にちかに美琴様だけは絶対に渡さん。   作:バナハロ

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羊頭狗肉
生活力と見た目は関係ない。


 なんか、臭う。そんな風に思ったのは、それから一週間ちょい経過した日曜日だった。

 しかし、それはおかしい。何故なら、自分は部屋を週一で掃除しているからだ。不潔なのは好きではない。

 今は隣に美琴も住んでいるし、それは尚更だ。なので、どこから臭いがするのか、とても気になっていたままバイトに出ていた。

 

「ふーん……異臭ねぇ……」

 

 そんな相談を、同じようにバイト中のにちかに漏らしてみた。

 

「知らないけど、どうせどっかにネズミの死骸でもあんじゃないの?」

「何その発想。マンションの五階にそんなもんいてたまるかよ」

「だって他に考えられないでしょ」

「考えられるわ。トイレの詰まりとか、野菜のダストシュートとか、ゴミ箱とか……」

「でもその中になかったんでしょ?」

「まぁ……」

「じゃあ死骸」

「やめろ。怖ぇーよ」

 

 ため息をつきながら、棚にCDを並べていく。実際、あの臭いは不愉快だ。別に潔癖症というわけではないのだが、四六時中その臭いが漂って来ると流石にキツい。

 既に、もう6月中旬で梅雨の季節。風向きによっては窓も開けられない季節では、中々厳しい。

 ……というか、窓を開けても漂って来るってどういう事なのだろうか? 

 

「あ」

「何?」

 

 何か思いついた、とでも言うようににちかが声を漏らす。

 

「あれじゃない? マンショントラブルってヤツ」

「あー……音がうるせーとか? 臭いの話だぞ?」

「や、最近は結構ズボラな人が多いんだって。この前、テレビで見たよ。隣の部屋の人がゴミを溜め過ぎて、アリとかGとかが自分の所まで来ちゃうんだって」

「え、何それ。クッソ有害じゃん」

「だからトラブルになるんだって。その害虫を集めてる部屋の人も自分が不潔だって認めたくないから、必死に隠そうとするらしいよ」

「そんな奴は死んじまえば良いのにな」

「青葉のとこもそれじゃないの? 青葉、綺麗好きだし、あり得ない話ではないでしょ」

「あー……どうだろ……」

 

 と、言いかけた青葉はハッとする。隣に住んでいるのは美琴。そしてもう反対側には誰も住んでいない……つまり、そんなの美琴しかいない。

 

「そんなことはあり得ない。何も知らない奴が知った風な口を叩くな」

「え……何その断言……ていうか、隣に誰か引っ越して来たんだ」

「え? あ、ああ。まぁな」

 

 そういえば、まだにちかには隣に誰か引っ越して来たことを言っていない。だって美琴だから。言えば、自分は惨殺される。

 

「そんなに庇うってことは……もしかして」

「っ……!」

「めっちゃ美人な年上のお姉さんとか?」

「……」

 

 大当たりである。検索件数は変わっていないが。とりあえず頭の中でホッと胸を撫で下ろしておいて、頷いた。

 

「うん……まぁね」

「でも、美人なほどズボラだからな〜。お姉ちゃんも家だとスーツのまま寝ちゃうし」

「それは疲れてるからじゃねーの? また、家事でも手伝いに行こうか?」

「助かる。私の部屋も掃除して?」

「それはテメェでやれ」

「えー、良いじゃんー。私、最近忙しいし」

「え、またバイトのシフト増やしたの?」

「え? ……あー、ううん。ちょっとね」

 

 もしかしたら、別のバイトでも始めたのかもしれない。大家族の七草家だし、はづきも毎日のように働いていて、家ではスーツで寝るくらい疲れているみたいだし。

 作業をしながら、隣のにちかが話を逸らした。

 

「でも、そういうのって、美人だからどうとかじゃなくて、普通に言った方が良いと思うけど? 実害が出てるわけだし、マンションの管理人さんも困るんじゃない?」

「違う。多分、俺の部屋のどこかでネズミが死んでる。お隣さんの所為じゃない」

「なんでそんなに頑ななの……」

 

 美琴の所為に、なんて出来るはずがない。そんな事をするくらいなら、首に電動ドリルを当てても良い。

 

「そういえば青葉。最近、またうちにご飯、持って来てくれたでしょ」

「え? あ、ああ。ちょっとカレー作り過ぎたから」

「それ、食べたけど……珍しいよね。ピリ辛作るとか」

「え……そ、そう?」

「そうでしょ。甘口しか食べれないお子様じゃん」

「……」

 

 そう言えば、その通りだ。お陰でお子様という憎まれ口に反応する余裕も無かった。

 

「ま、まぁ俺もそろそろ……大人の味、ってやつを知っとこうと思ってな……」

「ふーん……ま、どうでも良いけど」

 

 とりあえず、ほっとする。バレたら終わる。

 しかし、辛いカレーというのは本当に作るの大変だった。スパイスとかたくさん買って、バランス良く調合して……で、その上で種類が種類だけに棚の中にしまうのも大変だったので、今週はゴミが多かった気がする。

 

「……」

「どしたの?」

「や、なんでも……とにかく、もう少し部屋の中を見て回ってみるわ。もしかしたら、何かの死骸があるかもしれないし」

「それあったらあったで怖くない?」

 

 なんて話しながら、バイトの時間を過ごした。

 

 ×××

 

 帰り道、今日も夜なのでにちかを七草家まで送ってから、青葉も帰路についた。

 異臭の原因……心当たりがあった。というより、一瞬だけ美琴を疑った。と、いうのも、まだ一週間ちょいだから偶然と思いたい所だが、ゴミ出しをしている美琴を見たことがなかった。

 洗濯を三日に一回はしている青葉だが、その最中も隣の部屋の竿に洗濯物が掛かっているのも見たことがない。

 異臭の原因……もしかしたら、なんて思ってしまった。だが、そんなはずはない。何せ、自分が憧れた女性だ。

 

「……大丈夫、大丈夫……」

 

 そう譫言のように呟きながら、マンションに到着した。今日は、店長が自分とにちかが作った棚のおかげでCDが大きく売れたので、ケーキを買ってくれた。それを食べるのが非常に楽しみである。

 そんな事を思いながら、自動ドアの奥に抜けて、エレベーターの前に向かう。

 すると、エレベーターの前には緋田美琴も立っていた。

 

「ん……あ、一宮くん」

「あ、こ、こんばんは……」

「うん。遅いんだな?」

「バイトしてて……」

「そうなんだ。お疲れ様」

「い、いえ! 美琴様もこんな時間まで……!」

「さん」

「あ、はい……み、美琴さんもこんな時間まで……レッスン、でしょうか? お疲れ様です」

「ありがとう」

 

 挨拶すると、エレベーターの前に並んで待機する。こうして横に並んでいるだけで、良い香りが隣から漂って来る。

 やはり、こんなお姉様の部屋が臭いわけがない。おそらく、自分の部屋にネズミでも侵入したが、あまりに部屋が綺麗過ぎて核反応を起こして死んだのだろう。

 そう判断していると、エレベーターが来た。そこで、思春期の男子は気がつく。エレベーターに乗ると、まず密閉空間に二人きりになってしまう。

 

「……お、俺……階段で行きます」

「? どうして?」

「き、鍛えてるので!」

「ふふ、そっか」

 

 笑顔でそう呟かれ、相変わらずの美しさに頬を赤らめて逃げるように階段を駆け上がった。これで、明日から部屋に戻る際は毎日、階段で上がらざるを得なくなった。鍛えてる、なんて言ってしまった以上は、鍛えないと嘘になる。美琴様に嘘をつくなど、あって良い話ではない。

 シュタタタタッと高速で五階まで駆け上がり、到着する。エレベーターはもう到着していて、美琴の姿はない。正直、また会えるんじゃないか、なんてちょっとだけ期待していた自分がいたが、まぁ仕方ない。

 さて、とりあえず今日は寝て、明日は死骸があるかどうかを探さなくては……なんて思いながら、玄関を開けようとしたときだ。

 悍ましい臭いが届いた。思わず鼻と口を覆ってしまう。涙が出そうになるほどの臭い。え、近くでリアルバイオハザードでもやってんの? と言わんばかりの臭気だ。

 

「っ……⁉︎」

「あ、一宮くん」

 

 そんな中、声が掛けられた。顔を向けると、美琴が自分の部屋の扉を開けて立っている。

 

「……どうしたの? 口元覆って。具合悪い?」

「っ……い、いえ……」

 

 今朝はこんな強烈じゃなかった……まさかとは思うが、本当に自分の部屋に死骸があるのか……それとも、美琴の部屋の扉が開いているからか。

 それでも根性で「美琴の前で口元を覆うのは失礼」と判断し、手を外す。

 何一つ理解していない美琴は、相変わらずのクールな笑みを浮かべながら、手元にタッパーを握って持って来た。

 

「そういえば、この前のカレーのタッパー、まだ返してなかったよね?」

「……あ、はい」

「これ」

 

 言われてそのタッパーを受け取る。一週間後に返されても……と、思わないでもないが、とりあえず気にせず受け取る。

 ふと、そのタッパーを見下ろす。見て一発でわかった。洗ってはあるが、水洗いだ。角にカレーの残りが染み込んでいる。

 

「……」

「一宮くん?」

 

 ……もう、認めざるを得ない。この人、掃除が出来ない。

 残念に思う前に、何とかしないと、という風に思った。今はまだ隣の自分だけだが、上下の住人にも気付かれる。

 

「美琴様、いや美琴さん」

「ん?」

「部屋を掃除、させてください……!」

「え、どうして?」

 

 分かんないのかよ、と思っても飲み込む。

 

「俺に見られたくないものがあったら洗濯機に放り込んで下さって結構ですし、俺が掃除している間は手に鈍器を構えていても良いので、お願いします……!」

「良いけど……部屋、別に何もないよ?」

「なら尚更、掃除しやすいです。とにかく、お願いします……! 変な事したら通報しても良いし、盗撮が怖かったらスマホとか預かってくれた上で、持ち物検査をしても良いのでお願いします!」

「なんでそんなに必死なの……?」

 

 そりゃ必至にもなる。実害もあるし、美琴にも害は出るだろうし。

 

「……まぁ、でもそこまで言うなら……」

「ありがとうございます!」

 

 掃除をする側がお礼を言うという愉快な絵になりつつも、青葉はまず下準備に移ることにした。

 手元にある紙袋を美琴に手渡した。

 

「では、これを下の階の方にお願いします」

「? 何これ?」

「こんな時間に掃除なんてしたらうるさいし迷惑なので、菓子折りです」

「……ケーキ? 食べて良いの?」

「いえ美琴さんにじゃなくて、下に住んでる人に、です」

 

 本当は後でゆっくり食べるつもりだったのだが仕方ない。下の階の人は一人暮らしなので、ケーキも一切れ分で十分だ。

 

「なんで私が?」

 

 誰の部屋だよ、というのを飲み込んで理由を言った。

 

「あなたの部屋掃除を見知らぬ俺がしてるってバレないためですよ」

「あ、なるほど」

 

 ケーキを受け取り、階段を降りる美琴を横目で見つつ、まずは自分の部屋に引っ込んだ。

 まずは着替え。ジャージに着替えた上で、マスクを装着。雑巾、洗剤、松井棒、毛叩き、40リットルゴミ袋、バケツを用意した。掃除機くらいは部屋にあると信用し、それらを持って美琴の部屋に入る。

 憧れの女性の部屋、という事で緊張したが、それらを全て臭気が打ち払う。

 意を決して扉を開けると、紫のオーラが見えそうなほどの臭いが襲いかかってきた。

 そして、視界に入るのはゴミ袋の山。廊下の半分を支配するように山積みにされているそれは、見るだけで挫けそうだ。

 

「っ……や、やるしかない……!」

 

 気合を入れるように胸を叩いて、突入した。よくよく見たら、ゴミ袋の中は全然、分別されていないし、袋の外にゴミ処理センターの人からの貼り紙が貼られている。おそらく、分別が原因で持って行ってもらえなかったのだろう。

 固まる……が、己の変態スイッチをオンにする。美琴の生活ゴミに塗れられるのならご褒美だ。

 

「うへへ……!」

 

 ニヤリとほくそ笑みながら、まず窓を開けてから処理を開始した。

 分別は後回し。とりあえず、ほったらかしになっているゴミを袋に詰める。コンビニ弁当やカップ麺、ゼリーにプロテインなどばかりだが、ちゃんと燃えるゴミ燃えないゴミ、そこからさらに細かく分けていって、両手を高速で動かしていく。

 

「ケーキ、渡して来たよ」

「ありがとうございます!」

 

 お礼だけ言って、リビングから処理をしている時だ。カサカサカサっ……と、何か小さな影が見える。

 長い触覚、六本の足、小判のようなフォルム……なんだろう、なんて思うまでもない。

 

「〜〜〜っ! ゴッ……グ……!」

「? ああ、また出た」

「また⁉︎」

「えいっ」

 

 直後、美琴は無表情でスリッパでそれを叩き潰す。その男らしすぎる仕草もまた素敵だったが、潰したスリッパを燃えないゴミの袋に入れられてしまう。

 

「ちょーっ! スリッパは燃えるゴミですよ!」

「? ……あ、分別とかちゃんとするんだ」

「そりゃしますよ! じゃないとゴミ、持っていってもらえないんですよ⁉︎」

「……‥それで私のゴミだけやたらと残ってたんだ」

「……」

 

 聞かないようにした。とりあえず、潰された亡骸をティッシュでくるんでゴミ箱に放り、さらにゴミ処理を続ける。

 そのまま、およそ30分。あまりの手際の良さで、落ちているゴミは全て袋に放り込み終えた。

 

「よし……まず第一段階」

「すごい……久々にリビングの床見たかも」

「……」

 

 大丈夫、まだ全然平気。むしろ美琴が使い終えた割り箸とか見て少し興奮した。

 続いて、今度は床や机、壁や窓などだ。そのためには、袋が邪魔だ。

 なので、一度ゴミを外に出すことにした。大丈夫、自分の部屋の前なら他人の迷惑にはならない。

 部屋から出すついでに、燃えるゴミの袋、燃えないゴミの袋、ミックスされている袋など種類ごとに置く場所を分けていく。

 

「……手伝おうか?」

「いえ、大丈夫です」

「トレーニングになりそうだし……」

「分別わかります?」

「……待ってるね」

 

 ゴミ袋を外に出し終えたので、引き続き部屋の中。よくもまぁ一週間でここまで汚せるものだ、と思う程度には汚かったが、逆に一週間にしては、というレベルなので問題ない。

 まずは高い所から。埃を床に落とし、洗剤を使って窓を拭き、壁も拭き、続いて机や椅子などを磨き、最後に床。

 

「美琴さん、掃除機ありますか⁉︎」

「え、どうだろ……どっかあると思うけど」

「……」

 

 おそらく寝室か、或いは買うだけ買って使われていない家具を押し込んでいる倉庫の中か……どちらにしても、探すだけでも苦労しそうだ。

 

「取ってきます……!」

 

 自分の部屋の掃除機をとりに行った。

 目に見えるゴミを吸った後は、雑巾で床を拭く。とにかく、とにかく手と足を動かし続け……ようやく人が住める程度に綺麗になったのは、1時間半経過したあたりだった。

 

「はぁ、はぁ……はぁ……」

 

 疲労のあまり、床の上で大の字になって寝転がる。マスクを外し、呼吸を整えた。ようやく、呼吸をして良い空間に思える程度には綺麗になった。

 しかし、汚かった……こんな時間に、しかもバイトの後にこんな重労働するハメになるとは……いや、自分からやらせてくれ、と言った事だが、それにしても疲れた。明日は昼まで寝てしまいそうだ。

 だが、まだ終わりではない。ミックスされたゴミを分別しないといけないから。

 

「……わぉ、すごい。綺麗になってる」

 

 そんな中、声が聞こえる。顔を上げると、ジャージ姿の美琴が首からタオルをぶら下げてずぶ濡れの様子で立っていた。

 外は雨なのに、トレーニングに行ったのだろうか? 何にしても、せっかく掃除した廊下の床が濡れてしまう。

 

「美琴さん……床、濡れてる……」

「水くらい平気でしょ」

「いや木製の床ですから! ダメになっちゃいますよ!」

「あ、そっか。じゃあ……シャワー浴びてくる」

 

 自分から「掃除したい」と言ったので「そもそも人が掃除してる間にトレーニング行くな」という苦言は控えておく。

 これからシャワー浴びるなら、自分は部屋に戻った方が良い……が、その前に気が付いた事がひとつ。この人、手料理もしない。コンビニ弁当ならまだマシだが、カップ麺とゼリー飲料の割合がやたらと多いのは許されない。

 

「美琴さん……」

「ん?」

「もう晩御飯食べました?」

「うん」

「……何を?」

「カ○リーメイトとプロテイン」

「……台所借りますね」

「え、いやいいよ。大変でしょ? バイトの後に掃除してくれて」

 

 なんでそんなに他人事なのか。勝手に掃除させてくれ、と言った立場とは言え、誰の所為だと思っているのか。

 

「慣れてるので大丈夫です……!」

「でも、もう食べたし……」

「いいから食べなさい!」

「わ、分かったよ……?」

 

 つべこべ言わさなかった。おそらくバスルームに入る美琴を眺めつつ、青葉は渋々、立ち上がって冷蔵庫を開ける。

 

「……は?」

 

 何もなかった。スポドリとゼリー飲料くらい。あ、栄養ドリンクもあった。

 これもう冷蔵庫いらないじゃん……と、思う程に閑散とした中身だ。

 しかし、飯を作ると言ってしまった。なので、自室から食材を持ってきた。残念ながら、カレーは練習し過ぎて食材を切らしている……というか、時間も時間なので軽く炒め物にすることにした。

 食材をいくつかを持って、あとフライパンや菜箸、鍋など料理器具があるか怪しいので、それを持って美琴の部屋へ。後になって「自室で作ったもの持ってきゃよかったのでは?」と思ったのは内緒だ。

 そのまま、炒め物と並行作業で味噌汁も作っていると、ペタペタと歩く音がする。

 部屋に入って来るなり、美琴の湯上がりシーンが見えた。

 

「ふぅ……さっぱりした……良い香り」

「ありがとうござ……」

 

 褒められて、少し嬉しくて実際、お礼を言いかけた口が止まった。湯上がりしたばかりの美琴が、なんだかとても色っぽく見えてしまったからだ。

 今の今まで、掃除中とあまりの部屋の汚さにデバフが掛かっていた美琴の美人オーラにギャップを添えたバフがついた。

 思わず、ポーっと頬を赤く染めてフリーズしてしまう。

 

「? どうかした?」

「っ……い、いえ……あ、美琴さん。お皿はどこにありますか?」

「あ、うん。今出す」

「お願いします」

 

 そればっかりは何処にあるか分からないので、理由にして目を逸らす。忘れていたが、憧れのアイドルなのだ。色っぽく見える姿で立たれると、元に戻ってしまう。

 出してもらったお皿に、盛り付けると、続いてお椀にお味噌汁を注いだ。

 

「どうぞ」

「ふふ、美味しそう」

 

 机で待っている美琴の前にお皿を置くと、用意したお箸で箸を伸ばしてくる。

 しかし、青葉はそれを自分の方へ引いて避けた。

 

「え……」

 

 ぐうぅぅ〜……っと、お腹の音を鳴らすと共に絶望的な顔になる。胸は痛むが、言わなきゃいけないことは言わないといけない。

 

「……約束してください。今後、掃除か料理、どちらかはキチンとすると」

「え……どうして?」

「困るからです! 色々と!」

「面倒臭い」

「直球ですか!」

「だって、そんな暇があるならトレーニングやレッスンしたいし」

「そんな暇って……そもそも家事は暇だからするものではなく、生きる上での人間の習性としてあるべきものです!」

「……お腹すいちゃったな?」

「ザクッ……か、可愛らしく小首を捻ってもダメです!」

 

 食材を取りに行った時から決めていた。香りが強いものを調味料に使おうと。そうすれば、普段ロクなものを食べていない人の嗅覚を刺激できる。普段の美琴なら「じゃあそれいらない」となっていたのかもしれないが、今なら香りが良過ぎてこれを食べたくて仕方なくなっているだろう。

 

「じゃあ……一宮くんがやってくれない?」

「は?」

「今日みたいに。掃除も、料理も」

「……」

 

 この人は本当に何を言い出すのか。

 

「もちろん、タダとは言わないから……」

「だ、ダメです! ファンがお金もらってアイドルの部屋に来て家事なんて……許されません!」

「むぅ……強情」

「いやお金払ってまで家事したがらない人に言われたくないです!」

「うーん……じゃあ、こういうのは?」

「……なんですか」

 

 何を言い出すのか分からないので、最低限の警戒心を募る。美琴は立ち上がると、床に腰を下ろして正座をした。

 嫌な予感がして、すぐに冷や汗をかいた。

 

「っ、や、やめて下さいよ。土下座なんて……!」

「良いから、おいで」

「?」

 

 おいで、ということは、自分に何かするつもりだろうか? 少し何をされるのか警戒しながら美琴が手で指し示す場所に立つと、手を差し出された。

 頭上に「?」を浮かべながら手をとった直後、グンッと引っ張られた。まさか物理的且つ強引な手段に出られると思っていなくて、バランスを崩してしまった。

 転ばされ、頭が柔らかいものの上に落ちる。二つある、柔らかくも張りがあるそれは、幼い頃にはづきに何度もしてもらったのですぐに分かった。

 太もも……つまり、膝枕。さらに添えられる、頭の上の柔らかい手……撫でられている……! 

 

「リッ……ク、ドム……!」

「これは、今日の分の報酬」

「グフッ……グフフ……」

 

 柔らかいとか気持ち良いとかでも心臓爆速すぎて一生眠れないとか、頭の中でグルグルと煩悩が渦巻く。それはそうだろう、憧れのアイドルの膝枕である。死んじゃう。

 

「……引き受けてくれたら、もっとイイコト……してあげちゃう」

「っ⁉︎」

 

 それはつまり、セック……あ、いやそれは別にいい。えっちなことしたい訳ではない。

 青葉が美琴としたいイイコトと言われると……同じバイト先で仕事について揉めたりとか、好きなアイドルについて語り合ったりとか、お互いの小さなことで相談し合ったりとか……いや、その辺は美琴の報酬として馴染まない。バイトとか絶対無理だし。

 他だと……一緒に映画見たり、ゲームしたり、お祭りとか海とか初詣とか行ったり。

 そんな事が、許されて良いのか? 良いのだろうか⁉︎ いや、良くない! ファンとアイドルの関係で、隣人同士でバレようがないからって有り得ない! 

 しかし……! 

 

「私のために……一肌脱いでくれる?」

 

 膝枕の上から繰り出される甘い声音が、少しずつ青葉の理性を溶かしていく。ダメなのは分かっているのに「お言葉に甘えちまえよ」という悪魔が囁く。

 

『大丈夫だって。バレやしねーよ。このマンション、エレベーターとフロントと裏口、非常口、屋上にしか監視カメラはねえし、大丈夫だってマジで』

 

 そういう問題じゃない。というかこの悪魔、監視カメラの位置についてやたらと詳しいな。そりゃそうだ。オタクだってバレないように、監視カメラを意識してグッズを買って来たから。

 というか、天使はまだ来ないのだろうか? 

 

『お待ちなさい!』

 

 やっとだ。ヒーローは遅れてやってくるというものだ。君の意見を聞こう。

 

『あなたはこのまま美琴様を放っておけるのですか? 実際、取り引きを断ってしまえば、彼女はまたあのダメダメな私生活に逆戻りですよ?』

 

 どっちの味方なのだろうか? と思いつつも、それは確かにある。そうだ、報酬に気を取られていたが、元はと言えばその話。自分の部屋にも実害が出かねない以上、受ける他ないのだ。

 問題は、報酬だ。そこだけに目線を向ければ良い。自分が望む報酬のどれもが、ファンとして越えるべきでない一線を超えている……つまり、答えは決まっているのだ。

 この膝枕も、もう二度とない。だが、普通は一度もない。名残惜しくとも、溶かされかけていた理性を再び冷やして固めると、鋼の意志を持ってして膝から退いた。

 

「報ッッッ酬は、無しで良いのでッッ……料理も掃除も、やらせていただきます……!」

「え、良いの?」

「……で、でも……流石に食材と、掃除にかかる費用はッ……美琴さんに持っていただけると……!」

「勿論」

 

 結局、甘やかしただけのような気がする……そう思ってしまったのを飲み込みながら、とりあえずおかずを差し出した。

 

「どうぞ……」

「ありがとう。じゃあ、いただきます」

 

 ちょっとだけ冷めてしまった炒め物とお味噌汁を、美琴は食べる。

 結局……自分はしばらく美琴の為に掃除や料理をするだけになってしまった。今のままずっとここで暮らすなら良いが、結局それは美琴の為にならない。付き合っているわけでもないのに、なんで掃除に料理をしてあげないといけないのか……もし、両親が海外から戻って来たとき、どうするのか。

 考えれば考える程「美琴に言い包められた」という、気持ちが沸々と湧いてくる。

 

「……」

「一宮くん」

「?」

 

 肩を落としている自分に、美琴が声を掛けてくる。何? と視線で問いかけながら顔を上げると、いつも挨拶する時の笑みより少しだけ幸せそうな表情で言った。

 

「美味しいね、一宮くんの料理は」

「っ……」

 

 でもまぁ、推しがこんなに幸せそうな顔してくれるならいっか、と思考を放棄した。

 

 

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