青葉が歩けないレベルの腹痛を発症し、それを見つけた美琴がトイレに慌てて駆け込み、ドアを閉められなくなってしまったため、止むを得ず用を済ませた……というのが二人の言い分だった。
信じられるかっ、というのが正直な感想だったが、美琴を疑うことは出来ないし、青葉は信じても信じなくても殴るので問題ない。
実際、殴った。
「……青葉、生きてる?」
「(気絶)」
弱々な生き物であっただけあって、今はフードコートで寝かされている青葉に美琴が気遣ったように声を掛けたが、寝ているので聞いていない。
その正面のにちかは、ジト目のまま美琴を眺める。すぐに美琴は疑われている、と理解したのだろう。微笑みながら答えた。
「別に、にちかちゃんが思ってるようなことをしたわけでも、そう言う関係なわけでもないよ」
「……美琴さん」
すぐに分かった。美琴は、青葉を庇っている。流石ににちかもえっちなことをしていた、なんて思っていない。けど、多目的トイレに二人で入っている時点でだいぶ特殊な状況であることは理解してほしい。
じゃあ何してたんですか? と聞きたいが……でも、しつこく食い下がると嫌われるかもしれない。それだけは死んでも避けたい。
「ただ、その……ちょっと、恥ずかしい事してただけでね……」
この人、隠すつもりがあるのだろうか? そこで寝てるバカの顔面に再びグーパンをダンクしたくなる。
「……何してたんですか?」
「えっ……そ、それはヒミツで……」
美琴のヒミツって言い方可愛いけど、それとこれとは話が別……と思っていると、美琴は微笑みながら、にちかの頭に手を置いた。
「だから……青葉のこと、許してあげて欲しいな」
「はう……み、美琴しゃんが……あ、頭を……!」
「……良い?」
「は、はひ……」
返事をすると、美琴はホッと胸を撫で下ろしている。
正直、胸の奥に食い込むほど気持ちの良いご褒美だったが……しかし、それでも青葉と美琴の関係は気になる。なんか今日、やたらと青葉が自分に食ってかかってこなかったのも関係している気がする。
とりあえず、決めた。今はそれで納得するが、二人が何をしているのか突き止める。
……羨ましい内容だったら、やっぱり青葉は許さん。そう決めて。
×××
なんやかんやあったが、プレゼントの購入を終えて、にちかとはづきと姉のお見送りを終えた。最後、空港で送り出す時にハグをされ、耳元で「男見せろ」とか言われたが、余計なお世話である。
というか……本当に騒がしい姉だった。この一週間でほとんど自分は誰かしらのお世話しかしていなかった気がする。
お風呂の準備に飯三食に洗濯や布団、あと最後に家出る時、スーツケースに荷物を詰めたのも自分。ハッキリ言って、あの姉が家に来て役に立ったことなんて一つもなかった。
「ただいまー……あ、そっか」
でも……それでも、久々に誰かと一緒に暮らしてたからだろうか、もう家に帰って来ても誰もいない部屋に、少しだけ物寂しさを感じてしまったり。
騒がしい奴だったけど……でも、いないよりマシだったな……と、ちょっとだけため息をつきながら、電気をつけて中に入った。
「……はぁ」
帰られてから、ホームシックに近い感情を漏らすなんて……自分も、まだまだ大人にはなれていないみたいだ。
相変わらず人間とは、物を失わないと近くの物の大切さを実感出来ない。銀魂で言っていた通りだった。
……今日は晩飯、カップ麺でも良いかな……とか思っていると、インターホンが鳴った。
そうだった……隣にも大きな子供が住んでいるし、お世話しに行かないと……と、思い、応対した。
「はい」
「青葉……あれ、どうかした?」
「いえ、別に?」
っと、ダメだ。寂しさなんて顔には出さない。10年近く親元を離れている人の前でそんなカッコ悪いことはしない方が良い。
「何食べたいですか? 今日は買い物に付き合ってもらってしまったので、好きなもの作りますよ」
「……じゃあ、あれかな。たまには……シンプルに野菜炒めとか」
「……そんなので良いんですか?」
「青葉の料理は全部美味しいから」
……ちょっと元気出て来た。むんっ、と気合を入れた青葉は、すぐに部屋を出て隣の部屋に入る。
そうだ、とりあえず仕事をして美琴に尽くせば、そのうち寂しさなんて忘れる。
そう思って、手洗いを済ませた。
「青葉」
「はい?」
「……そ、その……いつもの……」
「……はいはい」
なんで今更、撫でられるのを恥ずかしがるようになったのか……いや、今日の自分の行動を客観視すれば、そりゃ恥ずかしくもなるだろうが。
そのまま、頭を撫でてあげると、少しだけ美琴は嬉しそうにはにかむ。なんでこの人、ホントこんなに可愛いのか。最近はクールさなんて微塵も感じなくなって来た。
……そろそろ良いだろうか? あんまり遅くにご飯を食べると太ると聞いたことがある。美琴の体型に影響を及ぼすのは嫌だし、そろそろ作ってあげたい。
「……みっちゃん、そろそろ……」
「もう少し……」
「え? いやお腹空いてないんですか?」
「……お腹より頭」
「ボクシングの構えの話?」
「良いから。……結局、ずっと我慢して来たんだから……」
……なんだろうか、そのちょっとエッチな言い方は……。というか、どちらかというと撫でて欲しいのはこっち……と、思っても口にしないで撫で撫でを続けた。
ダメだ、なんか撫でてて楽しくなって来てしまった。姉がいた時の騒がしさとは、違った何かに満たされる。
とりあえず、料理だけでも先に作らせて欲しいので、何かなでなでを中断できる言い訳になるものを探す。……そうだ、いつまで玄関にいれば良いのだろうか? なんかすごくシュールなことになってる気がする……。
同じことを思ったのか、美琴は微笑みながら部屋の奥を指差した。
「青葉、とりあえず……奥においで」
「はぁ……良いですけど、とりあえず料理作りますよ?」
「作りながら撫でて」
この人は本当に何を言い出すのか。
「いや危ないし衛生的でもないのでダメです」
「え……私の頭、汚い?」
「じゃなくて。髪の毛が料理に入ったりしちゃうでしょ」
「……むぅ、じゃあ撫で撫でが先」
……ダメだ、中断させてもらえない。というか……このままだと母性が弾ける……! 男なのに母性? と自分でも思うが仕方ない。どうしよう、なんだろうこの感じ。自分と美琴は一体、どういう関係なのか。
そんな焦りが出て来ている間に、美琴は撫でられながら少し屈んだ。それと同時に、青葉の腰の辺りにしがみつく。おかげで、太ももあたりに胸が直撃している。
少し高めの抱っこに、思わず狼狽えてしまった。
「ーっ、み、みっちゃん⁉︎」
「抱っこしてあげる。撫でてると移動できないと思うから」
「い、いやあの……!」
いやいやいやいややめてやめてやめてやめて! と、パニックになる。
太ももとはいえ胸の感触はバッチリ当たってるし、なんなら自分のナニが美琴の顔の前に……あ、やばい。勃ってきた。
「降ろしてください! 恥ずかしいので!」
「ふふ、私もなでなでされてるからおあいこ」
「いや本気で意味分かんないんですが⁉︎」
「それより手、止まってる……ん? 青葉、ポケットに何か入れてる?」
「ーっ!」
ヤバい、テントの骨組みがバレたか……! と、言い訳を考え始めた直後。ごすっと後頭部に何かが直撃した。扉の上の壁にぶつかった、とわかったのは後ろにひっくり返り始めてからの事だった。
当然、それを抱えていた美琴もひっくり返る。
「わ、やばっ……!」
美琴が慌てて声を漏らしたのが聞こえた。なんとかしてあげたいが、なす術がない……と、思いながら、キュッと目をつむると、衝撃はあったものの痛みはほとんど感じなかった。
顔面は何か柔らかいものに包まれている……。
「痛た……大丈夫?」
「むぎゅぎゅ」
「ああ、喋れないよね。ごめん」
身体を支えてくれていた両腕が離された事で美琴に庇われていたことを理解した。なんかとても良い匂いするし。
身体を起こしながら、上に乗ってしまっていることを自覚したので、とりあえず謝った。
「す、すみません……みっちゃん……! 重いですよね?」
「全然、重くないよ。普段、ちゃんと食べてるのか気になるくらい」
「みっちゃんよりはちゃんとしたもの食べてますから……」
というか……自分が謝ったのはどちらかと言うとこんな風に異性と密着させてしまった事だ。こんな風に守られるなんて、ファンとしてあるまじき行為……でも柔らかかったなぁ……って、いや煩悩は死ねゴミが、なんて思いながら身体を起こし、まず目に入ったのは美琴の胸だった。
え、あれ? と、青葉は冷静に考える。今、自分は身体を真っ直ぐ起こしたはず……顔の向きも変えていない。と言うより、変えられなかった。なんか柔らかいものに挟まっていたから。
……は? つーか、挟まってたってなんだろう。人の身体に挟まれる部位なんて、足の間か腕と脇腹の間か、或いは……。
「あの……青葉」
自覚しかけた直後、少し恥ずかしそうな声がかけられる。ハッとして美琴の顔を見ると、赤らめた頬のまま美琴は告げた。
「あんまり胸を見られるのは……その、流石に……恥ずかしいかな……」
言われて、自分がさっきまでむけていた場所……そして、顔を埋めていた場所を理解した。
つまり、美琴の……自覚した直後、拳を構えた。自分の顔の横に。そして一息つくと、一切の加減も遠慮もなく拳は火を吹いた。
「クタバレセクハラゴミが‼︎」
「青葉⁉︎」
自分への攻撃にも関わらず、本能が手加減をさせるようなこともなく顎を穿ち、一撃で意識を持っていった。
×××
目を覚ますと、時刻は21時手前だった。顔の前にあるのは机とテレビだが、それ以上に気になるのは顔の下の柔らかいもの。
何か……嫌な予感が……。
「目、覚めた?」
「え?」
頭上からの声……まさかこれ、膝枕か……と、理解した直後、再び拳を構えようとしたが、それを美琴が止める。
「はい、ダメ」
「み、みっちゃん……! だめです、俺みたいなゲス男は自らの手で己を裁かなければ……!」
「あのさ、青葉。前々から言おうと思ってたんだけど……それ、やめて? 誰の為にもなってないから」
「……え?」
なんかグサリと刺さる言葉が放たれ、ちょっと泣きそうになった。
「さっきのも今のも、私が勝手にやった事だから。なのに、触ったっていう事実だけを見て自分を傷つける青葉は……ちょっと、見たくないから」
「でも……」
「でも、じゃない」
ピシャリと言葉を遮られ、ドキッと胸が高鳴った。もしかして……怒られているのだろうか?
「それで青葉に何かあったら、私が嫌だから。青葉は私のファンなのに、私に嫌がらせするの?」
「え、い、嫌がらせ……?」
「私が嫌だって思ってる事をしてるから」
「……」
そう言われると、その通りかもしれない。まだ自分は、どうやらファンの矜持だのなんだのに拘っていたのかも、と思うと、少し恥ずかしくなってくる。
「分かった?」
「……は、はい……」
「うん。じゃあ、そろそろ晩御飯、お願いしようかな」
怒られてしまった……と、思う反面、少しだけ嬉しかったりした。美琴が「自分を傷つける青葉は見たくない」と言ってくれたことが。
もしかしたら……自分は、少しは美琴にとって「都合が良い男」だけではない程度の関係にはなれたのだろうか?
だとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない……。
「よし、今日はとびきり美味い野菜炒めを作りましょう」
「ふふ、楽しみにしてる」
話しながら、その日の夜は二人仲良く距離感が謎過ぎるお隣さん同士で食事をした。
×××
翌朝。今日も早朝のマラソン。青葉は朝早く目を覚まし、始めて二週間ほど経過した日課の準備に移る。まずは着替えて、顔を洗い、歯磨き。
そのまま、もう一つの寝室にいる姉を起こしに行った。
「姉ちゃん、ランニング……あっ」
そうだった。いないんだった。……なんか、朝からちょっと恥ずかしい思いを一人でしてしまった……。
まぁ別に、誰も見てないし良いか、と思いながら、髪も整えて準備を完全に終えて、部屋を出た。
そのままの足で美琴の部屋のインターホンを鳴らす。すると、すぐに扉は開かれた。
「おはよ、青葉。ごめん、ちょっと髪整えてないから……」
「え、今までも整えてませんよね? 走ればどうせグチャグチャになるし、走り終えたらシャワー浴びるからって言って……」
「……あ、そっか。そうだったね」
そう呟くと、美琴はすぐに出て来た。ジャージへの着替えは終わっている様子だった。
「じゃ、行こっか」
「はい……!」
二人でエレベーターに乗った。下に降りながら、青葉はチラリと隣の美琴を見る。すると、美琴もこちらを見ていた。
「いつものですか?」
「うん」
話しながら、美琴はかがみ、青葉は手を伸ばして頭を撫でる。
「みっちゃん、これで今日も頑張れますか〜?」
「ふふっ……うん。とっても。青葉も、抱っこしようか?」
「いえ、俺は別に甘えたいわけではないので……」
さて、そのまま二人で撫でり撫でられし合いながら、エレベーターを降りる。
「そういえば……もう夏休みも後半なんですよね……」
「そうだね。何処か行った?」
「いえ、ものの見事に何処にも……ていうか、知ってるでしょ」
「まぁね。……どこか行きたいの?」
「まぁ……せっかくなんで」
なんて話しながら頭を撫でつつ、自動ドアをくぐってマンションの外へ……出るとにちかが準備体操していてすぐに二人とも離れた。
「あ、来た。おはよーございます! 美琴さん、セクハラ魔人」
「おいこら」
「おはよう……早いね?」
「はい! 早く目が覚めたので!」
本当に目が覚めている様子で、にちかの目はギラギラしている。まるで、小さな違和感も見逃さない探偵のように。
「じゃあ、私達も準備体操するから、待ってて」
「美琴さんの準備体操は私、手伝いますよ!」
「俺をいちいち、ハブった言い方しなくて良いから」
少し嫌な予感を胸に潜ませながらも、そのまま走りに行った。
×××
さて、美琴とにちかは事務所に来ていた。今日は午前も午後もレッスン。近いうちにライブがあるため、その練習である。
一度、お昼を挟むため、美琴とにちかは二人で事務所で食事。バッキバキのお昼時だからか、周りには他のアイドル達も食事をしていた。
そんな中でも、美琴は相変わらずお隣さんの愛妻弁当を事務所で摘んでいた。
その様子をジトっと眺める視線に気づき、顔を向ける。
「えっと……にちかちゃんも食べる?」
「いえ、あんな奴のお弁当はうちにお裾分けくれた時以外、食べません」
「あ、そう?」
「へー、このお弁当……美琴さん、誰かに作ってもらったっすか?」
「うん。実を言うと……え?」
ふと声がして適当に答えてから気付いた。今の、にちかの声じゃないし、なんなら、にちかから来たとは思えない質問だ。
顔を向けると、そこにいたのは芹沢あさひ。ダンスの才能はとても素晴らしいと美琴も思う子だ。
「あさひちゃん、だよね? どうしたの?」
「あ、はい! 私、美琴さんにお話があるっす!」
「私に?」
なんだろう、とにちかと顔を見合わせる。まぁ、別に他のユニットの子とはいえ、邪険にするつもりはない。
「何?」
「昨日、レ○クタウンで手を繋いでた男の子誰っすか⁉︎」
「ほわっ……⁉︎」
「ぴえっ⁉︎」
「やは〜⁉︎」
「真乃……めぐる……⁉︎」
「ジャスティスV⁉︎」
周囲にいたほとんどのメンバーが反応した。あまりに大きな声での情報漏洩に、にちかと美琴は反応する隙さえ無かった。
「え……美琴さんが、男の子と……?」
「そ、そんなイメージなかった……」
「小糸ちゃん、雛菜にもそれちょうだい〜?」
「意外……」
「こ……恋人って事ですかぁ〜〜〜⁉︎」
やばい、興味を持たれた。面倒な事になる前に、さっさと話を逸らしたほうが良い。
「……何それ知らない。何の話?」
「え? いや、昨日いたっすよね? 二人で」
「いないよ」
「むぅ……冬優子ちゃんの言う通り、やっぱり隠すっすか……」
……今更になって思った。失敗した。確かに声はかけられてのだし、さっさと認めて場所を移すべきだった。
だが、もう見間違いだと言ってしまった。なら、このまま突き通すしかない……と、思った時だ。
あさひが、懐から封筒を取り出し、小声で囁くように言った。
「これ……実は昨日、福引で当てたんすよ」
「何それ?」
「温泉チケット」
「……で?」
「教えてくれればあげるっすよ?」
「いや、別に温泉なんて……」
と、言いかけたところで、ふと青葉との会話を思い出す。そういえば、あの子どこかに行きたがっていた気がする……なら、良い機会かもしれない。
「……それ何人行ける?」
「えーっと……四人っすね」
「話してあげるから……そうだな。屋上に行こうか」
「え、話すんですか⁉︎」
「にちかちゃんも来ない? 温泉」
「行きます!」
秒で釣られていた。そのまま三人で屋上に向かった。
中々、珍しいメンツで地面に腰を下ろして食べ始める。
「……で、なんだっけ」
「あの男の子っす! 彼氏とか?」
「それはないから、あさひちゃん」
「え? にちかちゃんには聞いてないっすよ?」
他意はないのだろう。にちかもそれが分かっていて苦笑いを浮かべていた。……ちょっとイラッとしているように見えなくもない。
「ま、家がお隣同士ってだけだよ、残念ながら彼氏とかじゃない」
「えー、そうなんすかー? じゃあなんで手を繋いでたっすかー?」
「それ、私も気になります」
……そういえば、にちかにとってはそれも大ニュースだったのかもしれない。何せ、青葉と手を繋いでいた、と言う話なのだから。
「……あれはー、握力測ってた。お互いの。青葉が『握力なら負けません』とか言うから」
「あいつ……ならやりそう。変なきっかけで」
「へぇ……変な人っすね」
「うん。変なんだ。あの人」
ごめん、青葉、と頭の中で謝ってしまった。……なんとなく、変と思われたままなのは嫌だったので、弁解もしておくことにした。
「でも、良い人なんだよ。このお弁当、私のために作ってくれたんだ」
「へぇ……男の人が?」
「うん。美味しいよ」
「一口もらっても良いっすか?」
「嫌」
「え、い、嫌なんですか美琴さん?」
思わず口を挟んでしまったにちかだが、美琴は「当然」と言わんばかりの様子で頷く。
「だって、私が食べる分、減っちゃうし」
「え……意外と小さいっすね……そんなに美味しいんすか?」
「美味しいよ。あげないけど」
言われて、あさひは真顔のまま美琴を眺める。何? と、視線で問うと、あさひは「あっ」とにちかを指差した。
「後ろ、蜂っす」
「えっ⁉︎」
「にちかちゃん、落ち着いてこっちおいで」
「は、はい……!」
慌てる事なく、慎重に美琴の方に移動し、美琴は蜂がいると思われる方向に視線をやるが、そこには何もいない。
「あさひちゃん、蜂どこ?」
尋ねると、あさひの左頬がリスのように膨らんでおり、代わりに自分のお弁当のミートボールが減っていた。
「確かに絶品っすね!」
「……はぁ、もう……」
普段の冬優子やプロデューサーの苦労を見ていればわかるが、本当に自由な子だな……と、呆れ気味に鼻息を漏らす。
まぁ、食べられてしまったものは仕方ない。怒るより活かした方が良い。
「分かってると思うけど、今の話、他言厳禁だから。絶品のミートボール食べた以上は秘密にしてもらうから」
「了解っす!」
「まったく……数少ない栄養源なのに……」
「そ、そうだよ、あさひちゃん。美琴さんにとって、青葉のお弁当は生命線なんだから」
「? どう言う事っすか?」
理解していないように小首を傾げたので、美琴は続けて言った。
「私、料理しないし、その私のために手軽な栄養食以外のものを用意してくれる貴重な人なの。だから、手放すわけにいかないってだけ」
「自分で作れば良いんじゃないっすか? 作れないわけじゃないんすよね?」
「……」
まぁ、それはその通り……というか、意識して「料理しない」と言う言い方をしたわけではないが、よくそんなところに食いついてくるものだ。
とはいえ、別に隠すようなことではないので言った。
「私が作っても美味しくないから。美味しくないなら、ウ○ダーとかでも良いし」
「じゃあ……美琴さんはその人と結婚するんすか?」
「……え?」
「ふぁっ⁉︎」
なんか急に話がぶっ飛んだ。思わずにちかも声を張り上げてしまうほど。
「な、なんでそんな話になるの⁉︎」
「え、だって……要するに美琴さん、その人のこと手放したくないんすよね?」
「……え、そんなこと言った?」
「違うんすか? なんかそんな感じかなって思ってたんすけど……」
そんな言い方をしたつもりはない……が、その方が問題な気がして来た。何せ、無意識でそう聞こえるような言い方をしてしまった、と言う事だから。
なんだか気恥ずかしくなり、少しだけ頬を赤く染めた。というか……実際、あの人がいなくなったら自分はどうするのだろう? 今更、ゼリー飲料の味に戻れるだろうか?
いや……そうでなくても、なでなでやら何やらを失った後とか、少し考えたくない……。
「……」
でも……結婚とか急に言われても……あれ、でもするしかない? いや、世界は広いし、青葉はまだ高校生だ。焦ることは無い。青葉が結婚できる年齢になるまでに、似たような人がいないか探せば良いし、というか……そもそも結婚なんて考えていない。
「美琴さん」
「ん?」
すると、隣のにちかが声をかけてきた。やたらと真剣な表情で。
「青葉と結婚なんてしないでください……! 他の男ならまだしも、青葉はダメです……!」
「どうして?」
「憎たらしいからです、あのアホが」
「……」
まぁ、それは置いといても、元々結婚なんてする気はない。
「いや、しないよ。流石に」
「……なら良いですが」
「じゃあ、私もう行くっすね」
「うん。……もう一度、釘を刺しておくけど、誰にも言わないようにね」
「了解っす!」
本当に自由な子で、そのまま屋上を出て行ってしまった。
まぁ、結婚なんて自分には縁のない言葉だ。何せ、料理はしない、部屋の掃除も程々、ゴミの分別は毎回、青葉に怒られるし、そもそも家にいる時間が勿体無いと考えるタイプだ。
……まぁ、最近は少しだけインテリアに興味も出て来たわけだが、とにかく家に帰って来た夫を温かく出迎えてご飯とお風呂の用意を済まして労う……なんて事をするつもりはない。
その自分に、にちかがジト目で続けて言ってくる。
「……本当に結婚とかないんですよね?」
「ないよ。私がエプロン姿で夫を出迎える、とか想像出来る?」
「想像してみたら超可愛かったわけですが……」
「え、そ、そう……?」
むしろ、にちかを好きになっちゃうかも……なんて思っていると、にちかは「でも」と続けた。
「夫が専業主夫、美琴さんが働きに出る……ってパターンもあるかもしれないじゃないですか」
「……」
……なるほど、と美琴は顎に手を当てる。アイドルとしての仕事を終え、疲れた体に鞭打って自主練も兼ねて家に帰ると、エプロンをした青葉がおたまを持って出迎えてくれ「ご飯にする? お風呂にする? ……それとも、ナデナデ?」なんて言ってくれる……。
「…………それなら結婚もアリかも……」
「美琴さん⁉︎」
「あ、じ、冗談だよ……」
「……」
まずい……つい口走ってしまった所為か、すごく睨まれている。なんとかして誤魔化さないと……と、思いつつ、とりあえず誤魔化すことにした。
「そ、そういえば、にちかちゃん。さっきもらったチケットだけど……熱海伊豆山温泉ホテルだって」
「……へぇ、そうですか」
「あと二人誘えるけど……青葉も誘って良いかな?」
「……どうぞ。あと一人はお姉ちゃんでも良いですか?」
「うん」
少し釈然としてなさそう……だが、もうこのまま誤魔化すしかない……あ、そこで思い出した。
「伊豆熱海と言えば……一緒に海水浴とかも出来ちゃうかもね?」
「……!」
あ、反応した。やはり子供だ。
「海水浴……つまり、美琴さんの水着を間近で……」
うん、まぁそう言うことなわけだが……あれ、にちかって男子高校生? と少し不安になったりした。
……あれ、でも青葉も一緒ってことは……そっか。青葉に自分のプライベートな水着姿を見られるわけか……。
少しだけ……楽しみと思う反面……何故か、新しいものを買っておこうという気になった。
「にちかちゃん」
「なんですか?」
「今度、一緒に買いにいこっか。水着」
「マジですか⁉︎」
「マジ」
約束した。少しでも良い水着を買おう。……男の子なら、どんなのが好きかな……と、思いながら、食事を続けた。