一応、今回の旅行は温泉旅行なので、翌日もまず早朝から温泉に入る。勿論、男女別で。これ、第1ポイント。
その後で、朝食を食べた。今回の旅行の食事の席では、ほとんど隣の席は男女別。美琴の正面の席に座るのはプロデューサーだったりで、少し会話しづらかったりする。これが第2ポイント。
その後は、男女別の部屋に分かれて外出の準備。この当たり前だけど部屋が別になっているのが地味に第3ポイントである。
そして、いざ2日目の海へ。せっかく水着に着替えたのに、思春期の少年が照れで慣れるまで直視出来ないのが第4ポイントになり、その後の観光、スタミナ切れの虚弱少年が一人で足湯に浸かって第5ポイント。
帰りの車の中では、後ろの席に女性陣、前の席に男性陣で第6ポイント……これが、2日連続で続いたわけだ。
にちかを先に家まで送ってから、今度は二人が住んでいるマンションに寄った。
「じゃあ、一宮くん。美琴。今回はありがとうな」
「いえ、俺がお招きしたわけではないので」
「じゃあ、またね。プロデューサー」
挨拶だけして、二人はそのままマンションの中へ入った。その間、無言。少し気疲れしたのか、何も話すことなくエレベーターに乗り、五階まで上がる。
そして、何も言わないまま二人で美琴の部屋に入った直後……美琴は頭を屈め、青葉は両手を広げ、めっちゃ頭を撫でられ、撫でまくった。
「よーしよしよしよし!」
「んっ……久しぶり……!」
ようやくの解放感が、二人を派手になでなでさせ続けた。髪形が崩れる勢いで撫でられるが、そんなもの美琴はお構い無し。
喉を撫でられている猫のように気持ち良さそうな表情でされるがままになって、青葉の肩に額を置いておいた。
「……ずっと待ってた。これ……」
「俺も、その……こうしてたかったです……ずっと」
「ふふ、いつになく素直じゃん」
「俺はいつも素直です」
「嘘。何かに我慢して、中々要望は言わない癖に」
「……そうですね」
そういう意味では素直ではないかもしれない。まだ帰ってきて、靴を脱ぐことさえせずに撫で撫でしながら、そんな事を話す。
「でも、私はそういうとこも好きだよ」
「っ……き、急になんですか」
「ん……それより、撫でて」
「……は、はい……それより、中上がりません?」
「そうだね」
そのまま、二人で靴を脱いでリビングまで歩く。そのまま青葉がソファーに座ると、美琴は隣の青葉の膝の上に座った。
「おっ、と」
「重い?」
「……すみません。非力なもので」
「ふふ、正直者。じゃあ、足開いて。間に座る」
元々、近すぎる距離にいたこともあってか、二人とも触れ合えなかった時間が(たった二日とはいえ)長過ぎてオーバーヒートしていた。
青葉の前に座った美琴を後ろから抱き締めつつ、背中に顔を埋めて頭を撫でる。
「よしよし……昨日から今日まで、よく耐えました」
「にちかちゃんとずっといて、青葉とあんまり話せなかったから」
「にちか、みっちゃんのこと大好きですから。あんまり邪険にしないであげて下さいね?」
「……今も、にちかちゃんに優しいんだ」
「はっちゃんに、色々と頼まれてますからね」
「でも、甘やかすなとも言われてるよ?」
「難しいんです。その境界線」
難しい上に明確な答えはなく、曖昧なものが多い。にちかが今後、どうアイドルとして頑張っていくのかは知らないが、もしかしたら辞めることになった時、勉強もしておいた方が良いのは分かるし、それには宿題を写させるのは良くないこともわかる。
でも、やはり放っておけないのは、性分なのかもしれない……なんて思っていると、撫でてない方のお腹に回している手をきゅっと握られた。
「じゃあ……私ももう少し、甘やかして欲しいな」
「朝ご飯、お弁当、夜ご飯、撫で撫で以外になにをご所望で?」
「家計簿」
「え?」
「家計簿。私もつける。……次は、青葉と二人で出かける時のためのお金、貯めておきたいから」
「……」
驚いた。まさか……前に一度、言った事があるとはいえ、美琴がそんな風に言い出すとは。
いや、それ以前に、だ。それを実感したということは……もしかして、お金ないのだろうか?
「生活費、大丈夫ですか?」
「大丈夫。多分。でも、大丈夫じゃなくなるかもだから……」
「やるなら、やり方を教えるだけです。他人のお金まで管理するつもりありませんよ」
「む……やっぱり私には厳しい?」
「いや流石に結婚してるわけでもないのに、お金の管理はちょっと……」
「……」
それは普通の恋人同士でもやることではないだろう。流石に責任が重い。
「じゃあ……教えてもらおうかな。夏休みの宿題、にちかちゃんにも教えてるんでしょ?」
「まぁ、はい」
「私にも教えて。お勉強」
意外とやる気なのが驚きだが、まぁ自分も毎朝ランニングに付き合ってもらっている身だ。断る理由がない。
「分かりました。いつにします?」
「明日……は、私が仕事だし、明日の夜」
「……疲れて帰ってきて大丈夫ですか?」
「大丈夫。……誰かが労ってくれれば?」
言いながら、美琴は真後ろに体重をかけた。背もたれになった青葉の顔を避けて肩に頭を置き、真横からチラリと青葉を見る。
普段の青葉なら、膝の上に乗ってきていた段階で爆発しているところだが、今日は違った。久しぶりブーストで、精神的にも少し強くなっていた。
「……分かりました。でも、やっばりやめたは無しですよ?」
「ん」
返事をした美琴は、そのまま身体を横に倒した。ソファーの上で、青葉は美琴と一緒に身体を横にする。狭い範囲の中、美琴の後頭部が目の前にある状態で、身体はモロに密着している。
「どうしたんですか? 頭撫でてる時に、急に倒れると危ないですよ」
「ね、青葉」
「はい?」
「二人きりの時だけで良いからさ……タメ口で、話してくれないかな?」
「え、なんでですか?」
「私より……にちかちゃんとの距離感のほうが近いみたいで、少しだけ羨ましいから」
「……」
普段の青葉なら「いえ、そんな恐れ多いです! 僕が如きチンカスが、美琴さんのような女神にタメ口だなんて! それは神に弓を引く行為に他なりません!」とアホみたいに力説するところだっただろう。
しかし、今日の青葉は美琴に対してさえ、少し軽口が漏れてしまっていた。
「……どうしたの、みっちゃん。今日はいつもよりも甘えん坊ちゃんじゃん」
「ふふ……お母さんのありがたみを思い出したからね……」
「男子高校生にお母さんって言ってる自覚ある?」
「年は関係ないよ。そういう世界で生きてきたから」
芸能界も実力主義なのかな? なんて思っている時だ。くあっとあくびが漏れそうになったので手を当てた。
「眠いの?」
「……まぁ、旅行なんて久しぶりで疲れたし……」
「ふふ、じゃあ……」
呟いた美琴は、体をモゾモゾと回転させて青葉の方に向ける。
「寝ちゃいな? たまには、私がお母さんやるよ?」
「いや俺は別にホームシックとかじゃないんで」
「じゃあお姉さん」
「本当にいるからやめて。姉とこうしてるのなんて想像するだけでも気持ち悪い……」
「でも、お姉さんが帰ったばかりの時は少しだけ寂しそうだったよね?」
「……」
なんてこった、この人割と意地悪い……いや、と言うより、意地悪とかじゃなく反射で言ってる。
そんな気はなかったのだが……まぁ、他人にそう思われたのなら仕方ないと思い、青葉はそのまま美琴の腰に手を回した。
「……でも、ここみっちゃんのソファーだよ」
「後で布団に運んであげるから」
「そうじゃなくて。俺の部屋隣だから」
「気にしなくて良いよ、一泊くらい」
「……そう。じゃあ他人に知られた時の言い訳も考えておいてね」
「ふふ、任せて」
そんな話をしながら青葉は瞳を閉ざし、美琴が青葉の頭を撫でた。
×××
翌朝。青葉が目を覚ました時、まず目に入ったのは美琴の胸元だった。
「えっ」
な、なんでー……なんて思うまでもない。そういえば、昨日の夜……帰ってきて、恥ずかしいテンションのままお互いにお互いを甘えさせあって……終いには、た、タメ口で……添い寝まで……!
「ほぎゃー!」
「え、な……何? びっくりした……」
美琴が目を覚ましてしまったので、慌てて布団から這い出る……が、床に落ちていた消しゴムのようなものを踏んづけて転び、背中を壁に強打する。
「いっづぁっ……!」
「何してるの……朝から……?」
「い、いえ、その……ちょっと、朝イチで死にたくなることを思い出して……」
「? 何?」
死にたくなることって言ってんのに何食わぬ顔で聞いてくるスタイルには驚いたが、そうも言っていられない。昨日話したことは全部、忘れてもらわねば。
「みっちゃん、昨日のことは全部忘れて下さい!」
「二人の時は敬語やめるって約束」
「それを忘れてほしいと願っているのですが⁉︎」
「やだ」
「やだ⁉︎」
「それより、朝ご飯。一緒に食べよう」
「え、いやあの……その前にですね、敬語の件……」
「やめて。敬語」
「有無を言わさねえ! 畜生、なんで俺がちょっとおかしいときに限ってそんな大事な約束をしちまうんだ!」
みっちゃん、と呼ぶきっかけもそうだった気がする。弱味を握るのが上手い……というより、そういう時に限って弱みを握られる自分が憎い……。
なんて、頭の中でぐるぐると回る中、美琴は布団から出て伸びをする。
「朝、なんでも良いからね。仕事だから納豆以外なら」
「あ、あの……‥じゃあせめて昨日の妙なテンションは忘……」
「もう……朝からうるさい……」
「えっ」
そう言った美琴は寝惚けているのか、青葉の方に体重を預けてきた。
「ちょっ……み、みっちゃん……⁉︎」
「あふぁごふぁん……や、ほのふぁへに、ランニングか……」
「そ、そうだけど……何して……!」
何せ、真夏の寝巻きなこともあってかなりの薄着、袖さえない状態のハグだ。胸がもろに自分の胸に当たり、頭が真っ赤になる。
「じゃあ……着替えふぁひほへ……」
欠伸混じりにそう言った美琴は、そのまま離れると立ち上がり、伸びをする。相変わらず半開きの眠たげな眼差しで伸びをした後、青葉の方をふと見下ろす。
その後……にこっと何故か微笑まれて。そのあまりにもだらしないはずなのに美しすぎる仕草に、思わず青葉の胸の奥は高鳴って。
……そして、何を思ったのか、その場で着替え始めようと上半身の服を捲り上げ始めて脳がオーバーヒートして。
「何してんだあああああああああ‼︎」
鼻血が出ているのも気にする余裕なく、慌てて乳首が見える前にその服の裾を真下に引っ張り下げた。
寝ぼけていて力が入っていなかったのだろう。力じゃ敵わないと思ったからこそ、力いっぱい真下に下げたのが仇になった。キャミソールの肩の部分がぐーんと伸びて、胸と胸の谷間が思いっきり顕になる。
「あれええええええ⁉︎」
やばい! と、手を離そうとした時だった。ガッとその手が掴まれる。その掴まれた先にあるのは、緋田美琴(覚醒)。珍しく照れた様子で、顔を真っ赤にしていた。
「あ……み、みっちゃん……」
「……えっち」
「えっ、それ俺が?」
「は?」
今の返しは、自分でも良くなかった自覚があった。気がついたときには、美琴のビンタが炸裂していた。
×××
「す、すみませんでした……」
「いや、私こそごめん……」
話しながら、早朝ランニングする二人は、とりあえずランニングの時は三人で走ることにしたので、にちかの家に向かう。
しかし、美琴には不思議だった。前々から、たまに青葉に薄着なとこを見られること……或いは、ノーブラのまま近い距離にいることもあったが、多少恥ずかしいだけ……いわば、水着の撮影などと同じ感覚だったはずだ。
だけど……さっき寝ぼけが回復した直後に胸の谷間を見られた時は、恥ずかしさのあまり嫌なことを言ってしまった。
何故だろうか、そんな恥じるところでもないのに。
その青葉は、自分に「えっち」からのビンタを浴びた事で、少ししょぼんとしたまま後ろをついてくる。
少し……気まずいな、と思わないでもない。そんな感情、青葉と一緒の時に初めて抱いたかもしれない。
でも、大丈夫。もうすぐ、にちかの家に着く。あの子なら、青葉と喧嘩して空気をリセットしてくれるはず。
「はっちゃん? にちかいる?」
青葉がインターホンを鳴らし、返事があった姉からの声を聞く。しかし、その向こうから聞こえてきた声は……。
『昨日の旅行で疲れたから、今日は無理だってー』
「は?」
『ていうか、脹脛が限界とか言ってるよー?』
……なんで大事な時にあの子は……と、美琴は思わず額に手を当てる。もう本当に困ったものとしか言いようがないレベルだ。
「分かった。ごめんね、朝早く」
『大丈夫〜。じゃあ、走り込みがんばってねー』
この気まずい空気のまま走り込みを再開してしまった。
だが、残念ながら急に発生した気まずい空気というのは長く続かないものであって。
「やばっ……今日、朝から暑すぎ……」
「だ、大丈夫……?」
いつもより早くフラフラし始めた青葉が気になって仕方なかった。
「一度、休んだら?」
「いえ……ただでさえ、みっちゃんにペース落としてもらってるのに……そんなわけにはいきません……」
「敬語」
「ペースダウンは許されるのに敬語はダメなの……?」
「大丈夫、青葉のペースで良いから。私にとって早朝のマラソンは準備運動だから、遅くても大丈夫」
「わ、分かりました……ありがとうございます」
「敬語」
「……」
何度言ったら分かるのか、このバカは。とても成績優秀者とは思えない学習能力の無さである。
「ほら、ゆっくり。息整えて」
「ふぅ、はぁ……よし」
「じゃあ、再開」
「はい!」
「……」
「返事くらい良いだろ……」
そんな事はあったものの、とりあえず二人でそのまま走り切った。
さて、そのままお互いにシャワーを浴びてから、朝ご飯の準備。青葉が作ってくれたカルボナーラトーストを食べながら、美琴は少し幸せそうな声を漏らす。
「ん……青葉のご飯、久しぶり」
「一昨日のお昼もそうだったでしょ」
「やっぱ作りたてとは違うよ」
「……」
ちょっと嬉しそうにしている。ホント、ポーカーフェイスが全然、出来ていない可愛い男の子である。
「今日の仕事は何時までですか?」
「……」
「……じゃなくて、何時まで?」
「夕方。昨日と一昨日、出来なかった分の自主練してくるから、21時過ぎる」
「その後で、家計簿の付け方覚えられるんで……ますか? じゃなくて、覚えられる?」
……不慣れだ。そういうとこも可愛いが。
「じゃあ、明日?」
「明日はオフなんで……なん?」
「いや、夕方まで。自主練しないで帰るよ」
「みっちゃんが一番大事にしているのはアイドルでしょう? 無理にやれとは言いませんけど、我慢しろとも言いませんよ?」
「……」
……ちょっと驚いた。まさか、そんな言い方してくれるなんて思わなかった。正直、この歳になって勉強するくらいならレッスンしたいというのはあった。やるなら休みの日が良い。
「じゃあ……次の休日でも良いかな?」
「勿論」
「ありがとう」
そうと決まるのとほぼ同時にパンを食べ終えた時だ。ふと、時計を見ると出発の時間だ。
「歯磨きしないと」
「皿洗いは俺がしておきますので、磨いてきて下さ……み、みが……磨きなさい?」
「ますますお母さんみたいそれ」
「……」
もし、青葉が結婚してしまったら、その養子になろうかと思ってしまう程度には手放したくなかった……というか、青葉が結婚なんて許したくないまである。
「ね、青葉」
「はい?」
「結婚願望とか……ある?」
「え……な、何その質問」
「……」
「まぁ……どうでしょうか。少し前まではみっちゃんが嫁って言って、金がかかる結婚なんて考えてなかったけど……」
「え……あ、ああ、ファンってこと」
……何故、今、自分は少しドキッとしたのだろうか? と思ったりしてしまったわけだが、まぁ気にしない事にした。
その間に準備をする。歯磨きの後は着替え、レッスンもあるのですぐに落ちる程度の化粧……などと準備を終えて部屋を出ると、ちょうど青葉がキッチンから出てきた。
「……はい、お弁当」
「ありがとう」
こうしていると、推しを「嫁」と呼ぶオタクの気持ちがわかってしまうくらい、甲斐甲斐しい子である。
「……じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい……というか、部屋に俺も戻らないと」
「その前に」
「……はいはい」
玄関で、青葉は美琴の頭に手を伸ばし、撫でてあげる。美琴も実に気持ちよさそうに目を閉じて、それを堪能した後、二人で部屋を出た。
×××
夕方。美琴が言うには、今日は夜までレッスン……との事なので、青葉はそれに合わせて夕食を作ることにする。
自分の夕食は先に済ませることにしたので、とりあえず適当に冷蔵庫の中を漁る。ここ最近……といっても3日前以前だが、美琴の帰りが遅くなる日は、青葉は自分の夕食を練習台にして、修正点を見つけてから美琴に提供するようにしていた。
今日もそれで行こうと思い、何を作るか冷蔵庫の中の食材と相談していると、インターホンが鳴り響く。
「? 誰だろ」
出てみると、そこに立っていたのは美琴だった。
「え、早い?」
「ふふ、仕事が向こうのディレクターの都合で中止になっちゃって、自主練も早めに始められたから、早めに帰って来ちゃった」
「そ、そういうのは早めに言って下さいよ……」
「敬語使ってる間は早めに言ってあげない」
「それとこれとは別でしょ……まだご飯、何作るかも決めてませんよ」
話しながら、とりあえず美琴が部屋に上がろうとしたので招き入れつつ、後ろから抱きつくように肩に頭を置かれたので、撫でてあげる。
「……迷惑? せっかく早く帰ってきたのに……」
「……そんなことないよ。嬉しい」
拗ねたように言われてしまったので、笑顔でそう言う。驚きはしたけど、普通に嬉しいというか、ちょっと顔を見て安堵してしまったというか……少し、笑みを浮かべてしまった。
「何か食べたいものはある?」
「なんでも良いよ」
「じゃあ……天ぷら?」
「良いね」
「待っててく……待ってて。今作るから」
そう言って、青葉は台所に立った。その青葉に、美琴が横から声を掛ける。
「……青葉」
「はい?」
「ご飯の前に……もう少し、撫でてくれる?」
「良いですけど、お腹空いてないん?」
「空いてるけど……でも、構って欲しい」
なんだそれ可愛すぎか、とクラッと頭に来る。この人、旅行終わってから容赦無くなってきた。
「……待ってて。お米だけ先に炊いちゃうから」
「はーい」
そればっかりは時間がかかる。……というか、まだ炊いていなかったことに少しだけ後悔。ちょっと気を抜きすぎた。
サクッと米を研いで炊飯器にぶち込んでボタンを押している間に、美琴はテレビの周辺を眺めている。
「何か見たいテレビあるなら、見ててどうぞ」
「うん。ありがと」
ボタンを押して、青葉も美琴の隣に座った。美琴は青葉の方に体重を預ける。
「そういえば、時間が空いたなら家計簿の付け方、教えようか?」
「やだ」
「え」
「今日は……このままで」
「そ、そうすか……」
「それより、次はどこに遊びに行くか決めよう」
「え、あ、遊びに行くんですか?」
思わず声を漏らす。そんな話聞いて……いや、何回かしてた。してたが……社交辞令かと思っていた。
その反応は地雷だったようで美琴から少し冷たい声音が漏れる。
「は? 敬語。いかないの?」
「い、いえその……」
「行きたくないならそれでも良いけど……」
「い、行きたくはあります……ある、けど……」
「じゃあ行こうよ」
「でも……この前の旅行は四人だったからあれだけど、俺みたいなのとみっちゃんが二人で歩いてたら、まずいんじゃ……」
「今更じゃない?」
「い、いや遊びに行くってことは買い物とかではなく観光地やアミューズメント施設に行くわけであって、そんな所に行ったらもう言い訳も立ちませんよ⁉︎」
「敬語」
「……」
なんでそこは絶対に訂正してくるのか。少し狼狽えていると、美琴は少し真剣な眼差しで聞いてきた。
「にちかちゃんとは、二人で遊びに行ったこととかなかったの?」
「あるけど……」
「例えば?」
「中学の時の先生がデ○ズニー狂いで年パス持ってて『シーのアップルティーソーダがバカ美味い』って言ってたから、確かめに行ったことならある、かな」
「その時、にちかちゃんと付き合ってた?」
「やめてよ……にちかと付き合うくらいならはっちゃんに告ってフられる」
「じゃ、私と二人で出かけても問題ないよね」
「いや、付き合ってない男女がデートした、とかじゃなくて、アイドルとファンだから!」
この人、長いこと芸能界にいるのにどうしてそんなに呑気なのだろうか?
「でも、にちかちゃんと今でもたまに二人でCD屋のバイト、遅くまで残ってるよね?」
「まぁ……」
「じゃあ問題ないね」
「あります! それは仕事だから!」
「でも、たまににちかちゃんの家までわざわざ料理持って行くこともあるよね?」
「あるけど……」
「なら、問題ないね」
「ごっ……」
そ、それはどう反論したものか、と少しだけ迷ってしまったり。お隣さん同士のお裾分け、なんてレベルではない。何せ、自転車で20分はかかる距離へのお裾分けだから。
「わ、分かったよ……」
「なるべくなら、学生が行きそうなところが良いな」
「なんで?」
「私、学生時代の友達とそういうとこ、行ったことないから」
「……」
アイドル一筋だったからこそ、行かなかったのだろう。興味がなかったからなのか、それとも我慢してきたのかはわからない。
どちらにしても、そんなふうに言われて断れるわけがなかった。
「……遊園地とかどうですか?」
「うん。楽しそう」
「じゃあ、調べておきます……と言っても、デ○ズニーは旅費もかかるしダメー……だよね?」
「任せるよ?」
「いや、俺が死ぬから」
中学の時と違って、たまに遠出して遊びに行くお金を親がくれるわけではない。
今は自分で稼いでいる以上、大事に使わないといけない。
「青葉」
「はい?」
「お腹すいた」
「はいはい」
作るために立ち上がろうとすると、美琴も退いた。
×××
翌朝、青葉は今日もランニングと思い、着替えと歯磨きを終えて部屋を出て隣の部屋のインターホンを押す。
「みっちゃんー、マラソン行こー」
まるで磯野を誘う中島の心地だった。タメ口を強制され始めたので、もうとてもアイドルとファンの関係に見えないだろう。
しかし、今日は珍しく返事がない。いつもなら青葉よりも早く起きていることもあるのに。
さては……寝坊だろうか? なんて普通のことを思い当たり、待つことにした。
「……」
せっかくなので、この時間の間にストレッチ。勿論、下の階に響かない程度で。
あらかた終えたあたりで……ふと、玄関が気になる。やはり、応答がない。まだ寝てる? 昨日は夕食食べた後、頭を撫でてすぐに解散したし、寝坊するような要素はなかったはずだが……まぁ、たまにはそんな事もある。
もう少し待つことにした。
「……」
さて、10分経過。流石に遅い。もう一度、インターホンを押した。
「みっちゃーん、ランニングのお時間ですよー?」
『……何その言い方』
「あ、出た。行かないの?」
『……今日は、ちょっと……』
「え、体調悪い?」
『……』
心なしか、声が震えている。体調崩したのなら、見てやらないといけないのだが……まぁ、仕方ない。
「もしあれなら、俺見ますよ」
『いや……そうじゃなくて……』
「?」
『…………昨日と一昨日の夜のテンション……死にたい…………』
それを聞いて、青葉は意外そうに目を丸くする。なにその理由かわいい、とか、爆テレしてる美琴の顔レアだから見たい、だとか色々あるが、思わず口走ったのは言っちゃいけない言葉だった。
「え、今までの素面じゃなかったんですか?」
『……青葉は普段の私があんな風に見えてるんだ』
「や、可愛いもんは可愛かったから……」
『今日は朝ご飯いらない』
「えっ」
仲直りまで、その日の夕方までかかった。