【RTA】呪術な世界を駆け抜けるレタス【Any%Glitch】 作:支部の々
その子供が目覚めたのはあれから十年後だった。
栄養不足もあったのだろう。身長ばかりが伸びた肢体は華奢と言うよりひたすら細い。それなのに十年ものブランクを感じさせないその身体能力は異様の一言だった。とりあえず四級から、と言っていた上層部を黙らせて準二級の階級をつけさせる程度には。
夏油は自分が養育しているあのとき村から回収した双子と目の前にいる折れそうな足で軽やかに歩く子供だったそいつを頭の中で並べた。あの時はどちらも正気のない目をしていたけれど、今となっては死んだ魚の目をしているのはこいつだけだ。図体ばかり大きくなっているけれど、まるであの時のまま時が止まっているようだ。
こいつはあの村がどうなったのか知っているのだろうか。あのあともう一度村に行こうとして結局辿り着けなかったこと、誰もあの村の存在自体覚えていなかったこと、あの任務自体が彼の記憶の中にあるものと異なっていたこと。そもそもそんな村、初めからなかったように世界が回っていること。そこに呪術の痕跡はなく、五条ですらなんら気に留めることはなかったその事実を、一体こいつはどれだけ知っているのだろう。
今だってそうだ。目覚めてすぐなんてお前まだここにいると言わんばかりの目で見て、けれどそれを口に出すことなく、この子供が出るまでもない、ましてや特級の夏油が出るなんてもってのほかな宗教団体の調査なんてものに彼を随伴させている。調査なんて補助監督で済むような任務をどうしてこいつが選んだのかなんて一つもわからない。
しかもこの子供が意識を失ってから十年だ。その間にどれだけ世界が変わったと思っているのだろう。こいつは何も躊躇うことなく進んでいくけれど、この団体だって調査が入るようなことになったのはここ数年だ。
挙げ句の果てに出てきた女は彼がよく知った顔をしているときた。これには彼も自分の表情が崩れたのがわかった。
だって、この顔を彼は知っている。彼の前に立っている子供だったやつとほぼ同じ、と言うだけではない。なぜ彼は忘れていたのか。この顔は、あの日あの村で彼に世界の秘密を説いたガラスの目をしたあいつと同じだ。髪型の差異とか、体型とか、そう言うものでは片付けられないほどに似ている。そしてそれはこの子供があの時のあいつと瓜二つの容姿になったことと同義で。
「よく戻りました!お帰りなさい!」
女はにこやかな笑みを浮かべてこちらに手を広げる。いかにも美しい顔だ。人間の顔を混ぜ合わせて平均に整えたような、嫌悪感を抱きようのない不気味な美しさ。
「どうやって、とは聞きません。あなたが今ここにいることが重要なのです。お戻りになられたことは神の思し召しでしょう。神がお導きになられたということはあなたが救済のために必要だということ他なりません。歓迎しましょう、同志よ。……えーと、はい。確認が取れました。七曜型UN-……UN個体は10年前に計画ごと凍結および廃棄されたはずでは?」
「廃棄漏れ」
「……いえ、構いません。計画にはなんら支障はありません。本日はどう言ったご用件です、同志よ」
「顔見せ」
「なるほど。結構」
「……」
「私たちの計画も既に最終段階に入っています。救済の日は近い。それまで心健やかに過ごされますよう、お祈り申し上げます」
「あなたも」
「メンテナンスは必要ですか」
「不要と」
「それでは、あなたに変わらぬ神の導きがありますように」
同じ顔が二つ向き合って喋っていることより、その異様としか言いようのない内容より、その言葉と口調と噛み合わないにこやかな表情がやけに目についた。平坦で丁寧な口調は妙に機械的で。夏油はこの顔をしたやつは揃って言語中枢に異常があるんじゃないかと思ってしまう。この子供はしゃべらないし、にこやかな顔の女は妙に機械的、いつかの細い足のあいつはちぐはぐで、まるで何人もの人間を混ぜ合わせたかのようだった。そして、ふ、とこいつらはどれもこれも作り物じみていると思った。この会話だって、まるで人を指して言うものじゃあない。プログラムされた言葉をなぞるだけみたいな、何度も繰り返した言葉を惰性で続けるみたいな。
「これは独り言ですが、」女は言う「……現存する器たり得る巫はあなたを含め三つ。いざというときは、その覚悟を」
「言われるまでもない」
妙に人間じみた言葉と、それに応えるほんの少し温度の滲んだ子供の声。そして、
そんなの×××××が決めることじゃあないんだよな。
彼がうつつに聞いたここにいない誰かの声が一瞬、聞こえた気がした。
▼
「あ、すみません。あなたは少し残ってもらえますか」
「……何か?」
「あなたは神についてどれだけご存知なのでしょう?救済について、どこまでアレから聞いていますか」
「あなたの言うアレと言うのが私のことを見向きもしないで置いていった曜を指すのなら、あれから聞いたことは何も」
「曜……アレはそう名乗っていますか」
「あなたは私からどんな言葉を引き出したいんでしょう」
「……いえ、引き出したいことなど、何も。ただあなた方のように神の御心が強く表れた方々は望むままに振る舞ってくださればそれで良いのです」
「……正直、わからないことだらけですよ。あなたのような人の言う神が何を指しているのかだって私にはさっぱりだ。……それは"指向性を持たない根源"のことかな」
「その言葉をご存知ならば私たちの目指す救済を、私たちの理念に、あなたも賛同してくださっているととります」
「生憎、私は君たちの理念も救済もその内容も何も知らないし賛同するつもりもない。私はただ、私たちが生きやすい世界を作りたいだけだ」
「ならばなおさら、私たちの理念に賛同いただけるかと」
「……話にならないな」
「私の神様は、あなたを助けてはくださらないでしょうけれど」
▼
「お兄さん、」
「誰だ」
「あらやだお兄さんたらもう忘れちゃったの。僕らが別れたのはたった数分前だよ」
「数分?十年の間違いじゃないのか」
「十年……まあそう、だねえ。君たちはそうやって捉えるんだったね。まあ何だっていいんです。時間なんてね、空間だってね、意味がないものですから。そんな形のないもの、頭の中にしかないもの、いちいち擦り合わせてたって意味ないですもの。この世界にはね、確かなものなんてひとつもないんですよ、わたくしの神様を除いてね」
「君は……何も変わらない」
「だって数分だぜ。それで老けたり成長したり、おかしいでしょ」
「……どうして」
「どうしてってどうして?数分が数年に引き伸ばされたこと?オレの顔がアレとかあの女とかとおンなじこと?私がここにいること?お前に話しかけたこと?成長がないこと?世界が救われなきゃいけないこと?今日の天気が晴れなこと?明日の天気が曇りなこと?昨日はちょっと寒かったこと?今日と明日が地続きなこと?感情に境がないこと?どれも意味なんてないけどね」
「……」
「黙ンないでよ、かわいいさん。ちゃんとぼくを見て、問うて、知って。……ああでも戻ってあの女に問いただすのはやめておきなさい。アレはね、ボクらとはちょっと違う。アレは使い捨てだからなんにも知らない。ただ同じ顔をしているだけの、消耗品さ」
「指向性の器を満たすもの、指向性を持たぬもの。……君が、それか」
「ううん。違うよ。」
「うーん、答え合わせをしよう」
「指向性は感情、満たすものは……まあ君たちの言葉で言うなら呪力がちょっと近い。信仰心、悪くない。でももっと、こう、あるだろ、混沌、全部、根底。なんか、そう言うものがさ。ああ、君たちはなんて言ったっけなあ……」
「そう、無意識」
「フロイト?ユング?まあどっちでもいいです。ここでお話ししているのは特に集合体の方ね。……まあ詳しく知りたかったら調べておくンなし。概要を知るだけならウィキペディアで十分事足りるから」
「……で、これが指向性の器を満たすもの。これが感情とか、呪いとか、そう言うやつを満たして呪霊にする。少なくとも
「じゃあ、この無意識を汲み上げて自由に使えたら素晴らしいでしょ、って、それが君の持ってるノートの話だ。やってることは君たちジュジュツシがやってることと一緒さ。汲み上げる元が世界か個人かってだけ。あの子供がやってるのはー……まあこれはどうでもいいか」
「……ああもう、やんなっちゃう。神様ったらせっかちなんだから。お前、お前。もうお行き。あの子が待ってる。不審に思われるんじゃあないよ。面倒だからね」
「……どうして、私に言うんだ」
「なぜなぜどうして、お前は知りたがりね。……別に、俺だってこんな解説みたいなこと好きでやってるんじゃないぜ。でもね、ボクがやんなきゃ誰が説明してくれンの。あのガキは
「君たちはどうして世界なんて、」
「
はじめからそう定められていたの。
「あ、これは警告、」
そいつは奇妙な光を宿したガラスの目で彼を見た。
「"かがみ"を完成させないで」
▼
「……会ったのか」
「君と同じ顔をした奴には、沢山」
「安心しろ、他にはもういない」
「どうだか」夏油は吐き捨てるように言って、「ところで、"かがみ"に思い当たる節はあるかい」
間。
「むげんきょう」
「無限鏡?」
「ムゲンは無限、夢幻、無言、無間、無弦。何にでもなれる。何にもなれない。彼岸と此岸をつなぐ。存在を、喰らう。汲み上げる。そんなもの」
「呪物か」
「呪物などと一緒にされたくはない」
やけに細い足でとと、とそいつは進むと振り返る。やけに大きな目がぐるり、無機質な光を灯していた。もう子供と適当に括ることもできないなあ、なんて夏油はぼんやり思った。
「知ることを妨げはしない。探ることをやめろとは言わない。利用しないでなどと、言うつもりは毛頭ない。けれど、邪魔はするな。どうか、最後まで神様と一緒にいさせて。正しく終わりたいなんて、言わない。だから、邪魔をするな」
ガラスの目だ。死んだ魚の目だ。透明で透き通って、無感動。そう思っていたのに、今のこの目はどうだろう。この目に宿る光は決して無機質なものではない。これは、
「邪魔をするなら、お前は要らないから」
▼ 新宿にて
「ところで夏油傑。おまえ、列車に乗ったことはあるかい?」
▼
「あーあ、行っちゃった」
「わざわざ手を止めて行かせたくせによく言う」
「そういうアンタは行かなくていいの?」
「……君の戦い方があの子と同じじゃなかったら、先に行ったさ」
「あ、そ」
マ、どうでもいいけどね。どうせ予定調和だし。そいつはそう言った。
乾いた黒髪は少し傷んでいる。ガラスの目玉に温度はない。折れそうな細い四肢がしなれば、それだけで夏油の放った呪霊は掻き消えた。量産品の白いシャツの中で薄い身体が泳いでいる。きっと肋も浮いているだろう。
似ている。
夏油だけではなくて、きっと五条もそう思った。
武器すら持たない枯木のような指先は、蝶でもつまむように五条の『蒼』に触れる。不可視のはずのそれを弾く指先は繊細で、けれどその攻撃の悪辣さたるや。
速いというより早く、ただその行為は単純に知っている作業を繰り返すように正確で、何十回と読んだ本のページを飛ばすより容易い。ただ、彼、あるいは彼女は識っているのだ。彼らがどういう風に息をして、その呼吸の合間に放つ攻撃のタイミングまで。
それはまるで、夏油のよく知るあの子供だったアレの戦い方と似ている。
何十時間、何百時間の研鑽を積んだ人間によるある種の境地、その容姿に似つかわしくない老練した振る舞いだ。人間の一生程度で修めることなど到底できないだろう。ましてやそんな戦い方をする人間が二人も同じ時期に現れるなんてそんなこと。
「しかしどーして君は僕の術式にそんなに詳しいのかな?」
「ただ速いだけの攻撃がどうして当たると思ったのかな?」
「見えるって?」
「見えるわけないだろう。ワタシは六眼なんて貰ったこたぁないんでね。私の神様はどうやらその目がお嫌いらしいんでね」
「でもこれだけ僕に詳しいんだ、君は随分僕のことが好きなんだね」
「……」
「都合が悪くなると黙るのはあの子みたいだね」
「……そうかもね」
神様、と彼/彼女は何度も口にするけれど、その正体をひけらかすようなことはしない。
神様、とあの子供は数度口にしたけれど、その対象を明言したことはない。
神様、とあの女は幾度となく口にしたけれど、そこに意思は見えない。
ただ実態のない不気味さが蠢いている。
それがどうしようもなく気持ち悪い。夏油はそう思う。まるで姿の見えないその神様とやらが裏で糸を引いているような不快感がある。例えばいまここで夏油が五条に呪霊を差し向けたとして、それすら仕組まれていたことに思える。
「テメェがぁ、何考えてるかなんて知らないけどぉ……。……あたしもう行っていいかなあ?」
「いいわけないでしょ?少なくともこうして立ち塞がったんだ、知ってること全部話してもらわないとね」
「君には聞いてないぞ、尖兵」
「ていうかその尖兵ってなんなの?僕は誰かの手先になった覚えなんてないけど?」
「理解できないさ、君じゃあね。お前はそういうふうにプログラミングされたシステムじゃあないか。虚像にすらなれない亡霊の分際で。そうやってあたかも自らの意思で動いてると思っているなんて、哀れで可哀想で……本当に気に障るなあ?」
なんて言ったっけ。デウスエクスマキナ?ああ、そうそう。それそれ。なんて、白い手が閃く。『蒼』が燐光を伴って逆巻き、掻き消えた。無限と無限を知り尽くした指先の間を光が往復して、まるで千日手だ。合間に夏油が呪霊を放ってみたところでそれだってすぐに潰される。
なんの武器も持たない一人の人間相手に最強と呼ばれた二人は攻めあぐねていた。
「どうせね、予定調和ですよ。アレは鏡を完成させる。あの女は失敗して、喰われる。そうして僕様の神様が、世界を救ってはいおしまい。何回繰り返されてきたと思ってんの。もうそらで言えるわ。アンタたちは覚えてないでしょうけどね」
「それが理解できないんだよ。君が言った通り、確かにあのノートは有意義だった。けど、それに君の言う神についての記述は一切なかった。君のいう神様ってやつが無意識じゃないならね」
「何を勘違いしてんのか知ンねーけど、あの女とボクの言う神様ってェのは別ものだよ?」
「じゃあ、なんだって」
「そりゃね、確かにわたくしの神様はね、酷いひとよ。この世界を作ったでもない。ただ、導くだけ。人を救うなんてもってのほかよ。何人の私が死んだかしら。あのひとが救うのは世界だけだわ。きっと、人は神様なんて、呼ばないだろうね。でも、」
歌うように、うっとりと目を細めて、熱に浮かされたようにそいつは言った。
「あのひとは、紛れもなく救いのかたちをしていた」
私にとってはね。
それだけ言って、そいつはすぐそこまで迫った呪霊の顎門を弾くでもなく、避けるでもなく、ただ笑ってその腹で受け入れた。
鮮血が散る。胴体は大きく削れて、そのままゆっくり、崩れ落ちた。鈍い色のリノリウムの床に粘度を持った赤い液体が広がるのをみて、ようやっと、あ、こいつも赤い血をしていたのだと気づけた。
「なんで」
「こっちの方が、はやい」
熱の失せた声が床から這い上がる。白い輪郭がぼやける。顔が認識できなくなる。黒い髪が目元を遮ってその表情は伺えなかった。けれど、きっと透明な目をしているだろう。口元だけで笑みを象って、その目元は冷徹に効率を追い求めているだろう。彼はそれをよく知っていた。それは、そいつのいうせっかちな神様のやり方にきっと近い。
「わはは、デスルーラ!なんちゃって」
「いや、させないよ?」
「なんだ尖兵無粋だぞ」
「まだ聞きたいこと、あるしね。今回の儀式への関与とか」
「えー?あー、うーん。あの女の大失敗作戦?どーせ失敗だしどーでもよくなぁい?」
「そうもいかないでしょ。死者もいるんだよ」
「誤差だろ。何十人?何百人?何千人?どうせ、この後死ぬ数の一割にも満たないだろーよ。どーでもよくね?」
「待って聞き捨てならないよ、それは。詳しく話して」
「どーぅしよっかなぁー?ぼくさまちゃんってば胴体もこーんなに削れちゃって、もういつ死ぬかわかんないしぃ、いつ話せなくなるかわかんないじゃん」
「その割には元気に話してるよね」
「おっと」
髪が揺れて目が露わになる。ガラスのそれに変わりはないけれど、透明でずっときらめいている。
「マ、そーいうことで。君たちは俺に勝ちました。はい、もう行ってどうぞ?」
「流石にそれは通じないでしょ。え?お腹削れてるよね?」
「削れてる削れてる。ちゃんと死んだよ。安心しろ。……でもさあ、猫ですら九つの命があるってェのによお、俺様には一つしか命がないとでも?」
触る?なんて体を起こしたそいつはケラケラと笑った。
「でもいいのかな、こんなところで油売ってて。どうせ忘れるだろうけど、一大スペクタクルだぞ?末代まで語り継がれるだろう大事件、特等席でご覧あれ。ほら行った行った。早くしないとあの子が死んじゃうよお?」
「……悟、」
「ああうんわかったわかった。先行ってなよ。僕はこいつから色々聞いとくから」
「えぇ、尖兵が残ンのかい。二人っきりなんてごめんだよ。なら夏油傑がお残り。そっちの方がずっとマシ」
「傑」
「ああ」
「ああ、待ってよ待って!酷いよこんなのってない!お腹に穴まで開けてやったのに!」
▼
黒い流動体。ヒト型の化け物。蠢くそれが声を上げている。年老いた人間の微笑みと子供の叫びを混ぜて金属を引っ掻くような不快極まりない声だと夏油は思った。これがあの美しい顔をしていた女の成れの果てだと、どうしてか彼には分かった。そして、それを思うとどうしようもなくやるせない気持ちが湧き上がる。
何をしにきたとでも言いたげな目に睨まれたのは数十分前。加勢しようと呪霊を出して敵に喰われたのは約十分前。そしていつか彼の親友がされたように、喉に鉾が突き立てられたのが、今。
どう、と倒れ伏した黒いそれがヒトの形を保てなくなって崩れていくのを彼は見ていた。
ヒト型に戻ろうと蠢く黒いソレをじ、と見つめる少年/少女の背中に声をかけようとして、やめた。
その子供はどこから取り出したのか丸い鏡を持っている。なんだか途方もなく、嫌な予感がした。夏油は呪力をみたり、術式をみたりするような眼は持っていなかったけれど、持っていなくてよかったと思った。だって、見えていたらきっと正気ではいられなかっただろう。呪力が、呪いが、渦を巻いている。肌の表面を刮ぐように、彼が彼であるための構成要素すら剥ぎ取られて吸い込まれていくような気がした。
そいつはその鏡をその黒い残骸に向ける。
ざあ、と冬の風よりなお冷たい風が吹いて、少しすれば鏡を向けられた黒いそれは灰になって散った。
終わったならそれを片付けろ、とか帰ろう、とか言おうとして、それもまた言えなかった。
鏡を胸元に抱えて、その子供が新しく握っているのは指だ。黒い爪の生えた、萎びた指。圧倒的な呪力の塊。
両面宿儺の指。
待って、どうしてそれが、それを渡しなさい。言えることはいくらでもあって、きっと迷っていたのが悪かったのだろう。いつか曜と名乗ったそいつはその指を、飲み込んだ。
「おい、なにを……!?」
ただでさえ白い肌が色を失う。口から血が溢れる。手が震えている。呪力が暴れだす。薄い肌が波打って、けれど曜は決して倒れない。苦悶の表情を浮かべることもない。笑みすら、浮かべてみせた。
そしてそのまま鏡を覗き込む。
間。
途端、世界が回りだす。鏡を起点に、渦を巻くように全てが吸い込まれていく。立っていられない。
「もう、終わるよ」
夏油は足を滑らせた瞬間、あれに吸い込まれると分かった。けれど、精神論でどうにかなるような話ではなくて、ずるり、足元のコンクリートが吸い込まれるのに合わせて、
「ぼーっと突っ立ってんじゃない!飲まれんぞ」
ぐい、と襟首が引っ張られる。
「随分手荒いね……」
「そんなこと言ってられる場合じゃないことくらい、わかってるよねえ?」
ほら、行くよ。そういうそいつはさっき腹に穴を開けていたはずだ。けれどそんな傷跡は一つもないし、そもそも服に汚れだってない。
「悟は」
「撒いた」
「それは……」
「そんなこたぁどうでもいいんだよ」
面倒くさそうに顔を顰めて、
「ぼかぁ言ったよねえ?鏡を完成させるなって。それがこの様かい。笑わせてくれんなよ、最強風情がよお。馬鹿にしてんのかい」
「誰が想像できるっていうんだい、こんなこと」
「思い出せよ。何回目だこんなの。そりゃ僕がきみをこうやって回収したのは初めてだけどさ」
早足に地上を目指すそいつに引き摺られながら夏油は置いてきた子供を思い出す。あの子は、笑っていた。
「このあと、どうなる?」
「新宿は駄目だな。このまま呑まれる。あたくしの神様からして時間制限はつけてるだろうけどね、渋谷も呑まれんじゃないの。そうすりゃ最後は高専だ。それでゲームセット。まあ見てりゃわかるよ。……最後まで、生きてればだけど」
「どうにかならない?」
「どうにかって?」
「あれを止める、とか」
「できなくはないけどさあ、」
そいつは足を止めないまま、夏油を一瞥した。聞き分けのない子供を嗜めるような、道理を知らない人を憐れむような、そんな目をしていた。
「意味なんてないでしょ、こんな箱の中で。生きても死んでも、どこにも行けない鏡のなかで、何ができるって言うんだい」
それだけ言って、彼の
「知ってる?神様のとこではね、左前のあわせは死装束なんだぜ」