【RTA】呪術な世界を駆け抜けるレタス【Any%Glitch】   作:支部の々

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諦念


【RTA】呪術な世界を模したゲームじゃ救われない5【これにて完走】

大概、人間というやつは行く当てもなく彷徨うなんてことになると慣れ親しんだ場所に流れ着く。

 

「ということで、この鏡の中とこっちが本当にそっくりなら彼は見知ったところに行くと思うんだけどどうでしょう」

「多分ね。……この場合は新宿、渋谷、それから高専あたりかな。マップの都合上」

「彼がどこにポップしたかとか、わかんない?」

「その辺のアルゴリズムについてはかみさまのが詳しいでしょ」

「んー、それはそうなんだけど……。新宿も渋谷も馬鹿みたいに広いし、高専に至っては場所知らないから」

 

 とうに日が昇って青い空をぼんやり見上げた。そこにひび割れはない。往来こそあるもののまだ早い時間の街で、吐いた息が白かった。

 

「ていうか曜ちゃんそのかみさまって言うのやめない?新しい宗教みたい」

「じゃあなんて呼べばいい?」

「えー……じゃあレタスでいいよ。あとさ、曜ちゃん寒くないの、白シャツ一枚って。寒くないのっていうか見てる方が寒いんだけど」

「仕方ないなあ。……ちなみに高専の場所は知ってるよ」

 

 こっち、と黒髪を揺らして歩き出す細い背中を追う。

 

「あ、そうだ。ちなみに今のレタス、はたから見ればモグリの術師で下手すると呪詛師扱いだから気をつけてね」

「待って」

 

 

 いくつか疑問に思っていることがある。もちろんこの状況自体なんら納得できたものではないけれど、中でも特に、という意味で。

 

 例えば、どうしてあの鏡はこの世界を、特に呪術師を中心に据えて映していたのかとか。

 

 ただそんなこと、タイミングを逃した今となってはそう簡単に聞ける訳でもないので適当にお茶を濁すような質問しかできない。

 

「そういやさー、曜ちゃんてば五条悟のこと()()()嫌ってたけどなんで?なんか理由でもあんの」

「そりゃあれが尖兵だからですよ。神のね」

「レタスの?」

「違います、違うよ。あれはねー、なんてったらいいのかなー、えとー、そうそう、ヒトじゃないんです。そりゃ、ワタシとか夏油傑とか、あの辺だって所謂呪術的に作られたプログラムみたいなとこありますけどー……ほら、アレ、起点なんです。世界のね」

「……は?……え?曜ちゃんじゃなくて?」

「うん。彼が鏡を覗いたから、あの鏡はあの世界を映した。彼が悔いたから、願ったから、願わなかったから、あの地点をずっと繰り返す。そういう世界になったんだよ」

 

 思わず足が止まる。

 

「あれは願望を映した。やり直したかったのかなあ?いつ覗いたのか、覗かれたのか、知ったことではないけれどね。結果として、何度も繰り返して何度もあれは離反して、可能性は収束して、今に至る。……かみさまが干渉しなきゃそれで終わったんだけどね。でもあなたがうっかりそうならない可能性を開拓なんてしたから……だからあなたは巻き込まれた」

「……引っ叩きたい相手が増えちゃいそう」

「巻き込みやがって、って?」

「うん」

「その時は手伝ったげるね」

 

 振り返ったそいつは緩い笑顔を浮かべている。白い肌に赤みはない。吐く息に白さが混じることもなくて、本当に生きているのかすら分からない。まるで非現実的だ。

 仕方なく足を動かして追いつく。

 

 本当はさっきまでの妙に昂った気持ちなんてとうに薄れて、体の芯に響くのは寒さばっかりだ。帰りたくて仕方がない。

 

 

「だから、えー、あれは特別なんですよ。本当にね。で、あんまりシナリオが現実から外れたらアレを使って修正しようっていう……それこそ機械仕掛けの神みたいなとこです」

「ある種プレイアブルみたい」

「ちなみにアレのデータはアレが鏡を覗いた時期……んー、教師やってる頃で固定されてたはずだからさ、だからもしかしたら学生時代の彼も教師時代に引き摺られてるかもしれないね」

「口調とか?」

「さあ?ボカァあんな風じゃない彼を知らないからなんとも。なあに、かみさ……レタスが知ってる彼はあんな風じゃなかったの」

「少なくとも学生時代はねー……一人称が俺だった記憶があるんですよ。……マ、私だって本物の彼がどんな人かなんて、知らないんですけどね」

 

 思い違いかなあ。なんて本当は興味もないことを、さも興味がありますと言った風情で言った。

 現代人らしい運動不足からなる薄い体と、単純に不健康な細い体が並んで揺れていると思うとなんだかおかしな気持ちになる。

 

「しっかし本当にあるんですかあ、高専なんて」

 

 

 2017年時点で日本の人口は一億とちょっと。その中で呪術師が占める割合は一割だったか二割だったか、はたまたもっと少なかったか。詳しい数が公表されているわけもなく、そもそも呪術師自体秘匿されているらしいから、確かなことなど一つも分からない。だから呪術師らしい、おそらくこちらが一方的に顔を知っている人間に囲まれてなんだか不思議な気持ちだった。呪術師らしい人間が数人に対して、そもそも人間か怪しい曜ちゃんと多分一般人の私。人口の比率がおかしい。

 

「……あれ、そういえばなんでこんなとこいるの?」

「それ、こっちが聞きたいんですけど?」

 

 ていうかなんで生きてるの?と言いたげな、白髪目隠しとかいう要素もりもりイケメンから目を逸らした。

 隣でどうでも良さそうな顔をしているガラスの目の曜ちゃんに目をやる。ここまで連れてきてくれたこととか道が合っていたことは評価できるけれど、それはそれ。今こうして尋問じみた詰問を受けていることで帳消しだ。いや、確かに何も考えず観光でもする感覚で高専に行こうとした自分が言えたことではないが。

 正直、これをどう切り抜けたものか。

 

 ふわふわした白髪頭のそいつにもう一度目を向ける。そしてすぐに逸らした。いささかの焦りが滲むそいつは、それはそれは美しい顔をしている。目元は隠れているけれど、隠れてなかったら目が潰れていたかもしれない。それこそ、美しさの概念みたいな整い方だ。造形を平均に整えた曜ちゃんとは訳が違う。ただひたすらに、美しいのだ。これをもって美しいという定義を定めたのだとしても、きっと誰も驚くまい。

 

「えー……と、数時間ぶりです、ね?」

「いやぁ僕も驚いてるんだよ?現場確認したけど間違いなく死んでたよね」

「ちょっとした手違いってやつですかね。というかこっちとしましても、よくも鏡を寄越してくれたなっていうかなんていうか……」

 

 おおむねこちらは彼が、というか彼らがどういう状況に置かれているのか把握しているから、彼が焦っている理由だってなんとなく分からないでもない。

 私だって、同級生かつ親友だった人間が今では敵になれば彼の立場を笑えない。普通に。そんなところに認可外の呪術師がふらりと高専に現れるなんて冗談じゃないだろう。しかも片方は死んでるはず、だなんてむしろ今生かされてることを私たちは感謝したほうがいいかもしれない。

 少しでも情報を絞り出したいだけかもしれないけど。

 

 だからといって、私が真っ当にこいつに答えてやる義理もあんまりない。厄介なもの寄越しやがっての気持ちと、漫画のキャラクターと対面してることによる感動と、なんか色々でこっちのキャパだっていっぱいなのだ。

 

「えっとー……」

「オレたち、夏油傑を探してンの」

「曜ちゃん??」

「でも勘違いしないでね、アンタたちが追っかけてる奴とは違うよ。なんてったってこっちの夏油傑は一般人を殺したこたァ、ねぇからな」

「曜ちゃん、」

「こっちの夏油傑がどんな格好かは知らないけど、少なくともボクらが探してるのの服装は五条袈裟。ただし合わせが逆ね。あと一番の特徴は前髪」

「前髪?」

「あの奇妙なあれ、ちょん切っちゃったんだ。だから前髪ないの」

 

 曜ちゃんはわざとらしくゆっくり足を組んで、口角を上げた。

 

「だからあたしたち、テメェらとは競合しないと思うんだよねえ?」




拘泥




「曜ちゃん曜ちゃん」
「なになに?」
「今レタスは激しくクソでか感情の波動を感じています」
「なんて???」
「なんかね……私に向かうものって感じもするけど曜ちゃんに向いたものって感じもするし、レタス経由曜ちゃんって感じもするし……なんか、言葉にできないね。流れ込んでくる感じ……?」
「……あー、なるほど。あー……多分それ呪力だわ」
「なんで??なんでレタスに呪力?は?呪われてる????」
「回路があンだよ。かみさまとあの鏡と……虚像には」
「新しい言葉出さないで。単語と人の名前と覚えるの死ぬほど苦手なんです」
「まあわかりやすく言うと、近くに夏油傑が居るよってことですね」

「驚いた。あんまり楽しそうに話しているから気づかないかと思ったよ」

 イヤホンで散々聞いた声がした。錆びついたように動かない首をなんとか動かして、声の主を視界に収める。草履。黒い袖。五条袈裟。あいにく私は着物に詳しくないからあわせの左右のどっちが上だとなんとかかんとか、ぱっと見ではわからないけれど、でもわかることがある。

「曜ちゃん前髪!!!!」
「待ってその言い方だと僕の前髪に異常があるみたいろうが!」
「撤退、撤退!!こいつに用はねえ!お腹の中で呪霊ファームしてる狂人の相手なんてしてられっかよォ!なんか顔怖いし」
「聞き捨てならないなあ。……ところで君たちは?私もそれなりに情報は集めていたはずなのに君たちみたいな呪術師は知らないんだけど」
「新人なので……?」
「新人、ねえ?」

 だって、ねえ。それ以外に言いようある?申し訳ないけどレタスがこの界隈に踏み込んだの今朝ですよ?それまで創作物だと思ってたんですよ?そもそも今だって自分が呪術師なんて自覚ないよ?本当におばけちゃん見えるかもわかんないくらいよ??

「かみさま、呪霊ね。おばけちゃんじゃなくて呪霊ね」
「人の心読まないでくれます?」

 それにしたって目の前でにこやかな笑みを浮かべる男のことが怖くて仕方がない。なんで笑顔なんですかね、絶賛テロ起こしてる最中なんじゃないの。
 おそらく夏油傑だろう男の笑みが深くなる。怖い。思わず曜ちゃんの服を掴む。曜ちゃんの笑みが深くなる。怖い。地獄か?

 ていうかこの夏油傑は私たちが探してた奴じゃない。逃げてもいいのでは。

「君たちは、おかしいね」
「わかります、この界隈わけわかんないですもんね。私の頭がおかしくなって、今だって夢見てるんだって言われたほうがきっとしっくりくる」
「うーん、そういう意味じゃあ、ないんだけど」
「きっと、夢見てるんです。きっと、途中で寝落ちしちゃったんでしょうね。あーあ、どこで乱数引いたんだろ。やり直しだ。有給取んなきゃ」
「現実逃避もほどほどにしないと見苦しいぞ、かみさま」

 一歩、足が下がる。無意識だ。やけに足音が大きく聞こえて気づく。
 
「そうだな、まずは名前を教えてくれるかな。私のことは……どうやら知っているようだけど」
「知らない人に名前を教えるのはだめだって聞きました」
「見るからにそんな歳じゃないだろうに」

 男はこちらに一歩、足を進める。背が高くて、それだけで威圧的だ。
 私の知るこの人は笑顔で人に対して猿なんて言っちゃうし、虫を潰す感覚で人を殺す。これは機嫌を損ねずとも殺されるのではなかろうか。

 本能的なものか、理性的なものか。どちらにせよ目の前の男が怖くて仕方がない。リアルに殺人鬼を放たないでほしい。鼻を掠める匂いは嗅いだことがあるようで、ない。ただ怖くて、理由のわからない吐き気が腹の奥で渦巻いている。

「大丈夫」
「曜ちゃん」
「大丈夫だよ、かみさま。きっと俺が助けてあげるからね。守ってあげる。怖いことなんてないよ。知ってるだろ、オレさま結構強いのよ」

 甘やかすような声がありがたい。手に熱が戻る。だからといって怖くないわけじゃないけど、まあマシだ。そもそもこいつがここに連れてきたんだよな、なんて考えると自滅しそうなので考えない。

「君たちは本当に歪だ。私の呪霊、乙骨憂太と折本里香、式神……どれも違う」
「そりゃね。お前ごときに理解されてたまるか。あたしたちはそんな、言葉で定義できるような安い関係じゃあないんだぜ」

 自慢げに曜ちゃんは言った。やっと人に関係を公言することを許されたみたいな、晴々とした笑顔だった。

「それはともかく、夏油傑さん。えっとー……あなたは私たちを殺しますか」
「まさか!君が敵対しないっていうなら殺す理由なんてない。むしろこちらに来ればいい。呪術師なんだろう?君は選ばれたんだ」
「養殖ですけど」
「ようしょく……?」
「言い方ァ……」

 ようしょく?と言う彼は首を傾げている。今までにこんなぽかん、という表現が似合う顔を見たことはない。いっそあどけない。
 けれどこればっかりは確かめておかねばなるまい。だって私はまだ死にたくないし、私『たち』を殺しますか、と聞いたら君『は』選ばれたんだ、と返す男だ。曜ちゃんの扱いが不安すぎる。

 そして何より私には曜ちゃんがいて、曜ちゃんは私を助けてくれると言ったんだ。
 この子が、この子の神様に、そう誓ったのだ。

 ならば私はこの子の神様として言わなくちゃいけない。

「後天性なんです。今朝までは一般人でした。呪術のじゅの字も知らない。呪霊なんて見えなかった。ていうか、まだ見たことないので本当に見えるかもわからないし。……言い方は悪いですけど、見えてるっていう人は頭がおかしいか人の気を引きたいみたいな、虚言癖みたいなものだと思っていました。私はまごうことなく、あなたの言うところの猿でした。今だって夢を見てるようなものだと思ってる。それでもいいんですか。あなたはそれを家族と呼べますか。今、知り合っただけの他人を。昨日までケモノだったイキモノを。あなたの家族を虐げたモノを同じ存在を。手を取れますか。あなたは、それを」

 息を吸った。ひけらかすような言葉だ。一方的に私は相手を知っていて、それはきっと向こうにとって酷く気持ちの悪いことだろう。もうそれすら気にならないかもしれない。
 私だって、許せとは言わない。言えない。なにを言ったって結局のところ、私が何も知らないことには変わりない。

 だからこそ、踏み躙るのだ。
 私の世界に不要な男を。
 他人事の正義感で。

 その、大義すら。

 目の前の男の顔が一瞬、固まって、歪んで、微笑んで、いっそ無表情に落ち着いたのを見届けた。
 つまるところ、どれだけ私が彼に心を砕いたところで意味なんてない。

「あなたはそれを、許容できまい」

 目の前の男の顔が歪んだ。



 自称葉野菜なレタスなる人間が曜ちゃんとかいう不健康欠食児童を連れ回していたちょうどその頃、短くなった前髪をちょっと摘んで男が一人。鏡出身の夏油傑は眼鏡をかけた少女と対峙していた。

「……どうして私は君に武器を向けられてるんだろうね?」
「白々しい。てめぇが何をしたか思い出してみろ」
「あまり好かれてなかった自信はあるけど、君にそこまで嫌われてるなんて思ってもみなかったよ」
「死ね」
「手塩にかけた生徒にそこまで言われるなんて悲しいなあ」
「……何言ってんだ?」
「おや、ずいぶん察しが悪いね?」

 見覚えのある場所なのに何かが違って、探している人間には一向に会えなくて、ようやく会えた見知った顔の生徒には武器を向けられる。これが彼を苛つかせなかったなら一体何が彼を苛つかせることができよう。そもそも、目の前のこの生徒はお気に入りどころか嫌いな部類だったし。

 つまり、彼は今猛烈に機嫌を損ねていたので。

「稽古つけてやるって言ってるんだよ、(真希)



「わはは!曜ちゃんどうしよう!」
「もー!レタスがあんなに煽るからァ!煽るにしたって相手選べよぅ!最悪の呪詛師煽り散らしやがって!!!」
「そんなレタスが大好きなくせに!愛してるって言ってもいいんだよ、曜ちゃん!」
「愛してるよ!!!!!クソ野郎!!!!!!!!!」
「素直!」 
「ワタ、タ、シィイイ、キレ、」
「曜ちゃんの顔のが整ってるわ!鏡見て言えよ、バーカ!!!」

 さすが主人公!なんてヤケクソ気味に言った。
 ていうかほんとに私一般人を辞めてたらしい。おばけちゃんほんとに見えてるの草。いや嘘、普通に笑えない。

 綺麗な石畳がひび割れて砕けて散った。細かい石屑が頬を掠めて痛い。こんなに頑張って走ったのはいつぶりだろう、なんて思い出す余裕だって本当はない。走馬灯ですか。胸が痛い。

「それにしたってかみさま避けるの上手いね?私いらない?」
「待って待って優しくして。なんならレタスのこと抱えて行ってくれたっていいんだよ!?」
「はいはい。かみさまが頼ってくれなくて悲しいなー、っと」

 さく、と無造作に曜ちゃんが背後に迫る呪霊にどこかで見たようなナイフを突き立てる。

「あ、これ?天逆鉾」
「ナイフじゃなかった……」
「かみさまも使う?」
「いっぱいあるみたいに言わないでよぉ!」
「やあね、お店開けるくらいしかないよ。同時に展開できるのは」
「嘘だろ」

 はいはい邪魔〜、と文字通り呪霊を蹴散らす曜ちゃんに対して私のこのザマはなんだろう。幸い、夏油傑オリジンが寄越す呪霊はほとんどゲームで見たものだし、その挙動だって見慣れたものだから避けるだけなら別に難しいことはない。相手がどう動くか知ってれば、その対処に運動神経なんていらないし。反射神経だって普通で平気。ゲームが3Dでよかった。

 だけどそれは倒せることと同義ではない。だって怖いし武器だってない。どのくらい腕を振ったら相手に武器が当たるかだって知らないのに腕を振り上げることはできない。戦うっていうことは、最終的に自分の体の制御に行き着くらしいけれどそれはそうだ。知っているだけの私ですらまだ生きていられるのだから。

 ていうか当たり判定そのままとか手抜きかよ。

「……やっぱそういうところ、可笑しいんだよなぁ、かみさまは」
「なんか言った!?」
「なぁんにも!」
「いい加減、死んでくれないか」
「やだよ!!」

「そうそう、ボクがいるのにかみさまに手ェ出させるわけないだろ?」

 ちょっと呪力多めに引っ張るよ、ごめんねえ。その言葉とともにずるりと体の中からナニカが引き摺り出される感覚。感覚器官がひっくり返る。平衡感覚が喪われる。立っていられない。目だけが景色を捉えてる。わあ、ごめん。なんてどこか遠くで聞こえた。
 
 いやお前何しやがった?世界がひっくり返ってる。ていうか、多分、私が倒れてる。こいつしか縋る相手がいない私可哀想すぎない?やっぱこいつ人間じゃないわ。

「まあいいや」

 よくねえよ。

「さ、夏油傑。ほんとの数の暴力ってのを教えてやるよ」

 私に背を向けた曜ちゃんが笑って腕を開く。そういえば呪術師って術をコネコネするとき手遊びするらしいけど曜ちゃんがやってるとこ見たことないなあ、なんて死ぬほどどうでもいいことを思った。

 だって私指一本動かせないし。逃げられないし。どうしようもなく死が迫ってるし。

 石畳も見えないくらい化け物が埋め尽くしてる。その向こうの夏油傑は見えない。どんな顔してるんだろう。そういえばこの曜ちゃんの術式ってどれなんだろ。今まで私が走った曜ちゃんの術式全部とかだったらめちゃくちゃ強いだろうな。流石にそれはチートか。あとカウンターってどういう処理になってんだろう。うーん。

「そうだ、せっかくだから君たちの流儀に合わせよう。そう、術式開示ってやつさ。無知蒙昧で愚昧で浅薄で暗愚なアンタにゴキョージュしてあげる。ほら、理由づけは必要だろう。どうしてお前が這いつくばることになるかってね。言い訳させてあげる。喜べ、人間」
「吐かせ」
「無意識って知ってるかい。ほら、ユングの。顕在意識と無意識の話。そしてその無意識を統合したものを仮に集合的無意識と呼ぼう。人類普遍の先天的な構造領域。指向性のないもの。()は、そこから()()()汲み上げる」

 周りくどいな。

「つまり、俺はかみさまが見たものならばなんだって、具現化してみせる」

 ……は、

 つまりまぁ、目新しいものじゃあ、ない。よくある構築術式の一種さ。曜ちゃんは言った。
 世界がひび割れる。ひび割れから覗く無数の刃先はすべて同じ形をしている。それは二股に分かれたナイフで、ちょうど、そう、今曜ちゃんがかざして振り回している天逆鉾にとてもよく似てい、て……?

「術式名はそうだなあ……」

 見えないけど、曜ちゃんがにっこり笑ったのがわかった。

「『無限鏡』かな?」

 指揮者のように、腕を振り下ろす。
 それに従って降り注ぐのは術式を強制的に解除する呪具だ。これが全部正しく機能するなら、これはまごうことなく悪夢だろう、少なくとも彼にとっては。

 夥しい数の呪霊がそれを上回る数の暴力で蹴散らされる。

 その向こうに黒い袈裟は見えない。

「……曜ちゃん」
「……てへ」
「曜ちゃん正座ァ!」
「ごめんて」

 逃してんじゃん!
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