“恋愛の失敗例その三:パートナーに強すぎる愛を押し付けてしまう”
以前こんな一文を目にしたのを記憶している――あれは確か、同期のウマ娘たちに唯一と言っていいほど絶対的な差をつけられて浅識だった『恋愛』という行為。それを焦って急いで、遅れを取り戻すかのように猛勉強した時期の記憶……どこかで読んだ恋愛の教科書の一冊に書かれていた一文だった。もちろん似たようなことは他の書籍にも記してあって、しかし当時の私の性格……というか、私の心の奥底にぼんやりとあった不安をピッタリと全く正しい言葉に変えて表現してくれたのが、その一文であったという話。
そしてその私の不安、平たく言えば他人には見せない悪癖。いつか私が完璧に『恋愛』を攻略し、全てを成し遂げてゴールインしようと試みた時、それを一瞬にして破壊してしまいかねないだろう、最悪の、それでいて到底消去不可能な欠点。私の、自分の一番と言ってもいいぐらい嫌いなところ。否、一度は好きになってまた嫌いになったもの。何故なら私は学生としての生活の中で成長し、彼との心の交わしあいもあって、“自分に最早欠点は無い”とまで思えるほど幸福で、満たされた存在になった――驕りではなく、そう信じることが出来た――しかしそして、その後にまたこうやって弱っているのだから。
君と同棲を初めて早一週間。もうこの玄関で靴を脱ぐのも手慣れたよ。
……今の私は、他人から見たら焦っているように見えるだろうか。靴箱の上に飾ってある青硝子の花瓶、そこから溢れる青と白の紫陽花の絡み合った
仕事上、今日は何か異変があったに違いない――そういう風に、彼はすぐさま悟るであろう。数年前に出会ってこの方、私の顔を、額からこぼれ落ちる汗の一滴まで見逃さない
なあ、本当にそうだろうか。私の“性格”とやらは、褒められたものだろうか。
「あ、ルドルフ――おかえり」
夕飯の準備を終えて、私を待っていた彼が微笑んだ。心底私に嬉しそうな顔色で、曇りも淀みも屈託も無い笑顔だった。
しかしやはり――すぐに私の異変に気付いたのだろうか、私を気遣う素振りを見せる。彼は浮かない顔のウマ娘を前にした時、無言で黙っていられるタイプの人ではない。このままリビングの入り口で棒立ちしていたのなら三秒後には声を上げるだろう。「大丈夫?」「どうかした?」。私の好きな声が聞けるはずだろう。
ああ、ああ気に入らない。気に入らない、無性にイライラするし爆発しそうだ。ストレスというストレスが私の中で渦巻いて、低いところで黒くなってどよめいて。……私は何も言わぬまま、眉毛をすんとも動かさず彼の腕を引っ張った。強引に。そして、彼の胸を両腕で――ズドン、と押して。
明かりのないベッドに、彼を押し倒した。
鞄を投げ捨て、這い寄るように私は近付く。スルリスルリと、
はあ、はあ。酷い動機と鼻息だった。気が動転しているままの彼に隙有り、と言わんばかりに詰め寄って、そのまま顔を目と鼻の先まで接近させた。……実際に、鼻先がキスしてしまうくらいに。
本当に、どうかしていると思った。汗で濡れた髪は乱れ、顔もまともに見れたものではないだろう。でもこういう時の女とは、どれだけ取り繕っても“この程度”が精々なのだと私は思った。発情した女が、想い人を目の前にどれだけ冷静でいられるか。
彼の両手は
彼のうなじに頭を沈めて、匂いを思いっきり吸い込んでみる。体は全く冷静でないけれど、心のどこかで未だ普通でいられる部分が仕事をしていた。……なんで、私は彼に酷いことをしているのだろう? やめろ、やめろ! 彼に嫌われる、嫌だ。それは絶対に、嫌だ……。涙が
私は連日の仕事で溜まったストレスを発散したかった。そして仕事中、帰る途中も、君のことで頭がいっぱいだった。君のことを考えると寂しさが増した。……だから、襲っているんだ。早く君を
さあ、最後の瞬間だ。私は顔を埋めて、彼と目も合わせないままに、話しかけた。どうかズルいと笑ってほしい。でも、彼の顔を見て、もし彼が、私に嫌悪、を……それは耐えられない。それは一瞬にして吐き気を催すほどの絶望だ。想像も、二度としたくないから。
「なあ、君が欲しくてたまらないよ。もう他のこと全部どうでもいいから、君をくれ。――嫌だったら、嫌だと言ってくれ」
私は、未だかつて無いほどの恐怖感に襲われた。恥ずかしかった。半分勢いで言い放ったプロポーズが、私の人生に強い痺れをもたらした。この一瞬だけは、数多のウマ娘を導くという
静寂。……静寂。息も詰まる瞬間。確実に今、呼吸していない。音が、しない――
「……よっ」
先に彼が声を発した。……え、と私は喉を鳴らす。
次の瞬間には、何故か私が見上げていた。頭上に彼の顔が……いや、トレーナー君の顔が、近すぎて……。
あ、ああ……!? どっどうやった……!? なんで彼は、ウマ娘の私を押し倒せているんだ……!
「……ぷッ……あっははは……! ルドルフ、やっといつもの顔に戻ってくれた。不安そうだったから心配だったよ。何か悪いことでもあったのかって。でもその様子じゃあ、ただただ俺に興奮してただけなんだなっ……」
「あ、わっ……ちょ、君っ……そ、そんなに抱きしめたらっ……!」
さっきの数倍、いや数十倍は大きな笑顔で、笑う君の姿。私を強く抱きしめて離さない、愛しい人がするプロポーズへの返答。
「俺のほうが好きだよ。ルドルフのこと」
っ……嬉しい。嬉しい…………!!
声にならないうめき声で、音を発する私達。二人して両手両足でがっしり強めに抱き合って、ゴロンゴロンとベッドを転がる。ははは……! と泣き笑いで、くるくるごろごろと揺れ続けている。
ふと、私は開放されたようにキスを迫った。自然な形で顔が触れ合い、唇という柔らかい
「ずっと一緒にいてくれ……私だけのトレーナー君……」
「うん、一緒にいるよ。君から教えてくれて、嬉しかった」
もう夕飯も冷めてしまったかもしれない。だから沢山愛し合って、その後二人で食べたら二人で寝よう。君にぶつけたい気持ちを、全部押し付けてやるから覚悟してくれ。本当に愛しているよ。本気の私よりもっと更に強い、たった一人の人間である君を……。