ダメな奴、と呼ばれる大体の奴の所以は碌なことを言わないから。
家計簿には、別に決まった付け方があるわけではない。だから、青葉が教えてくれた方法も「青葉流」らしい。
それを、今日も少しずつ事務所でつけていると、その美琴に声が掛けられる。
「あ、珍しいな。美琴。勉強か? ……何に備えての勉強?」
「違うよ。家計簿つけてるの」
そう言いながら、片手に持っているレシートをぴらぴらと見せる。その直後だった。プロデューサーが、片手に持っていた缶コーヒーを落とした。
「か……けい、ぼ……?」
「うん? あれ、知らない? 家計簿」
「知ってるけど……美琴が?」
あまりの衝撃に、今まで見たことない顔になっていた。そんなに意外ですか、と少しだけイラっとする。
「美琴が、家計簿……?」
「え、何?」
「……すごいな、一宮くん……」
「私は褒めてくれないの?」
「ああ……うん。いや、偉いぞ美琴」
「私は子供?」
褒められた。いや別に褒められたいわけでもないが。
とりあえず、それをつけ終えてノートを閉じると、その美琴は軽く伸びをする。家事とはいえ、こういうデスクワークは好きではない。
とりあえず、明日は朝早いのだ。夏休みの休日は、全部青葉に使うことにしたし、自主練が終わったら、早めに帰ることにしている。
「じゃあ、お先に失礼します」
「うん。お疲れ様、美琴」
最近、自主練の時間が短くなった。それは、手を抜いているからじゃない。割と満足いくレベルに行くまでが早くなっているからだ。
練習時間が短くなったのに上達を感じられる事に、少しだけ不思議に感じながらも帰宅した。家に戻れば、温かい食事を用意してくれている少年が待っている。
×××
「おかえりなさい! 晩御飯、今用意するね」
天使、と美琴は浄化されそうになってしまった。可愛い男子高校生が出迎えてくれている辺りに、少しだけ満たされてしまう。
「何食べたい?」
「じゃあ……今日は、とんかつ」
「い、意外とこってりしたものいくのね……任せて」
そう答えながら、青葉は台所に行く。その前に、その青葉の肩に手を置いた。
「その前にやる事」
「あ、は、はい……」
言われて、少しだけ控えめに青葉は自分の頭に手を置いた。優しく、それでいてしっかりと包み込むように頭を撫でられる。
「ん〜……♪」
「……満足?」
「もう少し……」
「良いけど、とんかつでしょ? 作るのに時間かかるよ」
「そっか……明日、朝早いもんね」
「……本当に行くんですか?」
「敬語」
「アッハイ」
というか、行くに決まっている。それが楽しみで頑張ってきたのだから。
「行くよ。嫌? 青葉はデートいくの」
「そ、そうじゃないけど……デートって言うのはダメ。名義上は『今後、テレビで遊園地のレポに行くかも』っていう相対を備えた取材なんだから」
「はいはい……」
ファンとしての矜持か、それとも他人にバレた時の備えか、そういう設定だ。「じゃあなんで男子高校生と一緒に行くの?」という問いには「男子高校生から生の声を聞くため」と答えておく。
「……遊園地、ですか……」
「青葉は嫌?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、明日楽しみにしてるね」
「……は、はい……」
話しながら、青葉は自分から離れてとりあえず料理しに行った。
×××
翌朝、早朝からお出かけである。青葉と美琴は家を出て、遊園地に来た。一応、美琴はサングラスや帽子をかぶっていて、ハッキリ言って変装しているのにアホほど似合っている。
「……あまり来たことなかったけど、結構騒がしいとこなんだね」
「そりゃまぁ、家族連れかカップルがたくさん来る場所ですし」
「じゃあ……私達はどう見えるかな?」
「えっ、ど、どうって……」
いや、いやいやいや、と、青葉は首を横に振るう。そんなに自分は自惚れていない。
「そ、そうですね……女王様とペットとか……」
「……」
あれ、と少し青葉は冷や汗をかく。美琴が少しむすっとしているからだ。流石に今のは卑屈過ぎたかも美琴のむすっとした顔可愛い……と思ったので、慌てて弁解した。
「う、嘘です! お嬢様と召使い……!」
「……」
「ま、間違えた、親子!」
「一番ムカつく」
「ええっ⁉︎」
ヤバい、でも正直何に怒ってるのか分からない……と、冷や汗をかく。
「ダメなの?」
「な、何がですか……?」
「普通にデート中の男女に見えちゃ」
「……」
クリティカルヒットした。主に、嬉しさと申し訳なさに。この人、まさかとは思うが自分に……いや、恥ずかしい勘違いはやめよう。アイドルとファンという関係を抜きにしても、24歳と16歳。無理がある。
……けど、まぁそう見えるだけなら問題ないだろう。少なくとも青葉は、その……デートのつもりでないわけでもない可能性があることもあるわけで。
「……まぁ、じゃあ……それならそれで……」
「え、不服?」
「あ、いえ……い、いきましょうか」
「うん」
そのまま、二人で遊園地内を歩く。
「で、青葉。まずは何したら良い?」
「えっ?」
「遊園地での遊び方」
「遊び方……」
あまり考えた事はないが……まぁ、自分がにちかと遊ぶ時は、やはりジェットコースターから。
しかし、頭が良い青葉は分かっていた。あれはジェットコースターから、という決まりがあるのではない。興味がある乗り物から乗る、という順路なのだ。
「みっちゃんが興味ある奴から乗ろうよ。それが、一番楽しめると思うな」
「……そっか。流石」
「いやいや、そんな褒められるようなことでは……」
「さ、行こっか。まずはあれ」
言いながら美琴が指差したのは、メリーゴーランドだった。
「……へっ?」
何その意外なチョイス……いや、もしかしたらあんまり意外でもない? ……でも、意外でもないけど予想外ではあった。
思わず呆けてしまうと、美琴が不安そうに顔を覗き込んでくる。
「嫌?」
「嫌じゃないですけど……え、あれで良いんですか?」
「うん。ちょっと興味あった」
それを聞いて、思わずキュンとしてしまう。この人、本当に24歳だろうか?
「っ、な、何その興味可愛い……」
「えっ?」
「あっ、やべっ……声に出ッ……!」
しまった、ついオタクの気持ち悪い包み隠さない部分が出……! と、顔を赤くして口を塞ぐ。
流石にドン引きされたかも……と、隣を見ると、美琴はらしくなく顔を赤くしていた。
「……えっ?」
「……か、可愛かった?」
「あ、ええまぁ可愛くないみっちゃんを見た事ないと言うのもありますが……」
「っ……そ、そっか……結構、恥ずかしいね。褒められるの」
「えっ……」
い、いつものことじゃないの? と片眉を上げる。が、美琴は照れたように頬をポリポリと掻く。
「普段、スタッフさんには褒められるけど……でも青葉に褒められるのとは違うから」
「えっ……な、なんで?」
「なんでって……」
すると、また少しカァッと頬を赤らめる美琴。えっ、何その反応、と思う間も無く、美琴は青葉の手を引いて歩き出した。
「ほら、早く乗ろう」
「えっ、お、俺も乗るの?」
「え、これ1人で乗るもの?」
というか、二人で乗るのなんて文字通りのバカップルでしかない。
「いや、前ににちかと二人で乗った時はかなり浮いてましたし……それに、一人は乗らないようにしないと、写真とか撮れないよ?」
「……じゃあ、別にいいかな」
「え?」
「一人で乗っても楽しくないし」
「……」
……がっかりされてしまっている。いや、やはり乗るべきなのか? しかし、周りの目線が……そもそも高校生にもなってこんなもんに乗るのも恥ずかしいのに、それが24歳の成人女性と一緒なんて尚更だ。
いや、でも、しかし……美琴を楽しませるのが、自分の仕事……! そもそも、貴重な休日を自分のために費やしてくれているんだし、自分が恥ずかしいなんて舐め腐った理由で躊躇してどうする……!
「いや……でもなんか久しぶりに乗りたくなってきたなー」
「! じ、じゃあ……乗る?」
「……そ、そうね。乗ろうか」
なんか自分が乗りたい、と言ったみたいになってるのは解せないが……まぁ、とにかく乗る。
二人で列に並ぶ。その時点で周りには小学校低学年くらいの子しかいないわけだが、美琴は気にした様子を見せない。
「どんなのに乗る? 馬? 人力車みたいな奴?」
「人力車って……まぁ、人力車は無理だと思いますよ」
「じゃあ、馬ね」
すごく楽しみにしている。というか、一緒に乗ると言っていたが、それは自分と同じ馬に乗るのか、それとも別々の馬に乗るのか。まぁ……正直、別々で乗ると一人でメリーゴーランドに乗りにきたように見えそうなので、一緒の方が恥ずかしくなさそうだが。
「えっと……別の馬に乗ります?」
「? 一緒でしょ? 二人乗りの馬あるし」
それならそれで良い。しかし、馬にもいろいろとバリエーションがある。普通に疾走しているような馬もあれば、前脚を上に上げて、若干斜めっているものも。
さて、そうこうしているうちに自分達が乗れる番になった。
「これにしよう」
「はいはい」
美琴が選んだ馬は、その前足を若干、上げたものだった。
「これ乗るなら、背が高い方が後ろのが良さそうですね」
「じゃあ私……あれ?」
そこで、美琴が声を漏らし、なんだろう? と、青葉は顔を上げる。
「青葉……背、伸びた?」
「え?」
言われてみれば、少し目線が合ってきた気がする。いつも頭を撫でるときは無条件で屈まれていたので気が付かなかったが、もしかしたら伸びて来たのかもしれない。
「……」
「っ、な、何ですか?」
「背は伸びたけど……お母さんっぽさが上がっただけで、あんまりカッコ良くなってないね」
イラッ☆ と、額に青筋が浮かぶ。久しぶりに美琴にムカついた。
「一人で乗るか?」
「あ、ごめん。嘘嘘。乗ろう。ほら、前乗って。まだ私の方が大きいし」
「謝った自覚ないのかしら」
「あれっ、な、何かまずかった?」
……だが、まぁ二人用に一人で乗せるのもあれだし、仕方ない。まだ自分の方が背が低いし、そうでなくても青葉は弱々なので、前に乗るしかないのだ。
で、馬に跨り、棒を掴む。その後で、後ろから美琴がむぎゅっとなる。しかし、これは端的に言って失敗だった。
……背中に、ただでさえ夏服越しの胸が押しつけられるわけだから。
「っ……あ、あの……みっちゃ……えっ」
ていうか、顔も近い……! と、頬が赤くなる……が、美琴の顔も赤い。
「ふふっ……青葉、顔真っ赤」
「そ、それあなたが言う……?」
「でも、良いかも。メリーゴーランド」
「こ、こっちは心臓に悪いんだけど……」
なんて話している時だった。横から係員が声をかけてくる。
「あの、すみません」
「「はい?」」
「中学生以上のお客様の二人乗りは危険なので、ご遠慮願えますか?」
「「…………」」
そこで、ふと冷静になる。周りから、ヒソヒソ声が耳に届き、周囲を見渡す。
「パパ、あの人達ラブラブ!」
「そうだな、若いな」
「すごいわね……私、学生時代どんなにいちゃついててもあそこまではなかったわ」
「私もちょっとそもそもメリーゴーランドを乗る発想がなかった」
「「〜〜〜っ」」
結局、そのまま馬だけ別れて乗って、しばらく周りの人の目線を集めた。
×××
「ごめん……」
「いえいえ……」
普通に冷静になってしまった二人は、真っ赤な顔のまま遊園地内を移動する。少し気まずいのだが、まぁ青葉的には分かってた結果でもあるので、あんまり気にしていない。むしろ、その……顔の近さとパイ圧の方がドギマギしている。
しかし、美琴は「青葉が止めたにも関わらず強行して恥をかかせた」ことが少し恥ずかしさとして響いていた。自分はこうなることも予測できずに……いや、なんなら胸を押しつけて至近距離にいたかったのかと思われてるかも……と。
まぁ、どんな形であれ、青葉は美琴が凹んでいるのを察知したので、元気付けることにした。
それをするには、テンションが上がる乗り物が一番だ。
「みっちゃん、ジェットコースター乗ろう」
「良いけど……大丈夫?」
「何が?」
「酔ったりしない?」
「大丈夫。連続で乗ったりしなければ」
それだけ話して、二人でジェットコースターの列に並んだ。
せっかくなので、青葉は聞いてみることにした。
「そういえば、みっちゃんはジェットコースターもあんま乗った事ないの?」
「うん。小学生ぶりくらい」
「へぇ〜……じゃあ、驚くかもね」
「何が?」
「結構、今のジェットコースターすごいから」
「それは楽しみだな」
「怖かったら、俺の手を握ってても良いから」
「ふふ、考えておくよ」
冗談のつもりで言ったのだが……本当に握られてしまったらどうしよう。むしろ青葉の方がドギマギしてしまうかもしれない。可愛過ぎて。
「……あの、やっぱり握らないで。ちょっと恥ずかしいから」
「……」
思わず言ってしまうと、少しだけ美琴はむすっとする。そして、横からそっと手を繋いできた。
「っ……な、何……?」
「じゃあ、今手を繋いじゃう」
「ごっ……!」
な、なんだと……というか、ここ最近の美琴は本当になんだろうか? なんか……すごい前より距離が近い。少し前なんてやたらと甘えたがったと思ったら爆テレして目を逸らしてたりしたのに……。
「っ……手、柔らかっ……」
「え、そう?」
やばい、なんか今日、思ったことが口に出てしまう。
「あ、いや……変な意味じゃなくて……」
「青葉の手も柔らかいね。ふにふに」
「……ゲーム機とペンライトしか握ってこなかったものですから」
「じゃあ、今度からは別の何か握ったら? 鉄アレイとか」
「そ、そうすね……」
「私はこのか弱い手好きだけど」
「バカにしてるでしょ」
「ふふ、可愛くて良いと思うよ?」
「……」
少しは身体を鍛えないといけない……背は伸びてきたが、身体は弱いとかちょっと嫌だ。
さて、そうこうしているうちに、ジェットコースターを乗る順番になった。席に乗り込み、二人で横並びになる。
うぃーんっ、と、上から安全バーが降ってきて、身体を固定される。この瞬間が、なんだかモビルスーツに乗って出撃するみたいで好きーとは言わず、青葉は前を見た。
その青葉の手に、上から手が乗せられる。
「っ」
「手、繋いでてくれるんでしょ?」
「ふぁひゅっ……」
思わず変な吐息が口から漏れた直後だ。ジェットコースターが、発進した。思わず、乗せられた手を握り返してしまう。
高速で動くジェットコースターに乗りながら、思わず考えてしまった。
自分はそんなに朴念仁じゃない。あらゆる理性を総動員させて「そんなわけない」と言う可能性を探せば探すほど、美琴が距離を詰めてくる。
そして「そんなわけない」と言う可能性をどんなに広げても出てくる最強の杭が、どうしても抜けない。
……つまり「好きでもない男に、ここまでするか?」という事だ。
勿論、美琴は普通の環境で育っていない。中学から一人暮らしを始めて、東京で芸能界に身を置いていたから、価値観も何もかもが違うのは分かる。
だが、それでも。ここ数日の美琴の自分に対する態度や接し方を見ていると、自分のことが好きなんじゃないだろうか? なんて自惚れそうになってしまう。
ダメだ、捨てないとそんな考えは。そんな風に思うと、自分ももう少し素直に好意を伝えようかな、なんて思ってしまう。まぁ、伝えるわけにはいかないわけだが……。
「……」
恐る恐る隣を見ると……真顔のまま爆風を受けている美琴の顔が目に入った。勿論、美しい……美しいのだが、恐らく髪はボサボサになっている事だろう。
何故か、ちょっとだけ気が楽になった。普段に比べてグチャグチャな美琴を見たからかもしれない。
まぁ、なんにしてもそのまま少し落ち着いて……そして、ジェットコースターは元の位置に戻って来た。
「ふぅ……帰って来た。終わったね」
「はい……」
「あんまり声上げてなかったけど、もしかして楽しくなかった?」
「あ、ううん。ちょっと……爆風に煽られてるみっちゃんの顔見てた」
「……ちゃんとジェットコースターを楽しんでよ」
あ、ちょっと照れた。と言うより、恥ずかしがったのかもしれない。美琴の頬が赤く染まる。
可愛い……が、好きな女性を必要以上に辱めるのはちょっとあれだし、何より嫌われるわけにはいかない。弁解しなければ。
「あ、いや……ジェットコースターじゃないとそう言う顔見れなかったから、そういう意味じゃジェットコースターを楽しんだと言っても差し支えないのでは?」
「……は?」
ちょっと弁解の仕方を間違えた。ジト目になった美琴が、自分の頬に手を伸ばして引っ張り回してくる。
「生意気な口」
「いふぁふぁっ! ふぁ、ふぁんへ……!」
「でも……うん。それくらい生意気な方が、周りには恋人同士っぽく見えるかもね?」
そう言って、ピンっと手を離される。頬がじんじんと赤くなり、少しだけヒリヒリする。
「そ、それならつねらないでくださいよ……大体、これ言い出したの俺じゃなくて、俺の顔をジェットコースターで見ながら爆笑してたにちかですし……」
「……」
あれ、またちょっとむすっとした……と、青葉は冷や汗をかく。何かまずい事言っただろうか?
その心配は当たりだったようで、すぐに美琴は席を立ち、青葉の手を引いた。
「行こ。次」
「え、もう?」
「そう。早く」
「あの……何か怒っ」
「怒ってない」
すごく食い気味……怒ってる人以外でその反応速度は見たことがないのだが……と、困惑しつつも、そのまま美琴とジェットコースターを後にした。
×××
さて、次に行く場所は美琴が決めた。本当に思う、自分は何かミスしただろうか? と。
「……恐怖の館……」
「あんまり怖くなさそうだよね」
いや怖そうだよ、と青葉は強く思う。何が怖そうって、見た目はなんの変哲もない病院にしか見えない所だ。
「ここはにちかちゃんと来たことあるの?」
「……はっちゃんが審判で、びびり勝負をした事なら……」
「ふーん……どっちが勝ったの?」
「開始五分で二人揃ってパニクって頭と頭を衝突、揃って失神して、途中で抜けるハメに……それ以来、絶対に寄り付かなくなったかな」
「そっか。じゃあ安心だ」
「何が⁉︎」
この人、絶対怒ってる! と確信してしまう。いや、本当にダメなのだ、こういうの。女々しい、と笑いたければ笑うが良い。虫とお化けはマジでダメだ。恐怖での失神……或いは、生理的に受け付けないものを見たことによる失神を経験するくらいなら、まだ炎天下の中、死ぬほど走って失神した方がマシ、と言い切れるほど苦手だった。
「あ、あの……みっちゃん、本当に怒」
「ってない」
「早いんだよなぁ……」
ここまでのリアクションを見せて怒ってなかったら、それはそれで怖い。
いや、男として情けない自覚はある。でも、ダメなものはダメなのだ。……いや、これも訓練だと思え。変な男にまた美琴が絡まれていたら、助けられるように。
よし、そう思えば、勇気が出てきた! ちょっと足震えてるけど!
なんて思っている時だった。後ろから、そっと肩に手を置かれる。置いたのは、言うまでもなく美琴。思わずふと顔を上げると、爽やか過ぎる笑みを浮かべて微笑んでいた。
「大丈夫、私がついてるから」
「っ……は、はひ……」
それ言うの、男女逆じゃね? と、笑う奴は実際やられてみれば良い。そんな薄い価値観の壁などゴールテープと同じレベルで素通りし、惚れてしまうから。そして、そんなこと言われた自分以外の男は全員殺す。
なんて、割と情緒不安定になりながら、そのままお化け屋敷に入った。中は、夏なのに涼しい。でも全然嬉しくない。なんか冷ややかだから。
「……な、なんか寒気が……」
「怖いかもしれないけど、殺されはしないから大丈夫だよ」
「あなたの恐怖は死ぬか死なないかなんですか⁉︎」
スパイかよ! と、脳内で反復した直後だ。何か、耳に響く低く小さな音。嫌な予感がして、思わず隣の美琴にしがみついてしまう。
「ひゃうっ⁉︎」
「どうしたの?」
「い、今なんか音が……」
「怖いなら、もっとくっ付いてなよ」
「ひょえっ……⁉︎」
ぐいっ、と青葉の肩を抱いて自身の方へ引き寄せる美琴。思わず胸の奥がドキっと高鳴る。この人、可愛いだけでなくカッコ良すぎる……ほんと、なんでこんな完璧なの……と、胸の奥がドキドキと激しく鳴り響く。
「ふふ、身長は伸びてもまだまだ可愛いね」
「な、なんでそんないらんこと言うか……」
「はいはい。良いから、私から離れないで」
「うぐっ……は、はい……」
さて、そのあとはもうものすごい頼り甲斐だった。青葉は情けないことにへっぴり腰になりがちだったが、美琴がリードしてくれるので少し安心して移動出来た。
……一方で、美琴は悶々としていた。それはもう、こんな予定じゃなかった、というように。
なんというか……この子、ギャップの塊か、と思ってしまう。あれだけオカン属性がついていて、まさかのお化けが怖いとか……いや、もうホント今まで自分の方が頼っていた少年が、今だけは身を預けるレベルでこちらに頼り切りになっている……ほんの意地悪であった感は否めないが、これが事務所の黛冬優子や三峰結華がよく言っている「分からせ」というものだろうか?
つまり……ちょっと、悪くない。頼られてる現状が。
「青葉、だいじょぶ?」
「だっ、だだだだ大丈夫ですけど……」
「もしあれだったら、おんぶしよっか?」
「い、いやいやいやいやいや……さっ、さささ流石にしょこっ……そこまで情けなうぃ姿を見せるのは……!」
こんな状態でも、男の子としての矜持を保とうとする子がなんかもう本当に可愛いものだった。
「無理しなくて良いからね。ダメな時はいつでも……」
「だ、だいじょぶだから……」
『オオオオオオオオ‼︎』
「ぴょいっ⁉︎」
どんな悲鳴……うさぎなの? と、美琴はこぼれそうになる苦笑いを抑える。
そのまま、少しエスコートしてる気分でお化け屋敷内を回る。
……そんな時だった。事故は起きた。
『イガラム!』
「ひょえええええええ⁉︎」
「っ⁉︎」
青葉がまた驚かされ、自分へのしがみつき方が変わり、青葉の手が自身のお尻にダイレクトアタックした。
ちょっ、と美琴は頬を赤らめる。よりにもよって、親指がお尻とお尻の間に食い込み掛けている。それはダメ。普通に恥ずかしいし……その、何? 痺れるような何かが……。
「ちょっ……あ、青葉っ……んっ……!」
『イガラッパ!』
「ひゃほっ⁉︎」
「ちょっ……待って……!」
さらに奥へ食い込む親指。ほんとにダメな奴、そこは自分でもいじった事ない……いや、別に快楽とかじゃないが。他人にそんなところを掘られる感じが普通に変な感じがするだけな感じ。
スカート越しなので、これ以上深くはならない……が、親指が食い込むという事はパンツも食い込むわけで。単純に気持ちが悪い感じをさりげなく直せない、というのもあった。
「あ、青葉……落ち着いて……!」
「み、みっちゃん後ろおおおおおおお!」
『イガラッパッパッ!』
「うわっ……ひっ……⁉︎」
さらに奥へ親指が入る。……ていうかこの子、ちょっと爪が長い。このままじゃ最悪……スカートが裂かれるかも……!
そう思ったので、ちょっと早歩きにすることにした。お尻に異物を抱えながらもなんとか怯える青葉を落ち着かせつつ移動し、なんとかお化け屋敷をクリアした。
お化け屋敷から出てきた後、ふと視界が明るくなり、改めて自分と青葉の姿を見てみると……青葉は、コアラみたいに美琴の横からしがみついていた。
「……っ、っ……!」
「……お、終わった……? 思ったより大した事なかったな」
「……青葉っ……!」
「っ、あ、ごめん。……みっちゃん、顔赤いよ? あ、もしかして割と怖かっ」
ビンタした。
×××
結局、なんでビンタされたのかは教えてくれなかったが、その後もお昼を食べて遊園地を回って……と、満喫し、最後の最後だ。
「あとこれ、乗りたい」
そう言って美琴が見上げていたのは、観覧車だった。
「えっ」
思わず青葉は狼狽える。何せ、これを最後に乗るって……デートの定番すぎる。
つまり……と、変な妄想を繰り返してしまうが、それを慌てて否定する。大丈夫、バカは高いところが好きっていうし、多分そういう事……。
「って、みっちゃんはバカじゃないだろ!」
「え、何急に?」
「あっ、いや……の、乗ろっか」
「うん」
そのまま二人で、観覧車に乗る。幸いというなんというか、空いていたのですんなりと乗ることができた。
ゆっくりと高い位置に回るゴンドラの中で、青葉と美琴はのんびりとする。いざ、こうして二人きりになると、やはり少しだけ緊張してしまう青葉だった。
何せ、もうこのシチュエーション、完全にデートだからだ。いや元々デートのつもりだったとはいえ、なんかこう……もうデート感溢れるデートだから緊張する。
「き、綺麗ですねー……街並み」
「うん」
「……」
あ、やばい、と青葉は押し黙った。こういう時、何を話せば良いのかわからない。何せ、自分はただのオタクだから。こんなシチュエーションがあるなんて、考えたこともなかったのだ。
「ね、青葉」
「はい?」
そちらから話しかけられるのは、正直有難いかも……なんてホッとしていると、美琴は少し不安げな表情で尋ねてきた。
「ぶっちゃけ、私とにちかちゃん、どっちが好き?」
「え……何か試されてる?」
「うん。好きに答えて良いから、本音で答えて」
うんって……と、少しため息が漏れる。試す側が一番、認めちゃいけない部分だろうに……まぁでも、そんなつもりはない、なんて言われるよりは気が楽ではあるのだが。
さて、どっちが好きか、という問いだが……。
「あんまり知り合いの友好関係に優劣つけるのは好きじゃないけど……好きなのはみっちゃんだよ」
「……ホントに?」
「え、疑われてるの?」
「だって……今日、ずっとにちかちゃんと遊園地で遊んでた時のこと話すから」
「え、そう?」
「そうだよ」
確信を持った様子で言われ、思い返すと……まぁそうかもしれない。遊園地で遊んだ相手がにちかしかいなかった、というのがあってこそなのだが。
「だから……ちょっと、不安で」
「え、不安って……何が?」
「……」
「……」
黙られたのが、ある意味では答えになっていた。思いつく限り、一つしか思いつかない。
でも……本当にそうなのだろうか? これ……聞いてみても良いものなのか? いや、良いわけがない。そうじゃない可能性もあるし、どちらであったとしても、この関係は変わる。お隣さんでは済まなくなるのは明白だ。
「……」
仮に、万が一、美琴が自分を好きだったとして付き合ったとしても、それが咎められるのは自分ではなく美琴だ。
誰がどう見たって「芸能人がファンの高校生を弄んでいる」ように見えるだろう。美琴の活動の支障になるのは明らかだし、いらない悪評が漂うのも耐えられない。
つまり……現状を回避して今まで通りの関係に残る方法は一つ……逃げだ。
「見てくださいあれ、東京タワー!」
赤いただの電波塔を指差してみた。ボケと景色のハイブリッド……少なくとも、自分が今まで関わってきた人間ならツッコミを入れる……と、思った時だ。
正面にいる美琴が、自身の両手を包み込むように握り、強引に引っ張ってきた。
「デート中だよ。こっち見て?」
「っ……す、すみません……」
「敬語もダメ」
羞恥心から少しだけ苛立っているのか、赤い顔のまま今までたまに漏れてた敬語もスルーしていたのに、この時になって急に注意されてしまった。
どうする、何を言うのが正解? やはり、自分のことが好きかを聞いてしまう? それとも、好きだーとか言ってしまう?
どちらもダメだ。どちらも本当に言いたい事、聞きたいことではあっても、今後に支障が出る。
だが……誤魔化すようなこと言えば、今の美琴にはバレてしまうかもしれないし、何を言えば……なんて考えてしまっている時だった。
自分を握っていた美琴の手から、するっと力が抜ける。
「……ごめん。変なこと聞いたね。こんなこと、言うつもりじゃなかった」
「え?」
「忘れて?」
そう言いながら微笑む美琴の笑みは、明らかに無理をしていて、それでいて何処か寂しげで……その上で、今までこんなに見たくない美琴の顔は初めてで。
反射的に、今度はこちらから手を握り返し、胸の中に引き寄せてしまった。
「っ……」
「えっ……」
「……あっ」
抱き締めてから思った。何してんだ自分は、と。セクハラどころの騒ぎじゃないどころか、外でこんなことして、もし美琴のストーカーがいてこんな所を見られたらどうするつもりなのか。自分は間違いなく夜道に刺される。
「ご、ごめっ……これは、違っ……」
「……この後は?」
「……このあと?」
ひらがなになってしまった。え、何それ……えっと……この後を望んでるって……こと? いや、でもまさかそんな……そもそもこの後なんて何も考えて無……あ、あー……ていうか、胸に当たってる胸柔らかい……ていうか、自分の母親にハグされた時はこんなに胸を感じる事はないのに、何故美琴の時は感じるのだろう……いや、そんな事どうでも良くて……!
と、頭の中でぐるぐる回った結果、悩み抜いた末の最適解を繰り出した。
「あ、あー……えーっと……あれだ。俺の娘になります?」
「……んっ?」
長い長い観覧車一周ツアーの始まりだった。