トレーナー♂×ルドルフ短編集(雑)   作:えいじあ

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わかりやすいようにタイトルを変えました!


夕焼けの約束

 日々レースに魂を賭す強かなウマ娘たちは、時にして激情を露わにする――

 

 とあるレース場、とある誉れ高いレースにて、最終直線で各々が叫んだ。

 

 青々とした芝に照りつける太陽……ヒートアップし続ける会場の熱気に負けじと思ってか、段々と大きくなっていく観客の応援や怒号にも似た声。

 本来ならば、この空の彼方まで見えるぐらい広い、あまりにも広いレース場でたった一人が叫んでも、糸のようなか細い音としてこの煮えきった暑い空気に消えていくだけだ。しかしながら、それが一万人、二万人……そうやって集まっていたら、どうだろう。十八人のウマ娘、その勇姿たちがゴールに近付いていくにつれ、歓声も塊となって膨れ上がっていく……!

 

 『……今、先頭でゴーーールイン!! 勝ったのは————! 今ここに、稀代の大スターが誕生しましたーッ!!!』

 

 ワァァァァァァ……!!!

 

 また一つ、伝説のレースが終わる。ウマ娘たちが最終直線で見せた、鬼の形相とも言わんばかりの殺気じみたオーラが……ゴール板の前を最初に駆け抜けた子から次々と、一人ひとりと消えてゆく。

 今回のレースでは、間違いなくあのウマ娘——先頭でゴールインした一着のあの子こそが、最も”勝ちたい想い“が強かったというわけだ。殺気も迫力も実力も、何もかもがとにかく凄まじいものだった。今もターフの上に倒れ込んで、あの太陽に負けないくらい満面の笑顔で綺麗な涙を流しているんだから、今日この瞬間において彼女が最強だったのは紛れもないことで、誰に伝えるべくもない。

 

 しかし、俺にとっては残念な気持ちの方が強かった。

 

 『惜しくもシンボリルドルフは二着……! 人気の皇帝は破れました——』

 

 俺が一番最強だと信じているレースの主人公は、いつだって自分の担当ウマ娘だ。今日は珍しく彼女の“本能”を見せてくれたが、一着の輝きには叶わなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 「ルドルフ、お疲れ様」

 

 複数のウマ娘に紛れて、地下バ道を孤独に歩く姿がある。我が愛すべき皇帝が、赤いマントを背中にうなだらせて帰ってきた。

 彼女が「ああ」とそれだけ言うと、俺は彼女を支えるように付き添って控室に戻る。それ以上の会話はない。他のウマ娘たちの、啜り泣く音だけが反響して上擦っていた。

 

 「会長、お疲れさまでした」

 

 控室に戻るとエアグルーヴが待っていた。面持ちは堅く、何を思うといった感じでもない。……彼女の隣、一緒に付いてきたのだろう生徒会の一員らしき子が続けて挨拶すると、ルドルフは彼女らの目を見て――

 

 小さく頷いた。

 

 ——ターフの上での“シンボリルドルフ”は、至って冷静である。ゲートが開き、中盤に差し掛かるまでに大凡のレース展開を読み切り、想定外があれば一、二秒のうちに修正する。フォーム、踏み込み、前方後方のライバル十七人を持ち前の鋭敏な感覚で直感し、最終直線でその全てを出し抜く……。彼女が中盤において一瞬、首を上げ気味にし周囲を一瞥したら最後、その時点でレースはルドルフの有利に傾いている。

 ほとんどのレースでは、このように危なげなく決着がつく。“勝ち方”さえも意識すると豪語するだけあってルドルフは本当に賢いし、実際に直近のレースで彼女が呼吸を乱したり、露骨に掛かったことはない。

 だけれども、今日のレースは普段と違った。……(よろい)を破る必要があったのだ。

 

 ルドルフが生徒会の活動において自分の右腕(・・)と豪語するほどのウマ娘がこのエアグルーヴ。しかしそんな女帝を前にして、ルドルフは何故か初めて会ったかのような顔をして。一秒ほど瞼を閉じ——ゆっくり開いて、それから口を開いた。

 

 「ああ、君たちも多忙のなか良く来てくれた。レースの結果は、全く見せられたものではなかったが……」

 「いえ、いつにも増して気迫のある走りでした。やはり相手も下バ評に違わず、凄まじい末脚で」

 「ぁ…………うむ。共に走るごとに決まって後進が強き姿を見せてくれるというのも、私にとっては至上の喜びだ」

 

 首元の汗をハンカチで拭いつつ、そう言って微笑むルドルフ。こと後輩ウマ娘に関する心からの称賛がスラスラと飛び出すのは、出会った頃から変わらないな、と。

 「しかし、次は負けるつもりはない」とも強気に、両腕を脱力しつつ言い放ち、それを見たエアグルーヴの目が優しく光った。

 

 「……では、私はここで着替えた後早々に一人で帰る。まだ生徒会室で処理すべき仕事が余っているからな……トレーナー君、彼女らを駅まで頼めるだろうか?」

 

 うん、と二つ返事で返す。しかし生徒会の二人はやっぱり申し訳無さそうにしていた。

 「……こう見えてエアグルーヴはかなり疲れているはずなんだ。近頃は、こうやって私のレースに一見するのも珍しくなっていただろう」とルドルフに小声で耳打ちされた内容も当然、エアグルーヴ本人は聞こえているだろうけれど、多分眉毛を釣り下げて聞こえないふりをした。俺は乾いた笑いが出るばかりだった。

 

 ふと、ルドルフの方を見る。彼女の頬をゆったりと(したた)る汗を見て、言うも言われぬ不安が募って……。

 

 まあともかく、ルドルフの願いであれば俺は役割を果たすだけだ。それじゃまた、と担当ウマ娘に会釈だけして、この場を立ち去ろうとする――

 

 「え、あの〜……すいません、お二人は、一緒に帰らないんでしょうか……?」

 

 その瞬間、バツが悪そうに、生徒会ウマ娘が俺とそちらの生徒会会長の顔を交互に見ながら質問してきた。突然の問いに動揺して、踵を返す足が留まる。

 

 「おいっ……会長はお疲れだぞ。質問は後にしておけ」

 「あっあ、ごめんなさい! ただいつも会長とトレーナーさん、二人で一緒に帰ってるって聞いたから——駅もすぐそこだし、別に私は、送り迎えなんて——」

 

 彼女なりの気遣いだろうその言葉は歯切れが悪くて、彼女のどこか落ち着かない心情をこれまでかと投影していた。やはりこの子にも、ルドルフの異常が無意識で伝わっているのか……。

 

 「あぁ、もういいっ。ほら帰るぞ……会長、重ねてお疲れさまでした。私共は先んじて学園で書類を分別しておきますので、何か必要があれば電車内での移動中に連絡してくだされば。…………おい、あのなぁっ、いくら度胸があると言っても限度というものが——会長に要らぬ心配は——」

 

 二人が部屋を出て声が遠ざかっていく。俺は何だかぼうっとしてしまって、ルドルフに真顔で目配せされていることに気付いたのが数秒後だった。

 

 「……ルドルフも、帰りは気をつけて」

 「……ああ」

 

 別れ際に、随分と簡素なやり取り。ルドルフは縋り付くように鏡に向かっていたから、こちらからは顔が窺えない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 『シンボリルドルフさん、今回の敗戦についてお伺いしたいのですが――』

 『生徒会業務で疲労が溜まっているとの噂もありますが――!』

 『トレーナーさんの練習方針に沿っていないとの批判にはどのように――!』

 

 ……度々ある敗戦の折に、決まってかつての――ある時期の敗戦の、その次の日に受けた取材の光景を思い出す。多くの記者たちがトレセンの門に押しかけて来て、負け戦となった皇帝の姿を捉えるのに必死だった。

 ルドルフはいつでも弱気なスタンスを取らない。レース前にも、レース後にも、これだと決めた自分を決して曲げない。しかし、やっぱり俺は彼女のことが心配だった。

 

 レースの熱冷めやらぬままにすぐさま行われた新聞社への対応。全身全霊を賭けたレースの直後で、悔し涙やえずき(・・・)に苦しめられる出走者も多い。そういう事情からすぐに記者や衆目に姿を晒すのを避けるウマ娘も多数いるのだが、基本的にルドルフは敗戦後でも早急に対応するし、その日も例に漏れずそうだった。

 汗を拭い、心臓に手を当てて俯くルドルフのいる控室。そこに数回のノックが鳴り響き、女性の声が新聞社であることを告げたその時、俺は、流石に会見を断るだろうと思っていた。 声も出せない苦しみの中にいるであろう担当ウマ娘の為に、ルドルフの代わりに即決で拒否の旨を扉の向こうに話そうとした。

 しかし彼女は顔を上げ、笑顔(・・)で……とても立派な会見を……。

 

 『此度のレースではライバルに遅れを取りました。ですが、既に次の重賞タイトルを見据えていますので、ここで躓くつもりは毛頭ありません。ファンの皆さん、ひいては全てのウマ娘たちの導きとなれるよう、次なる結果で答えてみせましょう。以上です――』

 

 しかし彼女のもつ気高い姿勢は、必ずしも良いことずくしというけではない。強気で前向きな物言いというのは大人数の気を引く代わりに、聞き手の随意で挑発と捉えられてしまうケースも多々あるのだから。

 

 “【悲報】シンボリルドルフさん、大口叩いて敗北w”

 

 “泣いたりしないからあんま心動かされないんだよなぁ”

 

 “正直、ルドルフ生徒会やめてレースに専念してほしい”

 

 “マジでいい加減トレーナーが愚将過ぎて見てられない。第3コーナーでもっと――ルドルフの性格的にもトレーニングは――とかを重点的に――そうすれば差し切って勝ててただろ――”

 

 「……はぁ、頭が痛くなるよ……」

 

 ネットニュースやSNSを見ても憂鬱なだけだ。スマホを鞄の底に落とし、ノートパソコンでレース映像を振り返ることにした。

 もう日が落ちかけ空も赤くなりゆく時に、俺が何をしているかというと喫茶店に来店している。正面が外に向けて窓ばりになっている座席にて、イートインコーナーで仕事の続きだ。うーん、何度見ても今日のレースは惜しかった。

 何故、俺はこんな所で仕事をしているのか。それは他でもない彼女、シンボリルドルフその人きってのお願いだからである。

 ルドルフからのお願いは、『学園に帰るまでに少し間を空けてほしい』というものだ。つまりはまっすぐ帰らずに、どこかで適当に時間を潰してくれということ。

 エアグルーヴたちを早々に駅まで送り届けて、俺は学園近くの喫茶店に向かった。彼女らはルドルフより先に学園に着いて、ともすればルドルフと共に余った仕事を片付けているのだろう。

 しかし、もうそろそろ潮時だ。腕時計を一瞬見た後、立ち上がって店を出た。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 シンボリルドルフは、賢いウマ娘の中でも特に、“わきまえる”ウマ娘である。

 

 「あ、会長……! 今日のレース、かっこよかったです!」

 「ちょ、ちょっとっ……! いま会長にそれを言うのはっ……」

 

 学園に帰るなり、生徒会員らしき後輩に彼女は声をかけられた。ルドルフがレース後の疲れ切った頭で考えるのは、この後輩が自分のことをあまり良く知らないということだけ。私が顔を薄っすらとしか覚えていない——つまりは今年度に新しく生徒会室の門を叩いた子であるのだから、それも仕方のないことだ、と思っている。対して何やら彼女を制止したがるもう一人の友人らしき子は、皇帝と長く付き合いのあるウマ娘なのだろう、敗走後の彼女に遠慮している様子である。

 近頃はこういった態度――彼女の“本来の気性”を知っていて、それに遠慮するような――をされることが増えた。それに対して喜びも悲しみもないけれど、やはり“バレてきている”のだろうか…と、皇帝は澄ました顔で深慮する。

 しかし次の瞬間には、たちまちスイッチ(・・・・)を入れて。

 

 「……うむ、ありがとう。君たちのような後進にとって素晴らしい刺激となれるよう、これからも一層勇往邁進し続けるよ。これから放課後のトレーニングかな? 私も生徒会の業務に今から取り掛かる予定だから、お互いに一日の終わりまで頑張ろう」

 

 清流みたいに透き通った、疲れなんて皆無かと思わせるぐらいに澄ました笑顔で完璧な回答。後輩ウマ娘二人は呆気に取られ、数秒経ってから笑顔に戻る。

 

 「「っ〜〜! あ、ありがとうございますっ……!!」」

 

 「カッコよすぎ……!」なんて言い合いながら、その場からそそくさといなくなる後輩たち。ふぅ、と珍しく溜息をするルドルフ。しかしここは廊下——当然それも、誰にも見られないように。

 

 「あと少し、耐え……」

 

 足早に、生徒会室に向かう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 勝負事に負けた時、“イライラする”のは普通だろうか。 

 サッカー、野球、チェスや将棋などの盤上遊戯。対戦ゲームや、ウマ娘のレース——それらも全て、勝負事。俺は勝負事に負けたらムカつくのが普通だと思っているし、それは誰よりも本気で取り組んでいる証でもあると思うのだ。

 

 『シンボリルドルフって、いつも冷静だよなぁ……かっけー……!』

 

 『ムシャクシャして怒鳴ったりとかするのかな……レースで負けても、いつも何とも思ってないみたいだし』

 

 今日だけで、担当ウマ娘に浴びせられた様々な言葉を耳にした。そのどれもが彼女を称える声であり、人気者であればそれに批判的な人が必ず一定数いるこの世の中で、彼女を敬愛する人やウマ娘の数が大きく上回っている。素晴らしいことだし、自分のことではないのに鼻が高い。

 いずれ正式な機会を設けて執り行う記者会見で、彼女は次のレースに対する意気込みを語るだろう。負けは負け、結果を真摯に受け止めて宵越しの後悔は持たないと。何というきっぱり具合だ! そんな彼女を見てファンたちは、ルドルフが負けを恐れていないと思っている。まあ、そう思われているならルドルフの思惑通りなのだろうけれど。……皇帝は決して、(いたずら)に己の弱みを見せない。

 

 もし仮にレース敗走後、誰かに声をかけられようものなら、必ずと言っていいほど快く笑顔で返す。例え体調不良で調子を出しきれなかった場合であっても、必ず……。

 担当トレーナーという立場からしたら――いや、今や家族と呼べるほどに彼女に近しくなった一人の人間として、どうしようにも不安は拭えない。思えば俺たちがお互いに唯一無二の相手であると感じ始めたのも、彼女の挫折が原因だったのだから。他の子も持つような、ただの“強気な性格”ではない——責任を負うものとしての、“わきまえる性格”に由来する挫折……。彼女の内面を知る数少ない存在として、本音をひた隠すその姿は痛々しいにも程がある。彼女が痛がっている時、パートナーである俺も本気で心が痛むのだから。

 

 今日の仕事の締めくくりに、トレーナー室に帰ってきた。

 普通に考えて全力を賭けたレースの後、その日のうちに生徒会の仕事もするなんてどうかしている。レースで酷使するのは何も脚だけじゃなくて、脳みそから指先まで疲労困憊だろうに……やるせない思いが募るままである。

 

 この数年で何千回と捻ってきた、自分の部屋のドアノブに手をかける。ステンレスの鏡面に少し暖かい感触を感じた瞬間――物凄い音(・・・・)が、耳をつんざいた。

 

 ——ドンッッ!! ドンガラガラッッ!!ドサドカドカッッ——!!!

 

 どう考えたって、目の前の扉の奥からだ。木材のぶつかる音、何か書類の滑り落ちる音……? いやいや、答えはわかりきっている。夕焼けの色でしかないオレンジ色の廊下でその音は俺の胸を深く打ち、力なく心の奥の方に転がってきた。

 

 扉を、開ける。極力無感情に、彼女にかけるお誂え向きの言葉など不要だと感じて、俺は取り繕わずにトレーナー室に足を踏み入れた。すると――

 

 倒れて横になったパイプ椅子、積み上がった冊子、書類のぎっしり詰まって膨らんだファイルたちなどが、床という床を埋め尽くしている。足場が見当たらないほどに隙間無く、(ページ)を折り曲げたり中身が飛び出たり、見るも無惨に散乱している……。

 

 その上には、シンボリルドルフが棒のように立っていた。

 

 背中を向けて、項垂れもせずどこかを見ている。顔はこちらからは窺えない。だが、良くない顔をしているのは誰だってわかる恐怖の雰囲気が――彼女に纏わりついて、その小さな双肩にへばり付いているのだ。

 

 彼女はこちらに気付くなり……ゆっくり振り返って、はぁっ、と息を呑んだ。次の瞬間に――ふわふわしたものに、思い切りぶつかった。

 

 「トレーナー君……」

 

 巨大で茶色の何かが飛び込んできて、俺の胸に収まるとそれはルドルフだった。柔らかな感触が全身を伝う……布団のような彼女のロングヘアが俺の指先を逆に包み込むようだった。昼間の汗の溶け込んだ、夕方の女の子の匂いが鼻孔に充満して、ちょっとした興奮と気恥ずかしさに襲われる――。

 

 顔を(うず)めながらも何か言いたげであり、何も言いたくないからこそ顔も見せない彼女の体を抱きしめる。……この部屋のひどい有様は、このいたずらウマ娘の仕業と言うわけだった。私がやりました、なんて彼女は内心訴えかけているし、傷付いた心で謝っている。

 

 「 ルドルフ、大丈夫?」

 

 当たり障りの無い声かけを、彼女に囁く。彼女は返事もせず、頷きもしない。俺の前では“大丈夫じゃない姿”を見せてくれると、彼女なりの……最大の敬愛の証明なのだ。

 ふと、足元に散らばった本が目に入った――トレーニング教本。床に散乱した全てがこの部屋に置かれていたものであり、その殆どは俺の所有物と俺の担当ウマ娘であるルドルフのものが少々。……苛立ちの限界に達したルドルフが、無茶苦茶に暴れたのだろう。

 実は事前に二人の間で決まり事があった。いつか言った、『俺の部屋では、正直でいいよ』。彼女は最早、俺の前で取り繕うことは無い。負けた時、悔しい時、俺の部屋なら暴れていいと、俺自身が彼女に言ったのだ。

 

 最初はルドルフも驚いていた。『なんで私のそういう性格が、君はわかるのかな』。呆れた様子の乾いた笑いを浮かべながらも、若干の嫌悪感や、微妙な喜びの波が垣間見える言い草だった。

 自分の心を見透かされるのは、誰だって怖い。彼女ほど自分自身への理解が深いウマ娘も早々いないだろうと思う。自制とか、欲望とかそういった言葉をよく知っている。そんな碩学である彼女が今まで必死に理性で抑えてきて、家族以外には誰も知らなかったような心の奥底を他人に見破られたならば……その瞬間は、例え相手が俺であろうと拒絶反応を起こしたに違いない。

 何より不思議だったのだろうとも思う。あのルドルフが言った『なんでわかるのかな?』という台詞は、他人に初めて見せる本当に“わからない”心情をこれ以上ない程に主張していたのだ。ほとんど、叫んでいるのと同じ気持ちで。

 だけど、やはり嬉しさもあったのだろう。その後に彼女は、『わかってくれるのが、君でよかった』と言った。そして初めて、お互いに頬を赤らめた瞬間でもあった。それ以上のことはないけれど、丁度今みたいに夕暮れで、世界が橙っぽく暖かくなっている時間だった。それにつられて俺たちも、柔らかい気持ちになれている気がしていた。

 

 「……なんでわかるのって、大切だからだよ」

 

 たった今も同じように絆されて、思わず考えが口に出てしまったのだろうか――彼女を抱きしめながら、心底落ち着いた声で心情を吐露した。

 そうすると、やっと彼女はまともらしい声を出してくれて……。

 

 「そうだ。私も、君が大切だ……。だから、君のことはよくわかる」

 

 何度も他人の気持ちを履き違えるほど、他のウマ娘たちの考えに疎い私でも。そう続けて呟いて、抱きしめる力が強くなった。ウマ娘のくせに、こっちは人間であると知りながら彼女は、“本気”のハグをしている。少しだけ、いやだいぶ苦しいけれど……嬉しさのほうが、七倍は勝ると思った。

 

 「トレーナー君。君相手になら、私はまっさらな気持ちになれるよ。…………正直になって、いいかな」

 「……うん、うん。思いっきり、ここで泣いてくれ。イライラしたら暴れたっていいよ。一緒に片付けるから。――次は、必ず勝てるから」

 「っ……ありが、とう……」

 

 彼女は俺の胸の中で啜り泣く。若干ぼさついた、それでも柔らかな髪を俺は優しく撫でて、母親みたいに頭も撫でた。彼女の体はどこもかしこも柔らかくて、皇帝と呼ばれた伝説的なウマ娘も、また普通の女の子でもあるのだと実感して、こちらも胸を撫で下ろす。

 

 この二人だけの尊い時間に、次なる勝利を約束しよう。皇帝のトレーナーとして。感情に不器用な女の子、シンボリルドルフの親愛なる人としても。

 

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