の谷間がしっかりと見える。その上、裾が長いのでパンツは見えていないが、ズボンも見えていない。つまり、何も履いていないように見える。
「っ、み、みこっ……なんっ……⁉︎」
「ふぁひがぁ……?」
「何が、じゃないですよ! し、下履いてください……!」
「履いてるけど……?」
「いや履いてるならパンツでも良いって話じゃなくて……!」
「見る?」
「ちょっ、何捲って……!」
両手で目を隠そうとした時だ。指と指の隙間から見えたのは、美琴の長い裾のTシャツの下。黒のレースという大人向けの下着……などではなく、なんかやたらと短い黄緑色の短パンだった。
「……へ?」
「ふふ、言ったでしょ? 履いてるって」
「っ……〜〜〜っ! み、みっちゃん!」
「ごめんね、寝惚けてた」
「寝惚けてる人があんなテクニカルなイジリを出来るかー!」
「待ってて。すぐ着替えちゃうから。中で待ってても良いけど?」
「な、中って……え、えっち!」
そんな真似をすれば、着替えているシーンが見えてしまう……と、思ったのだが、美琴はキョトンとわざとらしく小首を捻る。
「いや、中で待つなら待つで、私は寝室で着替えるけど……」
「え? あ……」
「えっちなのはどっち?」
「っ……か、帰る!」
「ふふ、ごめんごめん。謝るから、帰らないで」
というか、どうしたのだろうか? 今日の美琴は。なんからしくない発言が多い気がするが……まぁ、でも……いや全然マゾとかじゃないけど、いじられるのは正直、嫌じゃなかったりしなくもない気配を感じるっぽいので何も言わないが。
とりあえず、姉の方が出てくるの早い気がしたので、青葉は美琴が来るのを本当に玄関で待つことにする。
「……ふぅ」
しばらく待機していると、美琴がようやくやって来た。
「お待たせ」
「待ってませんよ?」
「ふふ、紳士だね。行こっか」
そんな褒め言葉に、少しだけ頬を赤らめつつも、青葉は二人で部屋を出る。すると、部屋の前で夏子が待っているのが見えた。
「……よう、青葉? なんで置いて行った? ん?」
「……」
「私と二人で走りたかったからじゃないの?」
「あ?」
「ふふっ……」
やはりというかなんというか……ギスり始めていた。というか、美琴の煽りがちょっと嫌な予感がする。なんでこの人、今日はこんなに煽るのだろうか? 不思議どころか、ちょっとよく分からない。
けど……まぁ、とりあえず後一週間で姉は帰ってしまうわけだし、必要以上に仲良くさせる必要もないと思うことにして、二人を促した。
「二人とも、とりあえず行きましょう?」
「……わーったよ」
「そうだね」
……そんなわけで、三人でマンションの前に移動した。まずは軽くストレッチをしてから走り始める。
いつも通りのペースで美琴の後ろを青葉が走り、さらにその後ろをゲストの夏子が走る。
そんな中、後ろから声がした。
「青葉、大丈夫か? そんなペースで走って」
「平気だよ。このくらいなら」
「いや、だってお前この半分の速さで走っててもバテてたじゃねーか」
「それは去年までの話だろ。俺はもう……みっちゃんによって生まれ変わったのさ」
「……私がいくら運動に誘っても乗ってこなかったクセに……!」
「それはしょうがないでしょ」
実際、仕方ないのだ。当時は美琴に夢中でグッズ集めに必要な資金集めが一番だったが……今となっては、ぶっちゃけグッズなんか買うのがアホらしいくらい近くにいられるのだから。
昔はやる気にならなかったけど、今はむしろやる気になってしまっているのだ。
「でもまぁ、まだまだ遅いけどな。……ほれ、先行くぞー?」
「姉ちゃんのペースで走って良いよ別に」
「ふざけんな! 一挙に走んぞコラ!」
「いや勝手にしてくれて良いんだけどさ……」
そのまま走っていると、七草家の前に到着。すでに準備体操を終えたにちかが立っていた。
「おはようございます……って、なっちゃん!」
「久しぶりだなぁ、にちか」
「久しぶり! え、どうしたの? なんで?」
「このバカがちゃんと一人暮らししてっか見張に来たんだよ。案の定、お隣さんと変な関係持ってやがった」
「あー分かる分かる。ファンの癖にアイドルとお隣さん同士で暮らすとかないよねー」
「う、うるせーよ……!」
肩で息をしながらそう返す。この二人は普通に仲良い……というか、青葉制裁部隊として昔から二人は組んでいた。
「はっちゃんは元気か?」
「元気だよー。この前は、宿題写しただけで怒られたし」
「相変わらず硬ぇなぁ、はっちゃんは」
と、話し始める。まぁ……こんなんと昔から付き合っているわけだから、優しい年上のお姉さんが好きな女性のタイプになってしまうわけで。
何にしても、仲良くしてくれているのなら助かる。とりあえず、青葉はこっそりと美琴に声を掛けた。
「……いきません?」
「良いね」
二人を置いて走り始めた。
早朝ランニングを始めてまず思ったのは、やはりこうして外を走るのは気持ちが良い。
最初こそ疲れで気持ち良さを楽しむ余裕さえなかったが、今ではそれなりに朝の風景を楽しむことが出来る。
こんなに暑い外を走っているのに、流れる汗が不愉快じゃないなんて、少し前の自分では考えられなかった。
……それと同時に、昔姉に遊びに誘われた時に乗っておけば、この気持ち良さをもっと早くから知れたのかも、と思わないわけでもなかったり。
そういう意味では、たまに帰って来た時くらい、少しは家で姉に優しくしてやった方が良いのかも……なんて思った時だ。
そこで、ふと青葉は思ったので美琴に声を掛けた。
「そういえば……美琴さんはご実家に帰ったりしないんですか?」
「あー……あまり考えたことなかったかも。アイドルで忙しくて。でも、毎年チェインでやり取りはしてるよ」
「あー……それなら安心ですね」
まだ青葉は半年経ってないからかもしれないが、とりあえず写真で顔を見られれば十分だ。特にホームシックのような感情もない。
……いや、家から離れているのは親だし、むしろそっちがホームシックを感じるのでは? こういう時、感じるのはホームシックと呼ぶわけではないのだろうか?
「美琴さん、家が恋しいわけじゃないホームシックってなんて言うんですかね?」
「え? いや知らないけど」
……ファミリーシック? なんか語呂悪いし、なんならファミリーが死んだみたい……なんて考えていると、隣の美琴がキョトンとした様子で声をかけて来た。
「もしかして……寂しいの?」
「え、いや全然?」
「……強がってない?」
「ないですけど?」
いやほんとにそんな気はない。たまに連絡すれば十分だし、あんまりもの寂しさを感じるようなことはないのだが……しかし、美琴は何を勘違いしたのか隣で自分の手を握って来た。
「まだ高校一年生だもんね。私も一人暮らし始めた時は寂しく思ったこともあったよ」
「え? いやだからほんと……」
「いつでも、私に甘えてくれて良いからね。……ハグまでなら許しちゃうから」
それを聞いて、大きく狼狽えた。ハグ? それはつまり……その抜群のスタイルが自分と密着する? それもゼロ距離で?
頬を真っ赤に染め上げた青葉は思わず俯いてしまう。何度か胸に腕とかが当たったことあるからこそ、少し想像出来てしまった。
そんな青葉を見て、美琴はクスッと微笑む。
「ふふ、照れてる」
「ーっ⁉︎ か、からかってたんですか⁉︎」
「ハグする? 今」
「っ……み、みっちゃん!」
やはりなんか今日は意地悪ばかりされる……と、食いかかろうとした時だ。真後ろから飛び蹴りが二つ、炸裂した。
「「人を置いてイチャイチャしてんじゃねええええええ‼︎」」
「ぐおああああああああ⁉︎」
にちかと夏子のキックで前方に大きく転がるハメになった。
×××
ランニングが終わった後は、美琴と夏子はシャワーを浴びて、青葉は汗だけ拭いて隣の部屋で朝食とお弁当を用意する。
そのあとで美琴が出て来て朝食を終えると、その美琴に弁当を渡して自室に戻った。
「ただいまー」
「……」
「待ってて、姉ちゃん。俺もシャワー浴びちゃうから」
「ん、おお」
そのままシャワーを浴びに洗面所に入る。さっさと服を脱いで汗を流しながら、少しだけ困ったように苦笑いを浮かべた。
なんか……さっき朝食を作っている時も、いいように美琴にいじられてしまったが……どうかしたのだろうか? 別に良いけど、そういう事をするタイプじゃないと思っていたが。
何かあったのか、それとも……と、そこで理解した。もしかすると……本当にホームシックなのは美琴の方なのでは? なんて思ってしまった。
あり得ない話ではない。これまで割とストイックにやって来ている美琴だし、自分の部屋に姉が来たことにより「私も会いたいな……」とか思うようになってしまったのかもしれない。
「……何それ可愛すぎんだろ……」
ギャップ萌えどころの騒ぎではない。天地がひっくり返りでもしたのだろうか? と不思議に思う程だ。
それならば……帰って来た時、甘やかしてあげた方が良いかもしれない。元々、立ち位置はお母さんみたいなことしてるわけだし、出来そうではあるが……しかし、具体的にどうしたら良いか……と、思いながら洗面所から出た。
着替えを終えてリビングに入ると、姉がクーラーをガンガンに効かせてソファーに寝転がっていた。
「姉ちゃん、クーラーこんな早朝から入れないで」
「飯ー」
「聞いてる?」
「うーるせーなー。姉ちゃんが帰って来てる時くらい、クーラー使わせろよなー」
「……」
今月の電気代が多いのは姉の所為だから、と両親に言い訳することを先に考えておきながら、朝食を作り始めた。
まぁ、せっかく姉が帰って来ている、という点は分からなくもないので、せっかくなら好きなものを作ってやろうと思い、アスパラガスの肉巻きを作ることにした。
それと、なんかじゃがいもを炒めたくなったのでそれも剥き、炒める。味噌汁も新しく作り、米は昨日の残りがある。
「姉ちゃん、今日どうすんの?」
「お前について行く」
「買い物行くだけだよ。今日はバイトもないし」
「それでも良いんだよ。何のために帰って来たと思ってんだ」
「……親の監視網をくぐり抜けて好き放題するため?」
「お前どんな風に私を見てんだよ! 3分の1は合ってるが」
「合ってんじゃん」
「一番は、お前のことが心配だからに決まってんだろ」
「……」
……いやさっき飛び蹴りした癖に……なんて、少しだけ思ってしまったり。スーツケースの中身も結局、青葉が片付けたし、朝飯の催促もしつこいし……。
「姉ちゃん、ちゃんと友達できてる? 大丈夫?」
「お前に心配されるために来たわけじゃねーよ!」
「何かあったら言いなよ? 母さんとか父さんに」
「うるせーよ!」
なんて話しながら、いよいよフライパンで焼き始めた時だ。姉が見ているテレビがCMに入った。ウマ娘のコマーシャル。そして、映っているのは、スーパークリーク。
「……これだ!」
「何がだ?」
これらしかった。
×××
その日の夜、今日も美琴は居残り練習を終えて帰宅の準備。事務所でシャワーを浴び終えて更衣室に入ると、にちかが大急ぎで荷物を纏めている所だった。
「すみません、美琴さん! 今日は、うちの姉妹みんなとなっちゃんとご飯食べに行くことになったので、お先に失礼します!」
「分かった。……あれ、じゃあ青葉も?」
「はい。一緒ですよ」
「え……」
じゃあ、私の今日の晩御飯は? と、狼狽える中、にちかは足早に出ていってしまった。
どうしたものか……と、悩みながらスマホを見ると青葉からチェインが来ている。
ピスタチオ一宮『すみません。今日の晩御飯、急遽食べに行くことになったので作れません。申し訳ありませんが、ご自身で用意して下さい』
ピスタチオ一宮『ちゃんと、お弁当でも良いので料理を食べるようにして下さいね』
来てた、一時間ほど前にチェインが。まぁ、昔から家族絡みの付き合いをしていたらしいし、久々に再会したらそういう事もあるのだろう。
と、そこで美琴はハッとする。これ……もしここで敢えてウ○ダーとかで食事を済ませたら、構ってもらえる上にご飯も作ってもらえるのでは……? と。
そうと決まれば、しばらく家に帰らないで事務所でウ○ダーでも飲もう。
「よし……!」
更衣室を出て、美琴は軽く伸びをした。すると、鼻腔を刺激する良い香り。中に入ると、プロデューサーがインスタントのちゃんぽんを食べていた。
「あれ、何食べてるの?」
「げっ……ま、まだいたのか。アイドル……」
「?」
「これ、恋鐘が実家に帰った時のお土産なんだ。今日、残業だから食べようかなと思って。……食べるか?」
ちょうど良い。ウ○ダーを買いに行く手間が省ける。インスタント麺なら、青葉も怒るだろうし。
「うん。食べたい」
「みんなには内緒な? これ、俺の夜食だし、恋鐘が俺にくれたものだし」
「うん」
頷いて答えると、プロデューサーはちゃんぽん麺を作るためにキッチンに立った。しばらく待機していると、すぐに机の上に出してもらった。
「ふふ、美味しそう」
「美味いよ、実際」
そんなわけで、食べ始めた。……そういえば、まだ青葉にちゃんぽんを作ってもらったことはないので、これなら物足りなさを覚えることもなさそうだ。
ズズズッと啜る。美味しい。インスタントラーメンにしては、ちゃんぽんっぽい味わいが強く出ていた。……まぁ、そもそもリ○ガーハットしか食べたことがないので偉そうなことは言えないわけだが。
「美味しい」
「だろ? インスタントとは言え、さすが長崎産だな」
「うん。……青葉にも食べさせてあげれば……対抗心燃やして、もっと美味しいもの作ってくれるかも」
「は、はは……」
アリだ。たまに東京の方の駅構内でご当地グルメ展みたいな所で買ってみようかなーなんて考えていると、プロデューサーが声をかけて来た。
「最近はどうなんだ?」
「何が?」
「その……お隣の子とは」
「ああ……うん。良い子だよ。相変わらず」
「そっか……でも、誘っといてなんだけど、今日はインスタント麺なんかで良かったのか?」
「今日、青葉はにちかちゃんとはづきさんとご飯行ってるから。お姉さんが海外から帰って来て、久しぶりだなって。あそこ、昔からの付き合いだから」
「そうなのか……」
ちょっとだけ、羨ましかったり。北海道出身の自分とは無縁なのだ。昔からの付き合いというものは。
でもまぁ、みんながみんな同じわけがないのは当たり前なので、今日くらいは仕方ないだろう。
「ちなみに……本当にしてるのか?」
「何を?」
「や、その……かまちょ?」
「ああ……うん。してるよ」
「そ、そうか……言った俺が言うのもあれだけど、程々にな?」
「うん。でも大丈夫、なんかまんざらでもなさそうだから」
「そ、そうか……」
なんか、割とホントたまに嬉しそうだったし。もしかしたら、面倒見が良いというより、面倒を見るのが好きなのかもしれない。
「美琴はちなみに、どんなちょっかいを出したんだ?」
「裾が長いTシャツと、寝巻き用の短い短パン履いて朝に会ったりとか……かな?」
「酷いことするな……もっとこう、子供っぽいちょっかいとかさ」
「え……子供っぽい方が良いの?」
「だって面倒見が良い子だろ? あんまり肌を露出したり、誘惑するようなちょっかいは引かれるかもよ。……それに、アイドル的にも控えてほしいし」
「……そっか」
言われてみればそうかもしれない。しかし、子供っぽく……元々、子供の頃もちょっかいを出す方ではなかったので難しい。
少し考え込んでいると、プロデューサーが代案を出した。
「例えば……そうだな。料理を手伝ってみて、少し失敗するとか」
「え……やだ。美味しくないものが出来たりとかしたら」
「いや、砂糖と塩間違えるとかじゃなくて。飲み物を注ぐ時に、入れ過ぎて零しちゃった、とかそんな感じの奴だよ」
「……なるほど」
つまり、ちょっかいというより、失敗してやらかすパターン。アリな気がする。
「分かった。やってみるよ」
「でも、取り返しのつかなくなるようなことはするなよ?」
「うん」
要するに、物を壊したりだとか、怪我をさせたりだとか、そういうのは控えないといけないという事だろう。
今のうちにどんなちょっかいをかけるか、色々と考えながら、とりあえず麺を啜った。
×××
さて、夜。美琴はしばらく部屋でのんびりする。……いや、のんびりでもなかった。ちゃんぽんを食べた上で青葉の手料理を食べ切るのは無理な気がしたので、少し運動して来た。
あとは、青葉が帰ってくるのを待つだけ……と、思っていると、自分の部屋のインターホンが鳴る。
「はーい?」
『一宮です。……ちゃんと晩御飯食べたか、一応確認に来ました』
わざわざお隣さんが晩御飯を食べたか否か、確認するために来てくれるなんて……と、介護されているという実情に気付くことなく、美琴はドアを開けた。
「ごめん、インスタントラーメンで済ませちゃった」
「……」
すると、青葉は2〜3度鼻を鳴らす。そして、やがて「もしかして」と声を漏らして聞いて来た。
「事務所で食べたんですか?」
「え……なんで分かるの?」
「インスタントラーメンとかカップ麺の残り香って部屋の中に充満するから。でも、みっちゃんの部屋からそんな匂いしないし」
こ、この料理馬鹿……と、美琴は冷や汗をかく。探偵か、とツッコミを入れたくなるような文字通りの嗅覚だ。
「それに、みっちゃん少し汗かいてるし、遅くまでレッスンしてたんでしょう? それで、プロデューサーさんが差し入れをしてくれた、と言ったところですか?」
なんだろうか、その当たらずとも遠からずな推理。そういえばこの子、成績は良いんだった、と今更になって思ってしまったり。
「まぁ、たまにはそんな事もあると思いますし、それに関しちゃ怒りませんよ。元々、俺が急に飯作れないって言ったのが原因ですし。そんなわけで、今日の所は……」
えっ、と美琴が内心でたじろいだ直後、目の前の青葉も「あっ」と何かを思い出すように声を漏らすと、決心したように唾を飲み込む。
やがて、顔を真っ赤にしたままこちらへ一歩踏み出し、美琴の頭に手を伸ばした。
「よ、よく正直に言ってくれましたぁ……良い子良い子……」
「……」
ちょっと脳の理解が追いつかない。えーっと……自分は今、何をされているのだろうか? 良い子良い子とか言われながら、頭を撫でられてる? あれ? それは所謂……良い子良い子? つまり……撫で撫で? 24歳の成人女性が? 男子高校生に?
それを自覚するのとほぼ同時。なんか……ふと、ここ数年、会っていない母親の事を思い出してしまった。
そして、男子高校生に撫でられて母親を思い出している自分を、らしくなく客観視してしまった。その結果……。
「ーっ⁉︎」
「え……」
爆テレした。
一気に顔が真っ赤に染まり、青葉の方が驚いて手を離してしまったくらいだ。
「えっ……あっ、えっ……いまっ、頭っ……」
「え、なんですかその意外すぎるリアクション……こっちの方が恥ずかしいと思うんですけど……」
「っ……!」
このガキ、こっちの気も知らないで……! なんて頭に血が昇ってしまった。もうからかうからかわない以前に、普通にわけわかんなくなった結果……思考を放棄した。
とりあえず……嫌ではないし、もう少しお願いしちゃおう、みたいな。
「あ、青葉……」
「な、なんですか?」
「…………し」
「え?」
「……も……もう、少し…………」
「……何を? 良い子良い子?」
「……」
敢えて口にするのは恥ずかしいのだが……もしかして、わざとだろうか?
「……いじわる。口で、言わせるつもり……?」
「え、や、ほんと何を?」
「っ……だ、だから……そ、その……そう。撫で撫で……」
「え……いや恥ずかしいし、流石にちょっとアレだったから今回きりにしようと思ったとこなんですけど……」
「……」
そんなの許されない。というか、口で言わせておいてなんで意地悪を言い出すのだろうか?
そう思った時には、青葉の手首をガッツリ美琴は掴んでいた。
そして、半開きになっていた玄関を開き、青葉を自分の部屋の中に入れて、閉める。
「えっ……えっ……えっ?」
そのまま、青葉の真横に右手を通して扉に手をつく。それと同時に、反対側の左手でこっそりと鍵を閉めた。
「え……あの……ぇっ……へ?」
「撫でて」
「か、壁ドンされながら……?」
「訳わからないこと言ってないで撫でて」
「……」
……正直、自分でも何を言っているのか分からないが仕方ない。だって、撫でて欲しいのだから。
顔が赤くなっているのが鏡を見なくても分かってしまったが、さっきの撫で撫ではやたらと胸の奥で満たされる何かがあった。青葉がたまにする突拍子のない言動は自分を従わせられるものが多くて困る。
プロデューサー、インスタントラーメンを食べさせてくれてありがとうと言う感じだ。
少しだけヒヨった様子の青葉も頬を赤らめると、自身の頭上に手を伸ばす。そして、さっきよりはぎこちない手つきで美琴の頭を撫で始めた。
「ぃっ……良い子、良い子……?」
「……」
……確信した。この人、性別を間違えて生まれた母親気質の男子高校生だ。だから、よほどしっかりした人じゃないと、関わる女性を全員、ダメにする。恋愛的な意味ではなくて人をメロメロにするタイプだ。
とにかく、危険である。なんかプロデューサーはちょいちょい青葉に会いたいみたいなことを言うが、何の間違いかでこの子を事務所の子達に会わせたら、全員がダメにされる……!
そう強く思うと同時に、美琴は思った。
──でも、自分はダメにされてるし関係ない話だよね。
と。
「……
「なんですか? てかなんて言った?」
「たまによろしく」
「え、な、何を?」
「ふふ……もう、意地悪だな。青葉さんは」
「誰がおばさん?」
どんな聞き違いをしているのか知らないが、美琴は微笑んで誤魔化す。少し青葉はそれを見て頬を赤らめるが、美琴は気にする様子一つ見せずに笑顔を浮かべたまま続けた。
「その……ま、また……お姉さんにも、にちかちゃんにも、はづきさんにもバレないように……頭、撫でてね」
「……え」
「じゃあ、また明日ね」
それだけ話すと、美琴は玄関の鍵を開けた。そのまま流れるように青葉は部屋を出て行く。
その背中を眺めながら、美琴は晩御飯を作ってもらうのを忘れてシャワーを浴びた。