【RTA】呪術な世界を駆け抜けるレタス【Any%Glitch】   作:支部の々

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⦅進行状況⦆レタスのいない舞台袖⦅異常アリ⦆

 

 小さいというよりいっそ幼い子供。まだ親の庇護下にあるべき子供。

 きっとその子供がよく似た顔の大人に手を引かれて、その顔に年相応の頬の丸みを持って、無邪気に笑顔でも浮かべていたならきっと誰も違和感を覚えなかっただろう。もしそうならきっと夏油だって、うんうん、これが守るべき光景だよね、なんて笑顔を浮かべられたかもしれない。

 けれどその子供は笑顔なんて浮かべないし、そもそも表情が動かない。まるで固定されているようだ。あるいは感情というやつが想定されていないか、他の表情を知らないかのどちらかだ。たまに息をしているすら確認したくなる。

 まったく、どうしたらこんな片手で足りそうな年齢の子供が死んだ魚のような目で瞬きもせずにじぃ、とこちらを見ているなんてことが起きるものか。夏油傑はまたひとつ、この世界の在り方に疑問を覚えた。

 

 

 最強になってしまった親友と、そもそも任せられる任務の質の違う同級生。どちらにも寄らない夏油が一人で任務に向かうことが増えたのは当然の帰結と言える。だから、久しぶりに誰かと一緒の任務と聞いて少し、親友を期待していたのかもしれない。

 結果は惨敗。今彼の隣に座っているのは五歳くらいの子供だ。

 

 高専で預かっているらしいソレが、こと戦闘においてどれだけ役に立つかは恐らく夏油が一番知っているだろう。単体で一級相当の呪霊を下し、五条悟が殺されかけた賞金稼ぎの男を完封する子供。相手からダメージを貰うこともないようで、その製造方法を上層部も大層気にしていると彼の親友はボヤいていた。

 夏油だって聞いただけなら信じなかっただろう。けれど彼はその子供にいきなり腹を抉られた上、時を駆けるような真似までしてソレの人間とはかけ離れた動きを見てしまったので。

 

 少なくとも任務の邪魔になるようなこともあるまい。彼はため息を飲み込んだ。

 顔は動かないし、目は死んだ魚のようだし、その目が動く度に、なんだかそのぬらりとした澱みが金魚のようでこいつは本当に人間なのかなァなんて思うけれど。けれど騒がしくないし水槽の中からジと見つめてくるような恐怖感にさえ耐えれば悪いやつではないのだ。そう。意識さえしなければ。

 

 

「それじゃあ私は話を聞いてくるからね、おとなしくしてるんだよ」

 

 夏油が同行者の子供のためにしゃがんで目を合わせようとするも、なんだか絶妙に目が合わない。挙句子供は彼が言い終わる前に無言で頷くと躊躇いなく村の中に消えていく。

 本当にわかってンのかあのガキ、なんて柄にもない言葉が頭をよぎった。いやそれにしたって足取りに躊躇いがなさすぎる。まるで見知った場所のようだ。

 彼はちょっとため息をつきたい気持ちを抑え込んで笑顔を浮かべる。ジリジリと照りつける日差しがやけに黒い影を落としていた。

 

「それじゃあ、お話聞かせてください」

 

 

 そのあと、彼がその子供を見つけたのは彼が全く予期しなかった場所だった。

 村長宅でなにやらゴソゴソしている子供を見たとき彼は一瞬目を逸らしたくなった。声をかければ子供は一瞬手を止めてちらりと彼に目をやる。そのとき、すっとソレの手の中から何かが消えた。

 あ、こいつなにか盗ったな。夏油はこの子供が、彼と別れてからこの村でなにをしていたのかなんとなく察した。

 

 夏油は、はぁ、とため息をひとつ吐いて子供に言う。

 

「丁度いい。帳を下ろしてくれるかな。祓うよ」

 

 子供は無言で首を横に振る。

 

「なぜ」

 

 なぜ、と聞いてから、そういえばこの子供は帳を下ろせたっけ、と思い至る。この子供がなんでもないように呪霊を祓っているから忘れていたけれど、この子供はそういう教育をまだ受けていなくてもおかしくない年齢だ。当然習っていないだろう、帳の下ろし方も。もしかしたら非術師のために、という理念すら知らないかもしれない。

 ではどうしてこの子供は呪霊を祓うのか。そこまで考えて服の裾を引く感触に視線を落とす。子供はなにやらくすねたことなんておくびにも出さないで、あたくしいい子にしてましたよ、なんて言わんばかりの素知らぬ顔で服の裾を掴んでいた。けれどその顔が少し不機嫌そうだとわかるのはこの子供との付き合いがあんまりにも濃かったせいだろう、別に長くはないけれど。

 

 子供はぐい、と彼を引く。呪霊を狩るとは思えないほどの力の弱さで、というかいっそ心配になるほど力が弱い。なんだか要らない庇護欲まで抱いてしまいそうだと夏油はもう一度ため息を吐いて子供が願う通り帳を下ろした。

 

「君はここで待っていなさい、呪霊は私が、

 

 言い終わる前に子供が弾かれたように呪霊に向かって飛び込んでいく。いや流石に彼とてあの子供があの呪霊に負けるほど弱いとは思っていないけれど。けど話くらい最後まで聞いて欲しかったなあとか、戻ってきたら人の話は最後まで聞きましょうとか、そういうことから教えるべきなのではなかろうか、とか初めて子育てをする親みたいな思考になって頭が痛い。別にここで頑張らなくたって、ただついてきただけだとあの子供を詰る気など最初からなかったのに。

 というかあの子供が振り回している鉾にはなんだか見覚えがある。具体的には先日、あの子供に腹を抉られたときに彼の親友を嬲ったアイツの得物にそっくりだ。あの非現実的な。まさかあの武器が欲しくてあの子供は彼の腹を抉ったんじゃなかろうな。

 

 

 それにしてもあの子供の動きは本当に異常だ。アレが戦うところを見るのは二度目だけれど、その印象は変わらない。いっそ強くなるばかりだと夏油は思う。

 別に動きが早いわけではない。歩くのと同じような速度で、と誰かが言っていたけれどまさにその通り。相手がどこから、どうやって、どのくらいの速度で、どんな攻撃をしてくるか知っているような動きだ。ある意味、悟だって真似できない、彼は思った。それはあんまり上手に避けるものだから、相手が手を抜いているか、当てないように気をつけているかのどっちかに見えるほどで。

 

 ひらり、ひらり、ゆらゆらと子供が揺れて、ああ金魚のようだなと夏油はちょっと思った。

 

「よく動くもんですよねぇ、あの体で」

 

「誰だ」

「ああ、振り向いちゃあ嫌ですよ。別にね、ボクだってきみとどうこうしたいわけではありません、ですので」

「住民か?呪詛師か?」

「住民?いいや、ただお伺いしたいだけです。なんてったっけ。ああ、そうそう。呪い、呪いのお話ね。お好きでしょう、キミたち」

「あの子供と知り合いか?」

「質問ばっかりでやンなっちゃいますね。知り合い。まあそうかも。別にそうじゃないけど。まァそんなのはどうでも良いんです。だってアレ、人の顔なんて認識してないよ。なんでも良いんです。……ああでも、あたしがここでアンタにお話しするのはルール違反かなァ?マ、いっか。同じことだわ。忘れてください」

「なにが言いたい」

 

 平坦な声で、遊ぶように言う。温度のない声で、くるくると。チグハグな口調がやけに耳についた。

 

「どうして人は他者を呪わずにはいられないのか」

 

 ぴたり、音が止まるような気がした。宙に浮くような要領を得ない言葉がひとつに定まるような、酷く冷たい声。顔は見えずともその声だけで言葉の後に、にい、とそいつが口の端を釣り上げるのがわかるようだった。

 

「どうかよく考えておくれ、おさないひと」

 

 冷たい指先がすう、と夏油の首筋を撫でた。はっと振り返ってももう人影なんてない。くすくすと笑う声だけが風に紛れて微かに残っている。

 男とも女ともつかない曖昧な声だった。年齢だって伺えない。言葉だけは残っているのにどんな声だったかだけはもう、覚えていない。人は声から忘れるというけれどこんなのはおかしい。

 夏油は特級術師だ。上から指折り数えて、片手の範囲にはいるのだ。その背後をとって、気取らせない?そしてそのまま去るなど、普通の人間にできて良い範囲のことじゃない。確かに殺気など感じなかった。けれどそれとこれとは別だろう。

 

 おかげで戦闘を終わらせた子供が胡乱げな顔でこちらを見上げるのにも気付かなかった。

 見るからに不機嫌そうな、というかこの子供は喋らないから見ている側が勝手に判断しなければならないのだけれど、子供を宥めて夏油は呪霊を丸めて口に運ぶ。

 相変わらず酷い味だけがあった。

 

 

「これはなんですか」

「■■……?■■■■!?」

「違います」

「■■■■!!」

「事件の原因はもう私が取り除きました」

「■■■!!」

 

 ただ気持ちが悪いと思った。声は聞こえているのに、意図が届かない。本当に同じ言語を話しているのか、甚だ疑問だと夏油は思った。ただ、これまで彼が扱ってきた日本語を許容する口だけが言葉を適当に言葉を返している。彼は自分の口が正しく返答できているのかだってわからなかった。

 小さな子供が二人檻の中で身を寄せ合っている。それを同じくらいの子供が茫、と見ている。一瞬、彼はどちらが檻の内側にいるのかわからなくなった。途端、ぐるりと傷のない方の子供が夏油の目を見る。黒い髪に透明なガラスの目玉、青白くぬらりと光るその肌を彼は知っている。こっちは、彼がよく知る方の、子供だ。

 

「みなさん、一度外に出ましょうか」

 

 彼はなけなしの理性を手繰り寄せて笑顔を貼り付けた。

 

 

「やァやァ、また会ったね」

「今度は顔を見せても良いんですか」

「構わんよ、ここにアレはいないですから」

 

 さあどうやって殺してやろうか、なんて考えていた夏油の思考を遮ったのはついさっき彼の背後をとった声だった。

 

「それにしたって随分丁寧な口調だ、さっきまであんなに牙剥き出しって感じだったっていうのに」

「立場が変わったんです。あなたが私を害さないというのならそれで良い」

「むつかしいことばっかり考えるんですね、お前らは」

 

 そいつはやけに細い足で夏油のすぐそばにいた小太りの男を転がすとその顔面を踏んだ。

 

「人間を殺すってェのだってね、別にむつかしく考えるようなことじゃあないんですよ。そんなに考えるようなこともない。こうやって転がして、打ちどころが悪けりゃそれだけで死ぬ。死ななくたって、このまま足に力を込めたらどうかな。んふふ。君はどうか知らんがわたしはこのまま踏み抜くくらいならできるんだぜ」

「それで?」

「急ぐな、ガキ。口調が崩れているよ。ぼかぁね、頭の回ってないてめェに選択肢を差し上げようって言ってるんです。別に害そうってェんじゃないよ。ご安心なすって。……いや、当然、君がこいつらを呪って殺したって構わないんです。でもこうやって素手で殺したっていい。そのほうがお前らの言う証拠だって残らない、残穢だっけ。でもですね、まァ僕としてはあと数分待って欲しいんですよ」

「数分?」

「そ。でも数秒かも知れんですね。それだけ待てば堪え性のない俺の神様がこの村の住民ぜぇんぶ食べてしまうから」

「呪霊か」

「いいや、近いけど違うね。呪いの源だよ」

「……人間、か?」

「広義には、そう。でもサ、ぼっちゃん、あー誰が言ったんだっけなあ。精神の根源は欲望ってさ、聞いたことあるでしょ」

 

 そいつはなにが楽しいのかくるくると回った。もののはずみで適当に蹴り飛ばされた小太りの男の首がぼき、と変な方向に曲がる。哀れみさえ覚えないほど呆気なかった。

 高く、低く、捉え所のない声が響く。

 

「君たちはさ、愛だって呪いって言うだろ。違うんだよ。人の精神が、感情が、欲望が呪いなんだよ。わかるかな。これもリビドー。人間の感情と呪いは地続きさ。愛に貴賎がないように、感情に境がないように、正の感情が転じて、なんてないよ。発露した時点でそれは呪いだ。食欲はどうだい。愛欲はどうだい。相手への思いやりだって行き過ぎればやれ虐待だDVだ言われるってンのにさ。その境は誰が決めるんだい。呪術師諸君はそんなこともわかっちゃいない。いや、わかってるのかな。わかっているからこその対処療法。根源的な治療なんてできないよ。だってそれは人間の精神なのだから。根源的な治療を施したければ全員殺すか全員から心を奪うか、どちらかだよ」

 

 回り疲れたのか、喋り疲れたのかそいつはぴたりと動きを止めるとぐるり、と目を動かして夏油を射抜く。恐ろしい呪霊と対峙した時とは違う、人間とも違う、なにか得体の知れないものと対峙したような薄ら寒い心地がした。

 

「そして、人をひと足らしめるのもまた同様に、それだ」

 

 どこかで見たような、ガラスの目玉だ。

 

「嗚呼、ごめんなさい。ちょっと楽しくなって。ごめんなさいね、私ばっかり。でもね、もうすぐなんです。……ほら、きた」

 

 ざあ、と風が吹いた。濁った感情を拭い去るような、夏に似合わない冷たい風はやけに清涼感を孕んで夏油の髪を攫う。一際長い前髪が一瞬、視界を遮った。

 

 何かが足りない。

 

「ほら、ごらんなすって、」折れそうな細い指先で首の折れた男を示して「あなたにはどう見える?」

 

 夏油は、そいつが何を言っているのかわからなかった。何を言っているのかわからないことが、わからなかった。

 そいつが指差すそれには二本の腕があった。足も二本あった。ちょっとおかしな方向に曲がってはいるものの、首は一本で、胴体は少し小太り。おそらく二本足で歩くだろうことは容易く想像できる。それは人間だ。人間だったものだ。夏油はそれを猿と呼んだかも知れないけれど、生物の分類上は紛れもなく人間だった、はずだ。それは決して彼が非術師を指して人間じゃないというのとはわけが違う。夏油だってそんなこと、とうに理解している。理解しているのに、それが人間だと認識できなかった。

 

「顔が、」

「うん」

「顔が黒く塗り潰されて、わからない。それが人間だと認識できない。理解はしている。けれど、それが人間だったとは思えない。歩いて動いていたのか?ソレが?いや、歩いていた。喋っていた。ソレは……何だ?」

 

 夏油の答えを聞いたそいつはうっそりと笑った。そして神様ですよぅ、と言った。

 

「あたくしの神様がね、喰ってしまった。ね、おまえ。これが選択肢です。非術師をわざわざ殺さなくたってね、呪いがない世界はね、お前の望む消費されない世界なんてものはね、作れるんです。この男だけじゃあないよ、村中回ってご覧なさい。おンなじように顔のないひとがたが沢山転がっているはずです。けれどね、だぁれもソレに気付いたりしません。だっていない人間です。単純に、元からそんな人、いなかったんです。ぼくの神様がそうしました」

「何を言っているんだ、これは……呪いか」

「呪い、うーん、呪い。そうですね、ある種そうかも。強いていうなら信仰、そう、人を形作る方の、呪い、感情。食べてしまったから。……あ、でもご安心なすってください、あのカゴの中にいた子供は無事です。だって、名前を奪われていませんからね」

「人が死んで、それを理解できないなんてそんな、こと。都合が……」

 

「人なんて思ってないくせに」

 

 間。

 

「人だなんて、思えもしないくせに。よくもまァ言えたものです。都合、良いでしょうに」

 

 すぅ、と目を細めたそいつは言い聞かせるように言った。物分かりの悪い子供に繰り返すように、呆れを少し滲ませて、理解ができないとでも言うようように。

 

「あんまり、響かなかったみたいですね。残念。ぼかぁ君が一番適性があると思ったのだけれど、そんなことなかったみたい。無駄足。残念無念でまた明日ですね。あー、またやり直さないと」

「また?」

「おっとこれはいけない、お口が滑ってしまったですね。お忘れになって」

 

 それ以上そいつはそのことについて続ける気がないらしいことくらい、夏油にももうわかる。

 

「……どうして、私だったんだ」

「別に、お前じゃなくても良いですでしたけど、灰原雄でも伏黒甚爾でも」

「悟じゃあ、駄目だったのかい」

「悟ゥ?ああ、あれは駄目ですよ、何回繰り返したって絶対ボクらはあれだけは選ばない。神の尖兵なんざ選ぶ羽目になるなら全員殺してさっさとやり直します。あたしゃ無駄なこたァしたくないんです」

 

 灰原雄、伏黒甚爾、そして夏油傑。選ばれない選択肢の五条悟。その共通点は、と考えたところで夏油はアと気付いた。初めて会った気がしないと言った灰原雄。どこかで会ったことがあるかと問うた伏黒甚爾。おかえりと言った夏油傑。なにかと気にかける五条悟。その中心にはあの、ガラスの瞳の子供がいる。

 

「あの子供か」

「……まァ、基点がアレであることは、確かですけれどね」

 

 そいつははじめて言い淀んだ。

 

「なんか調子狂っちゃったな。ぼかぁもう行きます。この回はもうきっと見切りをおつけになるでしょうからね、次の支度をしないといけません」

「ひとつ、聞いても良いかい」

「なんでしょ」

「このまま私がここの住民を皆殺しにしていたら、どうなっていた」

「言わなきゃわからないのかい?呪詛師として追われて最後は神の尖兵に殺されておしまい。お前の理想は叶いません」

「それは絶対?」

「当然。そのための尖兵ですよ。あれに意思などあるものか。あれはただシステマチックに物語の進行を助けるための舞台装置です」

「彼には意志がある。感情だって」

「ただのプログラムに随分執着なさるんですね、とっても驚き。でも良いですよ、あなたがあれをどうしたって。どうせ終わる世界だ。お好きになさい」

「終末論は二千年に入った時点で終わってると思うけど」

「終末論……?ああ、なるほど。まさかとは思ってましたけどあなた、覚えていないのか」

 

 そいつはちょっと呆れたような顔をした。夏油に対して呆れたようにも、それに気付かなかったそいつ自身にも呆れたようだった。

 ただ、そいつはあーなるほどね。予想外。そりゃ勧誘も失敗するわ。なんてぶつぶつ言った。今回の失敗はわたくしの所為ですかね、マいっか。なんて。

 

「君、知りたいのならあの子供のノートをご覧なさい。持ってるはずですよ、研究日誌。あれに大体のことは書いてあります。次は忘れないよう持っていきなさい。アレにも、よろしくしておきなさい。今回はもうおしまいだって言やァ色々教えてくれるだろうから、聞いても良いです」

「君たちは、なにを知っているんだ」

「少なくとも、お前より沢山のことを」

「なにが目的だ」

「そんなの決まってるじゃあないですか、」

 

 この上なく崇高な理念を語る顔で、内緒話でもするように声を潜めて、そいつは夏油に顔を寄せた。湿った夏の香りがした。すう、と伸ばされた熱を奪うような冷たい手はやけに現実味がなくて、彼はやっとそいつがやけにうつくしい顔をしていることに気付く。ああ、そうだ。このガラスの目は、青白い肌は、いかにも平均的な人間のパーツを集めてきましたと言わんばかりのこの顔は、あの子供によく似ている。

 愛しい恋人にでも囁くようにそいつは言った。

 

 

「世界をね、救うんですよ。あたしたち」

 

 

 わずかに忍び寄る秋を思わせる冷たい空気が澱む、湿った空気の檻の前。なにやら化かされたような心地でそこに戻った夏油は傷だらけの子供と人の匂いのしない子供が身動きもせず見つめあっているのを見て、やっと我に帰る。

 

 見慣れた子供の手に何かキラキラと光るものがあった。いつか見た気がするけれど、それは今子供の手にあるものよりずっと小さかった。微かに呪力を感じるから、呪具か呪物か。そういえば彼はああいう鏡のかけらに腹を抉られたんだっけ、なんて思い出した。

 そしてふと、さっきの"また"とか"次"とか"やり直さないと"という言葉がふとよぎる。もし、さっきの人間やこの子供が何度も世界をやり直しているのだとしたら。アレとこの幼児はそれぞれ望む目的のために繰り返して、相対しているのだとしたら。ならは顔を合わせないことも、アレが夏油を勧誘したことも、この子供が過去に飛んだことも、全て辻褄が合う。妄想だと切って捨てるにはその考えは魅力的すぎて。

 

 なら、この子供を上手く使えば夏油はここで非術師を虐殺したり高専から離反するより、ずっと簡単に彼が望む世界を作り出せる。虐げられる子供が虐げられる前に救われるように。消費される術師が消費される前に、術師が頂点に立つ世界を作ることができたなら。そこまでできたのなら、きっと彼は胸を張って、本心からの笑顔で、最強と謳われる親友の隣にだって立っていられる。

 

「ね、君ひとつ聞いておきたいんだけど、過去って変えられる?」

「……」

 

 ちらりとこちらを見た子供の目が眇められる。なにを知った、誰に聞いた、なにを知っている。さまざまな感情が渦巻いていることだけはわかった。そしてこの子供がここで口を開く気がないことも。

 ただ、ほんの一瞬、いつか彼の名を呼んだのと同じ声でなに言ってんだこいつ、という言葉が聞こえた気がした。

 

 そうだよね、それじゃあその子たちを回収して帰ろうか。なんて物分かりが良いふりをして夏油は笑った。

 

 

 これから正しいことを為すのだと彼はいつにもなく浮ついた気持ちで帰途に着く。きっと悟だって、この計画に反対するようなことはないだろうと思った。術師のための世界。もしかして非術師を全部弑して作る世界だ、なんて言ったら呪詛師として追われていたかも知れないけれど、彼はまだ誰も殺していないし、これからも直接殺すような真似をする気もあんまりない。そりゃあ、上層部に嫌がらせをしたり受ける依頼を選んだりはするかも知れないけれど、そんなの元々彼がしようとしていたことに比べれば可愛いものだろう。

 

「……わたしではできない」

「うん?」

「わたしだけではかこをかえることはできない。あれはじょうけんをそろえたうえでげんていてきにのろいとしんこうをだいしょうにかみがおこなうみわざだ。ひとのみにはすぎる」

「……つまり、君では過去を変えられない」

「ただわたしたちはくりかえしているだけ」

「なんで今になって話し出す気になったんだい」

「みられていないから」

「要領を得ないな。誰が見てるって?神様とでも言うつもりか。生憎そんな話はさっきずっと聞いてきてうんざりなんだけど」

「……」

 

 湿った目が彼を見上げた。黒々とした目に人相の悪い男が映っている。

 唐突に喋り出した子供の声はいつか彼が想像した通り平坦だ。感情なんてひとつもこもっていない。抑揚もなければ特徴もない。子供らしい高い声ではあるものの、キラキラと弾けるような甘さはどこにもない。光のない目と青白い肌、なんだか死体が動き出したようにも見えてきた。

 

「おかえり、なんていうからおぼえているとおもっていた。だからつれていった。けれどおまえはおぼえていない。かれらもおぼえていない。おまえはまたじぶんでせかいをてばなした」

 

 覚えていない、とまた言われた。意味がわからない。彼がなにをしたというのか。彼とこの子供は過去にあったことなんてない。一年前に飛んだソレに会った記憶だってない。まさか前世の記憶なんて馬鹿げたことを言うんじゃないだろうな、と思ったところで彼はふと気付いた。

 

 彼らは全員死んでいる。はずだった。

 

 灰原雄は産土神信仰の呪霊に殺されて。伏黒甚爾は五条悟に殺されて。夏油傑は未来の話ではあるものの、五条悟に殺される。少なくともあの奇妙なやつはそう言っていたし、彼だってそんなことくらい簡単に想像できた。そしてそいつらは全員この子供と関わることで人生を捻じ曲げられている。その結果としての既視感だとしたら。

 子供は夏油が考えの深みにはまっていくのをちょっと眺めて、そして問うた。

 

「じゅれいとは」

「は?」

「こたえて」

 

 彼は子供の目になにやら奇妙な光が宿っているのを見た。それは期待に似ていた。

 

「じゅれいとは」

「非術師から漏れ出す呪力の凝り」

「どこからくるの」

「非術師の、」

「じゅつしをころすほどののろいがただのにんげんのなかにうずまいているとでもいうのか」

「一つ一つは小さくとも、集まればそうなる」

「だれが?」

「は、」

「だれがふけばとぶようなちりのごときのろいをあつめてこねたというのか」

 

 彼は一瞬、その子供がなにを言っているのか理解ができなかった。だって、そんなことあって良いはずがない。誰が集めたか、だと?誰が捏ねたか、だと?それは、誰かが意図的に呪霊を作ったということだ。自然発生的なものでないなら、彼はいったい誰の尻拭いをしているのだ。

 子供は古ぼけたノートを一冊、彼に押し付けた。誰かの忘れ物というには薄汚れて、呪霊の成り立ちを記すには新しすぎる。

 

「おもいだせ。とりもどせ。けして、さとられるな。もうじかんがない。つぎのおまえはきっとまたぜんぶわすれている。おわらない。おわれない。おまえじゃないと、いみがない。でも、」熱を帯びた瞳だ「こんかいは、きっとできる」

 

「君は……一体何だ」

 

 子供はちょっと目を瞬かせて、そして彼が初めて見る顔で笑った。

 

「ときをかける……しょうねんしょうじょ、とかどう?」

 

 





中略

"研究を続けるうちにアレは負の感情に留まるものではないと知った"
"例えば愛"
"食欲"
"性欲""自尊心"
"尊敬""崇拝""歓喜"
"謙譲""節制""貞淑""正義"

 "信念"

"それらは全て過ぎれば悪徳となる"
"けれどなくして人間足り得ない美徳でもある"
"そこに境はない"
"判断を下すのはいつだって人間だ"

"つまり"
"人が何かを思うのならソレは呪霊の温床足り得る"

中略

"精神の根源は欲望だ"
"欲望は外へ向かう精神の発露だ"
"我思うゆえに我ありではない"
"精神の向かう先がなければ存在などないも同義"

"ならば外に向かう感情を呪いと定義する"

"そして"
"他者から向けられた認識を""感情を"
"受け取る側から定義するならソレを信仰と名付ける"

"信仰は存在そのものだ"

"人間を成り立たせるものは外部から与えられる認識だ"

中略

"呪霊の発露を観測した"
"ヒトから漏れ出す微少な呪いは決して呪霊の質量と等価ではない"
"けれどその指向性は一致している"

"このことからヒトから採取される呪いは指向性を定めるものであると推測される"
"ならば呪力の根源ともいうべきもの""指向性の器を満たすもの""指向性を持たぬもの"
"どこかにあるのか"

"その指向性を持たない根源を捉えることが出来たのならば"


中略

"呪霊の発露しない世界"
"尽きることのないエネルギー"
"人類の躍進"

中略

"なんということか"
"信仰を"
"認識を奪われた人間は存在出来なくなるのか"

"もう私ですら覚えていない"
























"私を覚えていない"




「傑、なに読んでんの」
「誰かの日記、かな」
「面白いの、それ」
「興味深い、とは思う」

 夏の香りが遠のいて、秋の冷えた風が紅葉を揺らして、だんだんと空気が冴えてきて。

「ところで、あの子供だけど、」

 光は尖って、白々しく。

「倒れたってさ」




"私はソレに【検閲済】と名付けた"

 ぐしゃり、捲り損ねたページに皺が寄った。
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