それから数日が経過し、青葉には新たな日課が増えた。しかも、過去最大級にデカすぎる日課。いや、行動自体は小さいけど、メンタル的には大きすぎる日課だ。
「青葉……」
「は、はい……?」
「撫でてくれたら……今日の仕事、やる気出るなって……」
「は、はいはい……」
少し恥ずかしいのか、頬を赤らめながら少しだけ屈む美琴。その頭に、恐れ多いと思いつつも、青葉は手を伸ばした。
サラサラな髪に覆われた小さな頭の形を実感してしまった。いや、まぁ普通の形をしているわけだが。
しかし……なんと言うか、本当に変な癖をつけてしまった。我ながら、何を思ってクリークの真似をしようと思ったのかカケラも分からない。変な扉を開けてしまったような感じだ。
「ありがと。じゃあ、行ってくるね」
今は朝食を作り終え、部屋に帰ろうとしている所。これからすぐに部屋を出るので、そんな挨拶をしてくれた。
……少し照れてるのが、また可愛いと思わざるを得なかった。なんだろう、この人……これまで、どういう情緒で育って来たのだろうか?
とりあえず、自分も顔を真っ赤にしながら美琴の部屋から出る。この関係……このまま続けても良いのだろうか? なんか……なんだろう。この、18禁の動画をツイスタとかで目に入ってしまった時に似た罪悪感は。
「……はぁ」
ため息が漏れる。しかし……それにしても、美琴の髪は綺麗だった。サラサラで良い匂いして色鮮やかで……正直、このまま髪フェチになってしまうかも、と思う程だ。
……そんな人の頭を撫でる日課ができて、早5日。いや正直、撫でさせてもらえるのはとても嬉しいのだが……しかし、なんかこう……慣れない。気恥ずかしい。死んじゃう。
自分は一体、どうしたら……なんてことを考えながら、自室に戻る。中では、姉が相変わらずダラダラしていた。
「姉ちゃん、朝飯何が良い?」
「パフェ食いたい」
「朝飯って言ってるでしょ」
「いや今じゃなくて良いから」
じゃあ今言うなよ、と思ったが、まぁ明日で姉はアメリカに戻ってしまうし、別にそれくらい構わないだろう。
「良いよ。食べに行こうか」
「……なぁ、青葉」
「? 何?」
「お前、美琴さんのこと好きだろ」
「え?」
不意にそんなこと言われ、少しドキッとする。……いや、まぁ好きなのは当然でもあるわけだが。何せ、ファンだし。……逆に、なんで今、ドキッとしたのだろうか?
「勿論?」
「いや、ファンだからとかそういうんじゃなくて」
「……えっ、じゃあどういう意味?」
「女の人として好きだろ」
「…………えっ」
まるで手品の種を人前で明かされたような嫌な胸の高鳴りが発生し、口から内臓的なものが飛び出るかと思った。
好き? 自分が? 美琴を? それも……恋愛的な意味の? ……いやいや、いやいやいやいや……いやいやいやいやいや!
「ないないない! ファンとアイドルだぞ? その辺、弁えてるから俺は。たかだか、部屋の掃除してご飯作ってあげてお祭り行って取った一緒に金魚飼ってるくらいの関係で勘違いして恋に落ちてたまるかよ!」
「十分じゃね?」
「そんな事ないから!」
いやまぁ正直、自分も言ってて憧れのアイドルとそれだけの経験をしたら惚れない方がおかしい気がしないでもないが……。
でも、それは認めちゃいけないし、認められない。絶対に嫌だ。忘れちゃいけない。ファンと、アイドルなのだ。
「とにかく、俺別に好きじゃないし! あ、いやそりゃ大好きだけど……そうじゃなくて……!」
「まぁお前がどんなに否定しようが、美琴さんと話している時のお前はとても楽しそうで幸せそうな笑顔をこぼしていたし、飯を作ってやってる時も、一緒に走ってる時も、頭を撫でてやってる時も、無意識に初恋でもしてるように頬を赤らめていたのは変わらねーから」
「嫌な事を長ったらしく言ってんじゃねーよ! ……てか、なでなでの事なんで知ってんだよ⁉︎」
「姉だから」
「や、厄介な生き物め……!」
なんでそんなところまで鋭いのか……と、奥歯を噛み締める。というか、普通に恥ずかしさで顔が赤くなる。
「まぁ、もう好きになったもんは仕方ねーだろ」
「なってねーよ!」
「はいはい。けど、姉として言っとくぞ」
そう言うと、夏子は珍しく真剣な眼差しで自分に問い聞かせた。
「好きなアイドルに迷惑がかからないような己を律して、そもそも変な感情は抱かせないようにする……それがお前のファンとしてのルールだな?」
「……まぁ」
「でも、大前提のアイドルが迷惑に思っていなかったとしたら、そりゃ自己満足になる。それは分かっとけよ」
「っ……」
それは正しいのかもしれないが……美琴だって自分に好きになられたって迷惑に決まっている。そもそも、8歳差なのだから。
「あともう一つ、人を好きになる事は決して悪い事じゃねえ。むしろ当たり前のことだ。だから、自分がどうするべきか、よりどうしたいか、を優先しろ。この先、美琴さんが誰かと結婚なり交際なり始めた時、後悔したくなけりゃあな」
「……」
黙り込む青葉。思わず吐き気がした。もし……誰かと美琴が結婚する、なんて話になった時を想像してしまったから。
なんか……嫌だ。絶対に。なんか嫌だ。狡い。羨ましい。ムカつく。
シンプルな嫉妬心がいくつも漏れ出したことを自覚し、さらに自分が嫌になってしまった。
その青葉に、夏子は続けて言った。
「お前のことだから、どうせ面倒臭い自己嫌悪してるかもしんねけーどな、むしろこの状況で惚れなかったら、お前ホモだと思われるまであるから」
「い、いや……でも……ファンがアイドルに恋とかすると、事件が起こることも……」
何せ、そういう一方通行の恋情からファンはさまざまな事件を起こして来たのだ。ましてや、ストーカー殺人のような事もあるし、そう簡単に認められない。
しかし、姉はそれを聞くと、キョトンとした顔で聞いて来た。
「え……お前、美琴さんに恋したら、何か事件でも起こすつもりなのか? レイプとか?」
「し、しねーよ! ただ、そういう事件は多いから……!」
「そんな例がいくつあろうと関係ないだろ。お前が事件を起こすかどうかなんだから」
「……」
それもその通りでした。あれ……じゃあ、自分の心持ち次第で、アイドルに恋をするのは自由なのか? なんて少し揺らいできてしまった。
「……や、でもアイドルに恋するファンとかキモくない?」
「そんな理由で諦められるんなら、確かにお前は美琴さんのこと好きじゃねーわな」
「……」
一瞬、それで良いじゃん、とも思った。しかし、そうなると将来、他の男に美琴が取られる……絶対に嫌だ。
え、絶対に嫌なの? 幸せならOKです派じゃなかった? あれ……でも、嫌だ。なんだこれ、なんだこの感じ? と、頭を抱え始めてしまった。
そんな青葉に、夏子は面倒になったような口調で聞いてきた。
「ていうか……向こうはどうなんだよ」
「? 何が?」
「だから、好かれてるーって感じ、しねーのか?」
「しないよ。俺なんてみっちゃんにとって、家事をしてくれる都合の良い男だよ」
「マジかお前……」
なんか変な返しをされてしまった。しばらく困った顔をした夏子は、少しため息をつくと別のことを聞いて来た。
「じゃあ、もし向こうがお前のこと好きだったらどうすんだ?」
「え……いやそんなことは2000%ないから……」
「もしもの時」
もし……もし、美琴が自分のことを好きだったら……? そんな事、考えたこともなかったが……好かれてる、好かれてる……あの美琴が……と、頭の中で真剣に悩んでみたが……中々、想像出来ない。
その為、もし自分が片思いした場合を想定してみる。自分がもし人を好きになったら……やはり、その人のために尽くそうとするだろう。
だから、美琴の立場で青葉に気があるとしたら、家事や金魚のお世話をする……。
「……え、つまり……俺を頼ろうとしないで、家事とか自分でやり始める……? 俺、いらない子……? それは困るな……」
「えっ」
「お、俺みっちゃんに好かれないようにしないと……!」
「……」
「いや……でも逆に言えば、それをされていないということは、俺はみっちゃんに好かれてないって事だよな……」
……嬉しいけどちょっと複雑。まぁでも、仕方ないだろう。女神と人間の関係なのだから。
というか、なんなら好かれなければ、一生ファンのまま家事でサポートさせてもらえるのでは? と、思ってしまったり。
とりあえず、嫌われずとも好かれない、の位置をキープしなくては。
「よし、好かれないように頑張らないと……!」
「……なんでこんなバカになっちゃったんだよ……」
なんか色々と混乱していて、変な所に落ち着いてしまった。
その青葉に、少しだけ考え込んだ夏子が、仕方なさそうに言った。
「そういや、青葉」
「何?」
「私、明日には向こうに戻るけどよ」
「うん?」
「餞別に何か寄越せ」
「何その急な厚かましさ……」
藪から出て来た棒が話の腰を折りにきていた。
「そういうの自分で言っちゃダメでしょ……」
「うるせぇ。何か寄越さねえと父ちゃん達にお前と美琴さんの事、言うぞコラ」
「わ、分かったよ……」
「適当に百均とかで済ませても口滑らすからな。なるべくアメリカでも使えるようなおしゃれグッズとかだと、口の硬さはジブラルタルにまで上がる」
「わかりづれーよ」
そう言いつつも、真剣に考える事にした。言うと言ったら本当に言う女だ。無下には出来ない。
……というか、姉や母親はともかく、父親は自分と同じアイドルオタクだ。万が一にもバレれば、羨ましいあまりに父親と二人暮らしが始まる可能性も……。
にちかあたりに、相談してみることにした。
×××
その日の夕方、283事務所では、ちょうど仕事が終わって解散したところだった。美琴とにちかが帰宅していると、にちかのスマホが震え出した。
「あ、すみません。美琴さん。電話です」
「うん」
言いながらポケットのスマホを見ると、青葉からだった。この野郎、自分と美琴だけの幸福な時間を邪魔するつもりか、グーパン顔にいきますか? なんて考えながら無視する事にした。
「何でもないです」
「え、いや思いっきり震えてるけど……もしかして、青葉から?」
「そうですけど……」
あれ、なんかちょっと美琴さん嬉しそうな顔してる? と、にちかは少しだけ引っ掛かった。
そんなにちかの気も知らず、美琴はそのまま続けた。
「じゃあ、私が出ようか?」
「っ、だ、ダメです! それなら私が出ます!」
「そう?」
なんでそんな美味しい思いを青葉にさせるのか。あり得ないのですぐに応答した。
「もしもし?」
『あ、にちか? 明日暇?』
「明日? なんで?」
『姉ちゃん、明日の夜に飛行機乗っちゃうから、その前に何か渡したくて』
「あ、私も何か渡したいな。行く」
『りょかい』
ちょっとイラっとしながら応対したが、それはむしろ言ってくれて助かった。ちょうど休みだし、またしばらく会えなくなるのなら、何か渡しておきたい。この前、食べに行った時はこちらの家族の分も出してもらってしまったし。
「あんま時間ないよね?」
『そう』
「じゃあ場所はいつもの?」
『そう。時間もいつも通り』
「りょかい」
そこで電話は切れた。いつも通り、とは普段、よくお互いの姉妹にプレゼントを買いに行く時の場所と、それを買うための集合時間の事だ。
さて、とりあえず今のうちにどんなものが良いかを考えている時だった。隣の美琴が声をかけて来た。
「どこか行くの? 青葉と」
「あ、はい。一緒になっちゃんの餞別にプレゼント買いに」
「私も行って良い?」
「良いですよ!」
反射で答えてしまった。もちろん、拒否する理由がないわけだが。そうなると、むしろ青葉は邪魔なわけだが……いや、当日は自分と青葉のセンスの差を美琴に見せつける……!
少し明日が楽しみになりながら、美琴と帰宅した。
×××
マンションまできて、とりあえず部屋がある5階にまで来た美琴は、まず青葉の部屋のインターホンを鳴らした。
すると、相変わらず2秒もたたずに応答がある。
『はい?』
「青葉、ご飯食べたい」
『了解しました』
それだけ話すと、すぐに青葉は出て来た。
「何が食べたいですか?」
「うーん……暑いし、冷たいものならなんでも」
「なるほど。お任せあれ」
……なんか、いつもよりテンション高い? まぁ、可愛いが。
とりあえず、二人で中に入る。玄関の鍵を閉めるなり美琴は青葉の前で少し屈んだ。
「ね、ねぇ、青葉……その、いつもの、お願い……」
やはり、この歳になって頭のなでなでを所望するのは普通に恥ずかしい。
でも、もうダメだ。それを求める身体になってしまっているのだから。
なので、少しソワソワしながら聞いたが、青葉は真横を通って靴を脱ぎ、部屋に上がってしまった。
「え……」
「いつものって、なんですか?」
「……え?」
「早くご飯だけ作って帰らせてください。明日、朝早いので」
「…………え」
少し、泣きそうになってしまった。急に、どうしてそんな態度を取るのか……もしかして、何か嫌なことをしただろうか?
いや……身に覚えがない。なんだかんだ、なでなでしてくれる時も楽しそうにしてくれていたのに……。
「……あ、青葉……?」
「冷たいもの、ですよね? すぐ終わるからラッキー」
「…………」
なんだろう……その態度は……と、胸の奥がズキっとする。もしかして……嫌われてしまったのだろうか? 考えてみれば、自分は青葉に良くしてもらっているのに、何かしてあげた事は一度もない気がする。そんなんじゃ、愛想を尽かされて当たり前と言えば当たり前だ。
……いや、まだ間に合う。なんだかんだ、彼は自分のファンなのだ。ならば……こちらから何かお手伝いでもすれば良い。
「青葉、ご飯作るの手伝おうか?」
「一人でやった方が早いので結構です」
「……じ、じゃあ、料理中にマッサージとか……」
「調理中に身体に触れられるのは普通に危ないのでやめてください」
「……」
ちょっと泣きそうだった。良い年した大人が。そのままスゴスゴとリビングのソファーに座り、少し気まずそうにテレビを見る。
その間、青葉は料理をしていた。……ふと、そちらをチラリと見ると、なんか向こうも泣きそうな顔している。あの子……どういう情緒なのだろうか?
気になるが……とりあえず、ご飯が出来るまで待った。しばらく待機していると、ご飯が出来たようで良い香りが漂ってくる。
「っ……」
じゅるり、なんて涎が出そうなほど良い匂いなのだが……ちょっと気になるのは、冷たいものと言ったはずなんだけど……と、机の上に置かれたものを見ると、案の定真逆の羽付き餃子だった。
「え……あ、青葉?」
「なんですかっ?」
ちょっと得意げな顔だ。可愛いが、意味がわからない。
「冷たいものって言ったと思うんだけど……」
「なんで俺がみっちゃんのリクエストを受けないといけないんですかー」
なにそのわざとらしい意地悪な物言い可愛い、と思っても口にできない。明らかにいつもと様子が違う。
「あの……でも、リクエスト聞いて来たのは青葉じゃなかった?」
「文句があるなら、食べなくてどうぞー」
「あ、うそうそ。いただきます」
そうだ、元はと言えば自分は作ってもらっている立場。文句を言って良いわけがない。
それにこの餃子、色合いも出来もかなり良い感じだし、普通に美味しそう極まりない。
……節電中でクーラーも効いていない中、これを食べると思うとちょっとアレだが。というか、青葉も汗だくで作ってるし。
とりあえず一口……と、箸で摘み、口へ運ぶ。一口で入れると、思わず目を見開いた。この味……思っていた餃子と違う。中に、チーズが入っている……!
トロトロで熱々の白いチーズが糸を引き、口の中でとろける。
「美味しっ……す、すごい……パリパリ、ジューシーな食感は食べたことあるけど、それは追加しトロトロなのは初めて……」
「で、でしょ⁉︎ いやー、ただあったかいもん出すだけじゃ、ちょっと意地悪が過ぎるかなって思って、新食感を探して……あっ」
「えっ?」
やべっ、と口を塞ぐ青葉。それを眺めて、美琴は「え、なんなの?」と小首を傾げる。
……もしかして、この割と子供っぽい男は、自分に美味しいものを食べさせたかったのだろうか? 思えば、ここ最近は「何食べたい?」と聞かれてもほとんど冷たいもの、しか答えてなかった。
だから……少し、拗ねてたのかも。冷たいものと言えば、蕎麦や冷やし中華やお刺身ばかりだったから。
つまり……もう少し、仕込み甲斐と栄養がある料理を作りたかったのかもしれない。
……なんていうか、本当に可愛い子だ。
「青葉、美味しい」
「だ……だから?」
「本当に美味しい。味も、食感も、全部」
「聞いてないけど?」
「だから……その、撫でて?」
「それは嫌」
「な、なんで……」
「早く食べ終わってください。さっさと洗い物終わらせちゃいたいんで」
「……」
……しかし、なんていうか……青葉も無理してるんだな、なんて思ってしまった。
それならば、自分のやることは決まっている。
「青葉、青葉」
「撫でませーん」
箸で餃子を摘むと、それを青葉に向けた
「はい、あーん……」
「えっ……あ、あーん⁉︎」
「そうだよ?」
「い、いやいやいやそれはみっちゃんのものですしみっちゃんが使った箸ですし俺みたいな奴がそれを通して口づけをするのはちょっと如何なものかと言うか普通に気恥ずかしいと言うか勘弁してほしいというか……!」
……なんか、すごい早口になったと言うか……まぁ、理解した。この男の子、冷たい演技をしても簡単に崩せる。
「食べないの?」
「お、俺はもう晩飯済ませましたので……」
「……そっか。私の口付けは汚いか……」
「そ、そんなことないです! 聖水です!」
「ふふ、じゃあ……あーん?」
「うっ……」
とにかく押せば良い。押そう。そう思いながら、とにかく餃子を差し出す。……そして、やがて顔を赤くした青葉は、俯きながら目を閉じて、口を近づけて来た。
「あ……あーん……んぐっ」
「美味しい?」
「……まぁ、俺が作ったので」
「ふふ……一緒に食べよ?」
「…………は、はい……」
もはやこっちのものと言えるだろう。
そのまま、青葉に「あーん」と餃子を食べさせ続けつつ、自分も食べる。……でも、やはり足りない。
ここ一週間毎日、朝、走る前、走り終えた後、朝食の後、帰って来て夕飯の前、そして夕飯の後と撫でられていたからだろう。頭の温もりが足りない。
「青葉」
「な、なんですか?」
「撫でて?」
「わ、分かりま……あ、いえ撫でません」
「撫でて?」
「い、嫌です……!」
「撫でて?」
「た、食べて下さい早く……!」
「……」
強情である。何があってこんな頑なになっているのか知らないが、もうこうなったらなりふり構っていられない。
そう思った美琴は、一度わざわざ席を立つと、青葉の隣に腰を下ろし、そして……隣に身を倒し、膝の上に頭を置いた。
「撫でて?」
「食べた後、横になると盲腸になります。今すぐやめなさい」
「……はい」
急に声音がマジになり、すごすごと体を起こした。結局、撫でてもらえなかった。
×××
心が痛かった青葉は、翌日になってもそのままだった。というか、思った以上に依存されている。なでなでに。
というか……好かれ過ぎず嫌われない距離感の保ち方って難しい。あれじゃあただの嫌な奴になっているような……ていうか、利益も不利益もない関係って難しい。今朝、ランニング前も撫でるのを拒否するの少し心臓に悪かった。
なんて思って待ち合わせ場所に来ると、にちかだけでなく美琴も一緒だった。
「なんでだよ!」
「嫌なわけ?」
「嫌じゃないけど……」
にちかに詰め寄られ、青葉は目を逸らす。……いや、ちょっと気まずい。美琴は美琴で変にソワソワし……てない。いつものクールな美琴だ。……あれ? 美琴っていつもクールだったっけ? クールな人がなでなで所望する?
なんかもうわけわからなくなって来た中、何も知らないにちかが拳を空に突き上げた。
「よし、じゃあ……行こー!」
「ふふ、行こうか。青葉?」
「は、はい……」
三人は駅の中に入って、電車に乗り込んだ。ちょうど三人分、空いてる席があったので、そこに腰を下ろす。美琴、にちか、青葉の順番で。
「にちかちゃんと青葉は、どんなもの買おうと思ってるの?」
「私はー……ハンカチとか、ですかね? 向こうでも使えるものにしたいけど、あんま高いものだと気を遣わせちゃう気がして」
「良いかもね。……でも、あのお姉さんハンカチとか持ち歩くの?」
「人からもらったものは比較的、大事にしてくれるので、使ってくれると思いますよ」
それはその通りだ。ああ見えて綺麗好きなのだ。掃除は下手くそだが。……その影響で、青葉の掃除スキルが上がったとかいう話は置いておいて、美琴は続いて青葉に顔を向けた。
「青葉は?」
「俺はー……そうですね」
自分ならどうするか……と、顎に手を当てる。青葉も一応、考えては来た。
「そうですね……俺は、ヌンチャクにしようかなと……」
「……え、なんで?」
「いや、海の向こうはここより治安悪いらしいですし。それなら、武器とかが良いかなって。姉ちゃん、強いから初めて使う武器も使えますし、夏油のこと好きですし」
「……いや、それはちょっと……」
「ふっ」
にちかが得意げな顔をする。何その顔? と青葉が小首を傾げる中、美琴に告げた。
「こいつ、昔からなんですよ。贈り物のセンスが致命的にないの」
「そ、そうなんだ……」
「な、なんでだよ! 向こうでも使えるし、身を守る術としては完璧だろ⁉︎」
「まず空港の検査で引っかかるんじゃない?」
「木製だから平気だ!」
「鎖が鉄でしょ」
「ていうか、そんなのこれから行く場所に売ってるの?」
「おもちゃならあると思いますよ」
「いやおもちゃじゃダメでしょ」
「うちの姉ちゃんは、木の枝で木刀を折れます」
「それ武器要らなくない?」
言われて、青葉は顎に手を当てる。確かにその通りかもしれない。
「……じゃあ、何が良いかな。エアガンとか?」
「なんで武器ばかり持たせるの?」
「あの姉、割と隙だらけだからです。小6にもなって知らない人にお菓子あげるからって言われてついていって、そのおじさんをコテンパンにして警察に突き出したくらい隙だらけなんですよ?」
「え、隙なさ過ぎない?」
「枕投げも昔から二人がかりで勝てなかったよね」
そう言う意味で言っていないのだが……いや、まぁでもにちかはともかく、美琴までそう言うなら考え直した方が良いのかもしれない。
「……じゃあ、防犯ブザーとか」
「うん。一緒に考えよっか。現地で」
「ぷーくすくす、高校生にもなって一人でプレゼントも渡せないとかダッサー」
「いつもお世話になってる人のお姉さんだし、私からも何か渡したいかな。青葉にお姉さんのことを聞いて」
「ま、まぁ人の意見を聞く事でさらに良いアイデアが出るってものですよねー!」
踏みかけた地雷を慌てて土の下に戻すにちかを無視して、青葉は頷いて答えた。
さて……なんか、普通に美琴も一緒に回る事になったが、考えてみればそっちも問題ない。流石に美琴もにちかの前で「撫でて」なんて言い出すとは思えないから。
とりあえず、今日は青葉もなるべくにちかから離れないように行動する事にした。